前回のあらすじ:なんだか予定の3分の1の人数しかいないけど、むしろ楽でいいよね!
いや、直前のキャンセルとはいえ、120人定員で30人ってどういうことなの……?
――2011年8月28日(日)――
翌日。姫木平のペンションをバスで出発し、ツアー一行は9時過ぎに上田駅にやってきました。
新幹線・しなの鉄道・上田電鉄別所線の3本が交わる上田駅。特に、かつての丸窓電車の居所で、現在は東急車が住み集う上田電鉄は寄ってみたかったのですが、時間の関係上断念しました。
今日もしなの鉄道から始まります。下り(長野方面)の快速の次の列車が、我々の乗る列車です。
改札の反対側にある窓から長野方面を見ると、丁度昨日の169系がホームに到着するところでした。
拡大。
改札の中に入って撮影開始。そう、本日の一番列車もこの169系の貸切り列車です。
9時25分の発車までしばらく撮影タイムです。日差しが強くて、写真もご覧の通り白飛びしがちに。しかも、日差しの強い中で画像を確認しても白飛びと分かりにくいので余計に厄介です。
快速(2603M:上田9:17発)を先に通します。
先頭は「団体」の幕。まさか30人弱のためだけに貸切になっているとは一目じゃわかるまい。
席は昨日と同じところですが、人がいないのでみんな好き勝手に座っています。そして、誰も文句をつけません。
《上田9:25発》
《屋代9:42着》
もとからたった6駅・19.9㎞(営業キロ)しかない道のりです。幹線規格の線路を元急行用電車がノンストップで走ればどうなるかは目に見えていました。
すでに長電2000系がアップを始めているようです。
さて、前回の記事にも書いた通り、屋代駅には3番線(上り本線)と長野電鉄との間に側線があります。長野電鉄の方も島式ホームのうちしなの鉄道側のホームは柵で区切られ一般客は入れないようになっています。
そう――撮影会にはもってこいです。
このツアーでは、側線×2を使用して169系と2000系を並べたミニ撮影会が1時間ほど持たれていました。
しなの鉄道も、長野電鉄も、側線に入れるために本線にいったん入る必要があります。この辺りは『車庫』(動画庫)に上げて置く予定です。動画の質が悪いため公開できません。申し訳ありません。
およそ5分で転線(入換)完了!
両方ともツアー前に乗車経験(それも定期運行時に)はありますが、同じ場所に並んでいるのを見るのはこれが初めてです。もっとも、しなの鉄道と長野電鉄の接点はここと長野駅ぐらいですが、長野駅は長電が地下化されていますし、特急用の2000系は定期運行では屋代線に入っていなかったので、並びが見れるようになったのは団体ツアーが組まれるようになった2010年末からですが。
その時、1番線に189系の姿が。2011年7月から169系に代わり「しなのサンライズ」「しなのサンセット」などに用いられているこの車両は、実は「あさま」の残党。6編成18両の貴重種で、一部は183系を組み入れています(碓氷峠装備以外は共通なので、碓氷峠を通さない限り自由に組める)。JR東日本から借り入れという形をしています。
189系は団体用の回送列車のようでしたが、1番線でいったん停車。かつての長野を彩った車両が、一時屋代駅に集いました。
臨時停車はものの1分足らず。189系は長野方へと消えていきました。
S52編成の奥にもう一本の169系が停泊中。
3両編成2本を縦に並べても余る構内。
さて、前置きはこのぐらいにして、そろそろ長電のホームに向かいましょう。
上から見ると、どちらも年季が入っているのが分かります。169系は1968年―1969年、2000系に至っては1964年(D編成。初製造は1957年)。実に40年もの間一線で働いていたのです。特に2000系は最後まで特急に就いていたことからも、車両の完成度をうかがわせます。
旧錆びた駅名の入ったホーロー板。
……と、ここまでは誰でも撮れる写真です。
この撮影会が『撮影会』たる所以。それは、ツアー参加者に限って線路に立ち入っての撮影ができるからです。
屋代線の島式ホームは、通常は外側の一線しか使われていません。というか、ホームの中央には柵が張られ、内側の線路に近づくことさえできません。
しかし、ツアー参加者は跨線橋降りてすぐの入り口――本来は業務用の入り口を通って中に入ることができるのです。
