竜二はまだ出入りの扉の前の踊り場に立っていた。屋上には踏み出していない。威勢の良い事を言って来てはみたものの、やはり、楓に会う(この場合は「遭う」が正しいか)のは怖い。いや、姿を見かけるだけでも怖い。まして、さゆりと言う楓以上のヤツがいると百合恵が言っていた。
「おや、どうしたんだい、竜二?」
竜二は背後からする声に振り返る。静がいた。
「わたしゃ、もう楓ってのと、もう話を付けたのかと思ってたんだけどねぇ……」静はじろじろと竜二を見る。「……その様子じゃ、まだのよう、いや、まだまだまだまだのようだねぇ」
あからさまの嫌味を言われたが、竜二は言い返さない。それどころか、神妙な面持ちになっていた。
「……何だい? 怖いのかい?」竜二のあまりにも深刻な表情に、静は訊く。「しっかりおしよ、男だろうが!」
「そう言ったってよう……」竜二が言う。消え入りそうに情けない声だ。「いざとなると怖くなっちまってよう……」
「ははは、お前さん、正直者だねぇ」静は笑う。「な~に、心配するこたぁないよ。いざとなったら、わたしが守ってやるよ」
「でもよう、ばあちゃんはさとみちゃんを守るんじゃないのかい?」
「まあ、そうだけどさ。守るって事に変わりはないさ。それに、お前さんはさとみの友達だろう?」
「オレはそう思っているんだけど、さとみちゃんがなぁ……」
「あの娘、口では何だかんだ言ってるけど、結構、お前さんを頼りにしているよ」
「本当かい?」竜二は疑いの目で静を見る。明らかに嘘だが、静は大きくうなずいて肯定した振りをする。「でもさ、いっつも無視されたり、馬鹿にされたりなんだぜ?」
「恥ずかしから、わざとそんな態度を取ってんのさ」静は重々しく言う。明らかにからかっている。「お前さん、若いくせに、女心ってものを知らないのかねぇ?」
「だってさ、オレ、女の人と付き合った事無ぇもんさ」竜二は膨れっ面をする。「霊体になってからだって…… いや、虎之助がいるか…… でも、あいつ男だよなぁ……」
「何だってぇぇ!」静は目を丸くする。「お前さん、男と付き合っているのかい!」
「いや、付き合っているって言うか…… あいつ、見た目はすんごい美人なんだ。それでさ、一緒にいると、何だか嬉しくってさ……」
「そうかい。お前さん、本当に正直なんだねぇ……」静は笑む。その表情は優しそうだ。「……ごめんよ。さとみがお前さんを頼りにしているってのは、嘘だ」
「やっぱりなぁ」竜二は驚かないし、悲しみもしない。「でもさ、それでも、オレはさとみちゃんが好きなんだよなぁ…… あ、恋愛とか何とかってんじゃないんだけどさ」
「ははは、あの娘は妙に皆から慕われる感じだからねぇ」
「ばあちゃんもそうなのかい?」
「どうだろうねぇ……」静は言ってにやりと笑う。「まあ、あの娘のために、ちょいと頑張ってみようじゃないか」
「ああ」竜二はうなずく。「おかげでさ、オレの怖じ気心が消えたよ」
竜二は言うと、屋上の出入りの扉にはめ込まれている薄汚れたガラスから、外を窺った。
「誰もいねぇや……」竜二はつぶやく。「じゃあ、ちょっくら屋上に出てみるか……」
「じゃあ、わたしも行こうかね」
「ばあちゃんは、ここにいてくれ」竜二が静に振り返る。「オレに万が一があったら、さとみちゃんと百合恵さんに知らせてほしいからさ」
「おや、ずいぶんと強気じゃないか」
「へへへ、何となく腹が据わったって感じだよ」
竜二は言うと、扉を通り抜けて屋上へと出た。
屋上は太陽が照りつけていて、眩しい。グラウンドで体育の授業をしている声が聞こえる。それに混じって高い空を飛ぶ鳥のさえずり、遠くを走る車の音がしている。のどかな午後の風景だった。
竜二はふうと息を吐く。腹が据わったとはいえ、やはり緊張はしていた。それがほぐれたからだ。
「おや、お前は……」背後から声が掛かった。その声に竜二はびくんと背筋を震わせる。「あの時のチンピラちゃんじゃないかい?」
