社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

鹿児島への帰郷(その3:田舎の周辺。改めてすごい田舎だ)

2010-08-13 23:20:44 | 旅行

鹿児島へ帰って来た。翌日、改めて田舎の家の周りを見渡してすごい田舎だと感心する。今更ながらだが。家の後ろは山で、家の直ぐ下は竹林、昔は広大な畑だった。家の正面も、のどかな田んぼだった。今も田んぼはあるが・・・。家の前の通りには、車が一日数台通ればと思っていたが、予想外に多かった。

田舎の家の前の通りから、となりのまでは一軒も家はない。昔は約4キロの山道だった。もちろん街頭等は一切ない。夜道を歩くのは、なかなか度胸がいったと思う。本当の山の中だ。もちろん、電気は来ているが、都市ガスや水道はない。従って水はタダだ。井戸水を使っているからだが。野菜等も自給自足しようと思えばできるし、実際私が小さい頃はそうだった。家の前の野菜畑で大半は季節に応じた野菜が取れた。草取りや庭の整理が必要だったが。

DSCF4033 DSCF4030 翌日にお墓にお参り。
以前は別の所にあったが、ここに専用の墓地を造った。

右は当家の墓。
IMG_0055 IMG_0056 すぐ墓地の周辺。田んぼやにがうりの畑。
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DSCF4040 DSCF4036 地下水が染み出ている家の外壁。

田んぼのそばの用水路。実際は川。昔はこの川で水遊びもできた。もちろん蛇もいたし、ウナギも取れた。
IMG_0061 IMG_0063 右の写真も川だった。この川で洗濯を実際していた。今は両端がコンクリートになっているが、昔は岩だった。昔の方が趣があったが、逆に危なかったのだろう。

ある意味、この様な環境で生活してみると、今の都市の生活が変わるかも知れない。私の生活自身も変わるかも知れない。SAD等と言う病気にはならない事は確かだ。しかし、私の場合は無理だろう。この田舎の生活は耐えられそうにない。そう人や社会と関係して活きている実感がまだ必要だ。

DSCF4043 DSCF4051 ちょうど家の前の通り。両側のそうだが、家がほとんどない。山か、畑、田んぼしかない。
DSCF4052  DSCF4099 本当に、近くに家がない。これも最近できた道路と言う事もあるが、昔はこれが山と思ってもらった方が良いだろう。山を切り開いて、且つ家の前の土地も無料で提供してできた道路だ。
右は、分別回収のゴミ箱が設置されていた。

お金を稼ぐ為に社会とのつながりが必要な訳ではない。それより、活きる為の技能と言うか、手に職と言うか、こう言う環境でも生きていける術と言うか?そんな人生を卓説した物が欲しい。そうこの環境でも活きていける心が欲しいのかも知れない。

DSCF4061 IMG_0065 すごい家だが、これが昔住んでいた家だ。親父がどうして今もこの家を残しているのかわからないが、帰る度にこの家があるのは感慨深い。案外この家を取り壊すのにお金が掛かるからかも知れない。最も昔だったら、簡単に取り壊して、材木も燃料にしてしまえば良かったのだが・・・。
DSCF4068  DSCF4069 昔の家の周辺は、草等ぼうぼうとなっているが、まだましな方だろう。昔はこの家で暮らしていても、押し入れに大蛇がいたのだから・・・。流石に私もビビったが。
IMG_0066 IMG_0067 竹林。家の前が竹林。このおかげて、筍も、竹ぼうきも・・・。
DSCF4115 DSCF4119  この竹林だが、実際は維持するのが大変だ。

昔はここで、椎茸の栽培もしていた。今はラッキョウがつるしてあった。
DSCF4112  DSCF4121  この竹自身はこれだけで売り物にもなったし、竹材具の材料にも。

今は別の用途が主と私が予測している。そうこれは山芋栽培の為だ。
IMG_0070 IMG_0071  私も初めて見た。これはなんだろう???
そうこれはうこんだ。右近の花がきれいに咲いていた。
この辺の鹿児島の植物シリーズでも別途編集した方が良いかも知れない。
DSCF4100 DSCF4103 山芋(自然薯)の栽培場所。元は田んぼだった所を親父が借りて作っている。

ビニール管を種イモの周りに巻いて埋める代わりに、上記の竹を使っている。

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