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<「早く帰ってくるのですよ『秋の日はつるべ落としに暮れる』といいますからね」とお母さまがいいました。>
国語教科書のこんな文章を小学校の教室で立って読まされたのは、もう70年も前のことです。その頃、7人家族の私の家は、深い井戸から釣瓶で水をくむ生活で、電気もガスもない北海道の小高い山中で暮らしていました。
夕方5時半ごろ家を出た時はまだ明るかったのに、スーパーで買い物をした帰りは既に暗くなっていましたので、こんな遠い昔のことを思い出していました。
それでも、薄明かりが残っていましたので、いつもの、高町池に続く緑地沿いの道を通って帰ることにしました。曲がりくねった道で、池を一巡りすると、ちょうど日課の歩数になるのと、秋の虫の声を聞きながら歩きたいと思ったからです。
しかし、大通りから逸れて細道に入ると、街灯のない道は真っ暗で、私はすぐにフェンスにぶつかってしまいました。道の一方はコンクリートの高い擁壁で小中学校と隔てられており、他方はスチールのしっかりしたフェンスで緑地と隔てられています。
スマホのライトで700メートルほど道を辿ると、高町池に着きました。しばらく水鳥が姿を消し寂しかった池に、アオサギとカモが数羽戻っていました。
心に浮かぶ「旅愁」や「故郷の廃家」などの唱歌を歌いながら誰もいない池の周りをあるいていると、亡き父母との子供の頃の生活が懐かしく思い出されました。
池の面からふと目を挙げると、池の反対側の街灯の上に綺麗な月がかかっていました。「今夜は仲秋であったか」と思った途端、兄と石塀の上に並んで月見団子を食べた夜のことが思い出されました。今は亡き兄と私は張り合う気持ちが強く心を閉ざしていたために、仲良く何かをした思い出が少ないことに心が痛み、申し訳なくおもいました。
秋は、何かにつけて、物思うことが多いようです。
認知症と診断された妻と北海道旅行をした時、55年ぶりに訪れた思い出深い初山別村立豊岬小学校も今は廃校になりました。
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