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2024/11/30 sta
前回の章
仕事が終わると執筆モード。
金にはなっていないが、それでも楽しかった。
望との逢瀬。
家に住んではいるが、家族との交流はおじいちゃん以外避ける。
気の合う人たちだけと、付き合っていけばいい。
シンプルに…、よりシンプルに生きよう。
群馬の先生が試練がこれから色々なんて言っていたけど、俺がこうやっていれば、災いなど無縁で済むのだ。
加賀屋のおばさんの感想を聞きに行く。
俺の顔見るなり大笑いしながら『本当あなたって面白いのねー』と言いながら本を返してきた。
ひょっとしていけるんじゃないの?
まあまだ各章ずつしか書いていないのだ。
完結すらしていないのに気が早過ぎる。
俺は部屋に戻り『パパンとママン』を開く。
第九章《同級生》
今日のメニューの仕込みをしている途中で、入口の扉が開く。
僕は慌てて入口へ向かった。
たまにこうして時間が分からず、早めに来てしまうお客さんもいる。
「お客さん、すみません。うち、昼からの営業なんですよ」
「おいおい、何を言っているのだね、君は……」
「え?」
僕はお客さんの顔をまじまじ見つめた。
あれ、ひょっとして……。
「ランバラル!」
いつの間にか興奮して叫んでいた僕。
目の前には、小学時代からの同級生である武田五郎こと、ランバラルが立っていた。
何故、こんな仇名がついたかと言うと、クラスの女の子に向かって縄跳びでビシビシいつも引っ叩いていたからだ。
その時、「ザクとは違うのだよ、ザクとは……」と、アニメのキャラクターの真似をしながら縄跳びで引っ叩いたもんだから、そのままそのキャラクターの名前が仇名になったのだ。
彼はクラスでも乱暴者として、女の子から非常に嫌われていた。
彼の縄跳びのトラウマで、大きくなってSMに目覚めた子もいるかもしれないという噂も聞いた事がある。
でも、不思議と僕には親切だったのだ。
確か高校を卒業して、北海道の自衛隊へ行っていたはずだけど……。
「久しぶりだな、努」
「うん、久しぶり」
「ちょっと中へ入れてもらうぞ。コーラでもご馳走になろうかな」
そう言ってランバラルは、強引に店の中へ入っていく。
ちょうどママンが厨房で仕込みをしている時だったので、ランバラルはカウンター席に腰掛け声を掛けた。
「おばちゃん、久しぶりー」
一瞬だけランバラルを見ると、ママンは無視してキャベツの千切りを始めた。
ママンは『おばちゃん』と呼ばれるのが大嫌いなのだ。
「ランバラル、駄目だよ。お姉さんって言わないと……」
僕がこっそり彼の耳元で囁く。
「相変わらずだな。努の母ちゃんはよ」
「早く言わないと、酷い目に遭わされるって」
「そ、そうだな…。努君のお姉さ~ん、いつ見ても若々しいですね」
ママンの包丁を持つ手が、ピタリと止まる。
「あら、誰かと思えば五郎じゃないの。あんた、北海道へ行ったんじゃなかったの?」
若いとか、お姉さんという言葉に弱いママン。
「ええ、そうなんですけど、今度地元の同窓会があるんで急遽帰ってきたんですよ」
「えー、僕、地元なのに全然聞いてないよ?」
「おまえは昔から、みんなの嫌われ者だったからだよ」
それはおまえだろうが……。
こいつ、ランバラルだけには言われたくない台詞である……。
「五郎、コーラでも飲む?」
お姉さんと呼ばれたママンの機嫌はすごぶるいい。
「もういい加減下の名前で呼ぶのやめて下さいよ。恥ずかしいっすよ」
ランバラルは僕と同じ一人っ子だが、何故か五郎という名前だった。
噂によると、ランバラルのお母さんが大の『野口五郎』ファンだったという意見もある。
「ランバラル、その同窓会っていつにやるの?」
「今週の日曜日だよ。どうせ努には声が掛かってないと思ったから、俺様がわざわざ伝えに来たんだよ。今日はおまえ、何時頃に仕事終わる?」
「ん~、夜の八時半ぐらいかな?」
「じゃあ、その頃また来るよ」
「分かった」
ママンの出したコーラを一気飲みすると、ランバラルは颯爽と消えていった。
今日のうちのメニューは、比較的まともだった。
『焼肉定食宮のたれ風味』。
これはママンがよく外食に行く『ステーキ宮』のたれがスーパーに売っていたのを見つけ購入してきたらしい。
その『宮のたれ』を使って作る焼肉定食。
でも、これってただのパクリじゃないのか……。
『餃子とメンチカツセット(ライス付き)』。
餃子六つとメンチカツが一緒になったお得感あるふれるセットらしいが、何故この組み合わせなのだろう。
味噌汁は何故かなし……。
『コロッケ&ナポリタン、ライスは別』。
これも何でこんな組合せなのか分からない。
しかも何故これだけライスは別なんだろうか?
