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岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

13 ゴリ伝説

2019年07月16日 19時05分00秒 | ゴリ伝説

 

 

12 ゴリ伝説 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

そんな三十五歳の夏の終わり、『第二回日本で泣いちゃう小説グランプリ』の結果が出た。運良く一次選考、最終選考と私の『川越デクレッシェンド』は通過し、見事グランプリ...

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 試合間近になり、地元のテレビ局も私の事を取材して放送してくれた。簡単な記者会見も行われた。
 そして私の処女作『川越デクレッシェンド』が、とうとう全国の書店で一斉発売となった。
 お祝いの電話やメールがたくさん届く。今まで生きてきて色々な事があった。嫌な事だって嬉しい事だっていっぱいあった。でも、今の私は幸せである。そうハッキリ言えた。
 試合二日前の夜。突然ゴッホから電話があった。本来なら相手にもしたくなかったが、幸せな環境に包まれ幸せな時を送っていたので、私は笑顔で電話に出た。
「あ、わりーね、神威」
「何か用? もう明後日試合なんだよ」
「ちょっと悪いんだけどさ。今からちょっと会えないかな?」
「何でよ? 俺、正味あと一日で試合なんだよ?」
「ああ、それは分かってる」
「ゴッホは俺の試合、仕事で来れないんでしょ?」
「ああ…。でもさ、今日、ゆなの事考えていたら、悔しくて会社休んじゃってよ」
「はあ?」
 この男、仕事で私の試合を来られないと言っておきながら、あんな女の事で悩んで会社を休んだだと……。
 頭の構造がとうなっているのか、本当に分からない。
「もう俺さ、あいつとの関係を終わりにしようと思ってるんだ……」
 終わるも何も、はなっから何も始まっていないだろうがとつっこみを入れたいが、何やら非常に面白そうな展開になっている。
「何があった訳?」
「些細な事から喧嘩になってさ。それで俺も勢いでガーガー言っちゃって、そしてら向こうが『じゃあ、終わりにしようね』って本当に怒り出しちゃってさ」
「ちょっと落ち着けよ。最初から手順を踏んで聞かないと分からないよ」
「だから、これから会えないかって言ったじゃん」
「会うってどこでよ?」
「居酒屋か何かでさ、今日は飲みたい気分なんだ」
「あのさ、俺は明後日試合なんだけど……」
 よくもまあ、こんな台詞を抜け抜けと言えたものである。
「それは分かっているよ。わりーなーとも思ってる」
「いや、思ってたら、こんな電話してこないでしょ?」
「とにかく今からおまえの家まで歩いて行くからさ」
「え? おい、ちょっと……」
 ゴッホからの電話は、もう切れていた。



 試合二日前の夜十一時。ゴッホは私の家までやってきた。さすがに私の対応は冷たくなる。それでもゴッホは構わず自分の携帯を開き、ゆなから送られたメールを見せてきた。
『ねえ、岡崎さん。彼氏だから逆に今まで言えなかったんだけど、エルミーやお客さんからすごく電話来て、最近すごくまいっててさぁ。別れるとかじゃなく、しばらく一人になりたいなって…。それか今日明日にでも携帯変えようかと思って…。ドコモに電話したら、解約金で一万五千円ぐらい掛かるみたいでさ。今月の携帯代や事務手数料は、私が親に払うからさぁ。一万五千円か一万円、助けてくれないかな? バイト代で買おうと思ってたけど、もう限界なんだ』
 私はゴッホの携帯を手に持ち、じっくり何度か読み返してみた。
「何これ? どういう事?」
「ああ実はさ、ゆなの奴、俺の為にあの店を辞めるって去年言い出してね。でもあそこのオーナーが辞めないでくれってうるさいらしいんだ。で、行かなくなったら店や客から連絡がジャンジャン入ってまいっていたんだよ」
「ゴッホの為に、店を辞める? 何それ?」
 そんな事ある訳ないのを何故こいつは気付かないのだろう。
「ん、いや、俺って結構ヤキモチ焼きだろ? だから辞めるって向こうから言い出したんだ」
「それと携帯代と何の関係がある訳?」
「でね、黙って店を行かなかったから、当然店からのペナルティとして罰金がある訳ね。あと携帯にしつこく他の連中から掛かってくるの嫌だからって、携帯も代えたいらしいんだよ。俺だけに新しいメールアドレスを教えてくれているんだけどね」
「いや、俺が聞きたいのはそんな事じゃなく、ゴッホは金を貸すの?」
「っていうか、もう貸したんだけどさ……」
「……」
 呆れて物が言えない私。
「それでさ……」
「ちょっと待って。おまえの話は飛び過ぎてて、よく分からない。もう一度、振り返ってゆっくり話しなよ」
 ゴッホの話には、疑問に思う事がたくさんあり過ぎた。彼氏だとか、意味がまったく分からない。
「だからちょっと酒をつき合ってくれって、さっき言ったんだよ」
「あのね、俺、明後日試合なんだよ? 何度も言っているけどさ」
「だから、飲むのは俺だけでいいからさ、な?」
 ゴッホは、自分の事しか考えられないぐらいの脳みそしかないのだろう。これまでの彼の挙動がおかしいのは、自分のせいだけじゃないような気がした。要は遺伝なのかもしれない……。
 こうして私は、ゴッホに連れられて居酒屋へ行く事になった。

 賑やかな店内の中、ゴッホはうまそうにビールを飲んでいる。
 私はというと、烏龍茶をチビリチビリ飲んでいた。
 彼の言い分を簡単にまとめると、彼氏彼女と言い合う仲になったのに、一向に進まない展開にじれったさを感じ、今日ゆなへの怒りが爆発した訳だ。すると、ゆなはじゃあ終わりにしましょうと関係を切ろうとする。未練タラタラのゴッホは、私に泣きついてきたという感じである。
 私はこの店の串焼きを注文し、ゴッホの話を聞いていた。食べ物が運ばれてくる中、店の定員が声を掛けてくる。
「神威さん、あと一日で試合なんでしょ? こんな時間に飲んでいて大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないけどさ…。それに飲んでいないし。いやね、こいつが話があるってしつこくてさ」
「あらあら、大変ね~。でももうちょっと自分の事を考えたほうがいいよ?」
「まあそうなんだけどね……」
 店員と話し込んでいる内に、ゴッホは置いてある串焼き十本を一人で全部食べてしまっていた。普通なら半分は、私の分を残しておくだろうが……。
「おい、ゴッホさ。おまえ、ふざけんなよ? 普通、残しておくだろ?」
「何だよ、いちいち細かい奴だなー。また注文すればいいじゃんかよ」
「ねえねえ、こいつさ。絶対に言っている事おかしいでしょ?」
 私はそばに立って会話を聞いていた店員に助け舟を求めた。
「いや、こいつが細かいだけなんだよ。そう思うでしょ?」
 ゴッホも店員に自分のムチャクチャな理論を言い出した。
 店員は、ゴッホの顔をジーっと見ながら、「KY」とだけ言い、その場から去っていった。
「何だよ、KYって? ひょっとして俺が空気読めないとでも言いたいのかよ?」
 去っていく店員の後ろ姿に向かって怒りだすゴッホ。
「おい、ゴッホ。おまえ、俺に話が合って来てんだろ? 早く言いたい事を全部言えよ」
「ん…、ああ……。まず、俺の為に店を辞めたいって行ったでしょ」
「違う。その前に何で彼氏彼女って言い合うようになったの?」
「ああ、俺がゆなに『俺はつき合っていると思っている』って言ったんだよ。前にね。そしたらゆなも「うん」って言ったから、彼氏彼女なんだよ」
「……。あ、そう……。で?」
「で、俺の為に今の店を辞めるって言い出した訳。あいつ、就職活動で内定も決まったみたいだしね」
「ふ~ん、それから?」
「で、店を辞めるに当たって、オーナーが続けろとうるさいから行かなくなるでしょ?それで罰金は発生するわ、他の客から連絡はすごいわで嫌になっちゃったんだよ」
「まあ、それはそうなるよな」
「それで、新しく俺にだけメールアドレスを教えてくれた訳」
「ちょっと待って。じゃあ、前の携帯アドレスは使えなくなっているの?」
「いや、今は二つあるって感じかな」
「それって携帯を新しく買うじゃなく、すでに二台持っているって事でしょ? おかしくない? それでゴッホに金を貸してほしいってさ」
「……」
 ゴッホはしばらく黙ったまま、考え込んでいるみたいだった。
「だろ?」
「ん…、ああ……」
「それで金を貸した訳だ? いくら貸した?」
「え、二万円……」
「メールには一万か、一万五千って書いてあったじゃん」
「まあ、その…。色々と大変だろうと思ってさ……」
 そんな金あるなら、今まで私がご馳走してきた分を少しはこちらに返せと言いたくなった。整体の料金までいつも値切りやがって……。
「まあいいや。で、何で喧嘩になったの?」
「今年になって会ったのが、その金を貸した時だけなんだよ」
「そうなんだ」
「しかも金を貸した時、会っていた時間が一分ぐらい……」
「ふんふん。それで文句を言った訳だ?」
「ああ、つき合っているのに、何でいつも時間作れないんだってね。それに新しいメールアドレスは聞いたけど、電話番号を教えてくれないんだよ。まだ新しく契約したから、よく操作が分からないとか言ってさ……」
「ゴッホの話を統括するとさ、ゆなは携帯を初めから二台持っている事になるよね。操作が分からないって、そんなもんは向こうがゴッホに一回電話掛ければ済む事でしょ?」
「あ、そうだね。チクショウ、あの野郎……」
「この場合、女だからあの野郎という表現は適切じゃないね」
「いいんだよ。そんな細かい事は」
「で、どうしたいの? もう終わりにさせる?」
「ああ、いい加減こんなんじゃ、嫌になってきたからな」
 三年越しの想いも実らなかったゴッホ。冷静に考えれば、ひと回り下の女がゴッホなどになびく訳がないというのをもっと早く知るべきだったと思うが、これもまた一つの勉強だろう。人生何事も経験である。
「じゃあ、今すぐメールしちゃえよ。それで自分の思っている事をすべてぶちまければいいんじゃない。理不尽なのは向こうだし」
「ああ、そうだな」
 ようやくその気になりつつあるゴッホ。毎回都合いい時だけ、私の元に来られても困る。ここで息の根をとめておいたほうが懸命だろう。

 ゴッホは鼻息を荒くしながら、真剣にメールを打っていた。
「おい、打ち終わったけど送るの、これでいいかな?」
「どれどれ……」
 私はゴッホの打ったメールを見てみる。
『俺はゆなにとって、都合のいい時だけ利用される存在だったって訳だ。彼氏だといくら言葉で言われても、内容がまったく伴っていない。だから電話番号一つにしても、教えられないんだろうし、こっちがおかしいだろって詰め寄った事にはすぐ逆切れする訳だ。いい加減、俺もうんざりしているよ』
 ゴッホにしてはなかなか確信をついたいいメールである。
「どうだ?」
「いいんじゃない。でも、もう終わりにするんでしょ? だったら最後に『年上を舐めんじゃねえよ』ぐらい書いてやったら?」
「それもそうだな」
 ゴッホはまた携帯をいじりだした。
『あんまり年上を舐めないほうがいい。自分のした事はいずれ自分に返ってくるものだからね』
 得意満面な表情で補足した部分を見せてくるゴッホ。こんな事で得意げになれる彼を見て、とても哀れに思った。
「いいじゃない! よし、ゴッホ。送っちゃえ」
 試合前の大事な時間をゴッホに邪魔されたというのもあり、私は非常に意地悪くなっていた。
 彼は目を閉じながら、送信ボタンを押した。
「送っちゃったよ……」
 何故か寂しそうなゴッホ。この三年間の事を思い出しているのだろう。以前なら少しは同情した。しかし、彼は自分本位過ぎた。私が試合二日、いやもう前日だというのに何の配慮もないのである。しかも試合には来ないと堂々と抜かす始末。この手で地獄へ落としてやりたかった。
「はあ……」
「何を溜息なんてついているんだよ?」
「いや、今回は頑張ったのになあと思ってさ」
「だから前に俺はやめておけって忠告したじゃん」
「ああ、確かに言ったけどさ。結局決めるのは俺だから」
 じゃあ、試合前の私をこんなくだらない事に引き込むなと言いたい。
 ゴッホが三杯目のビールを飲み干した時、ゆなからのメールが届いた。真剣に携帯を見つめるゴッホ。少し手先が震えている。
「見てみろよ、これだよ」
「どれどれ……」
 今、私は楽しくてしょうがない。
『別に私は馬鹿になんかしてないじゃん。もうこうなったら終わりだよね。今までありがとう』
 ゴッホはまだ納得のいかない表情をしていた。
「ちょっとわりー、携帯返して」
 そう言うと、彼は再びメールを打ち出した。私が何を話し掛けても、ゴッホは無視して打っている。私はこのプチ修羅場を見て楽しんだ。
 少ししてゴッホの携帯が鳴る。今、ゆなとメールで討論をしているのだろう。
「おい、これ見てみろよ」
「今度は何を書いてきたんだ?」
 素敵な展開に胸がワクワクする。
『酔っている訳? もういいとか何回も言ってきたし、私はそのつもり。じゃあね』
 心の中では「モケケケ……」と大笑いしたい自分がいた。
「まったくふざけやがってよ」
 ゴッホがまたムキになって打ち返そうとしたので、私はとめた。ある秘策を思いついたのである。

「まあ待てよ、ゴッホ」
 極めて冷静に私は言った。
「ん、何だよ?」
「こんな相手に合わせて言っててもさ、堂々巡りなだけだぜ?」
「じゃあどうすんだよ?」
「どうせ終わりにするなら、ゆなをギャフンって言わせたくないか?」
「そりゃあ、そんな事できるなら言わせたいねえ。でも、どうするんだよ?」
「おまえの携帯を俺に貸しな。俺が代わりにメールを打ってやるよ」
「ふざけんじゃねえよ。俺の問題だろ?」
 自分のどうでもいい問題をこんな時に持ってきたのはどいつだ。私はそう言いたいのを我慢しながら、笑顔で口を開く。
「おまえのそのプライドと、ゆなをギャフンって言わせるのってさ。どっちが大切な訳?」
「そ、それはあいつをギャフンと言わせたいよ」
「だから俺がメールを打つんだろ? 俺が打つから、おまえはそれを見て納得したら送信すればいいだけじゃん」
「そ、それもそうだな。相変わらず敵に回ると嫌な奴だな」
「ふん、何とでも言いな。とりあえず携帯貸しな」
「ああ……」
 さて、ゆなをどう料理しようか? 一つ分かっっている事、向こうはゴッホを完全に舐めているという事実である。実際にゴッホから金まで借りているのに強気な態度は、そうとしか思えない。私はニヤニヤしながらメールを打ち出した。
『よくあなたの考えが分かりました。一つ伝えておきますが、私は伊達にあなたよりも、無駄にひと回り以上年を重ねていません。知り合いにそっち系で強い人間も当然います。現在、このメールはその知人と相談しながら打っています。あなたのした行為は完全な詐欺行為に値します。然るべき処置を取っていますので、ご了承のほどをよろしくお願いします。 岡崎勉より』
 我ながら素晴らしいメールを打てたと思った。こんなのが送られたら、ゆなの奴、相当ビビるだろう。今までゴッホを軽くみていたのだから。
「どうよ? 見てみ」
 ゴッホはまじまじと私の打ったメールを見た。
「これ、ヤバくねえ?」
「だからいいんだよ。こんなメールがさ、もしゴッホに送られたらどうよ?」
「絶対に嫌だね」
「だろ? ギャフンってなるでしょ」
「相変わらず悪知恵はすごいな」
「うるせー。納得したら、とっとと送信しろよ」
「ん…、ああ……」
 ゴッホは、送信ボタンを押した。時計を見ると、十二時を回っている。試合まで一日。この店の閉店時間でもあったので、私たちはチェックへ向かった。
「ありがとうございます。お会計七千八百円になります」
 ここは当然ゴッホが出すものだろうと思っていると、彼は財布から三千四百円しか出さなかった。もしかして自分だけガバガバ酒を飲み、好きなだけ食べておいて割り勘と言うつもりなのだろうか? 私は烏龍茶、二杯しか飲んでいないというのに……。
 ゴッホは何も言わず自分の分をカウンターへ置くと、外へ向かって歩き出した。何て信じられない事を普通にする奴なんだ。今さらながら彼に対し、呆れてしまう自分がいた。
「はぁ……」
 私は仕方なく残りの代金を出し、店をあとにした。

 いい感じで酔っているゴッホは、「わりーけど、もう一件つき合ってくれ」と言いながら、近くの居酒屋へ入っていく。この男、完全に私が明日、試合だというのを忘れてやがる。
 このまま帰ってもいいが、ゆなの今後の行動も知りたかった。あれだけのメールを打ったのだ。さすがに今度はどう出るのか気になる。
 席に座り、今度は私も酒を注文した。ここまできて烏龍茶だけじゃ嫌だったのである。
「今頃焦ってんだろうな」
「ああ、今まであんな感じのメールを送った事ないから考えてるだろう」
 ゴッホはまるで自分があのメールを打った気でいる。
 乾杯をして一口飲んだ時、ゆなからメールが届いた。
『ねえ、急にどうしたの? 今、岡崎さん、暇? 良かったらこれから会って話せないかな?』
 私とゴッホは、同時に吹き出してしまった。ゆながどれだけ恐怖を感じているのかが、手に取るように分かる。
「神威、どう返事したらいい?」
「馬鹿だね。こういう時は、何もしないの。一番不気味だろ? 返事が何も返ってこないってさ」
「なるほど」
 ゴッホにしてみれば、この三年間で初めてゆなより優位に立った瞬間なのだ。
「どうよ、今の気分は?」
「何だかすげースッとしているね」
「だろ?」
「ああ」
 その時、ゴッホの携帯が鳴る。
「誰?」
「いや、分からない…。知らない番号だ」
「じゃあ、ゆなしかいないだろう。このタイミングで掛けてくるのは」
「だろうな。俺、どうすればいい?」
「まず、向こうが会おうって言うだろうから、今日じゃない日にちを決めて、ゆなの言い分は一切聞かない事だな」
「ああ、とりあえず出るわ。あ、もしもし…。誰? え、ゆな?」
 少しゴッホの喋りはワザとらしく感じたが、今のゆなにそこまで余裕はないだろう。
「え、これから? 無理だよ。今度会う日にちを決めようよ。いつなら都合いいの?え、十六日? う~ん、分かった。じゃあその日は何時にする? 夕方の六時?ああ、いいよ。え?何?別に言い訳なんてしなくていいよ。俺は会う日にちさえ決めればそれでいいから。え、何よ? だから、十六日の六時でしょ? それだけで今はいいよ。じゃあね」
 ゴッホは余裕の笑みを浮かべながら、電話を強引に切る。こんな男らしいゴッホを私は初めて見た。
「なかなかいいね。どうよ、優位に立った気分は?」
「最高だね。ゆなの焦っている様子が手に取るように分かる」
「会ったら、どうせ最後になる訳だしさ。キスぐらいしちゃえば?」
「う~ん、それはまた会った時にでも考えるよ」
「だって一回もしてないんでしょ? したくないの?」
「そりゃあしたいけどさ。でもそういうのってお互いの気持ちあってだろ?」
 こんな目に遭わされているのに、どこまでもおめでたいゴッホ。飲み屋の女から見れば、カモがネギを背負ってくるようなものだ。
 しばらくして、ゴッホの携帯がまた鳴る。
「おいおい、ゆなから連続で電話なんて、今までないぜ」
 とてもゴッホは楽しそうだ。三年間あの女を追い駆け続け、そんな事で喜べるゴッホ。
「出てやれば?」
「そうだな」
 ニヤリと笑うゴッホ。非常にその顔は醜かった。
「あ、もしもし。何? え? 今から? 無理だよ? 酒飲んじゃったから車なんて運転できないしね。明日会えるかって? それならさ、十四日の祭日あるじゃん。うん。その日さ、神威って覚えているだろ? あいつさ、本を出して、総合格闘技の試合にも出る訳。久しぶりの復帰だけどね。それを一緒に応援行こうよ? え?何で? 行かない? あいつの復帰戦だよ? え、あの人は苦手? 何で? 俺の友達じゃん。そう、じゃ分かったよ。じゃあ、十六日でいいね。はい……」
 この男は、私の試合に来られないと言っていたのに、何故ゆなをいきなり誘っているのだろうか? こうしてつき合っている私に、少しでも感謝をしているのかもしれないな。
 それにしても、ゆなの返答が笑えた。私の事を苦手とか言っていたらしいが、私にキスをしたなんて、口が裂けてもゴッホには言えないだろう。
「二回も電話なんて、向こうは相当焦っているな」
「ゴッホさ、そんな事よりも俺の試合一緒にって誘ってたけどさ。もし、ゆなが行くって言ったらどうするつもりだったんだよ? 仕事なんでしょ?」
「ああ、そしたら仕事なんか休むよ」
 こいつ、あれだけ仕事だからと抜かしていたくせに……。
「じゃあ試合のチケットは、ゴッホの分一枚だけでいいの?」
「いや、仕事だから試合には行けないよ」
「……」
 ゆなとなら仕事を休んでくるが、一人だと来られないとでも言うのだろうか……。
「さーて、明日はゆっくり休んで仕事に備えるか」
 どこまでもマイペースで、自分勝手なゴッホ。さすがに今回だけは本当に呆れた。
「俺、帰るわ」
「どうしたんだよ、急に?」
「あのさ、俺、明日試合なんだよ?」
「ああ、わりーと思っているよ」
「だから帰るわ」
「じゃあ、俺も……」
「いいよ。ゆっくり飲んでいればいいじゃん。これまでの会計は俺が出しておくよ」
 私はそう言って、レジへ向かった。
 あんな大馬鹿を相手にした自分が馬鹿だった。帰り道、やるせない気持ちでいっぱいだった。帰ってゆっくり寝よう……。
 家に帰り、熱いシャワーを浴びる。時間は朝方の五時になっていた。すぐ横になり目を閉じると、携帯が鳴る。ゴッホからのメールだった。
『俺はこんなどうしょうもない奴だけどよ。これからも友達として、よろしく頼むわ』
 私はこのメールを削除すると、返事も返さず寝る事にした。寝る間際に、もう一度ゴッホからのメールが届く。
 内容は、ゆなから送られてきたメールの転送だった。
『あの時従兄弟の家にいたので、三時間掛けて川越に来ました。直接渡せなかったけど、お金は家のポストに入れておきました。私は詐欺行為をしていない。だからお金はすぐ返そうと思い、返しました。またお店のほうも、私の罰金は働いた給料で大丈夫みたいです。きちんと話せなくてすみません。私は受け取ってはならないものを受け取ってしまった。だからこのお金は遣っていません。ただ私の事を心配してくれた気持ちでの事だと思っていたから、甘えてしまった。でもやっぱり心配してくれたのはありがたいけど、こんな風になるくらいなら、最初から受け取らなければよかったと後悔しています。今回の事は、私も勉強になりました。心配してくれてありがとうございました。色々面倒見てくれてありがとう。それからもう一つ。私は、岡崎さんにとって相応しくない彼女だと思います。十六日に話し合う予定をしていましたが、合わせる顔がありません。会えません。いつも迷惑掛けてすみません。今までありがとうございました。岡崎さんのお母さんに、岡崎さんが私の事を言ってくれたんだよね?こんな彼女で申し訳ないと伝えて下さい。これからは幸せになって下さい。 ゆな』
 あれからゆなはビビッて、金をこっそり返しにきた訳だ。平謝りにゴッホの機嫌を取り、訴えられるのだけは勘弁してほしいと考えた上での行動である。
 まさか後ろで私が糸を引いていただなんて思いもよらないだろう。ゴッホにすれば、二度とゆなとは会えなくなっただけで、ちゃんと二万円も帰ってきた訳だ。
 少しして携帯が鳴った。ゴッホからの電話だ。時計を見ると、朝の五時半……。
「もしもし、何?」
「あ、さっきはご馳走さまね。あれから家に帰ったら、ゆなからメールあってさ。ポスト見たら、金が二万封筒に包まれて入っていたよ」
「あっそう。悪いけど寝るよ」
「ああ、わりーね。明日、試合だっていうのに」
 私は返事もせず、電話を切った。

