社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

とっておきの説法・法話シリーズ『一期一会』からの紹介

2009-04-29 13:35:37 | 趣味(読書)

大分前になるが、昨日のブックオフで購入した書籍・雑誌で掲載した書籍の一つ『一期一会(いちごいちえ)』からの一分の紹介です。勿論最初はこの書籍の題名ともなっている『一期一会』について掲載してみたいと思うが、広辞苑によると

(茶会の心得から。利休の弟子宗二(1544~1590年)の「山上宗二記」に「一期に一度の会」と見える)生涯にただ一度見える事。一生に一度限りであること。「一期一会の縁」

とある。が『一期一会』の中に説明されている、「山上宗二記」に、

常の茶の湯なりとも、路地へ入るより出るまで、一期に一度の会のように亭主を敬畏すべし、世間雑談、無用なり

とある。

私ども平成の交際は、極めてぞんざいなものである。それは、明日があるから、また合えるからという思いがあるからである。もう二度と再び相会う事ができない。明日を期することができないということになれば、お互いが後に悔いを残さぬように細心の注意を払い、一挙手一投足、一見半句に万全を期すようになるであろう。こうしたこころがまえをもって相交会するのが一期一会であり、そのように心がけて精進するところに真に充実した人生が現成するのであるとしめてくださっており、またしても感銘をふけた。

上記の説明を考えるに、人との出会いは大切であり、一方で安易に、後悔する様な、心遣いがない言葉使いや扱いを行なってしまっている事への戒めと考える。

先日の出向先会社への引越し準備でも会議が結局5時を過ぎてからの開催となったが、その会議の中であるある管理職の発言は明らかに人間性を疑う物であった。あえて内容はここでは帰さないが、それを聞いた彼と、そのよる軽く飲んだが、彼自身しきりに首をひねっていた。その管理職の方の考えが分からないし、そんな方とは思わなかったと・・・。

私は、そんな事も知らなかったの?となぐさやめてやるぐらいしか出来なかった。不用意な一言が、本人が気にもせず、平気で人を傷つけるような方も多い。

とは言いながら、現実はなかなか『一期一会』の心境にまで達する事は難しい。従って親しい人が亡くなった時に初めて、後悔するのだろう。


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