まあ餃子とメンチカツよりは相性がいいだろう。
でも若干一名が、匂いを嗅ぎつけてきそうで嫌だ。
「どう、今日の料理は?」
ママンは鼻の穴を膨らませながら興奮して胸を張る。
「どうって言われても……」
「庶民チックにあふれている心優しいエコロジーだと思わない?」
「う~ん、僕にはよく分からないよ。それよりお客さんでさ、メンチの代わりにコロッケほしいとか言われた場合、チェンジしちゃっていいんでしょ?」
「駄目よ、そんな反則は」
「え、反則って別にお客さんの好みに出来る限り沿ってあげたいなあと……」
ママンの目つきが険しくなる。
「あのね、あんたがそうやって客を甘やかそうとする方針だから、売上がいまいちなの。その辺お分かり?」
「そんな事ないじゃないかよ。だっていつもママンの作る料理、だいたい残るの二、三人前ぐらいじゃないか」
「お黙り、セニョリータ。現実にそれだけ余っているでしょ? 私がやれば仕込んだ分なんて、あっという間に足りなくなっちゃうわよ」
「こっちだって苦労をしてんだ。それをそんな簡単に言わないでくれよ」
僕だって必死に客へ対応して一人で頑張ってきているのだ。
料理だけ作って、とっとと二階でくつろぐママンより頑張っている。
「簡単に言っちゃうわよ。だってママンが本気になれば、努なんて太刀打ちできやしないもの」
妙に今日のママンは挑発的だ。
「じゃあママンが今日は、一人でやってみればいいじゃないか?」
つい感情的になり出た台詞。
「ふ~ん、いいわよ。今日はママンのお手並みを見せてあげるわよ。努はパパンと一緒にやる時みたいに、ホールで水でも汲んでなさい」
「ああ、そうするよ。それで見せてもらうよ、ママンの腕前ってやつをね」
こうしてママンが厨房で料理、僕はホールでサービスという初の図式が完成した。
お昼十二時ピッタリにのれんを出そうと外へ出ると、僕は言葉を失った。
いつもならパラパラとしか来ない客が、うちの前で列を作っている。
「まだよ、努。まだ開けちゃ駄目」
ママンが厨房から声を掛けてくる。
僕は一旦店内へ戻るが、意味が分からない。
「何で?」
「こういうのはね。客の心理をもっと煽らないといけないの。今日のママンは本気モードだから、出し惜しみなしよ」
「だって外で待っているお客さん、みんなお腹減ってんでしょ? 早く開けないと可哀相じゃないか」
「相変わらずあんたはお馬鹿ね」
「お馬鹿って言うな! おをつけるともの凄い馬鹿みたいじゃないか」
「だってお馬鹿じゃないの。いい加減、私の言う事に従順になりなさい。言われた通りに動いていれば失敗しないんだから」
「じゃあどうしろって言うんだよ」
「努はとりあえず二階へ行って、あんたの好きなオナニーしてていいわ」
「『えー!』っていうか、何で僕がオナニーしなきゃいけないんだよ?」
「毎晩こそこそ日課のようにしているじゃないの」
「さ、最低だぞ、ママン!」
夫婦揃って息子のプライバシーを侵害しやがって……。
「細かい事言ってないで、さ、早く二階へ行きなさい」
「ちぇ……」
仕方なく僕は自分の部屋へ行く。
それにしても何で今日に限ってあんなお客さんが外で行列をしているんだろう?