その入り口付近では2000系グッズの即席屋台ができていました。
いろいろありそうですが、貴重な1時間はできるだけ撮影に回すために、グッズは後回しです。
柵の内側から撮影すればこの近さです。
ちなみに2000系の定期運用で「特急 屋代」の表示がでたことはないようです。屋代線は線内のみの優等列車が基本的に設定されていませんでした。かつてはこの線を介して、それこそ169系による急行「志賀」(上野~湯田中)などの直通列車が走っていましたが、種別は「直通急行」でした。
で、撮影会の様子なのですが、100枚近くあるので、前後の様子と合わせてフォトチャンネルにしてまとめました。数を減らしたのに60枚近くあるのは仕様です。
この記事ではその中からいくつかピックアップしていきたいと思います。
「特急 木島」と「快速 169系初の12両編成号」。
木島線が2002年になくなったので、長野電鉄の車両で「木島」の表示を持つのは2000系以外では3500系だけです。
一方の「12両編成号」は、定期運用がなくなったのを機に、2011年7月末に運転されました。その後2012年春にS54編成が廃車になったため、この運転が最初で最後となりました。まあ、急行型電車モノクラス12両というのも、大垣夜行(末期は165・167系モノクラス11両)ぐらいでしょうけど。
「特(に)急(ぐ必要もない) 朝陽」。ちなみに長野からたった7駅です。
「快速 信濃川田」。長野電鉄に快速なんてあったの? 調べてもよくわからないので、情報のある方コメントお願いします。
ちなみに、信濃川田行については、かつて信濃川田―須坂間の区間列車がありました。
「普通 小布施」と「急行アルプス」(臨時幕)。
定期列車では設定のない小布施行きの幕があるのは、小布施駅が2面3線で、何かのトラブルがあった時対応できるようにするためです。
急行「アルプス」(新宿~松本・南小谷など)は、観光シーズンになると臨時列車が頻発していたためこの表示は良く見かけられました。
急行「白馬」(金沢~松本)は、大糸線経由で北陸と信州を結んでいました。あれ、でも大糸線は南小谷~糸魚川が今(2013年)でも電化されてないんだから、湘南色ではありえないはずじゃ……
(※実際にはキハ58系やキハ52などが使用されていました)
「特急 湯田中」と「快速」。2000系はかつてあった「特急しが」のヘッドマークに変わりました。
ヘッドマークは、2007年に特急運行開始50周年を記念して作られました。運行開始当初=2000系デビュー当初は、5往復ある特急に「しらね」「よこて」「しが」「かさだけ」「いわすげ」の愛称が付けられていました。いずれも志賀高原を意識して――そもそも特急という種別やや2000系自体が、志賀高原へ向かう観光客向けに開発が進められたのですが――つけられたネーミングです。しかし、「志賀高原」に一本化された後はあまり使われなくなり、現在は特急に列車名はありません(ダイヤ上では停車駅によりA特急・B特急と呼ばれます)。
ちなみに元小田急"HiSE"10000系こと1000系「ゆけむり」や元JR"N'EX"253系「スノーモンキー」は車両自体の愛称です。
東武トラベルの添乗員・山下さん。普段から鉄道系ツアーに添乗しているそうですが、本人曰く「まさか突然こんなにキャンセルが出るとは思いませんでした」とのこと。大量のキャンセルに一番頭を悩ませていたのは山下さんだったはずです。このツアーでは本当にお世話になりました。
ラストを彩る幕は「急行 長野」と「回送」。2000系は創立90周年記念のヘッドマークです。
撮影会はつつがなく終了。日向側にいた2000系2008を撮り、私も引き上げます。
柵の手前に戻ると、いつの間にか元の幕とヘッドマークに戻されていた2000系が引き上げ線に向かうところでした。
引き上げ線で方向転換。外側の側線を経由し、本線へ入ります。
本線でもう一度方向転換し、ホームに到着。線路が行き止まり式になっている都合上仕方がないことではあるのですが。
2000系の運転台。当時の最新鋭電車だけあって、古めかしいとともにどこか前衛的です。
ツアー一行は、これから2000系で屋代線を北上。須坂に向かいます。
それでは、出発進行!
