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日々思いついた「お話」を思いついたまま書く

妖魔始末人 朧 妖介  57

2010年01月05日 | 朧 妖介(全87話完結)
 エリは走った。
 妖介を通じて流れ込んできた葉子の感情が、まだ続いていた。
 息を整えるため、立ち止まった。
「全くう! お姉さん、人の気も知らないでえ! ・・・」肩で息をしながら、淫楽に浸りきっている葉子に文句を言う。「妖介も、入れ込み過ぎよ! 口じゃあ、なんだかんだ言って、きっとお気になタイプなんだわ! 男ってイヤねえ! 女もイヤねえ! ・・・決めたわ! 助け出して、文句でも言ってやらなくちゃ! わたしの妖介を取らないでよってさ!」
 呼吸が落ち着いたエリは、再び走り出した。不意に、その足が止まった。
 表情が強張る。
 肩からぶら下げている黒いレザー仕様のバッグから『斬鬼丸』を取り出した。うっすらとした短い刀身が伸びる。
 街灯の届かない闇から粘着質な音が、ゆっくりと近づいてくる。エリは『斬鬼丸』を握り直し、近づいてくる音の方を睨みつけた。生臭い臭いが漂い始める。近づくにつれ、エリの視線が高くなった。
 街灯の下に現れたのは全身に細かい疣がびっしりと出来た、街灯がてらてらと照り返す濡れた肌色をした大柄な妖魔だった。大きな上半身に付いた太く長い腕を重そうにだらりと下げ、短い足でよたよたと歩いて来る。のっぺりとした顔に六つの白目が見開かれた。顔の下半分が前方へと伸び、赤い嘴のようになった。開いた嘴からは尖った歯並びと、涎を滴らせ絶えず蠢いている長い舌が見えた。
「・・・」
 エリは妖介がしたように、『斬鬼丸』の短い切っ先を妖魔に向け、目を閉じた。妖魔が近づき、すぐ前で止まったのをエリは感じ取っていた。
「はあーっ!」
 かっと目を見開き、裂帛の気合を込めて、エリは『斬鬼丸』を繰り出した。その勢いに飲まれ、妖魔は飛び退った。しかし、エリの『斬鬼丸』から、刀身は消えていた。
「えへへ・・・、やっぱりダメかあ・・・ 逆に消しちゃった・・・」
 エリはぺろりと舌を出し、自分の頭を軽く小突くと、飛び退った妖魔の脇を駆け抜けた。唐突な出来事に呆然としていたかのような妖魔も我に返り、荒々しい雄叫びを上げると、エリの後を追った。
 足の短い妖魔は、エリとの距離を開けた。エリは立ち止まると振り返り、よたよたと小走りしている妖魔に向かって、尻を左右に振って見せた。
「やーい! のろま!」自分の尻を二、三度叩いて見せた。「ここまでおいでーっだ!」
 妖魔は雄叫びを上げると両腕を振り上げ、激しく地面へ手の平を叩きつけた。その勢いで自分のからだを宙高く跳ね上げ、エリのすぐ後ろで着地した。
「・・・前言撤回・・・」妖魔に尻を向けたままエリは言った。「速い、速過ぎる!」
 エリは駆け出した。妖魔は再び地面を叩きつけ、宙を飛び、エリの行く手を遮る位置に降り立った。足を止めたエリを睨みつけている六つの白目が細められ、嘴を開け、両端から涎を溢れさせている。漂う生臭さに、エリは後退した。後退が遮られた。思わず振り返る。ブロック塀だった。
「参っちゃったわねえ・・・ 絶体絶命だわ・・・」
妖魔は両手をエリの顔の左右の壁に押し当てた。頬すれすれにある妖魔の腕の疣から滴る赤い汁が、排泄物に似た臭いを立てている。
「・・・臭っさいわねえ・・・」エリは顔をしかめた。「その腕をどけなさいよ!」
 妖魔は肘を曲げ、嘴をエリに近づけた。開いた嘴から蠢く舌が伸びて来る。エリは顔をそむけた。その途端、妖魔の腕の疣が頬に触れた。
「うえっ!」エリは思い切り顔をしかめ呻いた。「近寄らないでってば! ・・・さもないと・・・」
 青白い光が一閃した。
 細長いものが宙を舞った。
 妖魔は悲鳴を上げてのけ反り、開いた嘴の中に手を入れている。青い汁が嘴の中から噴き出している。
 エリの手には『斬鬼丸』があった。短い刀身を伸ばしていた。
『斬鬼丸』で妖魔の舌を切り飛ばしたのだ。
「勝負は勝った気になると負けなのよね・・・って、妖介の言葉よ!」
 エリは走り出した。
「きゃっ!」
 妖魔の長い腕がエリの腰に絡みついた。妖魔は力任せにエリを抱き寄せる。青い汁――妖魔の血だろう――を嘴から溢れさせ、六つの白目を細め、エリを睨みつける。
「いやだあ!」エリは叫びながら『斬鬼丸』を何度も妖魔に向かって繰り出した。小さな切り傷しか作ることができなかった。「わたし、あんたと遊んでいる暇はないの!」
 妖魔はまったく意に介する事なく、エリを顔の位置まで抱え上げ、嘴を大きく開き、エリの頭に齧りつこうとした。
 不意に妖魔の動きが止まった。妖魔の頭頂部に青白い光が現われた。
 エリの繰り出した『斬鬼丸』が妖魔の喉に刺さり、その刀身を伸ばし、頭頂部から突き出したのだ。
 妖魔は霧散した。エリは地面にふわりと降り立った。
「馬っ鹿ねえ・・・」エリは『斬鬼丸』をバッグに戻しながら言った。「わたしだって始末人よ。特に接近戦は上手いんだから」
 エリは急に鼻をひくつかせた。
「・・・いやだあ。妖魔臭くなっちゃったわ! お姉さん助けてお風呂使わせてもらおう!」目を閉じる。「・・・まだ間に合いそうだわ。幸久って人、相当・・・溜まってるんだ」
 エリは「きゃっ、恥ずかしい!」と笑い声交じりで叫ぶと、駆け出した。


      つづく






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