 結局、七年半ぶりに臨んだ試合は、フロントチョークを極められ負けてしまった。
 応援に来てくれた人は、「怪我がなくて本当に良かった」とか「無事で良かった」と、暖かい言葉で私を向かえてくれた。
 もっと真面目に臨めば良かったと、今になって反省する自分がいた。
 試合に来られなかった人も、電話やメールをしてきて、私の安否を気遣ってくれる。私は幸せ者だ。今、ハッキリそう言える。
 ゴッホからは、電話の一本もなかった。試合前、あんなに私を引っかき回しといて、試合がどうなったのか、それに怪我がなかったのか、などの心配を一つもしないのだろうか?先日の件で呆れてはいたが、さらに呆れてしまう。
 結局十日過ぎても、ゴッホからメール一通ない状態だった。
 日にちが経つにつれ、苛立ちを隠せない私。さすがに私からゴッホへ電話をした。
「あ、もしもし」
 ゴッホ特有のダミ声。
「あのさ、おまえは俺の試合が勝ったか負けたかとかさ、怪我はないかとかって気持ち、一つもないの?」
 自分で言っている台詞がいかに醜いか自覚した上で、私はこうして言っている。
「ああ、あれから連絡ないからさ。負けたんだなって思ってた」
「あっそ……。分かった。じゃあね」
 これを期に、ゴッホとのつき合いはやめよう……。
 素直にそう思った。
 思えば、どれだけ私は貧乏くじを引いてきたのだろう。
 ゴッホとの昔からの関係を思い出すと、無性に腹が立ってくる。
 仲のいい知人に、ゴッホの愚痴を何度もこぼした。いくらこぼしても、心が晴れる事はなかった。

