写真はインターネット記事から。
東日本大震災後、被災地の病院や避難所で病人や高齢者の死亡が相次いでいる。
厳冬で暖を取れず、介護・看護を十分に受けることができない高齢者らが
次々とたおれている。
23日の新聞記事によると、避難先での死亡は35人となった。ほとんどが体力がない
お年寄りと病人で、医薬品や燃料の不足が命とりとなった。
集団退避先の数字でこの有様だから、医薬品が届かない地域の施設と自宅静養の
犠牲者を入れると、もっと大きな数字になるだろう。
圏外退去指定圏の大熊町の双葉病院から、病院ごと圏外に脱出したケースは
悲惨だった。厳冬のなか、避難先をたらいまわしにされているうち、
病人21人が死んでしまった。死者の多くは認知症のお年寄りだそうである。
この認知症患者は身の回りの環境変化に対応できないので、このような事態に
なってしまう。病院長や看護スタッフが逃げてしまい、医療の引き継ぎもなかった。
これでは認知症患者は死んでしまう。この場合、医療のモラルが欠けている。
「人災」としかいいようがない。死んだ者は歩が悪い。
屋内退避圏内にあり、原発から25キロメートル地点であるにもかかわらず、
「大町病院」は医療ラインとライフラインからはずされ、公的手配の範囲から除かれて
とうとう、病院の機能を果たすことが出来なくなった。
さらに、200人ほどいた病院スタッフが17人にまで減ってしまったので
病人を預かることができなくなった。病院長は離れる職員を「引き留める」ことが
できない悔しさをテレビにむかって発言していた。圏外に逃げ出す市民と病院スタッフ
とを止めることができない悔しい現実に、院長は唇をかんだ。
放射能残留が野菜、牛乳、上水で許容基準を上回る場合が多くなったので
政府は25日、屋内退避圏の住人に自主退避を勧めると言い出した。結果的には
大町病院のスタッフが風評に動かされて避難したと非難することもできなくなった。
病院、福祉施設入居者の面倒をみるのがいかに大変かを、今度の災害は如実に
示している。関係者は日頃でも入院・入所している病弱者への付添と医療介護の
体制維持に苦労していることを皆さんに知っていただきたい。
認知老人を抱えている家族の苦労は並大抵ではない。認知症老人の介護について
みなさんの理解を得たい。
老人の介護について「老人ホーム物語」を書いているので、一度ご覧ください。
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