2024/07/19 fry
前回の章
賽は投げた
自分なりに努力してキツいトレーニングを続け、吐くほど食べて身体を大きくしてきたつもり
六本木にあった全日本プロレス事務所から戻ると、変わらずトレーニング漬けの日々を過ごす
書類選考があると全日本プロレス事務員は言っていた
もう12月に入る
あんなふざけた真似をした俺など相手にしてくれなかったのかもな……
そう思い出した矢先に一通のハガキが届く
『岩上智一郎書類選考合格』
あとは手書きで戸田スポーツセンターへ来るよう書かれていた
本当の始めの一歩を踏み始めただけ、それなのに俺は視界が滲む
次はプロテストか
俺は泣いたままベンチプレスを持ち、一心不乱にトレーニングを始めた
地元の同級生たちと酒を飲む機会が増えた
書類選考合格のハガキを見せながら報告する俺に対し、賞賛してくれる同級生
とても居心地が良かった
レスラーになると言った時、多くの人に笑われた
あとプロテストに合格すれば、俺は全日本プロレスに行けるのだ
自分を認めてくれる人間たちと時間を共有するのはとても楽しい
一つ問題があり、同級生の一人に酒乱がいた
俺より身長が10cmは高い大沢
学生時代真面目だったのが、大学へ通い、こうして酒を飲むのが楽しかったのだろうが、彼の羽目の外し方は尋常でなかった
あまりの暴れように二回に一度は警察が来たほどである
彼を力付くで制する事ができたのは俺だけだったので、必然的に飲むに呼ばれるケースは増えた
とうとうプロテスト当日
俺は戸田スポーツセンターへ向かう
何があるか分からないが、今までのすべてをありのままぶつければいい
中へ入るとプロレスラー志望の人間が20人ほどいた
まだ興行前なので、関係者以外人はまばらである
俺たちはその場で腕立て伏せの姿勢を取らされた
端から順番に十ずつ大きな掛け声で腕立て伏せをする
百、二百と回数が増える度、掛け声を出す順番が早まってきた
一人また一人と脱落する人間
五百を超えた頃、とにかく声を出しながら一心不乱に腕立て伏せをこなす
途中で肩を叩かれ、顔を上げると「おまえだけ合格だ」と言われた
「馬場社長に会いたいか?」
そう言ってレスラーの渕さんは笑った
テレビでしか見た事がない超有名人
俺なりにプロレスに対し、様々な想いがあった
それらを全部ぶつけよう
部屋へ通されると、目の前にあのジャイアント馬場社長が脚を組んだまま座っていた
言いたい事、伝えたい事が一杯あったはずなのに、頭が真っ白になり、無言のまま立ち尽くす
これだけ威圧感のある人間と会った事がなかった
どのくらい時間が流れたのだろう
「やる気はあるかね？」
馬場社長は口を開く
どこか夢の中にいるような気分のまま、必死に根底から絞り出すよう「はいっ！」と答えるのがやっとだった
「せっかくだから試合観ていくか？」
渕さんからそう言われ、これからビデオテープやテレビで見たジャンボ鶴田や三沢光晴を見れるのかと思った
しかしプロテストに合格し、馬場社長と会え、一言とはいえ話せた現実
この喜びをこの感動を早く地元へ戻り、みんなへ伝えたかった
丁重に断り、12月末たまプラーザにある全日本プロレスの合宿所へ来るよう言われると、戸田スポーツセンターをあとにする
まず家へ戻り、祖父、父親の妹であるおばさん、真ん中の弟である徹也が居たので結果を報告
祖父は俺がこれで有頂天にならぬよう釘を刺した
弟の徹也は凄い喜びようである
まさかあの時見せた一本のビデオテープからここまでこうなるとは思っていなかったのだろう
おばさんは「私の行っているプールはインターハイ選手がゴロゴロいる」と俺の全日本プロレス合格をまるで祝福する気がない
学生時代からずっと拗れた関係者のままであるおばさん
この人と、まともな会話を望んではいけないのかもしれない
夜になると同級生たちを呼んで飲み明かす
ここ一年間ずっと努力し突っ走ってきた一つの結果
誰もが喜んでくれた
酒乱である大沢が悪酔いし、店から通報を受けた警察が駆け付ける一面があったが、それさえ除けば楽しい時間を過ごせた
年末の合宿へ向け、日々身体の鍛錬をこなす
幼少の頃からずっと強さを目指してきたのだ
