しんごの部屋2

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母・保子の入信(キリスト教)のあかし

2013年10月25日 | 日記

【※私の弟(哲朗)が編纂した、母・保子(大正6年生まれ)の自分史の中から、入信前後の記述    を抜粋しました。】

昭和41年に晋悟と共にキリスト教の教会で洗礼を受けた。この3年ほど前から武が教会へ行くようになって洗礼を受け、そのあと40年に牧師の紹介で結婚の話があったので、私も教会へ行くようになりました。聖書を学ぶうちに私の人生観は大きく変わっていきました。

 それまでずっと生活に追われ、子供達と無我夢中で働いてはいつも「こんな苦労せんならんのは義三のせいだ。働き盛りなのに、家庭を顧みず、お酒で命を落とすとは何と無責任な親だ。」と死人に鞭打っては恨んでいたのでした。


 「苦しみにあったことは、私に良いことです。これによって私はあなたのおきてを学ぶことができました。」という聖書のみ言葉を知った時に、私の目が開かれました。


 思えば島之内の商家に生まれ、奉公人たちにちやほやされて何不自由なく育てられ、本当に世間知らずの私が結婚後まるで知らなかった人生を歩いて来たのも、すべて私が人並みになるために、神様が私に与えられた訓練だとわかりました。お菓子屋をやめなければならなくなった時には「これからどうして生活していこうか」と心配したが、今にして思えば義三が店を始めてくれたために何とか食べて行けたのだし、会社勤めをしたお陰でそこそこの厚生年金を頂けるようになったのでした。そこでやっと、神さまの御手が背後にあったことに気が付きました。


 木こりやニシン場、農家の田植え、稲刈り、そして乳搾り、最も重労働だった開墾と、都会では味わえない貴重な体験をさせていただいたのは、愛するものを訓練される神様の配慮であったとしか思えません。


 そう思うと今まで母や兄弟は言うにおよばず、多くの人達に知らず知らずのうちにお世話になったことに思い至り、何か人のためになりたいと思うようになりました。伝道も出来ないような私を、神さまは用いて下さって、社長ご夫妻と、社員の方も救われて、その時の職場では皆さまに大切にしていただいて大変居心地が良かったのですが、何かに駆り立てられるような思いで河内長野の老人ホームに仕事を移りました。それから、63歳まで8年間働かせていただけました。

 

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