午後8時ごろだったか、まだ薄っすらと明るさの残る夕闇の中に、金星が輝いていた。ぼくは、小学校の時から理科が不得意だったせいで、星や星座の名前を満足に憶えていない。ということなので、この金星は、もしかしたら火星なのかもしれない。
星と言えば、昔と今とで大きく違っていることがある。それは、昔に比べると、北九州で見る星が、きれいになったということだ。昔は星など見えないに等しかった。なんとなく霞んだ空の向こうに、ぼーっといくつかの星明りが見える程度だった。
ところが最近は、公害防止のための規制やに加え、工場が次々と閉鎖した関係で、よく星が見えるようになった。もしぼくが子供の頃にこういう環境が整っていたら、もっと星に対して関心を寄せていたのかもしれない。そうであれば、もっと理科の点数はよかったに違いない。つくづく残念である。
2,
10年前に書いた詩に「星」というのがある。
「最近は星がよく見える。
生まれた時から
あまり星を見たことがなかったのだが、
最近は本当に星がよく見える。
空がきれいになったのも確かだが、
どうやら
星を気にする歳になったらしい。
本当に星がよく見える。」
確かに星を気にする歳になったのかもしれない。夜、車を降り、駐車場から家に向かう時、晴れた日には必ずと言ってほど、空を見上げている。そこに何を求めているのかはわからないが、『郷愁』という言葉がそこにあるのは間違いない。
3,
小学校低学年の時、7月7日になると、いつも星の観測をさせられた。「織姫と彦星」を探せと言うのだ。先生から「だいたいこのへんに出るよ」と教えられたが、あいにくこの時期は梅雨の真っ盛りである。もし晴れたとしても、それは霞んだ空の向こうにしか見えない。結局、いつも星の観測は断念した。
ここでも、「もし」という言葉を使うとしたら、もしその時「織姫と彦星」にぼくが会えていたら、もう少し理科の点はよかっただろう、と言ってしまう。申し訳ないが、こればっかりである。
ぼくは今でも星を見ると、昔の理科コンプレックスを思い出してしまう。そういう理由で、素直に星を見ることが出来ないのだ。
4,
星といえば、ぼくが小学校高学年の頃、アニメ「巨人の星」が流行った。ぼくたちは、その物語の行方や、内容の馬鹿らしさを追っていた。
その後遺症なのか、今でもオーロラ3人娘の
「アイラビュ、アイラビュ、フォレバモー/愛しすぎたから恐い/別れが恐い・・・」
という、どうでもいい歌を覚えている。
5,
かの諸葛孔明は、星を見てその人物の性格や運勢を判断していたという。彼は自分の寿命すら星にゆだねた。
満天の星の中には、必ず自分の星があるという。その星を見つけてみたい気もする。今その星は、いったいどんな輝き方をしているのだろうか?
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