社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

日本語教室ボランテア(課題とうれしさ))

2007-11-08 19:59:34 | 日本語教室ボランティア

仕事の復帰を考え、日本語ボランテアは最低限に留め、金曜だけにしようかと、考えていた。今週月曜日にメンタルヘルスの主治医にも同様な話をした所だった。

しかし、昨日の夕方、ヘルプが入り、木曜の午前中手伝ってもらえないかとの事で、内容はよくわからないが、日本語教室での講師を頼むというより、雑用の手伝いの依頼であった。

要は、デジカメで撮影した写真の印刷依頼であった。元々は日本語教室で写真画質でデジカメのメィデアから直接印刷できるEPSONのプリンターがあったのだが、長い間未使用で使えなくなっており、すぐ使用したいが、できないので、私の所にヘルプが、奥様を通して入った。

以前は、そのプリンターの購入や選定等してくれた男性の日本語教師の方がいらしたが、現在私以外に突発でのこのような対応ができない。またインドネシアやベトナムからの生徒も増加しているので、やはり男性のボランティアの参加が急務と思っているが、可能性のあるのはやはり、定年退職の方にお願いすることになるが、そうすると、一般的にIT等の対応ができない(IT等まで必要ないが。。。)

ということで、今日は行くつもりはなかったのだが、結局日本語教室に行った。
結果、10年ぐらい前?(最初会ったのは、多分そのくらい前になる)に日本に来た中国の女性(当時は20才過ぎぐらい)で、当時私が、日本語の講師を始めたばかりの頃の生徒と、偶然会う事ができた。

日本の男性と結婚し、日本国籍を取得し、来日し、当教室に通っていた子どものような娘さんで、私も当時、かなり中国語をしゃべれた事もあり、日本語を教えると同時に中国語で色々話す事を聞いてあげていた。日本来日、当時友達も殆どなく、ストレスがたまっていた事もあり、日本語を教わるついでに、中国語を話して発散していたような気がする。当時中国人が大変多く、途中でよく中国語が飛び交っていた。

さて、その娘さんは日本人と結婚した事で日本国籍を取得しており、その後、その日本男性(確か当時60歳ぐらいの方だったと思う)と離婚し、神戸に行ったとかまた中国に帰ったとか色々うわさは流れていたが、今現在どうなっているのか定かでなかった。

写真を自宅で印刷し、教室に持っていくと、彼女の方から、「先生!久しぶりね!」と挨拶して来た。最初一瞬驚いたが、直ぐ思い出した。

彼女曰く現在所沢に彼氏と住んでおり、川口に家を購入して、近い内に移るとの事。彼とは、若い中国人で日本のIT企業に勤めており、3年ぐらいの付き合いのもと、昨年12月に結婚したそうで、とても彼を好きで、しあわせねと言っていた。何はともあれ、久しぶりに会うことができ、彼女がよく私の事を覚えていてくれたものだと、うれしくなった。多くの中国人を当教室でも見ているが、特にこの子には、私の最初の頃の生徒でもあり、うれしかった。とにかく、幸せになって欲しいと思っている。なぜなら、中国だけでなく、色々な形で、日本の男性と結婚するアジア系の女性が、日本語を知らないまま、日本に来て苦労している姿を多く見てきているからである。割と短期間で日本になれてします人もいれば、結局日本人と離婚するパターンも多い。

今日は、住道に住んでいるという新しい生徒さんが、入って来て、その方の紹介カード用に持ってきたデジカメですぐ、彼女らの写真をとって送る事にした。明日また来るとの事なので、インターネットの電子メールアドレス(住所も含めて)を教えてもらう事にした。
※金曜日は生徒が多い為、忙しくて忘れてしましそうだが。。。

 


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