竜二は振り返る。着物の襟元が大きく開いて白い肩と胸元を露わにし、袖手した姿で立っている楓がいた。別嬪顔に、にやにやと悪意に満ちた笑みを浮かべている。
「や、やあ…… 良い天気だな」竜二は額に汗を浮かべながら、わけの分からない挨拶をする。「……お前こそ、どうしてこんな所に……?」
「それは、こっちのセリフだよ」楓は竜二を覗き込むように見つめる。「何で、こんな所にいるんだい?」
「いや、たまたまだよ」竜二は言う。平静を装っているが、上ずって棒読み状態だ。「ほら、天気が良いからさ……」
「ふ~ん……」楓は袖手のままで竜二に近寄る。「わたしが憎くないのかい? 繁華街であんなにぼこぼこにされたってのにさ」
「いや、オレは……」竜二の喉がごくりと鳴る。「過去を振り返らないのさ……」
「ほ~う……」楓はにやにやしながら、立ち止まる。「お前、まだ、綾部さとみとつるんでいるのかい?」
「え?」
「え? じゃないだろう。お前たちの親分のさとみだよ」楓はじれったそうに言う。「どうなんだい?」
「どうって……」
「それとさ、いつも一緒のお仲間たちは、どうなったんだい?」
楓の言い方が白々しい。「どうしたんだ」では無く、「どうなった」と聞いてくるところに、経緯を知っている感が出ている。言いながら、竜二を見つめるまなざしが険しくなって行く。
「どうって……」
「何だい、同じ答え方しかできないのかい……」楓はため息をつく。「お前、相変わらず、使えないんだねぇ……」
竜二は言い返したかったが、出来なかった。楓の圧倒的な貫禄にすっかり気圧されてしまっていたからだ。
「まあ、お前なんか、いてもいなくっても変わらないからねぇ。お前が、豆蔵やみつたち他の連中のように囚われなかったのは、使い物にならないからさ。毒にも薬にもならないからさ。いや、捕らえたら、むしろ毒だったろうから、こっちが迷惑しちまったろうねぇ……」
楓は馬鹿にしたように笑う。竜二は悔しかったが、何もできず、握り拳を作って下を向いていた。
「好い加減におし!」
そう言って、静が出入りの扉を通り抜けて姿を現わした。
つづく
「おや、どうしたんだい、竜二?」
竜二は背後からする声に振り返る。静がいた。
「わたしゃ、もう楓ってのと、もう話を付けたのかと思ってたんだけどねぇ……」静はじろじろと竜二を見る。「……その様子じゃ、まだのよう、いや、まだまだまだまだのようだねぇ」
あからさまの嫌味を言われたが、竜二は言い返さない。それどころか、神妙な面持ちになっていた。
「……何だい? 怖いのかい?」竜二のあまりにも深刻な表情に、静は訊く。「しっかりおしよ、男だろうが!」
「そう言ったってよう……」竜二が言う。消え入りそうに情けない声だ。「いざとなると怖くなっちまってよう……」
「ははは、お前さん、正直者だねぇ」静は笑う。「な~に、心配するこたぁないよ。いざとなったら、わたしが守ってやるよ」
「でもよう、ばあちゃんはさとみちゃんを守るんじゃないのかい?」
「まあ、そうだけどさ。守るって事に変わりはないさ。それに、お前さんはさとみの友達だろう?」
「オレはそう思っているんだけど、さとみちゃんがなぁ……」
「あの娘、口では何だかんだ言ってるけど、結構、お前さんを頼りにしているよ」
「本当かい?」竜二は疑いの目で静を見る。明らかに嘘だが、静は大きくうなずいて肯定した振りをする。「でもさ、いっつも無視されたり、馬鹿にされたりなんだぜ?」
「恥ずかしから、わざとそんな態度を取ってんのさ」静は重々しく言う。明らかにからかっている。「お前さん、若いくせに、女心ってものを知らないのかねぇ?」
「だってさ、オレ、女の人と付き合った事無ぇもんさ」竜二は膨れっ面をする。「霊体になってからだって…… いや、虎之助がいるか…… でも、あいつ男だよなぁ……」
「何だってぇぇ!」静は目を丸くする。「お前さん、男と付き合っているのかい!」
「いや、付き合っているって言うか…… あいつ、見た目はすんごい美人なんだ。それでさ、一緒にいると、何だか嬉しくってさ……」
