昨夜は毎週楽しみにしている「きのう何食べた?」をリアタイできた。
ジルベールわたる、最高~~・・・・でも、自分の身近にはいてほしくないタイプ。ジルベールを面白いと思ってうまく付き合えるシロさんとケンジはすごいと思う。私なら絶対近づかない。
私は49歳で家を出た。
49歳から50歳にかけてはめちゃくちゃ働いてた。
昼はお勤め、夜は在宅ワーク。
長男と一緒だったので、とにかく飢えさせないように、そして近くにいたとはいえ、私の両親には絶対経済的に頼らないと決めていたので、必死で働いていた。
田舎なので、父親に車を貸してほしいと頼んだ時、父は「買えばいいではないか」と言った。お金がないことを知っていながらそういうことを平気で言う父だった。2台ある車のうち、軽のバンは駐車場に放ってあったのに・・
当時も離婚とか別居はもう珍しいことではなく、私の同級生でも離婚し実家に帰っている人は割といた。でも、私には帰る実家はなかった。両親がいた小さな公営住宅では寝る場所もない。結婚後、極たまに帰省するときも、ホテルをとらなくてはならなかった。だから、離婚しても実家に戻るなんて考えられなかった。
父の「買えばいい」に49歳はかなり傷ついた。そんなお金もなくて、なにが別居だといわれてるようで。
実際、別居の報告に行ったときは延々「親に背いて勝手に結婚し、挙句はこれだ」と。父は、非難し始めたらその相手が泣き出すか、身も世もなく落ち込むまで、痛めつける人だった。それもわかっていたから、私は早々と泣く準備をし、その通りにしたけど、それでも2時間はああだこうだと言われ続けた。
だから「買えばいいのに」はその非難の続きのような感じがして・・・
それでも、車がないとどうしようもないので、ボロボロの軽を借りた。ワイパーやタイヤを新しくして、車検代も払った。そして、この車をできるだけ早く父に返すため、お金を貯めた。返すことができたのは1年後。中古の軽自動車を70万円で。その車はそれから約12年間、一度も故障することなく、事故を起こすことなく頑張ってくれた。
2020年の夏にエンジン不調の警告灯が出るようになって、それで今の車に乗り換えた。あの時はお金の都合でその選択肢しかなく、仕方なく買った車だったけど、本当によく頑張ってくれたな・・・
あ、話がそれてしまったけど、そんな感じでとにかく働いていたから、50歳を迎える葛藤などあまり感じなかった。まだまだ頑張れるってある意味意地を張っていたのかな。
無理に無理を重ねていたけど、大きな病気をすることもなく過ごしてこられた。屈強な体をくれたことは両親に感謝だな。
それから4軒、私名義の(格安)不動産を買い、収入がないときも家賃がもらえることでかなり助かった。そこまで頑張れた裏にはいつも父の「買えばいい」が引っかかっていたから。2度と父に言われたくない言葉だったから。
でも・・・今になって・・・父は私の性格を知ってて、奮起させるためにわざとそういうことを言ったのかな・・・とも思うときもある。