気になって窓から眺めてみる。
「うわっ」
思わず声が出てしまうぐらいの行列。
うちの店からあの忌々しい因縁の店である『兄弟』まで列は続いていた。
何十人いるんだ?
うちは全部で十八席しかないから、こんな人数なんて捌けないぞ?
急にドアが開く。ママンが入口に立っていた。
「何をしてんの、努。さっさとオナニーしなさいよ。じゃないとお店開けないわよ」
「そんな無茶な」
「無茶じゃないの。これも私の計算上なんだから、あんたがオナニーしないと困るのよ」
言っている事がメチャクチャだ。
息子にオナニーを強要する母親なんて、この壮大で広い世界でもママンぐらいだろう。
「もう、じゃあ向こう行ってよ」
「あらあら照れちゃって、まったく。はいはい、まったくしょうがないわね」
ママンが部屋から出ていくのを確認すると、僕は布団の上に横になった。
誰がオナニーなんかするもんか。
冗談じゃない。
特にやる事もなく横になっていると、自然と眠くなる。
僕はそのまま目を閉じ寝てしまった。
ふと目を覚まし時計を見ると、二時半になっていた。
マズい……。
僕は慌てて階段を駆け下りる。
お客さんを十二時から待たせたままなのだ。
しかし下からは人のいる気配がない。
「あれ? ママン?」
「なーに?」
ママンは呑気にコーヒーを飲んでいた。
しかもカップを持つ際、小指が立っている。
「何をしてんの? お客さん、ずっと外に待たせているじゃないかよ」
「だってあなた、まだオナニーしてないでしょ?」
「し、したよ…。だから早く開けようよ? お客さんが可哀相だよ」
しょうがなく僕は嘘をついた。
「そう、じゃあそろそろ開けましょうか」
良かった。
ママンは僕の嘘に気付かないようだ。
でもママンは何でこんなのんびりしているんだろう。
急いで僕はのれんを外へ出しに行く。
「おせーよ、この小坊主!」
「十二時からじゃねえのか、おらっ」
「何を考えているんだ、クソガキ!」
ヤバい。
みんな殺気立っている。
腹が減ると、どうしても人間気が短くなるものだ。
だから早く時間通りに店を開ければいいのに……。
「すみません、すみません……」
僕は平謝りしながら、のれんを出した。
いつもなら十二時開店なのに、二時間半も待たせたのだ。
そりゃあ誰だって怒るだろう。
ん、待てよ……。
みんな二時間半も、うちの料理を食べる為に待っていたのか?
店を開けると、空腹のお客さんたちは雪崩のように店内へ入り込む。
僕も慌てて戻ると、ママンが珍しくホールに出ていた。
「はーい、料理はすぐにできてますよー。みなさん、『焼肉定食宮のたれ風味』を注文する方はこちらの席へ、『餃子とメンチカツセット』の方はこちらへ、『コロッケ&ナポリタン』を頼む人はカウンターへ座ってちょうだい」
そう言うと、ママンはお尻を必要以上にプリプリと振り出した。
お客さんたちの視線はママンのお尻に釘付けだ。
「うぉー、俺はコロッケとナポリタン!」
「俺は焼肉だぁー!」
「俺っちは餃子とメンチだぁ~!」
何故かお客さんのテンションが妙に高い。
「努、みなさんにお冷お出しして。それと各メニュー何個ずつかまとめといてね」
「う、うん……」
僕は人数分の水を汲み、各席へ配りだした。
只今五時半……。
嵐のような忙しさからようやく一息つける。
恐るべしはママンである。
二時半からたった三時間で、僕一人でやる一日分の売上を作ってしまったのだ。
「どう、努?」
「ま、まいりました……」
本当に自分で言った通りにしちゃうんだから、何も言えやしない。
「今日の余波は、多分明日にも影響するわ。努、明日は気合い入れるようよ?」
「ねえ、そういえばさ。何でママン、あんなにお客さんが集まったの?」
開店前のあの行列は異様だった。
それだけじゃなく、次から次へとやってくるお客さんが不思議でしょうがない。
「ん、それはね。ママンが今日はお店をやりますって、外に貼り紙したからでしょ?」
「え、どこに?」
「店の壁に貼っておいたのよ」
「ちょっと見てくる」
いつの間にそんな貼り紙を貼ったんだ?
