うるさい人がいる。わたしの言う「うるさい人」は、どこであっても喋り続ける人の事だ。公共の乗り物の中然り、喫茶店やレストランの中然り、公園のベンチでも然りだ。
他愛もない事を延々と、しかも、比較的大きな声で喋り続ける。どうして周りに配慮できないのかと思ってしまう。まあ、そう言う人だからうるさくなれるのだろう。
さらに気になるのは、うるさい人には必ず聞き役のような相手がセットになっている事だ。聞き役は言葉少なで、時にはうんうんと相槌を打つだけだったりする。うるさい人には肯定してくれる聞き役が必要なのだろう。逆に言えば、聞き役がいないとうるさく出来ないのだ。
ある時、公園のベンチでくつろいでいると、良く見かける「うるさい人」が来て正面のベンチに座った。今日は一人だ。わたしは聞き役がいないから大人しいだろうと思い、目を閉じ、暖かくなってきた風を感じていた。
が、突然「昨日のテレビのさ、あのドラマの女優、大根だよな」と喋り声が聞こえてきた。何だ、こいつ、一人でもうるさいのか? そう思い目を開けると、携帯電話で話をしていた。電話の相手はいつもの聞き役なのだろう。
聞き役は永遠に逃れられないのだな、お気の毒に。
わたしはそう思い、携帯電話を取り出し、いつも話を聞いてくれる友人に、目の前の「うるさい人」に関して延々と話し続けた。
他愛もない事を延々と、しかも、比較的大きな声で喋り続ける。どうして周りに配慮できないのかと思ってしまう。まあ、そう言う人だからうるさくなれるのだろう。
さらに気になるのは、うるさい人には必ず聞き役のような相手がセットになっている事だ。聞き役は言葉少なで、時にはうんうんと相槌を打つだけだったりする。うるさい人には肯定してくれる聞き役が必要なのだろう。逆に言えば、聞き役がいないとうるさく出来ないのだ。
ある時、公園のベンチでくつろいでいると、良く見かける「うるさい人」が来て正面のベンチに座った。今日は一人だ。わたしは聞き役がいないから大人しいだろうと思い、目を閉じ、暖かくなってきた風を感じていた。
が、突然「昨日のテレビのさ、あのドラマの女優、大根だよな」と喋り声が聞こえてきた。何だ、こいつ、一人でもうるさいのか? そう思い目を開けると、携帯電話で話をしていた。電話の相手はいつもの聞き役なのだろう。
聞き役は永遠に逃れられないのだな、お気の毒に。
わたしはそう思い、携帯電話を取り出し、いつも話を聞いてくれる友人に、目の前の「うるさい人」に関して延々と話し続けた。
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