「あああっ、もうダメ!」
百合恵は言うと声を出して笑い出した。
百合恵の弾けるような笑い声に、マスターは垂れていた頭を恐る恐る上げた。からだを二つに折り曲げ、くるくると回りながら、心の底から楽しそうに笑っている百合恵の姿があった。
「……姐さん……」
マスターは大きな溜め息をついた。さとみには、カチカチだったマスターが、ほっとした途端にどろどろに溶けてしまったように見えた。
「悪かったわねぇ……」百合恵はマスターに手を差し伸べる。「さ、いつまでも座ってないで、立ってちょうだい」
「へ、へいっ……」
百合恵の手を煩わせるわけにはいかないと言うように、マスターは自力で立ち上がった。
「マスターが来る前に、ちょうどいい塩梅になったのよ。でも、せっかく来てくれたから、ちょっと楽しませてもらったわけ。……ごめんなさいね」
百合恵は小首を傾げ、両手の平を合わせ、ウインクして見せた。
「そ、そんな!」マスターは両手を振り回して恐縮している。「姐さんに謝らせたなんて、畏れ多い事で……」
マスターは百合恵に一礼すると、座り込んでいるさとみに近づいた。前まで来ると、しゃがんだ。眉間に深い皺が刻まれ、一重まぶたの目が睨みつけてくる。その迫力にさとみはのけぞる。
「お嬢ちゃん……」長い沈黙の後、マスターが低い声で言った。途端に、マスターの眉間に寄っていた皺がすっと消え、一重瞼の目が、円の上半分の形にり、下がっていた唇の両端が、くっと上がった。「怖がらせてしまって、ごめんね」
さとみもつられて笑顔になる。
「いいえ、大丈夫です! 優しい店長さんのままで、安心しました!」涙があふれてきた。「あれえ? どうしたんだろう? 涙が出ちゃうなんて……」
「あら、マスター! さとみちゃんを泣かすなんて、どう言うわけ?」
座り込んでいるさとみの後ろから百合恵の声がした。振り返ると、腰に手を当てた百合恵がマスターを睨み付けている。マスターは泣きそうな顔で座り込んでしまった。
「百合恵さん!」
さとみは立ち上がり、百合恵の方にからだを向けた。
マスターの前に立って楯になったつもりだったが、百合恵の胸元までしか届いていない。それでも、思いっきり頬を膨らませ、精一杯怒った顔を作ってみせている。
「店長さんを困らせないでください! わたしは泣かされたんじゃありません! 店長さんが優しいままだったのが嬉しくなっちゃって、それでほっとしたら涙が出ちゃっただけなんです!」
百合恵とさとみが睨み合った。
「ふふふ……」百合恵は笑顔をさとみに向ける。「本当に、さとみちゃんって、誰にでも優しいのね……」さとみを抱きしめた。降ろされたままのファスナーの下の百合恵の肌がさとみの頬に触れる。「そんな所が可愛いのよねえ……」
またからかわれた! さとみは思った。しかし、百合恵の肌から立ち上る甘い香りにしばらくそのままでいた。
「さて、っと……」百合恵は抱きしめていた腕を解いた。見上げるさとみに厳しい表情を向ける。「ここからが正念場よ……」
そうだった! ついつい気持ちが逸れてしまっていた。……でも、本当に大丈夫なんだろうか? よく考えたら、殺人者のところへ行くわけだし、しかも用心棒までいるんだし、もし何かあったら…… さとみはそう思うと、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
……でも…… さとみは思った。……そう、ももちゃんを助けなくちゃ! それができるのはわたしだけ! そのためにここまで来たんだし、今さら怖気付いちゃいられないわ!
さとみは大きく深呼吸をした。
「……はい……」さとみは百合恵に笑顔を向けた。「がんばります!」
つづく
百合恵は言うと声を出して笑い出した。
百合恵の弾けるような笑い声に、マスターは垂れていた頭を恐る恐る上げた。からだを二つに折り曲げ、くるくると回りながら、心の底から楽しそうに笑っている百合恵の姿があった。
「……姐さん……」
マスターは大きな溜め息をついた。さとみには、カチカチだったマスターが、ほっとした途端にどろどろに溶けてしまったように見えた。
「悪かったわねぇ……」百合恵はマスターに手を差し伸べる。「さ、いつまでも座ってないで、立ってちょうだい」
「へ、へいっ……」
百合恵の手を煩わせるわけにはいかないと言うように、マスターは自力で立ち上がった。
「マスターが来る前に、ちょうどいい塩梅になったのよ。でも、せっかく来てくれたから、ちょっと楽しませてもらったわけ。……ごめんなさいね」
百合恵は小首を傾げ、両手の平を合わせ、ウインクして見せた。
「そ、そんな!」マスターは両手を振り回して恐縮している。「姐さんに謝らせたなんて、畏れ多い事で……」
マスターは百合恵に一礼すると、座り込んでいるさとみに近づいた。前まで来ると、しゃがんだ。眉間に深い皺が刻まれ、一重まぶたの目が睨みつけてくる。その迫力にさとみはのけぞる。
「お嬢ちゃん……」長い沈黙の後、マスターが低い声で言った。途端に、マスターの眉間に寄っていた皺がすっと消え、一重瞼の目が、円の上半分の形にり、下がっていた唇の両端が、くっと上がった。「怖がらせてしまって、ごめんね」
さとみもつられて笑顔になる。
「いいえ、大丈夫です! 優しい店長さんのままで、安心しました!」涙があふれてきた。「あれえ? どうしたんだろう? 涙が出ちゃうなんて……」
「あら、マスター! さとみちゃんを泣かすなんて、どう言うわけ?」
座り込んでいるさとみの後ろから百合恵の声がした。振り返ると、腰に手を当てた百合恵がマスターを睨み付けている。マスターは泣きそうな顔で座り込んでしまった。
「百合恵さん!」
さとみは立ち上がり、百合恵の方にからだを向けた。
マスターの前に立って楯になったつもりだったが、百合恵の胸元までしか届いていない。それでも、思いっきり頬を膨らませ、精一杯怒った顔を作ってみせている。
「店長さんを困らせないでください! わたしは泣かされたんじゃありません! 店長さんが優しいままだったのが嬉しくなっちゃって、それでほっとしたら涙が出ちゃっただけなんです!」
百合恵とさとみが睨み合った。
「ふふふ……」百合恵は笑顔をさとみに向ける。「本当に、さとみちゃんって、誰にでも優しいのね……」さとみを抱きしめた。降ろされたままのファスナーの下の百合恵の肌がさとみの頬に触れる。「そんな所が可愛いのよねえ……」
またからかわれた! さとみは思った。しかし、百合恵の肌から立ち上る甘い香りにしばらくそのままでいた。
「さて、っと……」百合恵は抱きしめていた腕を解いた。見上げるさとみに厳しい表情を向ける。「ここからが正念場よ……」
そうだった! ついつい気持ちが逸れてしまっていた。……でも、本当に大丈夫なんだろうか? よく考えたら、殺人者のところへ行くわけだし、しかも用心棒までいるんだし、もし何かあったら…… さとみはそう思うと、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
……でも…… さとみは思った。……そう、ももちゃんを助けなくちゃ! それができるのはわたしだけ! そのためにここまで来たんだし、今さら怖気付いちゃいられないわ!
さとみは大きく深呼吸をした。
「……はい……」さとみは百合恵に笑顔を向けた。「がんばります!」
つづく
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