「偉大な大師……」
そう呼びかけたジャンセンにメキドベレンカは頭を左右に強く振る。
「いいえ! そう呼ぶのはお止め下さい!」メキドベレンカはジャンセンの瞳を見つめる。「わたくしはもう大師でも呪術者でもありません……」
そう言うと、彼女は再び顔を伏せ嗚咽を始める。
「……じゃあ、メキドベレンカ……」ジャンセンは彼女に呼びかける。「もう泣くのは止めるんだ」
ジャンセンが彼女の肩に置いた手に少し力が入る。その力の変化に彼女は顔を上げる。涙の溢れる瞳の奥には、幾ばくかの期待の光がある。
「わたくしを名で呼んで下さいますのね……」メキドベレンカが囁くように言う。「嬉しゅうございますわ…… わたくしも伝達者様を名前で呼びたい……」
「ぼくはジャンセンって言うんだよ」
ジャンセンは優しく笑む。メキドベレンカは顔を伏せた。悲しみでは無く、恥ずかしさのせいだ。それも、嬉しい恥かしさだ。
「ジャンセン様…… ジャンセン様……」
メキドベレンカは顔を伏せたまま小声で繰り返した。繰り返しながら、少しずつ顔を上げて行く。メキドベレンカは、ほうっと溜め息が漏れるほどの美しい笑顔になっていた。
「……ねえ、あの笑顔、とっても美しいわねぇ……」
ジェシルがしみじみとした口調で言う。
「でも、ジェシルさんだって宇宙中の男を虜にする笑顔じゃないですか」トランが言う。「……怒らせると宇宙中の男が恐怖するとも聞いていますけど」
「それ褒めてんの?」ジェシルはトランを軽く睨む。トランは首を縮める。「……でも、メキドベレンカの笑みは男女別なく、みんなを虜にしそうじゃない?」
「そうですねぇ……」トランもうなずく。それから、小声でジェシルに話す。「……博士も虜みたいですよ」
ジェシルが博士を見ると、目をまんまるくして口も大きく開けている。この齢で恋心に目覚めたと言った感じだ。コルンディや傭兵たちも同様だ。
「ちょっと待って!」マーベラが、ジェシルとトランに割って入って来た。「あの笑顔、ちょっと凄すぎない?」
「どう言う事?」ジェシルは明らかに不満気に言う。「一途なメキドベレンカの一途な恋心の発露よ。周りまで幸せな気持ちにさせてくれるわ」
「そうだよ、姉さん」トランもジェシルの肩を持つ。「ぼくの心も洗われるようだよ」
「マーベラはどうなのよ?」ジェシルはやや不機嫌な口調で訊く。「何か不満なの? あの一途さ、恋愛に疎いわたしでも十分に伝わって来るわ」
「……まさか、姉さん……」トランが意地悪な笑みを浮かべてマーベラを見る。「ジャンセンさんに思いを寄せていたのかい? メキドベレンカさんの先を越されて気が気じゃないとか……」
「馬鹿な事、言わないでよう!」
マーベラが大きな声で否定する。しかし、頬が赤い。ジェシルとトランは顔を見合わせて苦笑する。
「……ジャンセン様」
メキドベレンカはジャンセンの顔を見つめる。ジャンセンは自分の顔が彼女の瞳に映っているのを見た。
「あなたの瞳に、わたくしが映っておりますわ……」メキドベレンカがささやき声でジャンセンに言う。「わたくしの瞳はあなたが映っておりまして?」
「ああ、映っているよ……」ジャンセンもつられて、ささやき声になる。「ちょっとくたびれた顔で映っているねぇ……」
「ジャンセン様…… そんなお戯れは言わないでくださいまし……」彼女は少し悲しそうな顔をする。「わたくしには、誰よりも素敵なお方として映っておりますわ」
「そうかなぁ……」
ジャンセンはちょっと首をかしげる。そして、メキドベレンカの肩に置いた両手をゆっくりと離して行く。
「ジャンセン様!」彼女は慌てたように言う。「まだわたくしをお支え下さいまし! わたくしはこのような告白を致した事はございません。手を離されると倒れてしまいそうでございます……」
「いや、もう大丈夫じゃないかなあ?」ジャンセンは言うと笑みを浮かべる。「だってさ……」
ジャンセンはメキドベレンカに顔を近付ける。
「うわあ! ジャンセン! 何をするのよう!」
マーベラはメキドベレンカに顔を寄せたジャンセンを見て悲鳴を上げる。
「姉さん! 落ち着いて!」トランが、ジャンセンに駈け出そうとするマーベラを抑えた。「二人の問題だろう!」
「でも、あんなに顔を近付けちゃって! あんなに……」
「良いじゃないの」ジェシルがジャンセンに優しい眼差し向けながら言う。「時空を超えた恋愛って、良くは分からないけど、素敵な事なんじゃないかしら」
「そうかも知れないけど!」マーベラはジェシルにかみつく。「それじゃ、困るのよう! イヤなのよう!」
マーベラはその場に膝を突き、両手で顔を覆うとわあわあと泣き出した。
「姉さん……」
「マーベラ……」
トランとジェシルは呆れた顔をマーベラに向け、ため息をついた。
つづく
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