続く!
いや、直前のキャンセルとはいえ、120人定員で30人ってどういうことなの……?
――2011年8月28日(日)――
翌日。姫木平のペンションをバスで出発し、ツアー一行は9時過ぎに上田駅にやってきました。
新幹線・しなの鉄道・上田電鉄別所線の3本が交わる上田駅。特に、かつての丸窓電車の居所で、現在は東急車が住み集う上田電鉄は寄ってみたかったのですが、時間の関係上断念しました。
今日もしなの鉄道から始まります。下り(長野方面)の快速の次の列車が、我々の乗る列車です。
改札の反対側にある窓から長野方面を見ると、丁度昨日の169系がホームに到着するところでした。
拡大。
改札の中に入って撮影開始。そう、本日の一番列車もこの169系の貸切り列車です。
9時25分の発車までしばらく撮影タイムです。日差しが強くて、写真もご覧の通り白飛びしがちに。しかも、日差しの強い中で画像を確認しても白飛びと分かりにくいので余計に厄介です。
快速(2603M:上田9:17発)を先に通します。
先頭は「団体」の幕。まさか30人弱のためだけに貸切になっているとは一目じゃわかるまい。
席は昨日と同じところですが、人がいないのでみんな好き勝手に座っています。そして、誰も文句をつけません。
《上田9:25発》
《屋代9:42着》
もとからたった6駅・19.9㎞(営業キロ)しかない道のりです。幹線規格の線路を元急行用電車がノンストップで走ればどうなるかは目に見えていました。
すでに長電2000系がアップを始めているようです。
さて、前回の記事にも書いた通り、屋代駅には3番線(上り本線)と長野電鉄との間に側線があります。長野電鉄の方も島式ホームのうちしなの鉄道側のホームは柵で区切られ一般客は入れないようになっています。
そう――撮影会にはもってこいです。
このツアーでは、側線×2を使用して169系と2000系を並べたミニ撮影会が1時間ほど持たれていました。
しなの鉄道も、長野電鉄も、側線に入れるために本線にいったん入る必要があります。
およそ5分で転線(入換)完了!
両方ともツアー前に乗車経験(それも定期運行時に)はありますが、同じ場所に並んでいるのを見るのはこれが初めてです。もっとも、しなの鉄道と長野電鉄の接点はここと長野駅ぐらいですが、長野駅は長電が地下化されていますし、特急用の2000系は定期運行では屋代線に入っていなかったので、並びが見れるようになったのは団体ツアーが組まれるようになった2010年末からですが。
その時、1番線に189系の姿が。2011年7月から169系に代わり「しなのサンライズ」「しなのサンセット」などに用いられているこの車両は、実は「あさま」の残党。6編成18両の貴重種で、一部は183系を組み入れています(碓氷峠装備以外は共通なので、碓氷峠を通さない限り自由に組める)。JR東日本から借り入れという形をしています。
189系は団体用の回送列車のようでしたが、1番線でいったん停車。かつての長野を彩った車両が、一時屋代駅に集いました。
臨時停車はものの1分足らず。189系は長野方へと消えていきました。
S52編成の奥にもう一本の169系が停泊中。
3両編成2本を縦に並べても余る構内。
さて、前置きはこのぐらいにして、そろそろ長電のホームに向かいましょう。
上から見ると、どちらも年季が入っているのが分かります。169系は1968年―1969年、2000系に至っては1964年(D編成。初製造は1957年)。実に40年もの間一線で働いていたのです。特に2000系は最後まで特急に就いていたことからも、車両の完成度をうかがわせます。
旧錆びた駅名の入ったホーロー板。
……と、ここまでは誰でも撮れる写真です。
この撮影会が『撮影会』たる所以。それは、ツアー参加者に限って線路に立ち入っての撮影ができるからです。
屋代線の島式ホームは、通常は外側の一線しか使われていません。というか、ホームの中央には柵が張られ、内側の線路に近づくことさえできません。
しかし、ツアー参加者は跨線橋降りてすぐの入り口――本来は業務用の入り口を通って中に入ることができるのです。
その入り口付近では2000系グッズの即席屋台ができていました。
