「全く、もう!」
綺羅姫はぶつぶつと文句を言いながら、ぷっと頬を膨らませたままで平屋に戻って来て、どすどすと足音高く土間から上がると、食事の間の障子戸を開けた。部屋の真ん中で両脚をだらしなく前に投げ出して、けらけらと笑ってる腰元の二人の姿があった。
「姫様!」
腰元二人は同時に叫ぶと、飛び退く様にして部屋の隅にまで移動すると、正座をし、畳に手をついて頭を下げた。姫は部屋には入らず、腰元の様子に頓着することなく、きょろきょろと辺りを見回している。
「コーイチはどこじゃ?」姫が言う。コーイチの姿が無かったからだ。「わたくしが帰って来たと言うのに、コーイチは何をしておるのじゃ?」
「コーイチさん…… いえ、コーイチ様はご自分のお部屋にいらっしゃいます」松が頭を下げたまま言う。「しばし考え事をしたいとの仰せで……」
「……考え事とな?」
「はい」竹が答える。「何でも、これからの事とか……」
「ほう……」姫は心なしか震えている腰元二人の背中を交互に見る。「これからの事とはのう…… お前たち、コーイチに何か申したのかえ?」
「いえ、別にこれと言って……」松が答える。「お城の者であれば知っているような事を少々……」
「左様か……」姫は言う。「コーイチは自分の部屋に居るのじゃな?」
「左様に仰せで……」
姫は障子戸を乱暴に閉めると、足音高くコーイチの部屋へと向かった。足音が遠退いた。
「……やれやれ……」松が、ふっと肩の力を抜いた。「危のうございましたわね。寛いでいる姿を見られた時は、どうなる事やらと冷や冷や致しましたわ」
「ええ、本当に……」竹も、ふうと深い息を漏らす。「両の脚を前に投げ出すだけでなく、裾もめくれておりましたから、姫様に、はしたないと思われたかもしれませぬ……」
「何故でしょうねぇ……」松が言う。「コーイチさんと居ると、すっかり気が楽になってしまうと言いましょうか、細かい事がどうでも良くなりますわ」
「はい、わたしもそう思います」竹がうなずく。「姫様が、コーイチさんを好かれるのが分かる気が致します」
「それにしましても……」松がふふふと思い出し笑いをする。「ここへ戻る途中の、コーイチさんのご様子には笑いましたね」
「首の後ろをとんとんと叩いてみせた時でございますね」
「あの、引きつったような笑顔が、何故か、こう、もっと困らせてやりたいという思いを駆り立てて、何やらいけない気持ちが膨らんで行きますわ…… もっと苛めたくなるような……」
「あら、松さんもでしたの…… 良かった。わたしもそう思いましたので…… このように、妙に胸の奥がじんじんするのは初めてでございますわ」
「では、今度、また苛めて差し上げましょうよ」松はにやりと笑う。「あの困った顔をがまた見てみたいですわ」
「ええ、あの引き吊った笑顔は一見ですわね」竹もにやりと笑う。「どのように苛めましょうか……」
「でも、鞭や逆さ吊りみたいに、直接はいけませんわよ」
「ええ、心得ておりますわ。言葉で困らせ、苛めましょう」
「そうですわね。こちらが何か言って、コーイチさんが言い返してきましたら『お命が……』と申し上げて……」
「ええ、『首とんとん』を見せて差し上げましょう……」
二人はにやにやし始めた。何やらいけない性癖が目覚めてしまったようである。
「……それにしましても……」ひとしきりにやけた後、真顔になった松が、姫が勢いよく閉めた障子戸が反動で少し開いているのを見ながらつぶやく。「コーイチさん、何をお考えなんでしょうか」
「これからの事とおっしゃっておられましたから」竹も障子戸を見る。「姫様との事と存じますが……」
「となりますと、やはり結婚の事でしょうか……」
「他に考え様がございませんわ」
「ですわよね……」松はうなずく。だが、すぐにため息をついた。「ですが、そうなりますと、厄介な事がございますわね」
「そうですわ……」竹もため息をつく。「御家老様とそのお取り巻きの方々が黙っていませんわね……」
「コーイチさんも、その事は充分にお分かりだとは存じますけど……」松が言う。「さて、それだけに、どうなさるおつもりか……」
「……姫様も罪ですわねぇ……」
竹がぽつりと言う。
「そうですわねぇ……」
松は小さくうなずく。
二人は顔を見合わせ、同時に大きなため息をついた。明るい陽差しが、開いたままの障子戸の隙間から入っている。
つづく
