1950年に改正された「日本学生野球憲章」を今頃になって引っ張り出し、「野球特待生制度」申告校は、今月末までに特待解除せよという措置を講ずるよう命令を出した。
高野連の会見で、「生徒に罪をかぶせるのは気の毒だが、責任はゼロではない」と話した。高野連の意識は60年前からまったく変化していないのだろうか。
私学の特性は、公立には出来ないことをすることにある。スポーツや文化・文芸、学問にしても若葉を大いに伸ばし開花させるための特色あるカリキュラムを組むことが出来る。
平成に入ってから、「個性の伸張」という言葉が「教育改革」「学校改革」という社会変革の流れの中で問われてきた。折しも少子化の波が押し寄せてくる危機感から、私学はますます魅力ある学校創りへ特色を打ち出しはじめた。
私学は、生徒の個性引き出し、伸張させるための取り組みに着手した。「一芸に秀でた」生徒を集め、特別待遇として迎え入れることは何ら問題はなく、生徒にしてみれば、特待として入学できることは大いに誇りであるし、保護者も同様であるに違いない。
それを今頃になって、高野連だけが権威の斧を振りかざすのはおかしい。生徒や親、学校の現状を理解し、高体連とも足並みを揃える事もしないことに納得がいかない。
生徒や学校を厳しく規制し、権威の斧を振りかざす高野連のあり方こそ、考え直す必要があるのではないだろうか。
学校が「一芸に秀でた」生徒を特待として迎え、夢を叶える道筋をつけることも学校教育にあっても不自然ではないが、特待にはある程度の規制を持たせることは必要であると思う。