夏休みの宿題と庭の整理(仕事とプライベートの優先順位)で掲載したが、蜂の巣をまずは片付けなければと思い、先日の休みの夜に処分した。結果は以下の通りとなるが、夜の内、つまり蜂が全部帰ってくる夜中に、蜂専用の殺虫剤で、あっと言う間に抹殺してしまった。(夜中に処理するのは、常識となっている)
毎年の事ではあるが、殺生に付いて考えてしまう次第であるが、夏休みの宿題と庭の整理(仕事とプライベートの優先順位)の写真を見るとそれどころではなく、恐怖が先に立ち、処理してしまいそうな気になると思うが・・・。
と言う事で、今年もこれで終われば良いが、蜂の殺生に及んでしまった。今年は一個だけの処理としたいが・・・。
雨どい(シャッター)とその直ぐ下に置かれたエアコンの室外機の配管に、蜂が巣を作り始めていた。 以前も同じような所、雨どいの下に作られたが何故か場所を選ぶ物である。 | ||
専用殺虫剤で抹殺した蜂の死骸。 |
さて考えるに、蜂の殺生に及び、勝手に恐怖に駆られてやってしまったが、個人的(大半は人間的)には仕方ないと判断をすると思うのだが?
つまり危険性から排除しなければ自分達が危険にさらされると言う事から行動するという事になると思う。
所でそれでは蛾の子供となる毛虫の殺生は良いのか???
今年3回目の大量毛虫の発生(もみじとハナズオウ)や今年も再び毛虫の発生(モクレンに続きお茶の木)やモクレンの毛虫発生(遂に今年も!)等を見ると、残念ながらこれも恐怖に駆られて処理せざるを得ないという事しか言えない。
これを考えるに、人間の虫等に寄る殺生とは、嫌悪感や、恐怖感からくるものではないかと思う。
私は仏教の関係者ではない為、この辺はうまく表現は出来ないが、事実としては、毛虫や蜂の巣、アブラムシ等の処理は仕方がないと思うが・・・。
農業の関係であれば、最近は殆どいないと思うが、田植え時期の、ヒルの恐怖はなかなかの物である。夜明かりの中で、田んぼの中に入った自分の足に、すいすい泳いで向ってくるヒルは、足に吸い付くと、血を吸い始める。その前に手に持った稲の苗で叩き落とす事の繰り返しになるのだが・・・
二度とこの経験はつみたくはないが・・・。蜂等可愛い物である。
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