社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

GWで悩んだ事。鹿児島の親父に送る簡単料理商品。

2011-05-05 20:02:23 | 食べ物

昨年、突然鹿児島へ帰郷した(その1:飛行機代0円)。その時に親父の人生について考えてしまった。私が親父の生活をどこまで心配する必要があるのだろうかと?田舎に帰る度に、10万円を渡して、家電製品を新しくしろとか?美味い物を食べろとずっと言ってきたが。

GWと言えば、毎年私と奥様は、新茶を見つくろって、シャツやお土産を考えて、毎年悩んで、親父に送ってきた。が、最近送っている物に簡単に料理できる商品がある。そうお湯を注ぐだけでできる商品や、電子レンジでチンすれば食べられる食品だ。カレーライスから、豚汁、他色々な製品が今ではある。

それをなぜ鹿児島の親父に送るのか?

私が、高校3年になった時に、母が亡くなった。この別れはさすがに予期せぬものだった。そう私は知らなかった。母親の病気と言うか状態を。母は、聡明だった。少し頭が良かったと思う。そしてすこし自信過剰だった気もする。今でも思うが書く文字は達筆だった。これは少しではなく凄くきれいだったと思う。

そして、料理や裁縫などは、これは明らかに得意ではなかった。

そして、親父は、母が亡くなった数年後、再婚した。親父が一人になった事で、一緒に住んでいた姉の事を考えての事らしいが、それは親父にとって次の人生の始まりだった。私は反対はしなかったが、それは家族が、新しい道を歩き始めたという事だと私は認識していた。そう、自立した子供にとって、父親が再婚した事で、それぞれの関係が、変わった。親父が再婚して、その数年後に私も結婚して、その後ほとんど、自分達の人生を歩いてきた事で何十年もの間、考える事はなかった。

そう、自分の人生に一生懸命で親の事を考える余裕はなかった。そしておそらく私には新しいお義母さんを、お母さんと言う認識が全くなかった。親父の奥さんと言う認識しか。従って親父が幸せであればそれで良いと解釈していた。

そして最近、と言うか私にも余裕ができた。そう子育てが終わり、先が見えた事で、見えてきた。本当は大分前に気づいてはいたのだが・・・。昨年、鹿児島に帰った時に、お義母さんが、まさに母と同じ所があった事を。

そう、聡明(だと思う)だ。プライドは母より、強いかも知れない。しかし母より、更に料理は不得意な様だった。もちろん掃除なども。別に親父の人生だから。親父が幸せなら良い。親父の方がなんでもできるのだから。家を造り、料理も自分がすればなんでもできたはずだ。

私がお義母さんと親父にしてやれるのは、それを簡単にできる食品を送る事ぐらいだろう。お湯を沸かして、注ぐだけとか、電子レンジでチンだけとか・・・。既に再婚して30年以上たっていると思うが、なぜ???。と言う疑問をもっても仕方がない。二人のプライバシーの話なので、何も言えない。電子レンジ、冷蔵庫や洗濯機等が買えるお金は依然何回も上げた気がするが・・・。

料理や家事をいくらでも学べたのにはずなのに。その為の時間はいくらでもあったはずなのだが。それでも親父には言えない。それでも親父は私の親父なので、何とかして、超手抜きでも料理が出来るレトルト商品を送るしかない。

今では、なんでも簡単にできる料理商品がいくらでもある。それこそ電子レンジでなんでも簡単にできる。便利な世の中になった物だ。場合によっては、包丁なども必要としない世の中だ。


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