社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

加藤 仁『定年後を生きる』と長谷川 慶太郎、中村 嘉人『定年後とこれからの時代』

2012-06-12 07:43:32 | セカンドライフ

最近悩んでいる。実際は最近ではない。このブログを始めた時からずっとだ。ずっと。今の会社で仕事を続ける事が残りの私の人生に何の意味があるのだろうか?と。それだけ、私の人生が仕事人生としてはもう終わりに近いからだと思う。それだけ、私の生活環境と言うか、はっきり言えばお金つまり所得への固執がなくなったと言う事を意味している。幸せな環境だと思う。子ども達は大学を卒業した。家のローンもない。息子も結婚した。後は奥様と暮らせれば良い。その為のお金がどれだけ必要か?その答えは未だに分からないが。それほどたくさん必要とは思えないが・・・。

それではその答えを知る為に、定年まで働いたらどうなるか?と言う試算は簡単にできる。残り3年間の給与所得と退職金加算額だ。これは恐らく私の場合は数千万円以上の価値となる(はずだ。そう勝手に思っている)。しかしそれだけの価値があっても、私が固執しないのは、その後を考えているからだ。

60才は終わりではない。65才も終わりではない。その後も人生がずっと続く。生きている限り。

それでは今一体何が問題なのだろうか?

お前は、何の為に会社にとらわれているのか?何を会社に求めているのか?そしてなぜ、そういう事を考え始めたのか?

子ども達が学校を卒業した。息子は結婚した。家のローンも何とか既に返した。そう頑張って働く目的は果たした。これからは、無理して頑張る必要がない。そう無理をして?この無理をしてと言うのはどう言う意味だろうか?

そう理不尽?おかしい?それはいくらなんでもないでしょ?出張?いやそれは旅行ではないですか?会議?いやそれはゴルフをしたいだけ?海外旅行?それにしても中国が好きですね!航空会社のマイレージをそれほど貯めたいのですか?仕事は楽しくと言う社長。それはそうだろう。事務所にも殆どいないで、出張している。後を守るのは誰だろうか?そして実務を知る事もない。知る気もない。

と好き放題に、勝手にしてもらっても良いが、少なくとも責任ある決断をしてもらえれば良い。が、その決断をする事はない。決断しても、全て間違い。間違っていると言う事も分からない。

出向先の会社のトップ経営陣をみる限り、将来はない。将来のないトップや経営陣。無能か?限りなく無能と思える?

と既に私は判断した。あとはどれだけ務めるのだろうか?

それでは、なぜここまで、認識して、決断をしないのだろうか?私は?私自身の何とも言えないふがいなさに腹が立つが?なぜなんだろう?

と言う答えを与えてくれた(示唆した)のが今回紹介する書籍だ。一つは加藤仁『定年後を生きる』。そしてもう一つが長谷川慶太郎、中村嘉人『定年後とこれからの時代』だ。最初の『定年後を生きる』が実は私の心の中を見事に言い当ててくれた。この二冊の書籍はどちらも同じ年で、古い。もう一三年前の本だ。しかし、逆に今を正確に予測と言うか、言い当てている気がする。

