さとみは立ち上がった。
ちらちらとさとみを見ながらひそひそと話をしていた周りの生徒たちは、突然のその行動に小さな悲鳴とどよめきを上げた。
さとみはそんな周りに全く無頓着に、机の横のフックにぶら下げているカバンを取り上げてドンと天板の上に置き、がさごそと教科書やノートを詰め込みはじめた。
「ちょっと、さとみ!」慌てて麗子が寄って来て、カバンに仕舞い続けるさとみの手を押さえた。心配そうな顔をしている。「・・・あなた、何をやってるのよ?」
「でかけるの・・・」さとみはぽうっとした、いつもの表情で答える。「豆蔵と一緒に探さなきゃなんないの・・・」
「豆蔵?」麗子は何かに思い当たったらしく、思い切りイヤそうな顔をした。「何を探すのよ・・・」
「ももちゃん・・・」
「誰なのよ・・・」恐る恐る聞いた麗子は、さとみに口が動く前に付け加えた。「言わないで! どうせ、また・・・」
「そう・・・ 霊体」さとみは言うと、意地の悪そうな笑みを浮かべた。「・・・麗子も一緒に行く?」
「やめて!」
麗子は大きな声で言うと、席に戻った。
クラス中がしんと静まり返った。
麗子は青白い顔でじっと机の天板を見つめ、小刻みに震えている。
さとみは片付けを終えると、いつものぽうっとした表情で、教室から出て行った。
廊下で須藤に出くわした。さとみは立ち止まる。視線が須藤の背後に注がれる。
「綾部・・・」須藤も青白い顔をしている。声が弱々しい。「お前、マリッコの事を知っているのか・・・?」
「・・・」さとみには、マリッコの生霊が須藤を抱きしめるているのが見えている。険悪な表情をさとみに向けている。「・・・先生・・・」
「なんだ? マリッコがどうかしたのか?」
須藤は勢い込んで聞く。うっすらと額に汗が浮かんでいる。
「・・・マリッコさんに連絡してあげましたか?」
「連絡って・・・」須藤はうなだれる。「別れて以来、どこにいるのか、どうしているのか、全く分からない・・・」
「・・・マリッコさん、今でも先生が好きなんです・・・」さとみはマリッコの生霊を見ながら続けた。「でも、ふられて、先生を恨んでもいるんです・・・ どうして別れちゃったんですか?」
「それは・・・」言いかけて、はっと気がついたようにさとみを睨みつける。「何で、お前に、しかも生徒に言わなきゃならないんだ!」
「だって・・・」さとみは須藤の背後を指差した。「そこにマリッコさんがいるから・・・」
須藤が慌てて振り返リ、背中をさとみに向ける。背中から須藤を抱きしめている生霊もその裸の背をさとみに向ける。しかし、生霊は真後ろのさとみに首だけ回して向き直ると、さとみを睨みつけた。
「先生・・・」さとみは睨みつける生霊を見つめながら言った。「マリッコさん、このままだと、悲しい結末を迎えます。別れたわけをマリッコさんに伝えるつもりで、話してください・・・」
「・・・」須藤は大きな溜め息をつくと、さとみに背を向けたまま話し出した。「俺がマリッコを好きになったのは学生時代だ。この女しかいない! 出会った途端にそう思った。マリッコは綺麗で優しくて良く気の付く、まさに理想の女性だった」また溜め息をついた。「・・・でも、マリッコは誰にでもそうだったんだ。誰にでも優しくて良く気の付く理想の女性だったんだ。俺は真剣だった。だけど、マリッコにはその他大勢の一人なんじゃないかと思うようになった・・・」
さとみの霊体が抜け出し、マリッコの生霊の横に立った。
マリッコは須藤の言葉を聞きながら、首を戻し、頬を須藤の背中に預け、さらに強く抱き締めて行く。
「・・・違うわ・・・」マリッコがかすれた声で言う。「わたしはあなただけが好きだった。でも、思うように伝えられなかった・・・」
「俺も恋愛経験なんてものが無かったから、ふられたと思うようになった・・・ それでも、知り合いの一人としてでもそばに居たいとも思った・・・」
「あなたが次第にわたしとの距離を拡げ始めたのはすぐに気が付いた・・・ わたしはあなたに近付きたかった。でも、恥ずかしさが・・・ 嫌われたらどうしようと言う不安が・・・」
「だけど、俺以外の奴と親しげにしている様子を見ることになるかもしれない、そう思うと、そばに居るのもつらい・・・」
「わたしはあなたを引き付けておくだけのものが無いんだと思った・・・」
須藤は霊体が抜け、立っているだけのさとみに向き直った。さとみに近付き、その両肩に手を置いた。