だけど、それだけじゃあの店の混みようはいまいち納得がいかない。
「あ、努。もうこれ以上忙しくなりたくないし、見るついでに外の貼り紙剥がしといて」
「分かった」
外へ出ると、本当に貼り紙が貼ってある。
『本日はママンがお店に出ます』としか書いていない。
それであの行列?
ありえないだろ……。
僕は貼り紙を剥がして店へ戻った。
「今日は疲れちゃったから、お店もう閉めちゃおうか?」
「え、でも常連さんに悪くない?」
「いいのいいの。このミス上智だった私がそう決めるんだから、誰にも文句言わせないわ」
「え、ママンって上智大学出ていたの?」
「そうよ。別にこの物語を書いている岩上智一郎の名前から取った訳じゃないのよ?」
「別に誰もそんな事聞いてないよ」
「さあさあ、もう親子のお話はおしまい。私は疲れたから上に行って横になるわ」
確かに三時間で百人以上の料理を一気に捌いたのだ。
疲労はかなりのもんだろう。
僕はのれんをしまい、店の後片づけを始めた。
僕だけじゃ、『目玉焼きセット』しか作れないんだから、今日はもうおしまいだ。
思ったより早めに店を閉められたので暇を持て余す。
今日仕事終わったら、同級生のランバラルと会う約束をしていたし、少し早いけど僕は彼に連絡をしてみた。
嫌われ者のランバラルは、地元へ久しぶりに帰ってきたというのに遊んでくれる友達がいなかったらしく、家でガーガー寝ていたそうだ。
「せっかく帰ってきたんだから、他の同級生とも会えばいいのに」
「何か知らないけどさ、俺が電話しても『いない』って親が言うんだよ。居留守使ってんじゃねえかなと思ってさ」
「う~ん」
絶対に居留守だろうと言いたかったが、あえて言うのはやめておく。
「俺様がわざわざ電話してやったというのにな」
ランバラルは自分を特別扱いする自分大好き人間である。
「縄跳びで叩かれたのをきっと未だ根に持っているんだよ」
「今はさすがにやる訳ないだろ。まあいい、これから努、うちまで車で迎えに来てよ。もう仕事終わったんでしょ?」
「うん、じゃあ準備してそっちへ向かうよ」
僕はママンに車を借り、ランバラルの家へ向かった。
小学時代の同級生なので、歩いて十分の距離だからすぐに到着する。
ランバラルは助手席に飛び乗り、元気よく「出発進行!!」と大声を出した。
街中をドライブしていると、夕方なので仕事帰りのOLがいっぱい歩いている。
ランバラルは、食い入るようにOLを眺めブツブツ独り言を言っている。
「あれはドムだ。あれも中ドムだ……」
「ねえ、何? ドムって?」
「ああ、ブスって意味合いだ。正直に言うと傷つくだろ? だから俺様はあえて中ドムとかドムって言い方をして気遣っているんだよ」
「……」
何て勝手な言い草だろう。
僕は黙って聞くだけにしておいた。
「今週の同窓会、楽しみだな」
「何時からだっけ?」
「夕方六時から。場所は『月の石』ってスナック」
「えー!」
僕はビックリして大声を出してしまう。
『月の石』といえば、あのパイナポーのいる店じゃないか。
先日うちの定食屋へ来て僕に告白して以来会っていない。
あの時は店内にいたお客さんが一緒に引き剥がしてくれたから助かったけど、あの物の怪のいる店に今度は自分から行くというのか?
