昭和六十四年を境に昭和から平成へと時代は変わろうとしていた頃、同じく政治も転換期を迎えていた。与党対野党連合の二大政党制の時代へとカジを切ったかのように思えた政界であったが、政党の離合集散が繰り返され、実現はできていない。経済も1990年からの20年間は経済の低迷期であり、失われた20年とも言われた時期にある。
昭和50年代までは、経済の成長が国家全体を支え、「均衡ある国土の発展」を目標に、5度にわたり、全国総合開発計画が示されてきた。この計画は、開発を基調とした量的拡大を志向したものとなっていたこともあって、地方の課題を積み上げて行く過程で、地方議会は重要な役割を果たしていた。
近年、国政選挙のみならず地方選挙においても、投票率が低下をしている。低下の原因は、いくつか考えられるが、有権者から見て、政治に関心が持てないからに他ならない。
では、なぜ関心が持てなくなってしまったのか、何が起こっているのか、それは、経済政策が個人所得に繋がらないジレンマのなか、依然、都市に人口が集中し地方との格差が埋まらない。政治家の不祥事に端を発する不信感が依然なくならない。以前に比べると、生活に対する満足度は向上しており、生活に不自由を感じないことから生まれる問題意識の低下。自治体の財政事情から歳出が削減され、以前に比べると地域要望(個別利益)に応えられなくなっている。などが考えられるのではないでしょうか。
政治は無関心でいられても、だれもが無関係でいることは不可能であります。それだけに、私たちはここで一旦立ち止まって、これから地方議会の役割をじっくり見つめ直す時期にさしかかっています。これから日本の人口減少社会は、生産年齢人口の減少を同時にもたらします。今後も、経済成長を日本が目指して行くには、一人当たりの生産性の向上や効率化を図る必要があるといわれています。
地域課題の問題解決も同じことが言えます。これまでどちらかと言えば団体自治に依存していた時代に代わって、住民自治の時代がもとめられています。行政も、多様な地域課題にこたえることが大変難しくなってきています。一方、議員は、当然地域課題に向き合う必要がありますが、以前の財政的に豊かな時代と異なり、直接的要求や利害の調整といった役割に答えることは出来なくなっています。
それをこれまでどおり、耳障りの良い言葉で、いかにも出来るかのように住民に語りかける議員はたぶん、当選することだけが目的にあるのでは?となってしまいます。「あれも・これも」から「あれか・これか」になり「あれも・これも」答えがだせなくなりました。これからも同じ理屈で、議員ひとり一人が異なる地域要望を抱え、それだけを実現しようとすれば、残念ながら多くの要望の実現は時間がかかるか、実現不可能とならざるを得ません。
分権時代に求められる議員像とは、地域要望のみならず、まず市民の共同利益の実現が優先されます。一方住民に求められる事は、出来るだけ地域で問題を解決できるように、一人当たりの問題解決能力や地域力を更にあげる必要があることにあります。そのためには、時間はかかっても、小さい頃から子どもたちに地域課題と向き合う機会を与えて、将来地域のリーダーを養成できるよう、主権者教育を充実する必要があると考えています。
一見多くの議員がいたほうが民意(少数意見)を反映するのには良いと考えがちではありますが、だからといって地域は良くなるものではありません、地域課題優先の議員であればあるほど、これからは必要な政策が打てず、力は分散し、結果的に課題は何も解決しないままとなってしまいます。行政・議会はこれから住民自治を推進し、議員は等しく地域へ出かけて公聴機能を生かし、必要な政策を素早く実施できるよう政策形成サイクルの機能を確立する必要があると考えます。