新生党、新進党、自由党、民主党と離合集散を繰り返してこられた小沢一郎さんだが、自らが国の指導者となる機会は今日までおとずれていない。思い出すのは田中派から竹下派を結成し七奉行の一人として影響力を持つ頃からそれは始ったような気がする。
竹下派から離脱される当時。竹下内閣の官房副長官として内閣を支える立場であった小沢さんは日米の牛肉オレンジ問題などで手腕を発揮され高い評価をうけた。その後竹下派(平成研究会)の後任会長問題で、後任に意欲を持たれていた小沢さんであったが、同じ内閣でよきライバルであった官房長官の小渕恵三さんが後任の会長(後の内閣総理大臣)となる事から平成研分裂へとつながっていった。
その後の政局はダイナミックな二大政党政治を目指すかのように思えたが、今日まで政党は離合集散を繰り返してゆく、政局は小沢さん抜きでは語れないが、今後も小沢さんが総理の椅子に固執するかぎり政党の離合集散は今後も続くと言えるのではないだろうか。