自分なりの辞める理由を
職場に失望しながらも、辞められない中高年サラリーマンは数多くいる。その理由のひとつに高級の魅力がある。日本の企業の場合、懸命に働こうとも四十代になるまで給料は低く抑えられ、それ以降は仕事らしい仕事をしなくとも高給が支払われる。この”配当”についつい中高年はしがみつく。
出世の目標が消えたとき
サラリーマンは”出世”というニンジンをぶら下げられないと、働かず、モラルまでもダウンさせてしまうものなのか。
サラリーマン人生を振り返るとき
ーーいま定年を目前にして自身の人生を振りかえったとき、どのような感慨がこみあげてくるのでしょうか。目下、五十代のサラリーマンに会いつづけ、私はこうたずねている。
「”会社のため””家族のため”の時間がもっぱらでしたね。これまで”自分のために”どれほど時間をさいたのか・・・」と銀行マンは言った。
「そのつど仕事の達成感は味わってきたつもりですが、社内でしか通用しない能力ばかりに磨きをかけてきたような気がします。」と生命保健会社の管理職は言った。
・・・
最近、私が取材した定年退職者のなかに、ポルトガルへ渡って年金生活を送るひとがいた。
「在職中、このまま死ねば、自分の人生はどこへ行ってしまったのか悔やむに違いないと思いましてね」六十歳の定年も、それ以降の再就職も待たず、五十八歳のときに、辞表を提出している。二人の子の扶養もおわり、辞めても暮らしていけると見定めた時点が、このひとにとって”定年”だったのである。
CCF20120610_00000 書籍名:定年後を生きる
発 行 :1999年7月10日初版
著 者 :加藤 仁
発行者:斎藤 繁
発行所:株式会社産経新聞ニュースサービス
発 売 :扶桑社
定 価 :1429円+税
  第1章リストラ時代を超えて
第2章いま一度の底力
第3章定年開業
第4章居場所の発見
第5章様々たる生涯現役
第6章家族再考
第7章旅に生きる
CCF20120610_00001 書籍名:定年後とこれからの時代
発 行 :1999年12月1日初版
著 者 :長谷川 慶太郎
中村 嘉人
発行者:小澤 源太郎
発行所:株式会社青春出版社
定 価 :1400円+税
  1章21世紀の「超高齢社会」を先読みする
2章定年後の人生を愉しむ心得
3章「老後への準備」、いま先手を打つ
4章60歳からの仲間づくり家族との関係づくり
5章「自分らしさ」を見直すチャンス
6章今日もこころ若く生きる。

定年と言うのは60歳と今の所大半は決められているが、それはなぜ、勝手に決められているのだろうか?もちろんこのままだと、65歳定年に移行しそうな気もするが。それにしても、自分で定年を決めても良いと思う。入社した年や、結婚、子供が生まれて時等、それぞれ環境も、働き方も違うのだから・・・。

サラリーマン。やはり出世は一つの目標だったのだろう。何と言おうと。しかし、定年を3年後に控えた私にはそれはもうない。それでは今の仕事に生きがいややりがい、楽しさなどあるだろうか?これははっきり言ってない。そう仕向けても良いが、その情熱をおこす程、起こせる程、社長や上司を含めて、将来もない。

そして、上記の『定年後を生きる』に掲載されていた「自分なりの辞める理由を」に私の心が見透かされていた。「職場に失望しながらも、辞められない中高年サラリーマンは数多くいる。その理由のひとつに高級の魅力がある。日本の企業の場合、懸命に働こうとも四十代になるまで給料は低く抑えられ、それ以降は仕事らしい仕事をしなくとも高給が支払われる。この”配当”についつい中高年はしがみつく。

そう、なんだかんだ言っても、五十六歳で給料を減らされても、それでも高給と言う事だ(本当にそうかと言われれば、そうではないと言いたいが)。それにしがみついていると言う事になる。なぜ???それなりの貯蓄はあると思うのだが・・・。

そしてこれも、二つ目の書籍『定年後とこれからの時代』にその時代背景を含めて、解説されていた。そう13年も前に。

制度が迎えた最大の危機(104頁~)
しかし、この「年金」のシステムがいま重大な危機に直面しています。というのも、厚生年金に加えて、それぞれの企業が退職した従業員に支給するいわゆる「企業年金」のシステムが一挙に崩壊の危機にさらされているからです。
また健康保険制度も同様の危機にさらされています。健康保険組合は高齢者医療費の負担を求められて組合の財政が次々に破綻しているのに加え、0.5%という、戦前戦後、古今東西を通じて例を見ないような、いわゆる「超低金利」の状態が既に四年も継続されて、日本の金融システムには大きな歪みが生じているからです。
このために、社会的な保障体制を支えてきた資産運用の原理が、一転して崩壊の危機に瀕する事態が発生しています。
・・・・・
デフレと低金利の因果(108頁~)
・・・
預金限度額の1000万円を前提にすれば、10年前ならば、6パーセント、すなわち60万円の金利が毎年預金者の手に入ったのに対し、今日では同じ預入限度額で手に入る金額はたったの2万円であり、そこからさらに源泉徴収分離20パーセントの課税分を差し引くと1万6000円という驚くべき低水準に落ち込んでしまったことになります。これでは、自分の貯蓄を郵便局の定額貯金にして、その金利を毎月の生活費の一部に充当したいと考えていた人にとっては、もはや「定額貯金」という資産運用の方式ではなんの意味ももたない程度の収入しか得られないことになります。
・・・
そこで必要になるのが「ハイリスク・ハイリターン」と言う考え方です。簡単ないい方をすれば、銀行や郵便局への「預貯金」という伝統的な日本の個人金融資産の運用方式から、こんどはこの「ハイリスク・ハイリターン」という新しい原理原則に従って、証券投資や株式投資に金融資産の運用の基本を移さなければならない段階に来ているということです。
先にも述べたように、二十一世紀の世界経済は「デフレ」が定着します。すなわち、あらゆる価格が右肩下がりに下落を続ける時代なのです。