まだ途中であるにせよトントン拍子に進んでいるのが怖いくらいである
このまま身体を大きくしたところで、俺には何のバックボーンも無かった
柔道も知らなければ、レスリングも知らない
プロレスラーの中に入れば体重も軽く身長だって低いほうになる
これだという自分の必殺技が欲しかった
トレーニングしながらも、何が一番自身にとって合う技なのかを常に考えるようになる
服のボタンが取れ、自分で裁縫していた時うっかり針が指に刺さった
大して力も入れていないのに先端が細ければ細いほど、一点に力は集中する
打撃の形は様々
頭の中でちょっとした閃きがあった
腕立て伏せの姿勢で、指先だけで支えてみる
ただの指立て伏せだ
小指から一本ずつ離し、最終的に両親指の二本で身体を支える
逆に親指だけ離し、残りの四本指で腕立て伏せをしようとするとできない
つまり親指一本のほうが、他の四本指より強度があるのだ
親指を鍛え、そこから繰り出す打撃
真っ直ぐストレートに放つのでなく、真横から繰り出す奇妙な技
相手と密着した際なら、至近距離で真横からできる
段ボールを用意し、それを対戦相手に見立て真横からの打撃をしてみた
少しの距離で段ボールに開く穴
俺はこの打撃を打突と名付けた
この日よりトレーニングの中に親指の鍛錬も入れる
親指立て伏せ
鉄の柱に親指を何度も打ち付けた
バケツに小石を集め、そこへ親指を何度も突き刺す
爪は何度も割れ、常に傷だらけだった
だがこれでいい
俺の必殺の打撃技である打突が、こうして日々強靭にまた恐ろしい威力になっていくのだ
全日本プロレス合宿数日前
行くとしばらくは向こうに住むようになるから、祝賀会も兼ねて飲もうと同級生たちから誘われた
祝ってくれる気持ちは素直に嬉しい
これから過酷な環境へ身を置くわけだし、少しくらい楽しんでもいいだろう
激励する同級生たち
その横で焼酎のボトルをラッパ飲みする大沢
目が据わり酒乱に切り替わる兆候が出ていた
案の定大沢は店内にいた女性客に絡み出し、嫌がると強引に抱きつき胸を触りだす
俺が引き剥がし女性客へ謝っていると大沢は外へ飛び出した
追い掛けると道端で三人組の男たちへ絡んでいる
慌てて間に入り謝罪した
大沢は奇声を発しながら道路へ飛び出す
先方に柄の悪いヤクザ者十数名が飲み屋のビルから出てくる
その一人に向かって大沢は突進して肩を掴み、ガラスの壁へ思い切り突き飛ばした
割れるガラスの壁
他のヤクザ者たちは突然の暴行に対し怒り狂う
十数名が大沢を殴り蹴っ飛ばした
もちろん悪いのは悪酔いした大沢である
しかしヤクザ者たちはやり過ぎだ
俺は止めに入った
こちらが手を出していないのに殴り掛かってくるヤクザ
仕方なく足払いを掛け、大沢から一人ずつ引き離す
五分もしない内にけたたましいサイレンを鳴らしながらパトカーが到着
必死に言い訳をしても手錠を掛けられ警察署へ連行された
取調室で事の発端から捕まるまでを冷静に話し、手は出していない事を懸命に説明する俺
隣の取調室では大沢が大声で喚きながら暴れている
酒が入っているので俺の話をまるで信用しない警察
職業はと聞かれ、これから全日本プロレスへ所属する事を正直に伝え、プロ意識があるから手は出していないと説明した
しばらく一人で待たされる俺
隣では変わらず大沢が暴れていた
警官から手渡された電話
誰に電話したんだ？と思いながら出るとジャイアント馬場社長だった
必死に状況を説明する
しかし馬場社長はうちには来ないでいいと言う冷たい処置だった
こんな事で今まで頑張ってきたものが崩壊？
頭が真っ白になり、しばらく放心状態だった
大沢が騒ぎ、怒鳴りながら制する警察の声で我に返る
あの馬鹿のせいですべてが台無しになった
俺は隣の取調室へ向かおうとすると、数名の警官が止めてくる
邪魔なので数名の警官を跳ね除けた
大沢が俺の姿に気付くと「岩やん、あいつらやりに行こうぜ」と大声を出す
俺は近くにいた警官を突き飛ばし、大沢の顔面に思いきり拳を叩き込んだ
続き ↓
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます