「……ジャンセン様……」
メキドベレンカは写真からジャンセンへと顔を向けた。その瞳からは涙が溢れかけている。
「あれ? 泣かせちゃった……」ジャンセンは困った顔で頭をぽりぽりと掻く。「想い出のつもりだったんだけど…… 迷惑だったかなぁ……」
「いいえ、いいえ!」メキドベレンカは頭を左右に振る。瞳の涙た左右に散る。「このような嬉しい事は初めてでございます。嬉しすぎて……」
「それなら良かった」ジャンセンは笑む。「ぼくは、こう言う事に慣れていなくってね。でも、喜んでくれて、ぼくも嬉しいよ」
「ジャンセン様」
メキドベレンカはじっとジャンセンを見つめる。その表情に、何かの覚悟を感じた。ジャンセンも思わず真顔になった。
「……あなたから……」
メキドベレンカは言葉を止めた。頬を染め、戸惑いながら、名前では無く「あなた」と発したからだ。そう発してからジャンセンを見る。ジャンセンは優しく微笑み、うなずく。
「……あなたから」メキドベレンカは再び言う。「あなたからばかり想い出を頂くだけでは、わたくしは心苦しいです」
「そんな事は気にしなくても……」ジャンセンは答える。「君の中にぼくがいてくれるだけで、ぼくは幸せだ」
「わたくしも!」メキドベレンカの語気が強くなった。しかし、自分の語気の強さに驚いたのか、恥かしそうに下を向く。続く言葉はいつもの穏やかなものだった。「……わたくしも、あなたに想い出を残したい……」
「いや、それには及ばないよ。ぼくはずっと君を忘れる事はないから」
「いいえ、それではわたくしはわたくしを許せない……」
メキドベレンカは言うと、胸元を覆っている青い布の、二つの豊かなふくらみの間に右の親指と人差し指を差し入れた。そして、何かを摘まみ上げた。それを握りしめ、そのままでジャンセンに方へと差し出した。
「え? なんだい?」差し出されたメキドベレンカの滑らかな甲と豊かなふくらみとを交互に見ながらジャンセンは訊く。「随分と変わった所から取り出したみたいだけど……?」
「握ったわたくしの手の下に、広げたあなたの手の平をお出しください」
ジャンセンは言われるままに右の手の平を差し出した。メキドベレンカはその上に自分の握った右手を置く。そして、ゆっくりと開いて行く。ジャンセンの手の平に何かが乗った。それほど大きくはなく、硬く楕円形でやや厚みのあるもののようだ。ジャンセンの手の平に移ったことを確認するかのように、メキドベレンカは開いた自分の手の平をジャンセンのそれに重ねた。それから、ジャンセンの手を握る。ジャンセンもメキドベレンカの手を握る。二人は見つめ合う。
「ジャンセン様……」
メキドベレンカは囁くように言うと、握った手を開いた。ジャンセンもそうした。メキドベレンカは手を離した。ジャンセンは自分の手の平の物を見る。
金色に光る金属片だった。メキドベレンカの温もりが残っている。ジャンセンは顔を上げ、メキドベレンカを見る。
「……これは?」
「これは、呪術師の証しのベクラモレスです。修行を終えて呪術師となった者は、修行先の院からこれを授けられ、肌身離さず身に着けていなけばなりません」
「えっ! それほど大切なものを、どうしてぼくに?」ジャンセンは言うと、はっとした表情になり、メキドベレンカに問い質す。「呪術者の証しって言ったよね? 肌身離さず身に着けているって。それをぼくにって事は、まさか、君は……」
「そうですわ」メキドベレンカは言うと笑む。「わたくしはもう呪術者では無くなりました」
「そんな!」ジャンセンはあわてる。「先程見せてくれたあの術が使えなくなるって言うのかい?」
「そうですわ」
メキドベレンカは笑顔のままで答える。ジャンセンは、受け取ったベクラモレスをメキドベレンカに突き返そうと、右手を差し出す。しかし、メキドベレンカは頭を左右に振って見せた。
「ジャンセン様、そのベクラモレスはお持ちになって下さい。……あなたへのわたくしの心でございます」
「でも……」
「呪術師は民を守るのが仕事です。しかし、わたくしが守っていたベランデューヌは、敵対していたダームフェリアの民との争いを止め、共存をする事を選びました。そうなればわたくしの用は無くなりました」
「でも、民の様々な悩みや病などで、まだまだ君の力が必要だと思うのだけど……」
「心配はありません。わたくしの後継が幾人も育っております。その中には、わたくしを凌ぐであろう者もおりますわ」
「じゃあ、君はこれから何をするんだい?」
「修行をした院に行き、院の人たちのお世話をしながら過ごしますわ」
「でも、それって下働きって事だろう? 君ほどの呪術師が……」
「わたくしは、呪術師よりも価値のあるものを見つけましたから……」メキドベレンカは言うと、じっとジャンセンの顔を見つめる。「あなたです。あなたへの愛の心です。これほど充実した気持ちは今まで感じた事はありません。それでわたくしは満足なのです。わたくしにこの様な心を与えてくださったあなたには感謝……いえ、愛しております」
「メキドベレンカ……」
ジャンセンは言葉に詰まってしまった。
「さあ! みなさんがお待ちですわ!」メキドベレンカは言うと、ジャンセンの背後のジェシルたちに顔を向けた。「わたくしも民の元へと戻ります。それから後継の儀を行ない、院へと参ります」
メキドベレンカは言うと踵を返し歩き始めた。左手にはジャンセンとの写真を持っている。デールトッケとハロンドッサの二人の長老が、歩いてくるメキドベレンカに手を差し伸べて迎え入れた。民たちも温かな笑みでメキドベレンカを迎え入れている。民たちは皆、メキドベレンカの一途な心に動かされたのだろう。皆は森の中へと消えて行った。メキドベレンカは振り返らず、森へと消えた。最後に、最長老のデールトッケがジャンセンに振り返って手を振り、森に消えて行った。
つづく
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます