2024/08/13 tue
前回の章
今までで一番長く働いた場所になったワールドワン
思えば自衛隊から始まり、変な平子の広告代理業、原一探偵事務所、妙な教材売り、横浜のシーパラダイス、共同商事、全日本プロレス、グリーンプラザ上越、浅草ビューホテル、そして歌舞伎町……
新宿でも10円レートのベガから始まり、チャンプ、エース、プロ、それから今のワールドワン
俺も32歳
社会に出てからもう14年経ったのだ
金が無かったあの若い頃に比べたら、比較にならないほどの金が入ってくる
しかしこの夢みたいな現状もあと二ヶ月
それでワールドワンは終わるのだ
従業員や客へ言えないもどかしさ
俺と佐々木さんの二人で店の金を抜く秘密
本当はリングの上で戦って生きたかった
不完全燃焼の総合格闘技
ピアノもザナルカンドは弾けるようになったものの中途半端な状態
そして一般人離れした肉体だけが残った
あの店が無くなったら俺はどうするのだろう
先の事を考えてみたが、何も分からなかった
クビにした山下の代わりに新人の西森、そして廣木が店に入ってきた
西森は明るくとっつきやすい性格
廣木は俺と同じ年でとても無口だが、ゴルゴ13をこよなく愛し、その話になると無性にお喋りになる変な男だ
系列店のチャンプの遅番に警察が入り、責任者の有路と新人の中谷が捕まったという情報を聞く
プロレス好きの有路とは話が合い、たまに仕事を終えてから食事へ行く仲だった
そんな時でも俺はいつも通りワールドワンで働くようだ
チャンプの2番手の原から連絡があり、一緒に焼肉へ行った
原と有路はとても仲が悪い
俺がチャンプに顔を出すと、どちらもいない方の悪口をいつも言っている
チャンプがパクられた2日後、新人の中谷だけが釈放
本人曰く、自分には強力なコネがありそれを駆使して出てきたと原は言う
まだ出てこれない有路の事が心配ではあるが、俺には何もできる力が無い
同じく系列店のリングが捕まる
歌舞伎町に来て最初に働いた世永もやられたらしい
俺は彼の紹介があって今のワンオン系列で働く事になった
世永には弟がいて、弟は系列店のチャンピオンで働いている
佐々木さんが店に来て、もう無くなったプロの責任者の横道から連絡があり、一からのつもりで働くからワールドワンで雇ってもらえないかと言ってきた
あの客と衝突する猪突猛進な性格は直っていないだろう
プロが無くなり他の店で働いたものの無理で転々としていたのか
そう思うと哀れに思う
あの横道が路頭に迷い、プライドまで捨てて頼んできたのだ
一応伊藤や岡本に相談してみた
「岩上さんの元上司なんですよね? しかも過去揉めた事がある…。そんな人来たら仕事働き辛いです」
可哀想だが、俺は佐々木さんに横道は無理と断った
シャブに手を出しトザンの銭に手を出してチャンプをクビになった久保田から突然連絡が入った
林と同じ〇〇連合のヤクザへ入ったが、組の金を持って逃走しているはずだ
「久保田さん! 今どうしているんですか?」
「た、助けて……」
彼の言う助けるとは何か?