恐ろしい程、今を言い当てている。そう0金利政策により、全てが崩壊したと言う事になる。1995年以前は、定期預金(金利)と言うある意味打ち出の小槌があった。そして右肩上がりの経済だった。これが何を意味するか?

定年までとにかくある程度のお金を貯める。そして、退職金とその貯金をベースに年金で不足する所得をこの金利で補う事が可能だった。これが今はない。つまり投資などの知識も経験もない一般のサラリーマンは、今不足するお金を稼ぐすべがないと言う事になる。結局当社(親会社)でもそうだが、60歳定年後の再雇用では90%以上が希望して再雇用されている。当社グループの給料や退職金は決して少ない方ではないと思うのだが・・・。

定年時の貯金が退職金も含めて、2,000万円あったとする。1990年前後の定期金利は何と年6パーセントだった。つまり2,000万円を定期に入れると1年で120万円(税込)の収入を得られた事になる。つまり月10万円の所得に相当する。この2,000万円の貯金は60歳以上の方の貯金とすれば割と平均的な金額だと思う。

つまり定年以降の再雇用がなくとも、それに近い収入を得る事が昔は可能だったと言う事になる。しかし今はそうではない。それは13年前に既に警告と言うか予測されていた事になる。今はこれに相当する物は不動産も含めて、ない。つまり普通の人(サラリーマン)は働かざるを得ないと言う事になる。

これが、私が多少の蓄えがあっても、躊躇している最大の理由だ。わずか3年の給料の為に、生きがいもなく、面白くもなく、それでも働くのだろうか?いくら理不尽で有ろうと・・・あそんでいる上司や社長。そして今日は若手の課長から苦言をメールで呈されて、あきれた。と言うか単にメールを打つ暇があったら、話に来れば済む話が、事をややこしくする。一緒に苦労して何とか乗り切ろうとしたいが、更にギスギスした関係をつくる若手の課長にも幻滅した。その傾向はあったが、もう助けてやる事もないだろう。

とこの辺の愚痴はそのまま、自分が辞めたいそのトリガーを自分で弾くか?上司や社長が引くかを?待っている自分がいた。しかし既にそのトリガーは引かれた(私の部下が取られた。トルコ旅行の休みの間に。何の相談もなく・・・

追伸:

上記の書籍『定年後とこれからの時代』に予告と言うかアドバイスになると思うが、「銀行や郵便局への「預貯金」という伝統的な日本の個人金融資産の運用方式から、こんどはこの「ハイリスク・ハイリターン」という新しい原理原則に従って、証券投資や株式投資に金融資産の運用の基本を移さなければならない段階に来ているということです。」と説明されているが、未だこれは一般のサラリーマンでは理解されていないのが現状だ。既に13年以上経っても。最もサラリーマンだけではなく、企業年金を預かる保険会社でも。

だから安愚楽牧場やAIJ投資顧問等の問題が発生する(だまされる)が、それは知識もなければ、ノウハウもないが、昔の定期預金と言う打ち出の小槌に変わる物が欲しかったと言う事になるのだろう。そんな甘いものは今の世の中にはない。ハイリスクハイリターンしか。そうでなければやはり働き続けるしかないと言う事になるのだろうか?


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