「……何だあ?」
突然聞こえてきた泣き声に、ジャンセンはメキドベレンカから顔を離す。泣き声のする方を見ると、マーベラが座り込んで顔を両手で覆い、わあわあと泣く姿があった。そのそばにはジェシルとトランが困り果てた顔をして立っている。
「どうしたんだろう……?」
ジャンセンは首をひねりながらマーベラの方へと歩きだす。その腕をメキドベレンカがつかんだ。ジャンセンは振り返る。彼女は再び美しい笑顔を見せている。
「ジャンセン様……」メキドベレンカは目を伏せて、恥じらう様に呼びかける。「どこへ行かれるのです?」
「いや、マーベラ…… デスゴンが泣いているので、気になってね」
「そうですの……」メキドベレンカもマーベラを見る。途端にくすっと笑う。「あれが邪神デスゴンとは…… いいえ、デスゴンが離れた、只の人ですわ。あんな者のために力を使ったのですね。自分が情けなくなりましたわ……」
「いや、でも、君のお蔭で神の怒りは鎮まり、皆収まる所に収まったんだ。感謝しているよ」ジャンセンはメキドベレンカに言う。「それに、デスゴンやアーロンテイシアなどの神々は、人では無く、あの衣装に宿るんだ」
「だとしても、わたくしは不愉快です」メキドベレンカは目を細めてマーベラを見る。「大の大人が人目もはばからず大泣きするなんて、恥知らずにも程があります」
「そうかなぁ……」ジャンセンはぽりぽりと頭を掻く。……君だって泣いていたじゃないか、喉まで出かかった言葉を呑み込む。「まあ、とにかく、そっとしておいた方がよさそうだね」
「そうですわね……」メキドベレンカは言うと、美しい笑顔をジャンセンに向け直す。「……それで、先ほど、わたくしにお顔をお近づけになって何をなさろうとしたのですか?」
「ああ、あれ……」ジャンセンは言うと軽く笑みを浮かべる。「あれはね……」
「はい……」メキドベレンカの頬が紅潮する。「わたくしも受け入れる覚悟はできておりますわ……」
ジャンセンの顔がメキドベレンカに近づく。彼女は目を閉じ、顔を上げる。泣き止みかけたマーベラが、悲鳴を上げ、その場に膝を突き、両手で顔を覆うと再びわあわあと泣き出した。
ジャンセンの吐息を唇に感じたメキドベレンカの動悸が早まる。不意に吐息は左の耳元へと移った。
「君の気持はとっても嬉しいのだけど……」吐息交じりのジャンセンの声がそう言う。「ぼくには呪術は効かないよ」
ジャンセンの言葉にメキドベレンカは目を見開き、数歩後退する。表情が険しいものになる。
「君の美しい笑顔は、全てを虜にしてしまうまじないを伴ったものだろう?」ジャンセンは笑みを浮かべたままで言う。「ぼくは知っているんだよ……」
……文献で知っているからね。ジャンセンは喉まで出かかった言葉を呑み込む。
「ジャンセン様……」メキドベレンカは驚きの表情を浮かべる。「そんな、わたくしは……」
「気にしないでくれ。このまじないは争いを生むものでは無い、友愛をもたらすものだって言うのも知っているよ」ジャンセンは言う。「知っているから、掛からないんだ。ぼくは君を嫌ってはいないからさ。むしろ、そこまでぼくに好意を持ってくれたのはとても嬉しいね」
「でしたら……」
「でもね、そうは行かないんだ」
「何故ですの?」メキドベレンカは言って、はっとした顔をする。両の瞳が、涙があふれそうに潤んでいる。「……そうおっしゃってはいますものの、本当はわたくしが、お嫌いなのですね…… 言葉だけの優しさなのですね……」
「いやいやいや!」ジャンセンは大慌てで両手を顔の前で左右に振って否定する。「そんな事はないよ。ぼくは好意を持っているよ」
「本当ですの?」メキドベレンカは両手の平で溢れそうな涙を拭う。「わたくしは、好意以上の感情をジャンセン様に持っておりますわ」
「それって……」
「ジャンセン様……」メキドベレンカは顔を伏せ、消え入りそうな声で言う。「……わたくし、あなたを愛してしまいましたの……」
「えっ!」
「驚かれる事はありませんでしょう?」メキドベレンカは顔を上げる。ジャンセンの反応に不満気だ。「初めてお姿を拝見した時から心に宿った、自分では抑える事の出来ない気持ちが、わたくしを呪術師では無く、一女性として見てくださった時に、すっと理解できたのでございます。わたくしのこの気持ちは、愛なのだと……」
「そ、それは嬉しいけど……」ジャンセンは一途な眼差しで見つめてくるメキドベレンカの困惑している。「でも……」
「やはり、わたくしがお嫌いなのですね……」メキドベレンカは言うと、ジャンセンを見つめる両の瞳から涙をあふれさせた。「わたくしの一方的な思いだったのですね……」
「いや、そんな事はないよ……」
「そうおっしゃりながら、そのご様子からは迷惑以外の何物でもないと伝わってまいりますわ……」
メキドベレンカは言うとその場に膝を突き、両手で顔を覆うとわあわあと泣き出した。
「……ジェシルさん」トランが言う。「メキドベレンカが姉さんみたいに泣き出しちゃいました……」
「ジャンって、罪な男ねぇ……」ジェシルはため息をつく。「でも、いつまでもここには居られないわ。ジャンだって分かっているだろうに……」
すぐそばでマーベラが、その先ではメキドベレンカが、わあわあ泣いている姿に、トランとジェシルは呆れたような眼差しを向けた。
つづく
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