ロクでもない事に引きずり込まれるのは明白だった
「何でシャブなんかやったんですか……」
「だって…、しょうがないじゃん……」
「いくら必要なんです?」
「500……」
さすがに無理だ
今の俺の持金の額
1万、2万ならあげられた
いや、昔からの付き合いだ
10万くらいならあげても良かった
しかし絶対に返ってこない金500万なんて無理だった
俺は丁重に断る
「ごめんね、岩上君……」
それだけ言って久保田は電話を切った
歌舞伎町内だけで100軒はあると言われたゲーム屋
世の中の流れが変わってきたのか少しずつ減ってくる
街を歩いていると、必ず1円玉か10円玉のマークが入る電光看板がどこにでもあった
客はそれでレートが1円か10円か分かって自由に入ってくる
系列店のアリーナは、元々業績不振の為閉店
どんどん寂しくなっていく
地元の先輩である坊之園智こと坊主さんから、中目黒にある会社プロハウスに一度招待され伺う
パソコンだらけの会社は、セキュリティ万全なサーバー室まであった
12畳くらいの中にはモンスターサーバーが置かれている
深夜、店を抜け出しての時間帯だったので、社内には坊主さんと俺しかいない
「智、ちょっと待ってて。仕事片付けちゃうから」
そう言いながら大きなモニターの上に置いてあるキーボードに両腕を上げたままタイピングしている
俺と他愛ない話をしながら、モニター横にあるレバーを下に倒し、今度は目の前のキーボードを叩いていた
「それは何をやってんですか?」
「ん? ああ…、上のキーボードがマックで、下にあるのがウインドーズ。モニター横のレバーは上にやればマックの画面、下でウインドーズ。変換機だね」
言っている意味がさっぱり分からない
坊主さんの意図は業界最先端を見せて、俺へさらにパソコンを興味持たせようとしたようだ
これまで身体一つで生きてきた俺にとってパソコンが便利なのは理解できる
しかしさらに追求となると頭がパンクしそうだ
浅草ビューホテル最上階スカイラウンジベルヴェデール時代の上司、林から連絡があった
話を要約するとホテルの給料だけでは生活がキツく、何か仕事がないかの相談
「それはホテルを辞めたいって事ですか? それともホテルを続けながらの兼業として?」
「もちろんホテルをやりながら副業って言うの? 岩上、裏稼業って言っていたから何か無いかなと」
確かに裏稼業だが、ゲーム屋で週一、二働く訳にもいかないだろう
「少し時間下さい」
俺は電話を切り、従業員に何か金になるいい仕事はないか聞いてみた
岡本があると言ってくる
内容を聞くと、クレジットカードを使った詐欺だと言う
「犠牲になる人いるからヤバいだろ?」
「いえ、それがクレジットカード会社は保険があるから、犠牲になった人は後々保証受けるので、誰も被害受けないんですよ」
よく分からなかったが、とりあえず林に伝えると実際に会って話を聞きたいと言う
二人同時に店は休めないので、夜10時の出勤に間に合うよう7時くらいに浅草へ行く約束をした
有路がようやく釈放される
一ヶ月近く拘留されていた
2日ほどですぐ釈放された中谷
アイツせいで大変な目に遭ったらしい
「あの馬鹿よ…。最初の刑事拘留の時にベラベラ喋りやがってよー」
「え? だって捕まったらアルティメットのマニュアル通りにって話じゃないですか」
ここでいうマニュアル
例えば俺が捕まったとする
その時店内にいる従業員すべて捕まる訳だが、取り調べではみんなただの従業員で給料は1日1万、社長は店に電話くらいしかしてこないという決まり事があった
ポーカーなど小便刑で軽いので、名義を張る社長が出頭して終わり
だから変に誰が責任者で店長でなど余計な情報は警察へ話さない
中谷は一緒に捕まった有路が責任者で、夜中に番頭の佐々木さんや片桐が店の状況を確認しに来ると全部謳い、自分だけとっとと釈放へ持っていったようだ
残された有路は悲惨である
調書が全然違うじゃねえかと刑事に責められ、組織が弁護士を入れるまでひたすら黙秘して頑張った
「出てきて佐々木さんから10万はお疲れでもらったけど、喫茶店で話してたら、オマエと原は仲良さそうに焼肉屋から出てくるしよう」
「それについてはすみません。ただ有路さんが出てきたのを聞いてないし、本当に知らなかったんですよ」
有路の誤解を解き、ここの食事を奢る事で何とか機嫌を直してくれた
ワールドワンの従業員岡本と浅草ビューホテルへ向かう
最上階ベルヴェデールから同じ階の会員制BARセントクリスティーナへ移動となった林
今日は小沢も休みで林一人だったので、こちらへ通される
クレジットカードを読み取る小型の機械を見せながら仕事の内容を説明する岡本
俺は分からないので横で酒を飲みながら、久しぶりの浅草の夜景を眺めていた
どうやら林はやると決めたようで、岡本から機械を受け取る
専門外なので俺は何も言わなかったが、帰り際「あまり無茶だけはしないで下さいね」とだけ伝えた
調子のいい岡本の話である
紹介しておいて一抹の不安を覚えた
チャンプの有路から連絡が入り、逃げていた久保田が警察沙汰になってニュースで報道されたと聞かされた
「ニュースですか?」
「ああ、アイツよ…。組の金盗んで地方のストリップ劇場に住み込みで働いていたらしいんだよ。ヤクザの情報網ってそういうの警察より上だからさ。すぐ見つかったんだよ」
前にあった久保田からの電話
あれは捕まるちょっと前だった
「ヤクザに自分で運転しろって、車を運転させられ高速で新宿まで戻る途中、このまま戻ったら殺されると思ったんだろうな…。アイツ、中央分離帯へ車をぶつけたんだよ」
「そんな事したら警察来て大騒ぎですよね?」
「もちろん。それで久保田は駆け付けた警官の拳銃奪って、発砲したんだよ」
「ヤクザにですか?」
「いや、警官へ向かって」
久保田ってそんなヤバい奴だったの……
そりゃニュースにもなるわと思った
「ただ警官の拳銃って一発目は空砲で殺傷能力無いんだよ。それで二発目を撃とうたして、警察に取り抑えられって感じみたい」
話を聞いていてゾッとした
あの時少しでも金を貸して関わり合いになったら、俺も巻き込まれていた可能性があったのだ
この一件以来、久保田の消息はどうなったのか不明である
いつもの常連客が揃い、今日もワールドワンは忙しい
以前働いていた石黒が天龍という仇名をつけた客が来る
店の設定はすべて俺がしていた
全14台の内、3台は最悪設定
本日の殺し台は1卓、8卓、13卓
ほぼ満席で空いているのは13卓しかない
天龍は結構使ういい客なので、できれば殺し台には座らせたくなかった
「山下さん…、この台昨日派手に出ていたので、あまりやらない方がいいと思うんですよ……」
本当は山下という名前だか、パンチパーマが伸びた感じから強引に石黒がつけた仇名だった
「だってここしか台空いてないんでしょ?」
「ええ…、そうなんですが…。その内他の台も空くと思うので、あまりダブルアップでバンバン叩かず、テイク入れながらゆっくり打っていた方がいいかと……」
本当は最低設定だから座るんじゃねえと言いたかったが、そうもいかない
俺はこの台から遠ざけるよう苦しい言い訳をするしかなかった
こういう日に限って中々台は空かない
天龍はどんどん熱くなり、ダブルアップをバシバシ叩いている
小声で西森に「天龍、いくらくらい入れた?」と聞くと6万は使ったようだ
その時前の12卓が空いたので掃除してキープし、天龍の元へ行く
「山下さん…、前の卓空いたんでどうでしょうか?」
天龍はジロリと一瞥してから「もう6万入れてんだよ、この台に」と怒っている
だから最初に注意したじゃねえかよ、このパンチが……
そう言いたいのをグッと堪え、出金伝票を目の前に出した
再び俺を見る天龍
「山下さん、特サで5000入れるんで、前の卓でやってみて下さいよ」
この特サとは特別サービスの事で、結構金が入ったいい客に俺の権限で5000円単位のクレジットを入れる事を指す
天龍は黙って立ち上がり、12卓へ座る
一応13卓もキープはしておく
ヒュンヒュンと音が鳴る
タイミング良く移ったばかりの天龍がストフラを出した
金額にして15000円
天龍は間髪入れずダブルアップで叩く
ヒュンヒュン、バー……
ストレートフラッシュの一気
これで天龍は30000円の金を取り戻す
ポーカーフェイスを気取る天龍
だが嬉しかったのか口元はニヤけている
12卓が赤い画面で強制OUTしている間、天龍は再び突っ込んだ13卓へ戻って打ち出す
まあこれでメインは12卓になるからいいかと俺は業務へ戻り、ホール全体を意識しながら働く
結局ポーカーにのめり込んだ天龍は、俺らが交代の時間になっても打っている
懲りずに魔の13卓を選んで打つので、これ以上何も言いようが無い
早番には天龍が5万入る毎に特サを切っていいからと言って帰った
夜になり出勤すると、天龍はあのまままだ店で打っていた
「いくら入ったの?」
大倉に確認すると、現時点で23万負け
少し入れ過ぎだが、俺は天龍の元へ行き、12卓で特サを入れ勧めてみる
黙って移動する天龍
「もうその台はいい」とぶっきらぼうに言った
言われた通り、13卓を掃除して空けると、ケンチャンの細かい客が入ってきてそこへ座る
「いいんですか、あんなガジリに13座らせちゃって」
伊藤が小声で近付いてきた
ケンチャン…、別名をガジリ、または乞食と業界用語で呼んでいる
「自分でもういいと、台を空けたんだから仕方ないよ。いつまでも2台キープなんて無理だし。それにあの台設定最悪にしてるから……」
「おっ、ロイヤル!」
13卓へ座ったばかりのケンチャン客は、いきなりロイヤルストレートフラッシュを引く
即テイクボタンを押し、3万を確約する
台を移ったばかりの天龍には可哀想だが、しょうがない
金も尽きたのか天龍は立ち上がり、キャッシャーの前を過ぎる際こちらを見てニヤリと口元を歪めながら店を出た
薄気味悪かったので、廣木に後を付けるようお願いする
天龍が出ていっても店内は忙しい
ロイヤルを引いたケンチャンはオリ2000だけやって帰ろうとしたので、出入禁止にした
廣木が戻ってくる
「天龍どうだった?」
「最初はうちのビル…、壁に住所のパネルあるじゃないですか」
「うん、小さいのが貼ってあるよね」
「それ見て何かメモしていたんで、ヤバいなとは思ったんです」
「それで?」
「そのまま付けたら、真っ直ぐ駅の方向へ行って、アルタ前の新宿駅東口の階段降りて行ったんで、戻ってきたんです」
「そう…、最初のビルの住所を見ていたのが気味悪いね」
廣木を一服させる
最低設定の台で24時間打ち続ければ、そりゃあ20数万負けるよな……
何とも後味悪い結果になったが、これも賭博商売
次来た時良く接してあげればいいか
合間を見て、西森から食事休憩を回す
彼が店を出てすぐ電話が入る
俺はキャッシャーに置いてある受話器を取ろうとして固まった
キャッシャー奥には小さなモニターが二つ設置され、一階の入口から地下への階段、そして扉の前の通路が映るようになっている
そのモニターに盾を持った人間がズラリと階段に並んでいるのだ
しかも入口のガラスの扉を外からソーッと伺う警官…、いや、これ…、機動隊か?
「い、岩上さん…、そ、外に盾持った連中が店を囲んでいます……」
「ああ、カメラで見えてるから分かる。西森、オマエはどこにいる?」
「食事で外に出ようとしたら、盾持った連中がこっち来たので、慌ててビルの階段上りました」
「分かった、西森はそこにそのままいろ。もし何か聞かれたら、上の風俗の店員だと誤魔化せ」
電話を切る
店内はほぼ満席状態
機動隊は突入するタイミングを見計らっているように見えた
ここに機動隊が盾持ったまま突入されたら、大パニックになるぞ……
俺は従業員たちに小声で客全員にゲームをやめさせるよう伝える
そして合図をしたら、すぐ逃げられるよう準備させた
俺から外へ出てみよう