「そうかい。お前さん、本当に正直なんだねぇ……」静は笑む。その表情は優しそうだ。「……ごめんよ。さとみがお前さんを頼りにしているってのは、嘘だ」
「やっぱりなぁ」竜二は驚かないし、悲しみもしない。「でもさ、それでも、オレはさとみちゃんが好きなんだよなぁ…… あ、恋愛とか何とかってんじゃないんだけどさ」
「ははは、あの娘は妙に皆から慕われる感じだからねぇ」
「ばあちゃんもそうなのかい?」
「どうだろうねぇ……」静は言ってにやりと笑う。「まあ、あの娘のために、ちょいと頑張ってみようじゃないか」
「ああ」竜二はうなずく。「おかげでさ、オレの怖じ気心が消えたよ」
竜二は言うと、屋上の出入りの扉にはめ込まれている薄汚れたガラスから、外を窺った。
「誰もいねぇや……」竜二はつぶやく。「じゃあ、ちょっくら屋上に出てみるか……」
「じゃあ、わたしも行こうかね」
「ばあちゃんは、ここにいてくれ」竜二が静に振り返る。「オレに万が一があったら、さとみちゃんと百合恵さんに知らせてほしいからさ」
「おや、ずいぶんと強気じゃないか」
「へへへ、何となく腹が据わったって感じだよ」
竜二は言うと、扉を通り抜けて屋上へと出た。
屋上は太陽が照りつけていて、眩しい。グラウンドで体育の授業をしている声が聞こえる。それに混じって高い空を飛ぶ鳥のさえずり、遠くを走る車の音がしている。のどかな午後の風景だった。
竜二はふうと息を吐く。腹が据わったとはいえ、やはり緊張はしていた。それがほぐれたからだ。
「おや、お前は……」背後から声が掛かった。その声に竜二はびくんと背筋を震わせる。「あの時のチンピラちゃんじゃないかい?」
竜二は振り返る。着物の襟元が大きく開いて白い肩と胸元を露わにし、袖手した姿で立っている楓がいた。別嬪顔に、にやにやと悪意に満ちた笑みを浮かべている。
「や、やあ…… 良い天気だな」竜二は額に汗を浮かべながら、わけの分からない挨拶をする。「……お前こそ、どうしてこんな所に……?」
「それは、こっちのセリフだよ」楓は竜二を覗き込むように見つめる。「何で、こんな所にいるんだい?」
「いや、たまたまだよ」竜二は言う。平静を装っているが、上ずって棒読み状態だ。「ほら、天気が良いからさ……」
「ふ~ん……」楓は袖手のままで竜二に近寄る。「わたしが憎くないのかい? 繁華街であんなにぼこぼこにされたってのにさ」
「いや、オレは……」竜二の喉がごくりと鳴る。「過去を振り返らないのさ……」
「ほ~う……」楓はにやにやしながら、立ち止まる。「お前、まだ、綾部さとみとつるんでいるのかい?」
「え?」
「え? じゃないだろう。お前たちの親分のさとみだよ」楓はじれったそうに言う。「どうなんだい?」
「どうって……」
「それとさ、いつも一緒のお仲間たちは、どうなったんだい?」
楓の言い方が白々しい。「どうしたんだ」では無く、「どうなった」と聞いてくるところに、経緯を知っている感が出ている。言いながら、竜二を見つめるまなざしが険しくなって行く。
「どうって……」
「何だい、同じ答え方しかできないのかい……」楓はため息をつく。「お前、相変わらず、使えないんだねぇ……」
竜二は言い返したかったが、出来なかった。楓の圧倒的な貫禄にすっかり気圧されてしまっていたからだ。
「まあ、お前なんか、いてもいなくっても変わらないからねぇ。お前が、豆蔵やみつたち他の連中のように囚われなかったのは、使い物にならないからさ。毒にも薬にもならないからさ。いや、捕らえたら、むしろ毒だったろうから、こっちが迷惑しちまったろうねぇ……」
楓は馬鹿にしたように笑う。竜二は悔しかったが、何もできず、握り拳を作って下を向いていた。
「好い加減におし!」
そう言って、静が出入りの扉を通り抜けて姿を現わした。
つづく
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