できれば顔を合わせたくなかったのに……。
「何でもさ、『生徒会長』っていたろ? あいつがあの店の子にハマっているらしくてよ。しかもあいつが幹事だからな」
「で、でもさ、女の子は入りづらいんじゃないかな?」
「何か知らんけど、『豆タン子』しか女は来ないらしいぞ」
「えー、何か嫌だなあ~」
中学の卒業式の時、僕に「好きです」と告白してきた女の子だった。
タイプじゃなかったのでさり気なく断ると、「好きッちゃあ~」と強引に抱きつかれ、僕は全治一ヶ月の大怪我をしたのだ。
豆タン子というあだ名は伊達じゃない。
恐るべき怪力のチビ女。
抱き疲れた拍子に全身の骨がきしみ、下手したら複雑骨折でこの世にはいなかったかもしれないのだ。
あの時、ランバラルが近くにいて「ザクとは違うのだよ、ザクとは……」と、縄跳びでバシバシと豆タン子を引っ叩いて止めてくれたからこそ、全治一ヶ月で済んだのである。
「まあ、豆タン子がまだおまえの事を忘れていないようなら、俺がこの鞭でまた引っ叩いて止めてやるよ」
そう言いながらランバラルは腰に差してあった縄跳びを目の前に出し、ニヤリとした。
十八歳にもなって常に縄跳びを持ち歩く男ランバラル。
恐るべしだ。
行く目的地もなく適当にドライブをしていると、ランバラルが大きな声をあげた。
「ん、どうしたの?」
「ほら、努。あそこ見てみろよ」
彼の指差す方向を見ると、自転車に乗った一人の男の姿が見える。
「あれ、あれって……」
僕たちの同級生、桶屋のジュンだった。
十八歳にもなって、未だ補助付き自転車に乗る男である。
キコキコと一生懸命に自転車を漕いでいるが、補充つきなのでそんなスピードは出ていない。
通り過ぎる人々は、そんな彼を振り返り吹き出している。
それを本人はまったく気付かないぐらい真剣に漕いでいた。
「ちょっと停めてくれ」
車を停めると、ランバラルは素早い動きで降りた。
何をするつもりなんだろう?
「ギャハハハ、桶屋のジュン。久しぶりだな~」
そう叫びながら腰の縄跳びを抜き、振り回りしながらジュンに近づくランバラル。
焦った桶屋のジュンは、慌ててユーターンをしようとしたが自転車ごと倒れてしまった。
「おまえ、まだ満足に自転車も乗れないのかー」
ランバラルは倒れた状態の桶屋のジュンへ、容赦なく縄跳びを浴びせる。
縄跳びを鞭代わりに打たれているのだから、彼にとって堪らないだろう。
「ワハハ、ザクとは違うのだよ、ザクとは! ギャハハハッ」
昔からこのような理不尽な光景を目の当たりにしているが、何故僕には絶対に攻撃しないのだろう。
その部分はいくら考えても分からなかった。
以前ランバラルにその事を聞いた事がある。
彼は答えない代わりに寂しそうな笑みを浮かべただけだった。
「やめてやめてっ!」
ジュンの悲痛な叫び声が聞こえる。
一分ほど彼を引っ叩いてランバラルは飽きたのか、僕の車へ戻ってきた。
「ちょっと酷くない?」
「いいんだよ、あいつはあれで」
昔からこの図式は変わらない。
いつもおどおどしていたジュンは、ランバラルにとって絶好の苛め相手だったのだ。
多分これで、桶屋のジュンは今週の同窓会へ来ない事は確定だろう。
車を発進させながら、僕はバックミラーで道路に横たわるジュンを見た。
哀れに感じ介抱へ向かいたがったが、今はランバラルを彼から引き離すほうが先決である。
しばらく車を流していると、ランバラルが口を開く。
「なあ、努さ。お願いがあるんだけど」
嫌な予感がした……。
「な、何だい?」
たまには車の運転をしたいとランバラルが言ってきた。
免許を取ってほとんどペーパードライバーの彼に家の車を運転させるのは正直嫌だ。
「これ、僕の車じゃないからさ」
「ちょっとだけ俺様に運転させろよ」
出た。
ランバラルのわがまま。
この男、こうなると自分の思い通りにしないと気が済まなくなるのだ。
「だって事故ったりしたらどうするの?」
「ん、保険入ってんだろ?」
別にこいつの為に、うちは車両保険に入って入る訳じゃないのに……。
「……」
いつもランバラルはこうマイペースだから、みんなに嫌われるんだ。
多分、今回の同窓会で女子が豆タン子一人しか来ないのも、ランバラルが出席するから来ないのだろう。
そういう僕は、何でこんな男とプライベートを一緒にいる?
