「なんだい、ばあさん?」
楓は相手が年寄りなので、静の突然の登場にも驚かない。むしろ、小馬鹿にした態度だ。
「……ああ、そうか、このチンピラちゃんの身内かい?」楓は竜二をあごで示す。「だったら、さっさと連れて行っておくれな。毒がうつっちまうよ」
「ほう……」静はつぶやき、じっと楓を見つめる。「……毒は、お前の方じゃないか」
「なんだってぇ?」楓の眉間に縦皺が寄る。「おい、ばあさん、言って良い事と悪い事があるんだよ」
「ばあさん呼ばわりすんじゃないよ」静が鼻で笑う。「わたしゃ、これでも文明開化から後の生まれさ。お前はちょんまげ最盛期の頃の生まれじゃないか。どっちが婆あだってんだい?」
「な……」楓は二の句が継げない。代わりに怒りでからだを震わせる。「たしかにね、生まれはそうかも知れないけどさ、わたしは若いままで死んじまったんだ。だから、わたしは若いんだよ。永遠にね! 死んでから婆あじゃ、やってらんないよ!」
「ふん」静は鼻を鳴らし、楓を探るように見る。「……若いうちに死んだって言ってもさ、騙した男に刺し殺されたんじゃないか」
「あ?」楓の動きが止まる。「……な、何を言い出すんだい」
「お前の死に様だよ」静がくすくす笑う。「わたしには分かるんだよ。手に取るように見えるのさ」
「うっせぇな」楓が狼狽える。「黙っていろよ。くそ婆あ」
「婆あはそっちだって言ったろうが」静が小馬鹿にしたように言う。「『お願い許して、わたしを好きにしていいからさあ。ほら、他の男を騙して貯めた金もあるから、それをやるよ。だからさあ……』それが今際の際(いまわのきわ)の言葉とは情けない死に様だったねぇ」
「え? 楓って、そんなみっともない死に方だったんだ……」竜二が驚く。「オレ、獄門磔になって、磔台の上で『あ~ら、皆さん、ご苦労様ねぇ』とか言って死んでったんじゃないかって思っていたよ……」
「ははは、そんな芝居じみた事はなかったさ」静は笑う。「わたしには見えるのさ。『お願い、やめて、殺さないで、やっぱりあんたが一番好きなんだよう』って、涙と鼻水とで顔をぐしゃぐしゃにして死んだのさ!」
「てめぇ!」
楓は怒りをむき出しにした顔で静に突進する。
静は右の手の平を楓に向かって広げた。衝撃波が打ち出された。
「うわっ!」
楓は衝撃波をまともに食らい、屋上に転がった。着物の裾が広がって、脚が剥き出しになった。
「ははは、みっともない格好だねぇ……」静は笑う。「どうしたい? もうおしまいかい?」
「……婆あ……」楓は立ち上がる。怒りで顔が真っ赤だ。「ふざけんじゃねぇぞぉ……」
「だからさ、婆あはお前だって言ってんだろ。頭の悪い娘だねぇ」
「やかましいやい!」
楓はどこからか真鍮製に長煙管を取り出し、それを振り回しながら静に襲いかかった。楓はそれを普段から武器として使っていたのだろう。巧みに扱い、幾度も静を打ち据える。しかし、静は悉くそれをかわす。竜二は女二人の攻防に手を出すことが出来ず、おろおろとしながら見守るだけだった。
しばらくすると、再び楓が静の衝撃波を食らって、大きく弾き飛ばされ、転がった。
「ふん!」静は、はてに転がっている楓を見ながら、乱れた襟元を直す。「口ほどにも無いねぇ」
「……ばあちゃん、すげぇなあ!」竜二が感心する。「オレにも、その手の平から出すやつ、教えてくれないかなぁ」
「ははは。お前さんは面白い事を言うねぇ」静が笑う。「でもね、これは教えられるもんじゃないんだよ」
「そうかぁ…… そうだよな。ばあちゃんはさとみちゃんを守ることが出来るんだもんな」
ふと冷たい風が吹いてきた。イヤな臭いが混じっている。静は風上を見る。
さゆりが立っていた。
ぼろぼろになったくすんだ赤色の着物の襟元の左側が開き、鎖骨と膨らみの手前の白い胸元が見え、裾が太腿の途中辺りから千切れていて、すらりとした白い脚が晒されている。その姿に静は眉をひそめる。
雨に打たれて形が乱れたかのような黒髪が、顔の右半分に垂れている。覗いている左側の顔立ちは、整っていて美しく、大人びていながらも、どこか可愛らしい。覗いている左目で、じっと竜二と静を見つめている。
楓がよろよろと立ち上がり、さゆりの方へと寄って行く。
「さゆり、あいつら、綾部さとみの仲間だ!」
楓は言うと、静と竜二を指差した。
「綾部さとみの仲間……」さゆりは可愛らしい声でつぶやく。「二人ともかえ?」
「そうだよ」楓はうなずく。「男の方はどうでも良いヤツだけどさ、あの婆あは、手強いよ」
「……」さゆりは視線を静だけに移した。「……お前、綾部さとみを知っているかえ?」
「何だい、お前さんは?」静は目を細めてさゆりを見つめる。「……ダメだねぇ。お前さんの過去が全く見えないよ……」
「綾部さとみを知っているかえ……?」
さゆりが再び訊く。声は穏やかで可愛らしいが、刺すような視線を浴びせている。
「さとみはわたしのひ孫だよ!」静が言い放つ。「だったら、どうだってんだい!」
「……邪魔をするな……」
「はあ? 言っていることが分かんないねぇ?」
「邪魔を…… 邪魔をするなぁぁ!」
さゆりが叫ぶと、全身から黒い霧の様なものが噴き出した。それが集まり、さゆりの頭上で雲のように漂っている。さゆりは右手を上げた。そして、その手を静に向かって振り下ろした。さゆりの頭上の雲は、静に向かって勢い良く繰り出された。
「危ねぇ!」
竜二は叫ぶと、静と雲との間に飛び出した。
つづく
楓は相手が年寄りなので、静の突然の登場にも驚かない。むしろ、小馬鹿にした態度だ。
「……ああ、そうか、このチンピラちゃんの身内かい?」楓は竜二をあごで示す。「だったら、さっさと連れて行っておくれな。毒がうつっちまうよ」
「ほう……」静はつぶやき、じっと楓を見つめる。「……毒は、お前の方じゃないか」
「なんだってぇ?」楓の眉間に縦皺が寄る。「おい、ばあさん、言って良い事と悪い事があるんだよ」
「ばあさん呼ばわりすんじゃないよ」静が鼻で笑う。「わたしゃ、これでも文明開化から後の生まれさ。お前はちょんまげ最盛期の頃の生まれじゃないか。どっちが婆あだってんだい?」
「な……」楓は二の句が継げない。代わりに怒りでからだを震わせる。「たしかにね、生まれはそうかも知れないけどさ、わたしは若いままで死んじまったんだ。だから、わたしは若いんだよ。永遠にね! 死んでから婆あじゃ、やってらんないよ!」
「ふん」静は鼻を鳴らし、楓を探るように見る。「……若いうちに死んだって言ってもさ、騙した男に刺し殺されたんじゃないか」
「あ?」楓の動きが止まる。「……な、何を言い出すんだい」
「お前の死に様だよ」静がくすくす笑う。「わたしには分かるんだよ。手に取るように見えるのさ」
「うっせぇな」楓が狼狽える。「黙っていろよ。くそ婆あ」
「婆あはそっちだって言ったろうが」静が小馬鹿にしたように言う。「『お願い許して、わたしを好きにしていいからさあ。ほら、他の男を騙して貯めた金もあるから、それをやるよ。だからさあ……』それが今際の際(いまわのきわ)の言葉とは情けない死に様だったねぇ」
「え? 楓って、そんなみっともない死に方だったんだ……」竜二が驚く。「オレ、獄門磔になって、磔台の上で『あ~ら、皆さん、ご苦労様ねぇ』とか言って死んでったんじゃないかって思っていたよ……」