「綾部、お前、マリッコの居所を知らないか? 見えない形で俺のそばに居てくれるよりも、見える形で、直接に会いたい! 悲しい結末など、迎えさせるわけには行かない! 俺は今でもマリッコが好きだ! おい、綾部、なんとか言え!」
須藤はさとみのからだを激しく揺さぶった。さとみは慌てて霊体を戻す。
「・・・先生・・・」さとみは揺さぶられながら答えた。「落ち着いて・・・」
「あ?」須藤は慌てて手を離す。「すまない、マジになってしまった・・・」
その時、さとみは須藤の背後のマリッコが明るく輝くのを見た。
先ほどまでの悪鬼の形相が無くなり、穏やかで優しい、そして美しい女性の姿になったマリッコが微笑んでいた。乱れていた髪はきめの細かい光沢のある黒髪になり、黒ずんでいた肌も滑らかで若々しさに溢れたものに変わっていた。須藤を見つめる目にも優しさが、いや、それ以上に愛情が湛えられている。
豆蔵が現われて、マリッコになにか聞いている。マリッコが恥ずかしそうに答えている。答えを豆蔵は懐から取り出した帳面に筆で書き込んでいる。書き終わると帳面をさとみに向けて見せた。そこにはマリッコの住所と電話番号が記されていた。
「・・・先生、マリッコさんの住所と電話番号を伝えます・・・」
須藤は大急ぎで手帳を取り出し、書く用意をする。
さとみは帳面を見ながら、ゆっくりと読み上げる。
「でも・・・」須藤は書き終えると言った。「いきなり電話なんかして、大丈夫なものかな・・・」
マリッコの生霊はすうっと消えた。消え入りしなに、さとみに微笑んで見せた。
「・・・大丈夫です」さとみは言った。「マリッコさん、きっと先生からの電話を今か今かと待ってます・・・」
「そうか!」胸ポケットから携帯電話を取り出しながら須藤は言った。「色々とありがとう!」
「いえいえ、どう致しまして・・・」
さとみは一礼すると、そのまま生徒用昇降口へ向かった。
「あれ?」ふと我に返った須藤は、さとみの後ろ姿につぶやいた。「まだ授業中だぞ・・・ 綾部、どこへ行くんだ?」
つづく
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ちらちらとさとみを見ながらひそひそと話をしていた周りの生徒たちは、突然のその行動に小さな悲鳴とどよめきを上げた。
さとみはそんな周りに全く無頓着に、机の横のフックにぶら下げているカバンを取り上げてドンと天板の上に置き、がさごそと教科書やノートを詰め込みはじめた。
「ちょっと、さとみ!」慌てて麗子が寄って来て、カバンに仕舞い続けるさとみの手を押さえた。心配そうな顔をしている。「・・・あなた、何をやってるのよ?」
「でかけるの・・・」さとみはぽうっとした、いつもの表情で答える。「豆蔵と一緒に探さなきゃなんないの・・・」
「豆蔵?」麗子は何かに思い当たったらしく、思い切りイヤそうな顔をした。「何を探すのよ・・・」
「ももちゃん・・・」
「誰なのよ・・・」恐る恐る聞いた麗子は、さとみに口が動く前に付け加えた。「言わないで! どうせ、また・・・」
「そう・・・ 霊体」さとみは言うと、意地の悪そうな笑みを浮かべた。「・・・麗子も一緒に行く?」
「やめて!」
麗子は大きな声で言うと、席に戻った。
クラス中がしんと静まり返った。
麗子は青白い顔でじっと机の天板を見つめ、小刻みに震えている。
さとみは片付けを終えると、いつものぽうっとした表情で、教室から出て行った。
廊下で須藤に出くわした。さとみは立ち止まる。視線が須藤の背後に注がれる。
「綾部・・・」須藤も青白い顔をしている。声が弱々しい。「お前、マリッコの事を知っているのか・・・?」
「・・・」さとみには、マリッコの生霊が須藤を抱きしめるているのが見えている。険悪な表情をさとみに向けている。「・・・先生・・・」
「なんだ? マリッコがどうかしたのか?」
須藤は勢い込んで聞く。うっすらと額に汗が浮かんでいる。
「・・・マリッコさんに連絡してあげましたか?」
「連絡って・・・」須藤はうなだれる。「別れて以来、どこにいるのか、どうしているのか、全く分からない・・・」
「・・・マリッコさん、今でも先生が好きなんです・・・」さとみはマリッコの生霊を見ながら続けた。「でも、ふられて、先生を恨んでもいるんです・・・ どうして別れちゃったんですか?」
「それは・・・」言いかけて、はっと気がついたようにさとみを睨みつける。「何で、お前に、しかも生徒に言わなきゃならないんだ!」
「だって・・・」さとみは須藤の背後を指差した。「そこにマリッコさんがいるから・・・」
須藤が慌てて振り返リ、背中をさとみに向ける。背中から須藤を抱きしめている生霊もその裸の背をさとみに向ける。しかし、生霊は真後ろのさとみに首だけ回して向き直ると、さとみを睨みつけた。
「先生・・・」さとみは睨みつける生霊を見つめながら言った。「マリッコさん、このままだと、悲しい結末を迎えます。別れたわけをマリッコさんに伝えるつもりで、話してください・・・」
「・・・」須藤は大きな溜め息をつくと、さとみに背を向けたまま話し出した。「俺がマリッコを好きになったのは学生時代だ。この女しかいない! 出会った途端にそう思った。マリッコは綺麗で優しくて良く気の付く、まさに理想の女性だった」また溜め息をついた。「・・・でも、マリッコは誰にでもそうだったんだ。誰にでも優しくて良く気の付く理想の女性だったんだ。俺は真剣だった。だけど、マリッコにはその他大勢の一人なんじゃないかと思うようになった・・・」
さとみの霊体が抜け出し、マリッコの生霊の横に立った。
マリッコは須藤の言葉を聞きながら、首を戻し、頬を須藤の背中に預け、さらに強く抱き締めて行く。
「・・・違うわ・・・」マリッコがかすれた声で言う。「わたしはあなただけが好きだった。でも、思うように伝えられなかった・・・」
「俺も恋愛経験なんてものが無かったから、ふられたと思うようになった・・・ それでも、知り合いの一人としてでもそばに居たいとも思った・・・」
「あなたが次第にわたしとの距離を拡げ始めたのはすぐに気が付いた・・・ わたしはあなたに近付きたかった。でも、恥ずかしさが・・・ 嫌われたらどうしようと言う不安が・・・」
「だけど、俺以外の奴と親しげにしている様子を見ることになるかもしれない、そう思うと、そばに居るのもつらい・・・」
「わたしはあなたを引き付けておくだけのものが無いんだと思った・・・」
須藤は霊体が抜け、立っているだけのさとみに向き直った。さとみに近付き、その両肩に手を置いた。
「綾部、お前、マリッコの居所を知らないか? 見えない形で俺のそばに居てくれるよりも、見える形で、直接に会いたい! 悲しい結末など、迎えさせるわけには行かない! 俺は今でもマリッコが好きだ! おい、綾部、なんとか言え!」
須藤はさとみのからだを激しく揺さぶった。さとみは慌てて霊体を戻す。
「・・・先生・・・」さとみは揺さぶられながら答えた。「落ち着いて・・・」
「あ?」須藤は慌てて手を離す。「すまない、マジになってしまった・・・」
その時、さとみは須藤の背後のマリッコが明るく輝くのを見た。
先ほどまでの悪鬼の形相が無くなり、穏やかで優しい、そして美しい女性の姿になったマリッコが微笑んでいた。乱れていた髪はきめの細かい光沢のある黒髪になり、黒ずんでいた肌も滑らかで若々しさに溢れたものに変わっていた。須藤を見つめる目にも優しさが、いや、それ以上に愛情が湛えられている。
豆蔵が現われて、マリッコになにか聞いている。マリッコが恥ずかしそうに答えている。答えを豆蔵は懐から取り出した帳面に筆で書き込んでいる。書き終わると帳面をさとみに向けて見せた。そこにはマリッコの住所と電話番号が記されていた。
「・・・先生、マリッコさんの住所と電話番号を伝えます・・・」
須藤は大急ぎで手帳を取り出し、書く用意をする。
さとみは帳面を見ながら、ゆっくりと読み上げる。
「でも・・・」須藤は書き終えると言った。「いきなり電話なんかして、大丈夫なものかな・・・」
マリッコの生霊はすうっと消えた。消え入りしなに、さとみに微笑んで見せた。
「・・・大丈夫です」さとみは言った。「マリッコさん、きっと先生からの電話を今か今かと待ってます・・・」
「そうか!」胸ポケットから携帯電話を取り出しながら須藤は言った。「色々とありがとう!」
「いえいえ、どう致しまして・・・」
さとみは一礼すると、そのまま生徒用昇降口へ向かった。
「あれ?」ふと我に返った須藤は、さとみの後ろ姿につぶやいた。「まだ授業中だぞ・・・ 綾部、どこへ行くんだ?」
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