 悶々とした日々を過ごし、ある日になって私は名案を思いつく。
 私は小説家だ。どうせ奴は活字など読まないだろう。なら、これまでの体験をすべてネタにしてやればいい……。
 人間、怒りの感情というものがあるが、ゴッホに対する怒りの裏側には何故かコミカルさも同居していた。こんな体験、私ぐらいしかしないだろう。なら文字に形を変え、世に出してみよう。
 何かいいタイトルはないだろうか?
『ゴッホふられ話』……。
 これじゃいまいちしっくり来ない。
『ゴッホ奮戦記』……。
 これも駄目だ。
 冷静に考えよう。あいつの今までの行動は、ある意味伝説である。
『ゴッホ伝説』……。
 ん、いいかもしれない。しかし、語呂がよくない。
『ゴリ伝説』……。
 これだ!
 私はタイトルを決めると、一心不乱に小説を書き出した。

 …とそんな具合で一年以上の月日が流れた。
 小説の売れ行きもいまいち、総合格闘技の試合では負け、忙しさのあまり整体も辞めてしまった私は、とりあえずサラリーマンをしている。時流の波に乗り損ねた惨めな現状。
 本来自分のせいなのにも関わらず、私の心は非常に荒れていた。だが今の会社で唯一気の合う同僚ができ、徐々にだが心の平静さを取り戻しつつ日々。
 そんな状況の中、仕事帰り高田馬場にある洋食屋で食事をしていると、本当に久しぶりにゴッホからメールがあった。
『お久しぶりです。連絡もらっているのにも関わらず、連絡できなくてごめんなさい。実は自分自身が、自暴自棄というか、そんな風だったんで、誰とも会いたくないというか、精神的におかしかったんだ。それは自分の勝手な都合だし、連絡しなかったのは確かだし、もしよかったらまたご飯とか食べに行かないかな? 岡崎より』
 あいつにしては妙に丁重な文面ではあるが、ダラダラとした支離滅裂なメールだ。連絡なんてここ一年以上私からはしてなかったし、被害妄想でも入ってんじゃないだろうか。しかし彼なりに少しは反省をしてるのだろう。ゴッホの事になると、つい甘くなってしまう自分がいる。
「神威さん、どうしたんですか?」
 同僚が心配そうに声を掛けてくる。彼は俳優をしながら今の会社で働いていた。出演料だけじゃ食っていけないらしく、二足のわらじを履いている訳だ。私もいっぺんに三足のわらじを履こうとしたからその大変さはよく分かる。
「ん、いや~、昔からの同級生から」
「へー、そういう関係って大事にしたほうがいいですよね」
 確かに中学時代から未だつるんでいる人間なんて、何人もいない。これまでの私の人生を振り返ると、常にそばにゴッホがいた。この一年、どこか物足りなかった気がするのもゴッホと絡んでいなかったからなのかもしれない……。
 すぐに返事を返すとまた図に乗るだろうから、明日になったらメールでもしてみるか。

 翌日私は早速ゴッホにメールを打ってみた。
『今日九時頃には本川越駅に着くからステーキでも食いに行くかい? もちろんおまえが今回は奢れよな。 神威より』
 メールを送り終わると、また腐れ縁が始まるんだなと感じた。
 私たちは何事もなかったかのように再会し、笑顔で色々と話をした。以前の恨みつらみは一枚のステーキを奢らせる事で、チャラにしてしまおう。
「ほんとすまなかったな、神威。でも俺よ、実は髪の毛薄くなってきてるだろ?」
「髪の毛? そうか? そんな言うほど気にならないけどな」
「自分じゃ毎日見てるから、どんどん薄くなっていってるのが分かるんだよ」
「元々おでこは広いじゃん」
「ああ、だからリーブやりだしてね」
「何、リーブって? カツラ?」
「違うよ。皮膚の活性化とかそっち方面に力を入れててさ。育毛する力をつけるようにね……」
「だってそんな事して意味あんの? だいたいいくら掛かんのよ?」
「そうだなあ~、俺は高過ぎて途中でやめちゃったけど、最初の数ヶ月で六十万ぐらいは払ったかな~……」
「……」
「何だよ、黙りやがって」
「いや、また一ついいネタができたなと思ってさ」
「何だよ、ネタって?」
「以前『川越デクレッシェンド』で岡崎って名前を使ったろ?」
「ああ、それで?」
「喜べ。今度はおまえ自身が主人公の小説を書いてるんだ」
「ふざけんじゃねえよ! 何の許可もなくよ」
「しょうがない。これはもう走り出してしまったものなんだ。誰にも止められない」
「勝手に人を使うんじゃねえよ!」
「俺にはおまえを勝手に使ってもいい権利があるのだよ」
「何抜かしてんだ」
「まあその作品が万が一、賞でも獲れたら、賞金は半分くれてやるよ」
 そう言って私は意地悪そうに笑った。
「ふざけんじゃねえよ」
 ムキになるゴッホ。しかしこればかりはもう止まらない。こいつとつるんでいる限り、ネタは無尽蔵に生まれるはず。
 ギャーギャーと喚くゴッホの台詞を聞き流しながら、家に帰ったら『ゴリ伝説』の続きを書かなきゃと楽しみにしている自分がいた。

―了―

タイトル『ゴリ伝説』  作者 岩上智一郎

2008年5月19日~2008年5月26日 執筆期間8日 原稿用紙489枚分
推敲 2009年11月6日 原稿用紙496枚

 

 

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