「頼むよー、努。でも、駄目なら駄目でいいよ」
あれ、案外簡単に引き下がったな。
「うん、ごめんね。うちの車だからさ…、あっ!」
狭い車内の中、ランバラルは腰から縄跳びを取り出し、僕に向かって構えだした。
「分かった。分かったから! 運転変わるよ、ね?」
「初めからそう素直になればいいものを…。ほれ、さっさと停めろ」
仕方なく僕は車を停止させる。
こいつは昔からこうだから、みんなに嫌われるんだ。
ランバラルは上機嫌で運転席へ座ると、アクセルをベタ踏みして急発進させた。
「お、おい、ランバラルってば……」
すごいスピードで車を運転させるランバラル。
「グフフ…、ザクとは違うのだよ、ザクとは……」
ヤバい。
この男の目はすでにいっている。
「うちの車はザクとは関係ないって! スピード違反で捕まっちゃうよ~!」
「グフフ……」
よく車に乗ると人が変わる人間がいるが、ランバラルの場合、元がヤバいのにさらに人が変わったようにヤバさが増している。
「あーっ! 前々、信号赤だってばぁ~!」
このままじゃぶつかる。
ぶつかってしまう……。
「むぅ、ニュータイプか?」
慌てて急ブレーキをするランバラル。
それでもなかなか車は止まらない。
ドカンッ!
派手な音を立て、僕たちは前で信号待ちをしていた車へ突っ込んだ。
あ~、言わんこっちゃない……。
幸い急ブレーキでほとんど勢いのなくなったところだったので、ぶつかっても大した衝撃はなかった。
でもどう見てもこちらが悪い事故である。
帰ったらママンに何て言い訳をしたらいいんだ……。
ランバラルはすぐ車から飛び出し、ぶつけた車のほうへ向かう。
何やら運転手と窓口で話をしているようだが……。
「おら、何でキサマ、俺様が走っているのに止まってやがるんだ?」
げ、何てムチャクチャな台詞を吐くんだ……。
「だ、だって信号赤じゃないですか?」
「あー? 何を言い訳こいてんじゃ、おら」
「ひ、ひぃ~」
胸倉を掴みながら運転手を引きずり出すランバラル。
マズい、これじゃ別の罪も重なってしまう。
僕も慌てて車から降り、彼を止めに行った。
「や、やめなよ、ランバラル!」
「どけ、努! こいつはな、俺様が走っているのに邪魔をするような奴だ。情けなどいらんのだよ」
「何を言ってんだよ? やめなって」
被害者側の運転手は、今にも泣き出しそうな表情だった。
後部座席には小さな女の子が心配そうに父親を見つめている。
胸の辺りに『田中』という名札がついていた。
「何でとっとと走らんのかい!」
「やめなって、ランバラル!」
その時後ろの席で座る女の子が、わざわざ外へ出てきて大声で言葉を発した。
「おとーたん、怖い。おしっこ漏れちゃう。おしっこ漏れちゃう」
娘はそう言いながら、両手で股間を押さえながら足をバタバタしている。
「ひ、ひぃ~」
このオヤジも自分の娘が怖がって怯えているのに、何が「ひぃ~」なんだ?
もっとしっかりしろと言いたい。
まあ全面的に悪いのはこちらだ。
結局僕は間に入り、ひたする平謝りした。
被害者である相手の『田中親子』の連絡先を聞き、ランバラルがいると話にならないので、後日連絡をする事になった。
問題はうちに帰って、ママンへ何て説明すればいいかだ。
普段あまり怒る事のないママンだが、べっこりへこんだ車を見て何て言うか……。
「ランバラルも一緒に、うちのママンに謝っておくれよ?」
「ああ、自分のしでかした事だからな。敵に背を見せるような真似はせんよ」
「別にママンは敵じゃないから」
自分で事故を起こしておいて、えばった口調のランバラル。
まあこんな男に運転を任せた僕にも責任はある。
家に到着し、入口のドアを開けると、ママンが珍しくカウンター席に座って新聞を読んでいた。
「あ、ママン、ただいま……」
「あら、おかえりなさい。ん、五郎も一緒なんだ」
僕とランバラルはママンの目の前まで来て、潔く深々と頭を下げ事情を話した。
ママンは真剣な眼差しで僕の話を聞いてくれる。
「…って事は、五郎がカマを掘ったという事ね?」
「は、はい…。そうです。ごめんなさい」
さすがのランバラルも、うちのママンには頭が何故か上がらないらしい。
神妙な顔つきで謝るだけだった。
「両手を指の先までピンと伸ばしなさい」
ママンはゆっくり立ち上がりながら、静かに口を開いた。
「は、はい……」
「ごめんで済んだら、警察なんかいらないんだよ?」
「はい、分かってます」
どうやら事の責任はランバラルにあると分かり、照準を彼に絞ったようだ。
「歯を食い縛りなさい」
「は、はい……」
「ちょいさーっ!」
「うぎゃっ!」
掛け声と共に華麗なるママンの飛び回し蹴りが、ランバラルの顔にヒットした。
溜まらず倒れた彼の胸倉をつかむと、「ちゃんと修理代は自分で弁償するんだぞ?」と低い声で言った。
「はい、分かりました。すみません……」
「バックレたら、私が五郎を地の果てまで追い駆けて酷い目に遭わせるからね。あんたが中学の頃、私の干してあったパンティーを盗んだ時の事を思い出してごらん。あの時よりも酷い事するわよ?」
「はい、分かっています…。バックレたりなんて絶対にしません……」
何故あれだけ理不尽なランバラルが、昔から僕を苛めなかったのかが少しだけ分かった気がした。
こうして彼はうちの店で誓約書を書かされ、十八にして借金生活に突入する事となった。
このペースでいけば、いくらでも俺は作品を書けるな。
遅番の仕事中、彩色をしていても頭の中は小説の事を考えていた。
休憩を取り、タバコを吸いに行く。
火をつけて携帯電話を開くと、メールが一通届いている。
中身を見て驚いた。
『深夜中々寝付けなくて、ドライブをしています。智さんの事を考えていたら、気付けば狭山の方向へ向かっていて、今ちょうど大日本印刷の近くを走っていました。ここで智さんが働いているんだあって思いながら。 宮下望』
時間を確認する。
まだ五分前のメール。
すぐ近くに望がいる……。
俺は居ても立っても居られなくなる。
どうする?
考えるまでもなく決まっている。
俺はA班の班長のところへ向かい「すみません、ちょっと親戚の叔父さんが急に倒れてしまいまして」と嘘をついて会社を早退した。
罪悪感よりも性欲が勝ってしまう。
すぐ望へ電話を掛ける。
「あれ、智さん。仕事中じゃ……」
「仕事中だったよ。でも望が今近くにいるなんて言うもんだから……」
「え…、本当に近くに来たからメールしてみただけなんですよ」
「早退しちゃったよ。望に会いたくて」
「まだ…、実は近くにいます。場所を言ってくれれば車で行きます」
こうして俺と望の不倫は、歯止めが本当に効かなくなりつつあった。
ホテルへ着くなり、自分から跨る望。
前はもっと恥じらいがあり、完全に寝ているだけの受け身だった。
彼女は俺とのセックスで、性欲にとり憑かれているように見えた。
「望、待って。まだ仕事終わりで手が汚れているから先に洗わせて……」
喋っている途中、俺の口をキスで塞ぐ望。
会う度大胆になっている。
「今日安全日だから、中へ出して……」
さすがに戸惑う俺。
何度も数え切れないほど抱いたが、望は人妻なのだ。
彼女は俺との逢瀬をどう考えているのだろう。
始めは二人きりで食事から。
この関係へ持ち込んだのは俺。
今では望のほうが積極的なくらいである。
「大丈夫だから…。お願い。智さんのが欲しい……」
最悪できたら俺もこんな状況の生活だけど、覚悟を決めよう……。
課長に頭を下げて、社員にしてもらえれば少なくとも生活は安定する。
俺は望の中へ射精した。
同僚の二十二歳の浅野。
彼の急な休みがより目立つようになった。
遅刻も多い。
仕事量の負担が増えるので、さすがに注意すると「腰が痛くて」と言い訳をする。
次の出勤日も急な欠勤の連絡があったので、理由を聞くと「腰がどんどん悪くなってて。どこかにいい接骨院とかないですかね?」と惚けていた。
「俺はここに来る前整体を開業していたから、今すぐ出て来な。俺が腰なんて一発で治すから」と答えると「分かりました」と答えながら、この日を境に仕事へ来なくなる。
元々やる気の無い人間だったので、俺は派遣会社へ連絡し至急欠員の補充をお願いした。
「入り次第何とかしますけど、人がいないんですよね。それまでうまくやって下さい」
しばらく待っても、人が補充される事は無かった。
単純に一人欠員の穴を埋めるのに、俺と石川の仕事は純粋に一・五倍になってしまう。
彩色の仕事は数値を合わせる精度が命。
手抜きをする事もできないし、焦ると却って効率が悪くなる。
しかし最低でも各班が刷る印刷物より前に、インクの調合を済まさなければならない。
今までなら三人でやれば、結構な余裕があった。
たかが一人分の穴とはいえ、最悪俺たち二人が休みを取らず、早番と遅番の二手に分かれてやらないと厳しい状況である。
引き継ぎ時顔を合わせる度、石川の愚痴が酷くなった。
浅野の携帯電話へ駄目元で掛けてみる。
しかし彼が電話に出る事は無かった。
望から神父の旦那に、関係がバレたかもしれないと、メールで連絡があった。
下手に俺から連絡するのもできない状況になり、望からの連絡を待つ事しかできない。
群馬の先生が言っていた試練?
