今年の春から、私の周囲に鰥夫が4人も現れました。わたしの学友、近所の囲碁友達そして
傘寿を迎えた私の先生。いずれも、後期高齢者ですから、夫人を亡くした人は、それぞれに後生を
どう過ごすのか悩んでいます。
病弱である友人は病気と闘う気力を失って、入院生活に入ってしまいました。
もう一人の友人は夫人を失って、同時に年老いた家政婦さんの退職という不運が重なり、見る間に
体力を失っていきました。身体が小ぶりになり、生活が順調に回転していないのが、目に見えるのです。
こんなこともあろうかと、この友人には、パソコン通信で映像交換ができるテレビ電話の準備を
していたのですが、「パソコンを扱う気力が湧かない」といい、電話連絡に頼る状態です。
食事もいい加減な取り方だったので、食工房の給食を取るようにしたのですが
「続けて食べることが苦になる」というのです。おいしい配達料理であっても、工場でできた弁当では
飽きるというのです。
料理を作る経験がなかった友人は炊飯器でごはんを炊くことから始めましたが、惣菜を調理することが
できず、レトルト食品を御飯の上に載せるぐらいの食生活です。彼れも努力して、味噌汁ができる
ぐらいにはなったようですが、欠食老人になりかねないので、夕食時には近くの小料理店を覗くことを
しているようです。でも、日暮れに、雨の中を晩御飯を食べに出かけるのは努力を要します。
同情心から、私は昼ごはんを一緒に食べようと、90分ぐらいかけて、鉄道とバスを乗り継ぎ
惣菜を買って友人の家に数回出かけました。作ったこともない料理を友人に食べさせたい思い
で挑戦しました。お世辞が大半だと思いますが「おいしい」といってくれました。きっと
いっしょに食卓を囲むのが、うれしかったのだとおもいます。
家では、家内が造る料理を食べるばかりの私ですが、「よくもまあ、作る気になるのね」と
家内は妙に感心しています。友人は喜んで「泊まっていけ」といいますが、「夕飯は内で食べたいから」と
断わって帰ります。