店内が静まるのを待ってから、ドアを開け外へ出た
ガシャガシャ……
一斉に機動隊全員の盾が俺に向く
「何ですか、一体!」
俺が大声を出すと、機動隊はポカーンとこちらを見ている
入口近くにいた隊員が「な、中で何もないんですか?」と聞いてきた
「何もないとは?」
「110番通報ありまして、こちらのビルで30代の髪の長い男が店で銃を乱射していると……」
「そんな事ある訳ないじゃないですか! ガセですよ、ガセ!」
階段から機動隊をどけながら、スーツを着た中年男性が降りてきた
「どうも…、110番通報受けといて、どうせガセだから出動しないなんてできないんですよ、私らは」
「は、はい…、仰る通りですよね……」
「中にお客さんいますよね? パニック起こされても困るんで、私が今から中で説明します」
まだ誰も客は機動隊が外にいるなんて知らないのだ
そんな真似されたら、それこそ大パニックになってしまう
「いえいえ、中の人たち誰も知らないんです! だから大丈夫です! うちは健全にやっていますので……」
裏稼業のゲーム屋で健全もクソもないが、とにかくこの機動隊の親玉を中へ入れないよう必死だった
「ご多忙の中お疲れ様でした。ほんと中での説明は大丈夫ですので……」
俺は入口で壁になり、親玉を通せんぼするような形で必死に口を動かす
「まあ、何も無いならいいでしょう…。これで引き上げますから」
「ほんとお疲れ様でした」
俺は機動隊全員が階段を上がり外へ出るまで深々と頭を下げたままでいた
店内へ戻ると、みんないつものようにポーカーをしていた
呑気なものだ
こっちは寿命が縮まる思いをしたのに……
それにしても機動隊の群れに自分から突入したなんて、いい経験をしたものだ
いや、二度とあんな真似ごめんだ
とりあえず騒動は治まったので、佐々木さんに連絡を入れておくか
従業員たちに簡単な先程の様子を伝えとく
みんな監視カメラで、俺とのやり取りを見ていたらしい
客は誰一人、外の騒動は知らないと言う
「分かった、俺は外で佐々木さんへ連絡入れとくよ。こういう事があったって」
階段を駆け上がり、一番街通りにさっきの機動隊がいないのを確認する
よし、いないな……
俺は携帯電話を取り出し、佐々木さんへ電話を掛けようとした
「おいっ! オマエここの店長か?」
いきなり肩を掴まれ、目つきの悪そうな3人の男が立っていた
全員スーツ姿
どう考えても刑事にしか見えなかった
目の前で俺を睨む刑事3人
これ、絶対にヤバいよな……
「おい、店長かって聞いてんだろ?」
「いえ、タダの従業員ではありますが……」
「さっき盾持った連中来たろ?」
「はい、来ました! ガセネタだったようで、ご多忙のところすみませんとお帰り頂きましたが……」
「テメーふざけてるとパクるぞ」
「勘弁して下さいよー、刑事さーん……」
絶対にコイツら、中に入るつもりだ
俺はダッシュで階段を駆け降りる
店に入るなり「警察だーっ! みんな出ろっ!」と叫ぶ
一斉に立ち上がる客たち
ケンチャンの一人が「自分のクレジットはどうなるんですか?」と聞いてきたので、「いいから早く出ろっ!」と外へ突き飛ばす
「おいっ、奥のケーブル全部引っこ抜け!」
「え、どのですか?」
テンパっている伊藤
「台の電源全部だよ!」
その時入口に刑事の姿が見えた
一人の客を捕まえて尋問しようとしていたので、俺は両腕で刑事3人を壁に押し込む
「テメー、このガキが……」
あたふたしている客に「早く行けっ!」と怒鳴りつける
客全員が階段を駆け上がると、刑事は胸倉を掴んできた
「よくもやってくれたな、このガキが……」
「あはは…、中へどうぞ、刑事さん……」
「テメーも一緒に来いっ!」
店内へ入ると刑事は警察手帳を出して「動くなよ!」と従業員たちを威嚇した
俺は背後から、「みんな、まだ入って一ヶ月以内のアルバイトばかりだし、給料も一万円しかもらえてないですよー」と大声を出す
刑事の胸倉を掴む手に力が入る
「オマエ、さっきから……」
「無抵抗の人間にさっきから痛えっすよ、刑事さん」
俺は刑事の手首の関節を取り、そのまま転がした
「この野郎! 抵抗しやがって!」
俺は両腕を天井に向けて上げた
「抵抗なんてしてないじゃないですか。苦しかっただけです」
他の刑事は従業員を壁一列に並べ、質問をしていたので、「そいつら何も分からないすよ! 一万円の給料目当てで入ったばかりの新人ですから」と叫んだ
「オマエよ……」
「自分も入ってまだ3ヶ月のタダの従業員なんですよ。あ、社長に電話します! ちゃんと社長いますから」
「ふざけやがって……」
俺は受話器を取り、キャッシャーテーブルに貼ってある名義社長の番号へ電話を掛けた
「もしもし!」
店からの電話なんて初めてなんだろう
名義社長の声は震えている
「あ、社長! 実は刑事の方々がお店に来られましてね……」
「貸せっ!」
俺から受話器を乱暴に引ったくる刑事
結局のところゲーム屋は現行犯逮捕なので、客がいないこの状況では何もできないのだ
「いいか? 社長のオマエは今から新宿警察署に来い」
叩き付けるように受話器を置き、刑事たちは引き上げた
最悪俺くらいは連れて行かれると思ったが、大丈夫だったようだ
佐々木さんに現状を伝え、とりあえず今日は店を閉めて解散となった
翌日もワールドワンは店を休み、店内工事の為と貼り紙を貼っておく
俺は夕方くらいに新宿へ来るよう言われ、一番街通りの喫茶店上高地へ行った
少しして佐々木さんも到着
「昨日は大変やったねー、岩上君お疲れ様」
そう言いながら封筒を渡してくる
「何ですか、これ……」
中身は10万円
「名義が刑事から言われたみたいよ。あのガタイのデカい従業員、アイツは逃さないよう大事にした方がいいぞって」
咄嗟の機転で動いただけだが、本来敵である警察側からそう言われるのは何だかこそばゆい
「面倒な自体になるのを避けたかっただけですよ」
俺は封筒を返そうとすると、佐々木さんはそれを制し「上から出たもんやから、受け取っといて」と言われる
「じゃあせめて佐々木さんと折半で……」
「いやいや、それは岩上君がとっといてや」
しばらく考えたが、俺がいくら言っても受け取らないのは知っていたので封筒を受け取った
「あの時いた従業員たちと等分させて頂きます」
「うん、岩上君にあげたもんやから、それは好きにしてや。多分店はあと二、三日大事を取って閉めると思う。…と言ってもどっちみちあと一ヶ月やけどね……」
そう…、あと一ヶ月ほどでワールドワンは無くなるのだ
降って湧いた休み
俺は地元のJAZZ BARスイートキャデラックで飲み、ミサキのいるキャバクラで朝方まで飲み、家の隣のトンカツひろむでさらに飲んだ
「智一郎、店もう閉めるから、川越市場まで行って飲むか」
先輩の岡部さんが誘うので、とことん飲み明かす
この人は一番街の44人のビル火災の時も真っ先に俺の身を心配して連絡をくれた
トンカツひろむで岡部さんの良識、基本的なあり方を学び、また俺の見本とした先輩
市場で飲み終わると、帰り道途中にあるデニーズへ寄り、またそこで酒を飲む
そんなこんなでもらった10万は無くなったので、従業員に等分すると格好つけたがまあいいかと思った
「前だったらここに、野原さんも一緒にいたんでしょうけどね」
俺がそう言うと、岡部さんはしばらく考えてから「そうだな」と微笑んだ
クレジットカードを使った詐欺行為
あれ以来、林から連絡は無かった
一度電話をしてみたが、元々優しい性格なので躊躇っているようだ
「無理しないでいいですからね」とだけ伝えておく
岡本はあの機械貸したままで、元の管理している中国人がどうなってるんだと毎日うるさいと、せっついてくる
仕方なくビューホテルのセントクリスティーナへ連絡をすると、小沢が出た
「あ、小沢さん。お久しぶりです。岩上です。あの…、林さんは……」
「おいっ、オマエ何をしたんだ? 林さん、警察に呼ばれたぞ?」
「……」
何故そんな展開に?
ホテル時代の仲が良かった後輩へ内緒で内情を聞いてみた
どうやら自分でカードを通す勇気が無かった林は、キャッシャーの新人に機械を手渡し分け前をあげるからやれと命令
ビビった新人は支配人へ報告
それから警察介入
そんな流れで林はクビになったと聞いた
俺は一人の人生を台無しにしてしまったのだ
ただ林は何を聞かれても俺の名前を出さなかったらしい
実際現在もこの件で俺に、警察から連絡が来た事が無い
岡本に状況を伝えると、数日後機械を戻さないなら林の命を奪うと脅されたと言う
俺がその中国人と直接話をつけると言うと、岡本はあの機械自体20万するので、俺と折半で10万ずつ出し合って話をつけてきますと説得された
仕方なく10万を岡本に渡す
以来この一件は何事も無くなった
あとに残ったのは林との連絡は今後つかなくなった事
そして俺が二度と浅草ビューホテルへ顔を出せなくなった事だろう
ある程度時間が過ぎて、この話を知り合いにすると、恐らくその岡本は俺を引っ掛けて10万円をうまく騙し取っただけだと言われた
過ぎてしまった過ちは取り戻せない
俺が金を失った事よりも、林のホテルマン人生を壊してしまった事に対して、心が痛かった
弟の貴彦にはもう小遣いをあげる事は一切しなくなった
「兄貴は金を稼ぐのは上手いけど、金の使い方を知らないから、俺が上手く使ってやってんだ」
自分の友達の前だからと調子に乗り過ぎた
俺から貴彦へ一度は歩み寄ったのだ
親父の妹であるおばさんにも、一度俺から歩み寄るべきではないのか……
先日の林の一件で心を痛めていた俺は、現実逃避とはいえ、何かしらしたかった
出勤する家を出る前に一階の居間へ顔を出す
「あのさ…、俺、朝方仕事終えて帰ってくるからさ、肉とか野菜とか何か必要なものあったら買ってくるけど……」
変な言い方ではあったが、俺なりの精一杯の心遣いのつもりだった
「キャベツが欲しい」
こちらを見もせず、テレビを見ながら話すおばさん
「分かった。明日になるけど買ってくるよ」
こちらから少しずつ歩み寄れば、家族間絶対にうまくいくだろう
親父との雪解けはまだ難しい
まずおばさんから懐柔していけばいい
何故そんな心境になったのか分からなかった
言い返すから口論になる
相手を変えるんじゃなく、まず自分が変わらなきゃいけない
店に出れば多額の金を佐々木さんと抜き、いつもと変わらない日常
違うのは帰り道本川越駅ビル地下にあるぺぺのスーパーで、キャベツを買って帰る事
俺は男なので、買い物カゴにキャベツ一つだけというのは恥ずかしかった
なので日持ちするような野菜、じゃが芋や玉ねぎ、人参もカゴへ入れる
肉も冷凍すればいいからな
そこそこ値段の張る牛肉を500g買った
適当に調味料関係も入れ、5000円程度の買い物をして帰った
おばさんへ袋を渡す
喜んでくれると思った
「何だよ、私はキャベツだけって言ったのに余計なものまで買って……」
「キャベツ一つだけ買うなんて恥ずかしかったからさ……」
「こういう無駄遣いをしてるから、オマエは駄目なんだよ」
好意で買っただけ
金だって俺がすべて出している
何故こんな言われ方をされなければならないのだ?
いや、ここで怒るからいつも口論になるのだ……
冷静に…、心を静めろ……
「そうだね…、だから俺は駄目なのか……」
俺は二階の自分の部屋に戻り、思い切り壁を殴った
分析しよう
おばさんは家の仕事の仕事が終わると、スポーツジムへ行き、帰ってきたら居間でテレビを見る習慣がある
女性だけあってフルーツやヨーグルト、ケーキをたべながら……
俺は帰り道、本川越駅改札手前にコージコーナーがあるのでケーキを持って行く事にした
普段ケーキなど食べないから何を買っていいか迷う
店員に尋ねると無難なのがショートケーキと言われる
その種類だけでも様々だ
「ちなみにお姉さんがここのケーキ…、ショートケーキをプレゼントされるとしたら、何がいいですか?」
「うーん…、私でしたら、この500円のもらったら嬉しいですね」
「じゃあそれを二つ下さい。ひょっとしたら毎日のように買いに来るかもしれないです」
そんな感じでショートケーキを買って帰る
おばさんに渡すとケーキは喜んでくれた
「中に苺がたくさん入っているけど、結構高かったろ?」
「一つ500円のショートケーキ」
正直に言うと、おばさんは「私だったら250円の二つ買うな」と言われた
だから500円のショートケーキ二つ買ってきてるじゃねえかよと言いたいのを我慢する
一言いつも余計なのだ
普通にありがとうだけでいいのに……
揉めない方法
この人とは長く会話をしちゃいけない
何を言われても流せ
同じ空間に長居するな
部屋に戻って考えてみる
こんなんで本当に仲良くできるのか?
先行き不安しかなかった
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