いろいろありそうですが、貴重な1時間はできるだけ撮影に回すために、グッズは後回しです。
柵の内側から撮影すればこの近さです。
ちなみに2000系の定期運用で「特急 屋代」の表示がでたことはないようです。屋代線は線内のみの優等列車が基本的に設定されていませんでした。かつてはこの線を介して、それこそ169系による急行「志賀」(上野~湯田中)などの直通列車が走っていましたが、種別は「直通急行」でした。
で、撮影会の様子なのですが、100枚近くあるので、前後の様子と合わせてフォトチャンネルにしてまとめました。数を減らしたのに60枚近くあるのは仕様です。
この記事ではその中からいくつかピックアップしていきたいと思います。
「特急 木島」と「快速 169系初の12両編成号」。
木島線が2002年になくなったので、長野電鉄の車両で「木島」の表示を持つのは2000系以外では3500系だけです。
一方の「12両編成号」は、定期運用がなくなったのを機に、2011年7月末に運転されました。その後2012年春にS54編成が廃車になったため、この運転が最初で最後となりました。まあ、急行型電車モノクラス12両というのも、大垣夜行(末期は165・167系モノクラス11両)ぐらいでしょうけど。
「特(に)急(ぐ必要もない) 朝陽」。ちなみに長野からたった7駅です。
「快速 信濃川田」。長野電鉄に快速なんてあったの? 調べてもよくわからないので、情報のある方コメントお願いします。
ちなみに、信濃川田行については、かつて信濃川田―須坂間の区間列車がありました。
「普通 小布施」と「急行アルプス」(臨時幕)。
定期列車では設定のない小布施行きの幕があるのは、小布施駅が2面3線で、何かのトラブルがあった時対応できるようにするためです。
急行「アルプス」(新宿~松本・南小谷など)は、観光シーズンになると臨時列車が頻発していたためこの表示は良く見かけられました。
急行「白馬」(金沢~松本)は、大糸線経由で北陸と信州を結んでいました。あれ、でも大糸線は南小谷~糸魚川が今(2013年)でも電化されてないんだから、湘南色ではありえないはずじゃ……
(※実際にはキハ58系やキハ52などが使用されていました)
「特急 湯田中」と「快速」。2000系はかつてあった「特急しが」のヘッドマークに変わりました。
ヘッドマークは、2007年に特急運行開始50周年を記念して作られました。運行開始当初=2000系デビュー当初は、5往復ある特急に「しらね」「よこて」「しが」「かさだけ」「いわすげ」の愛称が付けられていました。いずれも志賀高原を意識して――そもそも特急という種別やや2000系自体が、志賀高原へ向かう観光客向けに開発が進められたのですが――つけられたネーミングです。しかし、「志賀高原」に一本化された後はあまり使われなくなり、現在は特急に列車名はありません(ダイヤ上では停車駅によりA特急・B特急と呼ばれます)。
ちなみに元小田急"HiSE"10000系こと1000系「ゆけむり」や元JR"N'EX"253系「スノーモンキー」は車両自体の愛称です。
東武トラベルの添乗員・山下さん。普段から鉄道系ツアーに添乗しているそうですが、本人曰く「まさか突然こんなにキャンセルが出るとは思いませんでした」とのこと。大量のキャンセルに一番頭を悩ませていたのは山下さんだったはずです。このツアーでは本当にお世話になりました。
ラストを彩る幕は「急行 長野」と「回送」。2000系は創立90周年記念のヘッドマークです。
撮影会はつつがなく終了。日向側にいた2000系2008を撮り、私も引き上げます。
柵の手前に戻ると、いつの間にか元の幕とヘッドマークに戻されていた2000系が引き上げ線に向かうところでした。
引き上げ線で方向転換。外側の側線を経由し、本線へ入ります。
本線でもう一度方向転換し、ホームに到着。線路が行き止まり式になっている都合上仕方がないことではあるのですが。
2000系の運転台。当時の最新鋭電車だけあって、古めかしいとともにどこか前衛的です。
ツアー一行は、これから2000系で屋代線を北上。須坂に向かいます。
それでは、出発進行!
続く!
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