綺羅姫はぶつぶつと文句を言いながら、ぷっと頬を膨らませたままで平屋に戻って来て、どすどすと足音高く土間から上がると、食事の間の障子戸を開けた。部屋の真ん中で両脚をだらしなく前に投げ出して、けらけらと笑ってる腰元の二人の姿があった。
「姫様!」
腰元二人は同時に叫ぶと、飛び退く様にして部屋の隅にまで移動すると、正座をし、畳に手をついて頭を下げた。姫は部屋には入らず、腰元の様子に頓着することなく、きょろきょろと辺りを見回している。
「コーイチはどこじゃ?」姫が言う。コーイチの姿が無かったからだ。「わたくしが帰って来たと言うのに、コーイチは何をしておるのじゃ?」
「コーイチさん…… いえ、コーイチ様はご自分のお部屋にいらっしゃいます」松が頭を下げたまま言う。「しばし考え事をしたいとの仰せで……」
「……考え事とな?」
「はい」竹が答える。「何でも、これからの事とか……」
「ほう……」姫は心なしか震えている腰元二人の背中を交互に見る。「これからの事とはのう…… お前たち、コーイチに何か申したのかえ?」
「いえ、別にこれと言って……」松が答える。「お城の者であれば知っているような事を少々……」
「左様か……」姫は言う。「コーイチは自分の部屋に居るのじゃな?」
「左様に仰せで……」
姫は障子戸を乱暴に閉めると、足音高くコーイチの部屋へと向かった。足音が遠退いた。
「……やれやれ……」松が、ふっと肩の力を抜いた。「危のうございましたわね。寛いでいる姿を見られた時は、どうなる事やらと冷や冷や致しましたわ」
「ええ、本当に……」竹も、ふうと深い息を漏らす。「両の脚を前に投げ出すだけでなく、裾もめくれておりましたから、姫様に、はしたないと思われたかもしれませぬ……」
「何故でしょうねぇ……」松が言う。「コーイチさんと居ると、すっかり気が楽になってしまうと言いましょうか、細かい事がどうでも良くなりますわ」
「はい、わたしもそう思います」竹がうなずく。「姫様が、コーイチさんを好かれるのが分かる気が致します」
「それにしましても……」松がふふふと思い出し笑いをする。「ここへ戻る途中の、コーイチさんのご様子には笑いましたね」
「首の後ろをとんとんと叩いてみせた時でございますね」
「あの、引きつったような笑顔が、何故か、こう、もっと困らせてやりたいという思いを駆り立てて、何やらいけない気持ちが膨らんで行きますわ…… もっと苛めたくなるような……」
「あら、松さんもでしたの…… 良かった。わたしもそう思いましたので…… このように、妙に胸の奥がじんじんするのは初めてでございますわ」
「では、今度、また苛めて差し上げましょうよ」松はにやりと笑う。「あの困った顔をがまた見てみたいですわ」
「ええ、あの引き吊った笑顔は一見ですわね」竹もにやりと笑う。「どのように苛めましょうか……」
「でも、鞭や逆さ吊りみたいに、直接はいけませんわよ」
「ええ、心得ておりますわ。言葉で困らせ、苛めましょう」
「そうですわね。こちらが何か言って、コーイチさんが言い返してきましたら『お命が……』と申し上げて……」
「ええ、『首とんとん』を見せて差し上げましょう……」
二人はにやにやし始めた。何やらいけない性癖が目覚めてしまったようである。
「……それにしましても……」ひとしきりにやけた後、真顔になった松が、姫が勢いよく閉めた障子戸が反動で少し開いているのを見ながらつぶやく。「コーイチさん、何をお考えなんでしょうか」
「これからの事とおっしゃっておられましたから」竹も障子戸を見る。「姫様との事と存じますが……」
「となりますと、やはり結婚の事でしょうか……」
「他に考え様がございませんわ」
「ですわよね……」松はうなずく。だが、すぐにため息をついた。「ですが、そうなりますと、厄介な事がございますわね」
「そうですわ……」竹もため息をつく。「御家老様とそのお取り巻きの方々が黙っていませんわね……」
「コーイチさんも、その事は充分にお分かりだとは存じますけど……」松が言う。「さて、それだけに、どうなさるおつもりか……」
「……姫様も罪ですわねぇ……」
竹がぽつりと言う。
「そうですわねぇ……」
松は小さくうなずく。
二人は顔を見合わせ、同時に大きなため息をついた。明るい陽差しが、開いたままの障子戸の隙間から入っている。
つづく
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