恵一郎の不安は続く。
受け取った教材は、ごく普通のものだった。普通過ぎて驚いたくらいだった。……いや、あれは僕のような平凡人仕様のものなんだ。恵一郎はぞっとする。……いや、そうじゃない! あれは僕を油断させ、笑い者にするための罠なんだ。みんなは明らかに違う教科書を持って来ていて、僕のを見ると笑い出し「それは何だい? 見た事も無いものだね。それって、平凡な家庭用のものかな?」なんて言うんだ。
それだけじゃない。みんな言葉遣いも違うんだろうな。みんな語尾に「……でございますわね」「……してくれたまえ」みたいなのをを付けるに決まっているんだ。それよりも、時代劇の公家みたいに「……でおじゃる」なんて言うのかもしれない。声の調子だって違っているんだろう。やや高めで、穏やかで、僕みたいな話し方はしないんだろうな。となると、僕はずっと無口で通さなければならなくなる。僕の声はみんなに不快感を与えるだろうからだ。当然、誰とも親しくなれない。いや、向こうから親しくしようなんて思わないか。もし三年間通えたとしても、ずっと、ずうううっと、一人なんだ。まるで空気のように、いや、それ以下のように扱われるのさ。上手く卒業出来たって、誰も同級生だなんて認めてくれないのさ。理事長先生もきっと後悔しかしないのさ……
「……ねえ、ケーイチロー」
典子の声で我に返った。顔を上げると典子が目の前に立っていた。いつの間にか黒田が居なくなり、教室内も生徒がいなかった。前の方の席の勝也もいなかった。もう、典子と恵一郎の他はいない。
「え?」
恵一郎は夢から覚めた様な顔を典子に向けた。
「寝ていたの? 今日はこれでおしまいだってさ」
「おしまい……?」
「帰って良いんだって」
「あ、そうなんだ……」
「何よ、ぼうっとしちゃって」
「いや、色々と考えて……」
「さすが、ジョルジュアンナの特待生ね」
「……」
恵一郎は答えない。典子は恵一郎の顔をじっと見て、おでこに手を当てて来た。
「わっ! 何すんだよ!」
「う~ん、熱はなさそうね……」典子は恵一郎の叫びを無視して言う。「ケーイチローってさ、子供の時から、大事な事があると熱を出すってのが多かったじゃない?」
「そうだっけ?」
「そうよ! だから、受験当日も熱を出すんじゃないかって心配だったのよ」
「そうなんだ……」
受験は最初からあきらめていたから、熱が出なかったんだろうな。恵一郎は思い、ちらと勝也の席を見る。それから典子に顔を戻す。
「典子ってさ、僕の母親以上に母親っぽいよなぁ……」
「それって、どう言う意味よ! わたしはケーイチローの母親なんか御免だわ!」
「僕だって、典子の子供はイヤだ」
「ふ~ん……」典子は言うと、ぐっと恵一郎に顔を近づける。「……じゃあさ、奥さんなら、どう?」
「はぁ? 奥さん……?」
「あはは! 冗談よ、冗談!」
典子は笑いながら鞄を持って教室を出て行った。
……あ~あ、典子の通う高校へ行きたかったなぁ。恵一郎は溜め息をついて立ち上がった。
つづく
受け取った教材は、ごく普通のものだった。普通過ぎて驚いたくらいだった。……いや、あれは僕のような平凡人仕様のものなんだ。恵一郎はぞっとする。……いや、そうじゃない! あれは僕を油断させ、笑い者にするための罠なんだ。みんなは明らかに違う教科書を持って来ていて、僕のを見ると笑い出し「それは何だい? 見た事も無いものだね。それって、平凡な家庭用のものかな?」なんて言うんだ。
それだけじゃない。みんな言葉遣いも違うんだろうな。みんな語尾に「……でございますわね」「……してくれたまえ」みたいなのをを付けるに決まっているんだ。それよりも、時代劇の公家みたいに「……でおじゃる」なんて言うのかもしれない。声の調子だって違っているんだろう。やや高めで、穏やかで、僕みたいな話し方はしないんだろうな。となると、僕はずっと無口で通さなければならなくなる。僕の声はみんなに不快感を与えるだろうからだ。当然、誰とも親しくなれない。いや、向こうから親しくしようなんて思わないか。もし三年間通えたとしても、ずっと、ずうううっと、一人なんだ。まるで空気のように、いや、それ以下のように扱われるのさ。上手く卒業出来たって、誰も同級生だなんて認めてくれないのさ。理事長先生もきっと後悔しかしないのさ……
「……ねえ、ケーイチロー」
典子の声で我に返った。顔を上げると典子が目の前に立っていた。いつの間にか黒田が居なくなり、教室内も生徒がいなかった。前の方の席の勝也もいなかった。もう、典子と恵一郎の他はいない。
「え?」
恵一郎は夢から覚めた様な顔を典子に向けた。
「寝ていたの? 今日はこれでおしまいだってさ」
「おしまい……?」
「帰って良いんだって」
「あ、そうなんだ……」
「何よ、ぼうっとしちゃって」
「いや、色々と考えて……」
「さすが、ジョルジュアンナの特待生ね」
「……」
恵一郎は答えない。典子は恵一郎の顔をじっと見て、おでこに手を当てて来た。
「わっ! 何すんだよ!」
「う~ん、熱はなさそうね……」典子は恵一郎の叫びを無視して言う。「ケーイチローってさ、子供の時から、大事な事があると熱を出すってのが多かったじゃない?」
「そうだっけ?」
「そうよ! だから、受験当日も熱を出すんじゃないかって心配だったのよ」
「そうなんだ……」
受験は最初からあきらめていたから、熱が出なかったんだろうな。恵一郎は思い、ちらと勝也の席を見る。それから典子に顔を戻す。
「典子ってさ、僕の母親以上に母親っぽいよなぁ……」
「それって、どう言う意味よ! わたしはケーイチローの母親なんか御免だわ!」
「僕だって、典子の子供はイヤだ」
「ふ~ん……」典子は言うと、ぐっと恵一郎に顔を近づける。「……じゃあさ、奥さんなら、どう?」
「はぁ? 奥さん……?」
「あはは! 冗談よ、冗談!」
典子は笑いながら鞄を持って教室を出て行った。
……あ~あ、典子の通う高校へ行きたかったなぁ。恵一郎は溜め息をついて立ち上がった。
つづく
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