「ははは、そんな芝居じみた事はなかったさ」静は笑う。「わたしには見えるのさ。『お願い、やめて、殺さないで、やっぱりあんたが一番好きなんだよう』って、涙と鼻水とで顔をぐしゃぐしゃにして死んだのさ!」
「てめぇ!」
楓は怒りをむき出しにした顔で静に突進する。
静は右の手の平を楓に向かって広げた。衝撃波が打ち出された。
「うわっ!」
楓は衝撃波をまともに食らい、屋上に転がった。着物の裾が広がって、脚が剥き出しになった。
「ははは、みっともない格好だねぇ……」静は笑う。「どうしたい? もうおしまいかい?」
「……婆あ……」楓は立ち上がる。怒りで顔が真っ赤だ。「ふざけんじゃねぇぞぉ……」
「だからさ、婆あはお前だって言ってんだろ。頭の悪い娘だねぇ」
「やかましいやい!」
楓はどこからか真鍮製に長煙管を取り出し、それを振り回しながら静に襲いかかった。楓はそれを普段から武器として使っていたのだろう。巧みに扱い、幾度も静を打ち据える。しかし、静は悉くそれをかわす。竜二は女二人の攻防に手を出すことが出来ず、おろおろとしながら見守るだけだった。
しばらくすると、再び楓が静の衝撃波を食らって、大きく弾き飛ばされ、転がった。
「ふん!」静は、はてに転がっている楓を見ながら、乱れた襟元を直す。「口ほどにも無いねぇ」
「……ばあちゃん、すげぇなあ!」竜二が感心する。「オレにも、その手の平から出すやつ、教えてくれないかなぁ」
「ははは。お前さんは面白い事を言うねぇ」静が笑う。「でもね、これは教えられるもんじゃないんだよ」
「そうかぁ…… そうだよな。ばあちゃんはさとみちゃんを守ることが出来るんだもんな」
ふと冷たい風が吹いてきた。イヤな臭いが混じっている。静は風上を見る。
さゆりが立っていた。
ぼろぼろになったくすんだ赤色の着物の襟元の左側が開き、鎖骨と膨らみの手前の白い胸元が見え、裾が太腿の途中辺りから千切れていて、すらりとした白い脚が晒されている。その姿に静は眉をひそめる。
雨に打たれて形が乱れたかのような黒髪が、顔の右半分に垂れている。覗いている左側の顔立ちは、整っていて美しく、大人びていながらも、どこか可愛らしい。覗いている左目で、じっと竜二と静を見つめている。
楓がよろよろと立ち上がり、さゆりの方へと寄って行く。
「さゆり、あいつら、綾部さとみの仲間だ!」
楓は言うと、静と竜二を指差した。
「綾部さとみの仲間……」さゆりは可愛らしい声でつぶやく。「二人ともかえ?」
「そうだよ」楓はうなずく。「男の方はどうでも良いヤツだけどさ、あの婆あは、手強いよ」
「……」さゆりは視線を静だけに移した。「……お前、綾部さとみを知っているかえ?」
「何だい、お前さんは?」静は目を細めてさゆりを見つめる。「……ダメだねぇ。お前さんの過去が全く見えないよ……」
「綾部さとみを知っているかえ……?」
さゆりが再び訊く。声は穏やかで可愛らしいが、刺すような視線を浴びせている。
「さとみはわたしのひ孫だよ!」静が言い放つ。「だったら、どうだってんだい!」
「……邪魔をするな……」
「はあ? 言っていることが分かんないねぇ?」
「邪魔を…… 邪魔をするなぁぁ!」
さゆりが叫ぶと、全身から黒い霧の様なものが噴き出した。それが集まり、さゆりの頭上で雲のように漂っている。さゆりは右手を上げた。そして、その手を静に向かって振り下ろした。さゆりの頭上の雲は、静に向かって勢い良く繰り出された。
「危ねぇ!」
竜二は叫ぶと、静と雲との間に飛び出した。
つづく
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます