あれから二ヶ月が経った。姫のダイエット作戦は続いていた。
姫は相変わらず平屋にこもっていた。殿の呼び出しにも応じず、腰元の松と竹にも、何時も障子戸越しに用を言いつけるだけだった。それも最小限の用を言葉少なに伝えるだけだ。コーイチも平屋を出て離れに移ってからは姫には会っていない。日に数度来てくれる松と竹に姫の様子を聞くが、二人にしても障子戸越しにしか接していないので「今日もご健勝のようでいらっしゃいます、たぶん……」としか答えようがない。そのうちコーイチが小首を傾げ、松と竹がうなずくようになった。「姫は?」「生きております」そんな暗黙の会話が成り立っていた。
そんなある日、松と竹が深刻な表情でコーイチの許を訪れた。その只ならぬ雰囲気にコーイチも緊張する。
「……どうしたんです? まさか、姫に……」
「いいえ」松が答える。「姫様は今日もご健勝のようでございます」
「それは良かった……」コーイチは安堵の息をつく。「お二人とも深刻そうなんで、ひやりとしましたよ」
「左様ですか……」松は答えるが、表情は変わらない。「ですが、喜んではおられませぬわ……」
「そうそう……」竹も表情を崩さない。「姫様よりも、大変な事が起こっているのでございますよ」
「え?」コーイチはほっとした表情を引き吊らせる。「大変な事……?」
松と竹は大きくうなずいた。二人の様子に圧倒されたコーイチも深刻な表情になった。
「姫様が此度の様な行ないに及びましたる事の責は……」松がコーイチを見つめる。「全てコーイチさんにあると殿が仰せなのです。御立腹なさっておいでです」
「それだけではございませんわ」竹もコーイチを見つめる。「姫様の此度の行いは、二人の姉姫様のお耳にも届いております。姉姫様方より相次いで急ぎの文が殿に届けられました」
「内容の仔細は分かりませぬが」松が言う。「大層な御立腹とか……」
「えええっ!」コーイチはおろおろとする。「どうしよう……」
コーイチの脳裏には、獄門磔、さらには晒し首、死体は焼かれて骨は粉々にされ、皆に踏みつけにされている様子が浮かんでいた。そして、楽しそうに踏みつけている松と竹もその中に居た。
「御家老の塚本様も」竹が言う。「コーイチさんは内田の家を潰す疫病神、直ちに何とかせねばと、これまた、ご立腹でございますわ」
「だから、ボクは姫にやめさせようと言ったじゃありませんかぁ」
「姫様は一度決めたらやり通すとお話したはずでございます。今更無理と言うものですわ。ねぇ、竹さん?」
「そうそう、そう考えますと、やはり、コーイチさんに責があると申せましょう」
「それと、今一つ……」松がすっとコーイチに顔を寄せた。「明け方、姉姫様方が城に参られました。これから、こちらへといらっしゃいます。殿と御家老も一緒でございますすわ」
「そんなぁ……」
コーイチはふらっと後ろへ倒れかかった。しかし、障子戸は開け放してあったので、コーイチを支えるものは無く、コーイチは部屋の中へと倒れて行った。どさりと音がしたが、コーイチの痛がる声はしなかった。松と竹が心配して上がり込み、大の字になって畳の上に倒れているコーイチの顔を覗き込む。コーイチは寄り目になっていた。
「コーイチさん……?」松が声をかける。「しっかりなさりまし……」
突然、コーイチは起き上がり、座り直しすと、松と竹の顔を交互に見た。
「ボク、決めました」
「何をでございます?」
「姫は覚悟を持って食断ちをしているんですよね? ならば、ボクも覚悟を決めました」
「覚悟とは……?」
「逃げずに、殿様たちと話をしてみます」
「それは見上げたお覚悟!」松は、はっしと膝を叩いた。「それでこそ男!」
「ではございますが……」竹が言う。「殿や方々の御立腹は常ならぬものがございますわ。果たして、お話し合いが出来ますものか……」
「……出来ないのですか?」
「左様に存じます」竹は小声になる。「……朝方、殿をお見かけいたしましたが、御自身の太刀の手入れをなさっておいででございました……」
「えええええっ……」コーイチの顔が青ざめる。「それじゃあ、話し合いは無理じゃないですかぁ……」
「コーイチさん!」松が強く言う。「武士ならば、一度口にした事はしっかりと果たしなさりませ! お覚悟を最後までお通しなさりませ!」
「あの……」コーイチは松を見る。「ボクは武士じゃないんですけど……」
「何を今更!」松がコーイチを叱りつける。「姫様もお覚悟を持って食断ちをなさっておいでです! 夫婦(めおと)になろうと言うコーイチさんが、そんな弱気でどうなさるのです!」
「いや、ボクは夫婦になるなんて言っていないです……」
「姫様はすっかりそのおつもりです! コーイチさん、あなたは姫様に恥をかかせますのか?」
「そう言うつもりはないですが……」
「ここで散ったとしても、わたしが姫様にお伝えいたしますわ」松は涙ぐんでいる。「『コーイチさんは姫様のお覚悟に殉じました。あっぱれであったとお褒め下さいませ』と」
「わたしも……」竹もはらはらと涙を落とす。「『立派な最期でございました』と、姫様にお伝え致しますわ……」
腰元の二人はすっかりその気になってしまっている。コーイチは困った顔でぽりぽりと頭を掻いた。
と、その時、外から声がした。
「おい、コーイチ! 出て参れ!」
殿様の声だ。
つづく
姫は相変わらず平屋にこもっていた。殿の呼び出しにも応じず、腰元の松と竹にも、何時も障子戸越しに用を言いつけるだけだった。それも最小限の用を言葉少なに伝えるだけだ。コーイチも平屋を出て離れに移ってからは姫には会っていない。日に数度来てくれる松と竹に姫の様子を聞くが、二人にしても障子戸越しにしか接していないので「今日もご健勝のようでいらっしゃいます、たぶん……」としか答えようがない。そのうちコーイチが小首を傾げ、松と竹がうなずくようになった。「姫は?」「生きております」そんな暗黙の会話が成り立っていた。
そんなある日、松と竹が深刻な表情でコーイチの許を訪れた。その只ならぬ雰囲気にコーイチも緊張する。
「……どうしたんです? まさか、姫に……」
「いいえ」松が答える。「姫様は今日もご健勝のようでございます」
「それは良かった……」コーイチは安堵の息をつく。「お二人とも深刻そうなんで、ひやりとしましたよ」
「左様ですか……」松は答えるが、表情は変わらない。「ですが、喜んではおられませぬわ……」
「そうそう……」竹も表情を崩さない。「姫様よりも、大変な事が起こっているのでございますよ」
「え?」コーイチはほっとした表情を引き吊らせる。「大変な事……?」
松と竹は大きくうなずいた。二人の様子に圧倒されたコーイチも深刻な表情になった。
「姫様が此度の様な行ないに及びましたる事の責は……」松がコーイチを見つめる。「全てコーイチさんにあると殿が仰せなのです。御立腹なさっておいでです」
「それだけではございませんわ」竹もコーイチを見つめる。「姫様の此度の行いは、二人の姉姫様のお耳にも届いております。姉姫様方より相次いで急ぎの文が殿に届けられました」
「内容の仔細は分かりませぬが」松が言う。「大層な御立腹とか……」
「えええっ!」コーイチはおろおろとする。「どうしよう……」
コーイチの脳裏には、獄門磔、さらには晒し首、死体は焼かれて骨は粉々にされ、皆に踏みつけにされている様子が浮かんでいた。そして、楽しそうに踏みつけている松と竹もその中に居た。
「御家老の塚本様も」竹が言う。「コーイチさんは内田の家を潰す疫病神、直ちに何とかせねばと、これまた、ご立腹でございますわ」
「だから、ボクは姫にやめさせようと言ったじゃありませんかぁ」
「姫様は一度決めたらやり通すとお話したはずでございます。今更無理と言うものですわ。ねぇ、竹さん?」
「そうそう、そう考えますと、やはり、コーイチさんに責があると申せましょう」
「それと、今一つ……」松がすっとコーイチに顔を寄せた。「明け方、姉姫様方が城に参られました。これから、こちらへといらっしゃいます。殿と御家老も一緒でございますすわ」
「そんなぁ……」
コーイチはふらっと後ろへ倒れかかった。しかし、障子戸は開け放してあったので、コーイチを支えるものは無く、コーイチは部屋の中へと倒れて行った。どさりと音がしたが、コーイチの痛がる声はしなかった。松と竹が心配して上がり込み、大の字になって畳の上に倒れているコーイチの顔を覗き込む。コーイチは寄り目になっていた。
「コーイチさん……?」松が声をかける。「しっかりなさりまし……」
突然、コーイチは起き上がり、座り直しすと、松と竹の顔を交互に見た。
「ボク、決めました」
「何をでございます?」
「姫は覚悟を持って食断ちをしているんですよね? ならば、ボクも覚悟を決めました」
「覚悟とは……?」
「逃げずに、殿様たちと話をしてみます」
「それは見上げたお覚悟!」松は、はっしと膝を叩いた。「それでこそ男!」
「ではございますが……」竹が言う。「殿や方々の御立腹は常ならぬものがございますわ。果たして、お話し合いが出来ますものか……」
「……出来ないのですか?」
「左様に存じます」竹は小声になる。「……朝方、殿をお見かけいたしましたが、御自身の太刀の手入れをなさっておいででございました……」
「えええええっ……」コーイチの顔が青ざめる。「それじゃあ、話し合いは無理じゃないですかぁ……」
「コーイチさん!」松が強く言う。「武士ならば、一度口にした事はしっかりと果たしなさりませ! お覚悟を最後までお通しなさりませ!」
「あの……」コーイチは松を見る。「ボクは武士じゃないんですけど……」
「何を今更!」松がコーイチを叱りつける。「姫様もお覚悟を持って食断ちをなさっておいでです! 夫婦(めおと)になろうと言うコーイチさんが、そんな弱気でどうなさるのです!」
「いや、ボクは夫婦になるなんて言っていないです……」
「姫様はすっかりそのおつもりです! コーイチさん、あなたは姫様に恥をかかせますのか?」
「そう言うつもりはないですが……」
「ここで散ったとしても、わたしが姫様にお伝えいたしますわ」松は涙ぐんでいる。「『コーイチさんは姫様のお覚悟に殉じました。あっぱれであったとお褒め下さいませ』と」
「わたしも……」竹もはらはらと涙を落とす。「『立派な最期でございました』と、姫様にお伝え致しますわ……」
腰元の二人はすっかりその気になってしまっている。コーイチは困った顔でぽりぽりと頭を掻いた。
と、その時、外から声がした。
「おい、コーイチ! 出て参れ!」
殿様の声だ。
つづく
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます