2024/11/02 sta
前回の章
秋葉原の裏ビデオ屋アップル。
三月の初月売上六百七十二万円。
名義である山下は給料五十万の他に歩合でプラス十九万円。
これまでやった事のない裏ビデオの仕事で、一ヶ月六十九万円を山下は手にした。
片や週に一度ペースで休んでいる俺は月に三十万程度。
倍以上の金を後輩の山下ごもらっている点を百合子はおかしくないかと話してくる。
「智ちんがいなければありえない状況なのに、後輩の山下さんのほうが二倍以上給料高いって、普通に考えておかしいでしょ」
確かに一般社会で考えたら百合子の言い分は正しい。
しかし俺がやっているのは裏稼業なのだ。
名義人が名義料込みで月に五十万もらうのは、業界の常識である。
捕まる商売をして、捕まった際全責任を負うのだ。
俺よりも給料が高いのは仕方ない。
だが、俺が行くまで横浜で月に一万二千円しか作れなかった状況を思うと、俺が一日一万二千円しかもらえていない事実に、百合子が不満を覚えるのも当然だろう。
「まあまだオープンして一ヶ月なんだ。実績積んで初めてだろ?」
「うーん……」
俺の言い分に対しいまいち納得いかない表情の百合子。
皮肉な事に、俺がアップルを売上を増やそうと頑張る度に山下の給料も跳ね上がる。
二ヶ月目の売上は一千万を突破。
山下の歩合は月で二十七万。
月に七十七万稼いだ計算になる。
俺は変わらず三十万程度。
ちょっとしたジレンマを覚えるも、俺自身通常の仕事では楽しながら日々をこなしているのだ。
金が少ないと文句を言うのは簡単だが、それによって長谷川との関係がこじれるのは嫌だった。
人柄の良い長谷川の事務所には、色々な人間が集まってくる。
アップルオープン準備の時に仙台から手伝いに来てくれた先輩の楠本と後輩の翔太。
彼らは暇を持て余しているようで週に三回は顔を出す。
「お、先生! お疲れ様です」
楠本は俺をパソコンの達人と変な勘違いをして、顔を見る度妙に持ち上げてくる。
翔太は自分のノートパソコンを事務所へ持ってきて、俺にフォトショップをインストールしてほしいとせがむ。
フォトショップができるようにしてやると、年中使い方を教えてくれと面倒な電話を何度もしてくる。
俺自身色々な事を試し、独学でフォトショップを覚えたのだ。
最初に甘やかしてしまった俺も悪いが、仕事に支障出るだけなので、自分で本を買うなり教室へ通うなりしてくれと途中から突き放す。
それに対し「岩上さんは冷たい」という言葉が出たが、俺のどこが冷たいのか分からない。
無料でフォトショップを使えるようにして、初歩的な事はレクチャーしている。
大した知り合いでもないのに、いつまでも手取り足取り俺が教える必要性は無い。
この人たちは長谷川と同郷の仲がいいというだけなのだ。
そう思うように徹して、日々を割り切る。
給料が歩合込みで九十七万の金をもらうようになった山下。
俺は変わらず三十万前後。
いくら名義を張り、俺が歩合条件つけたとはいえ、三倍以上の給料の開きは何とも言えない気分になる。
これまで手にした事のない金額を持った山下は、変に増長してきた。
丸々三ヶ月間一日も休んでいない自分を「俺は可哀想ですよ」とか言い出す。
百万円近い給料をもらっておきながら、何が可哀想なのかまったく理解できない。
要は金を手にして図に乗っているだけなのだ。
厳しく接する俺とは反比例し、長谷川は甘かった。
俺がシステム化したからこその成功だという自負はあったが、長谷川は山下の人懐っこい性格も味方しての売上だと言う。
ジレンマが溜まる日々。
確かに新作が出た時の作業くらいしか俺はしていない。
風俗のガールズコレクションの時や北中のメロン同様、俺のスキルをうまく利用されただけなのかと思うと自分の馬鹿さ加減が阿呆らしくなってくる。
俺は確かに大切には扱ってもらってはいた。
しかし馬鹿でいい加減な山下と給料の開きが三倍以上あるのだ。
会う度その辺を百合子に責められる。
それはワインの底で静かに蓄積していくオリのように、ストレスとして溜まっていく。
今でも働きやすい職場な事は間違いない。
ただうまく利用されているだけなんじゃないのか?
そういった疑念も産まれつつあった。
百万円近い給料をもらう山下。
八時になり売上報告の電話が入る。
「今日の売上は?」
「四十三万です」
「じゃあ歩合の二万五千円を抜いた四十万五千円を事務所持ってきて」
「あ、岩上さん」
「何だよ?」
「うちの店の近くでオープンしたビデオ屋の誠也さんいるじゃないですか」
「それが何だよ?」
「親睦を深める意味合いで、これから飲みに行く約束をしてしまったんですが……」
「はぁ? おまえ、何を言ってんの?」
「いえ…、事務所へ売上持って行くの、明日じゃ駄目ですか?」
何を図に乗ってんだ、このクソガキめ……。
「ふざけんなっ! 売上とっとと持って来い!」
俺が山下へ怒鳴っていると、横から長谷川が状況を聞いてくる。
俺は簡単に説明すると、「まあ山下も頑張っているんで今日くらいいいじゃないですか」と電話を代わり、「あ、山下? 売上は明日と一緒に持ってくればいいよ」と笑顔で話していた。
嫌な前例を作ってしまった。
いや、俺はもうそんな必要とされていないのかもしれない……。
わざわざ地元まで行き先輩の岡部さんに身元引受人のお願いをした事。
一から秋葉原の店舗を成功させようと、精力的に動いた事。
持てるスキルフル活用した事。
「……」
俺がした事など、この程度なのだ。
遣る瀬無い気持ちで一杯になる。
「そろそろ時間来たんで、俺は帰ります……」
「あ、岩上さん。今日の日当です」
手渡される一万二千円。
うん、これが俺の価値なんだよな。
別の仕事を探すか……。
そろそろここも潮時かもしれない。
百合子が部屋に来るというのを疲れているからと断り一人でいた。
これ以上給料の件で、百合子から責められたら頭がおかしくなりそうだ。
長谷川のところを辞めようか……。
辞めてどうする?
あれ以上に好条件で働きやすい職場があるのか?
無いよな……。
ただこれまで尽くしてきて、現状の疎外感が溜まらないのだ。
俺と山下…、明らかにどっちが組織に対して尽くしてきた?
山下など名義の替えなどいくらでもいる。
月に百万円近くの金をもらえるような店なら、誰だってやりたいだろう。
山下のガキ…、何を図に乗っているのだ?
苛立ちを抑えられない。
秋葉原のアップルの成功で、歌舞伎町で店を構えていたオーナーたちは真似をしてこちらに出店してくる。
アップルオープン当初は三軒しかなかった裏ビデオ屋も、今では十店舗ほど増えた。
情報の共有で他の店の人間と仲良くするのはいい。
ただ飲むに行くから売上を明日に回すのは絶対に違うだろ?
三ヶ月ちょい一日も休みが無いのは、確かに大変である。
ただそのおかげで百万円近い給料を手にしているのだ。
「あの馬鹿、何が俺は可哀想だよ」
ポツリと口に出る愚痴。
俺はウイスキーのグレンリベット十二年をラッパ飲みしてふて寝をした。
いい感じで寝ていた時だった。
携帯電話が鳴っている。
百合子か?
眠いので目が開かない。
切れた電話はまた鳴り出す。
誰だよ……。
目を開け画面を確認した。
山下からだった。
時間を見ると夜中の二時過ぎ。
何だよ、あの馬鹿。
こんな夜中に……。
「もしもし……」
眠気を我慢して電話に出る。
「あ、岩上さん! 何か知らないんですけど…。俺、起きたらキャバクラのソファーで寝てて……」
「だから何なんだよ!」
思わず怒鳴りつけた。
「いや…、俺…、いつも売上は、穴ポケットに入れてるじゃないですか?」
「知らねえよ、そんなの」
「それが今…、無くなっていまして……。ど…、どうしたらいいのか……」
ほら、言わんこちゃない。
大方金があるから調子に乗って、キャバクラで豪遊して寝てしまったのだろう。
その際お尻のポケットに入れていた売上の封筒を誰かに盗まれた。
そんなところだ。
「確かに自分、売上は穴ポケットに入れてて……」
「知らねえって言ってんだろ!」
「いえ、だから自分はどうしたらいいのか……」
「だから店終わったら事務所へ金ちゃんと持って来いって言ったろうが!」
「いや…、あのですね…。だから俺はどうしたらいいのか……」
「そんなの知らねえって何度も言ってんだろ!」
「いえ、岩上さんなら……」
「甘えんじゃねえって! 自分の仕出かしたミスだろ? それ以上の金はやってる。自分で埋めろ!」
「いや…、あのですね……」
「うるせえよ、言い訳なんか知らねえって。埋めないなら、長谷川さんにそのまま報告するだけだ」
「え、待って下さい! それはちょっと……」
「だから…、四十万と五千円。自分で貯金から下ろしてでも埋めろ。それなら長谷川さんには報告しないでやる」
「え、岩上さんは……」
「何でテメーのミスに俺が金出さなきゃいけねえんだよ? おまえ舐めてんのかよ? おいっ!」
俺が怒りだして初めて山下は正気を取り戻したようだ。
「す、すみません…。深夜にすみません…。自分の責任なので、自分で埋めます…。なので長谷川さんには内緒でお願いします……」
「当たり前だろ、馬鹿! 図に乗ってるからだ」
それだけ言うと、電話を切る。
山下が売上を明日と言ってきた時点で嫌な予感がした。
馬鹿が図に乗ると碌な事にならない。
「まだ三時にもなってねえじゃねえかよ……」
せっかく寝て静まった苛立ちが再燃していた。
翌日昨日の売上と一緒に事務所へ持ってきた山下の表情は暗い。
だが同情など微塵も無かった。
長谷川に事実を伝えないだけありがたいと思え。
秋葉原で無駄に増えた裏ビデオ屋。
細々やっていたからこその利点が、それで台無しだ。
明日辺り秋葉原の現状を把握しておかないと……。
過当競争になるのは避けたかった。
だいたい同じ商品で同じ商売をした場合、フライングしてくる店は多い。
歌舞伎町でもそれは凄かった。
幸い秋葉原の土地のヤクザは〇〇組一本で済んでいるので話は早い。
ケツモチへ料金変動をする店が無いよう目を光らせなくてはならないのだ。
例えば現状ではDVD五枚で一万円という価格。
自分のところだけ六枚一万円にするとか、出し抜いて売り出す店は出てくるだろう。
自分のところさえ売れればいいという自己本位な考えの店。
そういうのを許すと、いくらでも脱線するところは増える。
だからこそのケツモチなのだ。
この地域の価格はこれで決まりという取り締まりが必要になるのである。
山下も近隣の同業者とただ親睦を深める為に飲みに行くというのではなく、他はどのような売り方をしているかとか、そのくらいの頭は欲しい。
しかし馬鹿なのは分かっているので、そこまで期待しても無駄だろう。
秋葉原のアップルのケツモチ料は月に五万円。
よくニュースで暴力団の資金源にとか大袈裟に言っているが、十店舗でようやく五十万程度だ。
そんなもんで国民を洗脳するようなニュースは、見ていてどうも好きになれない。
他のところへ職場変えようかと思っているのに、こんな事を考える俺もお人好しだな……。
翌日秋葉原で裏ビデオ屋を見て回る。
話に聞いていたよりも同業は増えていた。
見落としていなければ、全部で十一店舗。
牛丼の個人店サンボの近くにある裏ビデオ屋の値段表をチェックする。
早速やらかした店を発見。
五枚で一万円が基準なのに、『オープニングセール 七枚一万円』と大きな文字で貼り紙を貼っていた。
直接店に文句を言いたいところだが、ケツモチへ連絡して値段を正させる。
「そんな細かい事を言わなくてもいいんじゃないの?」
そう秋葉原のヤクザ者は言うが、絶対に阻止するべき案件なのだ。
面倒臭そうにヤクザはその店に注意した。
翌日見に行くと、『オープニングセール 一枚二千円』と新たに謳っている。
俺はそれも辞めさせるようヤクザへ言うと、五枚一万円は変わらないのだから目くじら立てるなと返された。
その内こういう店はコソコソ七枚で一万円、十枚て一万円という具合いでやるだろう。
現状の五枚で一万円という価格帯だからこそ、一人の客が数万も使ってくれるのだ。
過当競争になると、結局自らの首を絞めるのは自分たちなのである。
さらに目がついた店が数軒あった。
ロリータ…、といってもただの未成年ではない。
小学校低学年以下を対象にしたものを売る鬼畜な裏ビデオ屋まであった。
売れれば何をしてもいいでは、人としてどうなのか?
俺はまたケツモチへアドバイスした。
しかし秋葉原のヤクザは、急に増えたケツモチ料が惜しいらしく、俺が意見を鬱陶しそうにする。
何事も長く続くからこその利益なのに……。
これは年内店が持つか不安になってきた。
毎日のように訪れる長谷川の知人。
そのほとんどが裏ビデオ屋アップルとはまったく関係の無い人間ばかりである。
ほぼ毎日のように来る仙台出身の藤村。
彼は常に暇で何かにつけて事務所へやって来る。
時たま山下へ捕まった事を想定して警察のシミュレーションをする際、そこにいられると本当に邪魔だった。
彼は良かれと思って口を出してくるのだが、俺からしたら無関係なのだから邪魔するなと言いたい。
俺の意見を聞きながら、途中でしゃしゃり出る藤村の言葉。
山下は混乱するだけなのだ。
頼むからこっちの問題に口を出さないでくれと言いたかったが、長谷川を慕ってきているので、そう邪険にもできない。
他にも高橋という東北出身のチビもよく顔を出す。
彼は自分でいつか裏ビデオをやりたいらしく、週に二度入る新作DVDのコピーを欲しがった。
長谷川が仕入れ値の半額で譲ると約束したようで、火曜と金曜はいつもいる。
勘違いしているのか、俺がアップル用に色々作業していると「早く新作のコピーもらえませんか?」とせかしてきた。
あくまでも自分たちの組織用の新作DVDであり、無関係の高橋にせかされる筋合いなど無い。
楠本、翔太の仙台コンビもウザかったが、藤村と高橋が揃って事務所へいても、うるさくて邪魔でしかなかった。
中国人は皆殺しだと過激な事を言う藤村に対し、何故そんな非人道的な事をと不思議がる高橋。
俺からしたら、そんなどうでもいい理論は他所でやってくれというだけだ。
わざわざうちの事務所まで来て闘論し合う内容じゃないだろ、ボケといつも心の中で思っていた。
ある日、巣鴨警察留置所で同じ部屋にいたヤクザの○○商会の原から電話が入る。
何でも新しいシノギで裏ビデオ屋を始めたいが、俺に色々アドバイスや新作のDVDを手配してくれないかというお願いだった。
勝手に新作を流すわけにもいかず、長谷川に相談すると快く承諾する。
俺は新作が入ると週に二度、○○商会の組事務所へ行き、売り子をやらせるつもりの若いヤクザに商売のイロハを教えた。
秋葉原のアップルは順調。
山下の給料は百万近く。
いつになったら長谷川は、俺の給料を上げるつもりなのだろうか……。
山下が昼の十一時にアップルへ出勤したら、電話連絡しろという決まり。
その連絡が無い時、店の電話へ掛けると何コール鳴らしても出なかった。
今までではありえない金額を持つようになった山下。
深夜飲み歩いているのか、遅刻が多くなっている。
九時間勤務のあと新宿の事務所へ売上を持って来るだけ。
それで約百万の給料をもらう。
そんな状況の中、遅刻をする。
しかも相変わらず「俺は可哀想ですよ、休みなんて一日も無くて」と未だほざいていた。
そこへ長谷川が「岩上さん、一日くらいお店入ってあげて、山下を休み取らせたらどうですか?」と言ってくるものだから、余計山下は増長する。
一度山下を休ませ、俺が秋葉原のアップルへ売り子として入った。
「あれ? いつもと違う人ですね」
そう言ってくる客は多い。
確かに山下の人懐っこい性格で、数名の客は掴んでいた。
しかしここまで売上が出せたのは、データ管理して調べやすく作った俺のアイデアだ。
決して普通の裏ビデオ屋に山下が入ったら、こうはなっていない。
もうこんな組織辞めてしまおうかと思う。
俺がいなくなってから、大いに困ればいいのだ。
いや…、前もその先どうするのか考えたろ?
抜けたところで俺はまた一からスタートするのかよ?
前のガールズコレクションよりはマシな環境。
文句があるのは山下が俺より三倍以上の金を多くもらっている部分だけなんだ。
この媒体を作り上げたのは俺。
だが給料で見たら、長谷川は俺より山下を評価している。
やっぱり辞めるか……。
最近こう自暴自棄に考える事が多い。
ストレスが溜まっているのだ。
事務所にいると息が詰まる事が増えた。
そんな時俺は気分転換で外へ出掛けてみる。
「あれ、岩上さんですよね?」
区役所通りをブラブラ歩いていると、背後から声を掛けられた。
「ん? ひょっとして石黒か?」
ワールドワン時代の従業員だった石黒が立っている。
何年ぶりの再会だろうか。
お互い懐かしがり、近況を聞く。
石黒は現在風俗の受付の仕事をしているようだ。
ただ現状に不満を持っているらしく、俺に何か仕事が無いか聞いてくる。
待てよ…、山下より石黒の方が几帳面で真面目。
遅刻も多く、勘違いしている山下よりも、石黒をアップルの名義に代えたほうがよりいい売上を望めるんじゃないだろうか?
事務所へ戻ると、長谷川はアップルが好調なので仙台のオーナーから違うエリアでもう一店舗出すよう指令が出たと言う。
また新店舗用に俺が色々データを用意して、ほとんどの準備をするようになるのか……。
その前に山下をクビにして、後釜に石黒を使う考えを伝えてみよう。
「最近弛んでいる山下は遅刻も多いし、そろそろ別の名義に変えませんか? もっと真面目で一生懸命やる奴いるんですよ」
「いや、岩上さん…。売り子を代えてもし売上が落ちたら、僕は仙台のオーナーに何も言えなくなってしまいます。やっぱり山下だからこそ、あそこまでの売上になったと思いますし…。その石黒という子には、隣の神田辺りで物件探して二店舗目を任せてもいいんじゃないかと」
また山下山下か……。
「長谷川さん……」
「ん、どうしましたか、岩上さん」
「俺、少しこの仕事休みもらいます……」
「え! どうしたんですか? 岩上さん来なくなったら……」
「火曜と金曜の新作入った時だけは来ますよ。あとは少ししばらく休みます」
これまで頑張っていた糸が切れてしまったようだ。
まだここで話し合っても、俺の精神的にいい方向へ行かないのは自覚していた。
俺抜きでどこまでできるのか……。
いや、俺抜きでもできるよう色々整え過ぎたのだ。
一度頭を空っぽにして休もう。
ゆっくり過ごしてそれから考えればいい。
長谷川のところを辞めるにしても、まだ続けるにしても一度百合子と相談してみよう。
強引に作った自由な時間。
俺は百合子や娘の里帆と早紀たちとの空間を大切にした。
一週間に二回だけの出勤。
一日一万二千円だから、二万四千円の収入。
しかも電車賃が別途に掛かる。
このままでいいわけがない。
百合子に自分の腑に落ちない部分を正直に話した。
自分が長谷川のところでこれまでやってきた行動。
しかしそれに伴う給料の格差。
すべて放り出して、新たに普通の仕事を探してもいい。
振り返ると裏稼業として順調だったのは、ゲーム屋のワールドワンまでだった。
北中のメロンに、五店舗の統括という立場。
そして俺と百合子の子供をおろす羽目になってしまったガールズコレクション。
先輩の坊主さんに教わったパソコンスキルを都合良く利用され、金などほとんどなっていない。
今の長谷川のところもそうだ。
俺がいなかったら、横浜の時のように何もできずに撤退しただけだろう。
名義人として警察に捕まった際、全責任を負って大変なのは分かる。
だが、その現状で三倍以上の給料の開きがあるのはおかしい。
確かに山下の今の給料は俺自身が設定し、長谷川に頼んだものだ。
それが無かったら、山下はどんなにDVDを売ったところで一か月五十万円だけだった。
始めに伝えた時、何故俺は自分の給料の部分を言わなかった?
言わずとも成果を出せば、勝手に分かってくれると思っていた……。
自身がそう思うだけで、俺は自分で自分の首を絞めていたのか。
変に金に対してガツガツしているというのを見せたくないという美意識はある。
裏稼業にいながら俺は何でこんな風に妙に格好をつけるのだろう。
どんな状況にいようとも、俺はあの当時の全日本プロレスにいて、今は亡きジャンボ鶴田師匠の弟子という誇り…、その為に俺は生き方を自分で模索しているのだ。
だから総合格闘技でPRIDEの誘いあった時、金でなく誇りを取ったんじゃないか。
鶴田師匠にもう恩返しなどできない今、俺は生き方で示すしか方法が無い。
「智ちんはね…。本当に不器用だなあって、いつも思う。でもね、あなたは本当に優しいの。私はそんな智ちんを見ているのが好きだし、うちの娘たちもそんなところに惹かれているんだと思う」
百合子は笑顔でそう言ってくれた。
俺はこの三人を養っていかなきゃいけない。
どうする?
またどういう扱いを受けるか分からない知らない職場で、一から始めるのがいいのか?
給料格差はあろうとも、働きやすい環境の長谷川のところでまだ頑張るか……。
「あ……」
「どうしたの、智ちん?」
「ごめん…、百合子……」
「どうしたの?」
「俺さ…、山下の馬鹿の身元引受人で、先輩の岡部さんを絡ませちゃっているんだ……」
「この間連れてってくれたお店の先輩?」
あの時はオープン準備で色々必死だった。
自分の身元引受人すら用意できない山下に対し、誰かいないか考え、自身の持つ人脈の中から岡部さんを頼り、今の仕事に間接的とはいえ関わらせてしまったのだ。
秋葉原の裏ビデオ屋連中は、いずれ警察に捕まるだろう。
もちろん山下もである。
その時初めて岡部さんは裁判に行く。
俺が紹介しておいて、先に抜けるなんて義に反するんじゃないか?
もう長谷川や山下の事はどうでも良かった。
昔から関係があり、ずっと信用を築いてきた岡部さんだけには不義理な事をしたくない。
「百合子…、本当にごめん……。俺さ…、岡部さん巻き込んじゃってるからね…。やっぱ俺だけ先に抜けるなんてできないよ……」
「うん、ほんと馬鹿だなあと思うけど、あなたらしいなって思うよ」
百合子に肩をポンと叩かれて、俺はその場に突っ伏して泣いてしまった。
本当に考え無しに動く自分の馬鹿さ加減が嫌だった。
翌日から気持ちを切り替えて、また長谷川の事務所へ顔を出すようにした。
結局俺がいなくては、どうする事もできない案件があるのだ。
俺は感情を持たず、マイペースで金を稼ぐ事だけ考えればいい。
もう山下がどうとか気にしないようにした。
遅刻しようが図に乗ろうが、俺の手は離れている。
長谷川もどう考えているのか分からないが、この給料格差に気付き、ひょっとしたら俺に払う金額を上げてくれる可能性だってあるのだ。
まあ変な期待はするな。
それと捕まる恐れあるから、山下を休ませる為に俺が秋葉原のアップルへ入るのだけは、キチンと断ろう。
あんな馬鹿のせいで警察に捕まるリスクなど、一ミリも侵したく無い。
勝手に数日休んだ非礼を詫びて、俺は日常業務に戻った。
そんな俺に長谷川は、第二店舗目の話を持ち出してくる。
ワールドワン時代の石黒の事を考えると、あいつを名義人として出店してやりたかった。
だがまた俺の労力や責任も出てくるのだ。
とりあえず長谷川に石黒を合わせ、二人でどうしたいのか勝手に話し合いをさせる。
俺は機械的にやる事だけをこなせばいい。
稼いだ金を百合子たちに使い、それで日々が回ればいいのだ。
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