社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

昔よく行った北新地のスナック。なじみの客がカラオケを歌うたびに個人カードに曲名を記録していた

2011-12-31 07:49:55 | 会社の仕事

今年も残り一日となった。先週の3連休で庭の剪定などをしたので、何となく、年末の大掃除をした気になり、29日も30日も何もしていない。年賀状も書かず、家の整理もせず、どうも最近だらけている気がする。が当家なりにそれで回っているので良しとしよう。

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会社は28日の午後大掃除があり、夕方17:00から納会があった。以前の部署だと、この納会の後でも、上司や同僚と飲みに行った物だ。通常よく行ったのはカラオケスナックだった。当社への出向以降、殆どこのカラオケスナックへ行く事がなくなった。従って、ここ数年北新地のスナックは知らない。もちろんカラオケボックスへ行く事はない。

さて、カラオケと言えば、私が若い頃は、なかった。通信カラオケ。レーザーカラオケ。その昔はCD。一部生バンドの演奏。で、カラオケボックスがカラオケスナックができた時は便利になった物だと思った。私が、このカラオケで一番難しいかったのは実は生バンドで歌う事だった。普通や歌う人に合わせてバンドの方が合わせてくれるのだが、私の方もバンドに合わせようとして、結局あわせるのが難しかった事を記憶している。

北新地に15年程前に行き始めた時に、あるスナックを知った。先輩?上司だった気がするが、私を連れて行ってくれた。姉妹でお店を経営していたが、かなり大阪弁丸出しで、歌うたびに私の歌をこきおろした。これがきつくて、こんな店だれが二度と来るかと思ったが、安く5~6千円程だったと思う。のと大阪弁でこき下ろされるのが面白くなり、その後しょっちゅうこのお店に行くようになった。もちろん姉妹は美人でもなければ、かわいくもない。普通の女性だ。かなりきついが。しかしいろいろお土産をくれる様になり、点数でぞろ目勝負(66点、77点、88点、99点)を出すと、ボトル一本キープ等してくれた。簡単のお菓子などもこの点数カラオケでやった。

いろんな方をその後このスナックに連れて行くようになったが、残念ながら、お店は今はない。このお店が良かったのは、カウンターで一人でもカラオケとおしゃべりに行けた事だったのだが・・・。

さて、このスナックに面白いシステムがあった。システムと言うほどではない。私様の曲カードが用意されていたのだ。毎回そこで一曲歌うたびに、新しければ、その曲を記入して行った。面白い物で、100曲くらい記入すると、大体次に行った時に、この歌詞カードからの選曲が9割だった。自分の得意な曲、或いは歌いたい曲は結局同じとなる。カラオケ用の曲集やリモコンで色々な曲を探し出して、選ぶより、私が過去選曲して曲カードから選べば簡単だった。多少頭になる事はあるが、それでも、この曲ガードは面白いアイディアだったと思う。

流石に通信カラオケが発達した今でも、個人カードサービス等やっている所はないだろう。あれば面白いと思うのだが・・・。


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