いや、これは駄目な事と分かっていながらズルズル関係を続けてしまった自身の愚かさが招いた種である。
望の話だと完全に不倫とバレた訳ではなく、彼女が自分以外の男性へ心を奪われた事に対し、激しいショックを受けたらしい。
しばらくお互い連絡は取らず、何かある時は望から。
俺に迷惑を掛けるような事はしない。
そう言って望からの連絡は途絶えた。
お互いのブログを見守りながらしか、接点が無くなる。
仕事では浅野の離脱による仕事量の増加。
プライベートではあれだけ求め合った望との離別。
嫌でもマズい方向へ流れが変わったのを理解する。
本当にまた、何かしらの試練が始まるのか?
先の事を考えると、暗雲が渦巻いているような気がした。
いつまで経っても補充して来ない派遣会社。
ほとんど休み無しで仕事をこなす中、石川がとうとう音を上げる。
これまで何とか励ましながらやってきたが、彼にとって現状は限界だったようだ。
別の仕事を探しますと言う石川。
俺の部署も、一人ではさすがに無理がある。
派遣会社へ連絡し、この酷い現状を訴えた。
しかし現場をまったく知らない職員は、まるで危機感が無い。
大日本印刷へ俺を派遣した会社の評価を落とさないよう俺は日々様々なものを犠牲にしながら頑張っている。
同僚の石川にしてもそうだ。
そこを伝えると「岩上さん、そこまで頑張らなくてもいいですよ」と返された。
そこで張っていた糸がプツリと切れたような気がする。
「いいですか? 今の彩色の仕事…。ただ新人を補充したから大丈夫って仕事じゃないんですよ? 溶剤の量一つ間違っただけで、大損害に繋がる事だってあるんですよ?」
「…ですから、岩上さん。岩上さんはあくまでも派遣なんですから、そこまで責任感じる必要性無いですから」
翌日俺と石川は話し合い、二人同時に大日本印刷を辞める決意をした。
課長は残念がってくれたが仕方ない。
これで俺の大日本印刷生活は終わりを告げた。
この数ヶ月後、狭山の大日本印刷でカラムーチョの袋から異臭騒ぎというニュースが流れる。
同級生の飯野君からその事を聞いた。
大方派遣会社がてきとな新人を大日本印刷へ入れ、トルエンなどの溶剤の量を間違えそのまま彩色として流したのだろう。
カラムーチョほどの規模になると、回収で億単位の被害が出た事になる。
どちらにせよ、俺は散々忠告したつもりだし、あとはあの派遣会社と大日本印刷の問題だろう。
望からの連絡は、あれ以来無かった。
彷徨いながらも、俺は食う為に新しい仕事を探さないといけないか。
新しい仕事が決まるまで、部屋で執筆をする時間が多くなった。
陽気な気分にはとてもじゃないがなれない。
従ってあれだけ筆の進んでいた『パパンとママン』は、九章でストップしたままになる。
俺は自衛隊の時の経験を元にした短編小説『北海道の雪』を執筆。
実話なのでスラスラ書けた。
原稿用紙百七十五枚の短さ。
早く仕事を探さないと……。