オドラデクの心配事

日常にゆるやかに乱入する舞踏家の由無し事

さて、分校公演に本腰を入れますかな・・

2007年02月18日 | 道路劇場のお知らせ

さて、先週、教頭に電話をした。
分校での道路劇場は、閉校式にはやらないこととなったが、
閉校までの間に公演することについては校長の了解を得て
いる。あとは、現場の教頭と話をしてくれということだった。
「ああ、その話は校長から下りています」
「卒業式のあたりにやれないでしょうか」
「卒業式は午前中で終了するが、夕方から卒業生と保護者、
先生方が市内で会食する慣わしです」
「では、卒業式の午後は?」
「午後は授業がないので、生徒は帰宅する。先生方は授業は
ないが仕事がある」
「では祝日とか土曜日はどうか」
「閉校に向けて引越し作業がある。26日が修了式なので、
表立って物品は移動させないが」
「生徒だけでなく、卒業生にも来てもらいたいので、平日の
夜の公演か、休日になるのだが」
「夜だと学校までの急な坂道を登らなければならない」
「坂道の誘導は、前回もこちらでロウソクを点けて誘導した」
「校庭の雪を使ってやるようだが、閉校式で校庭を駐車場に
使うので、雰囲気が出ないのではないか」
「それは心配には及ばない。状況にあわせていくらでも対応
できる」
「校長が了解した時は、詳細が決まっていなかった。実施に
あたっては、もう一度校長に伺いをたてなければならない」

絵に描いたように無責任で、なんという優柔不断さ!

「わかりました。その時点で、私の方からもう一度校長に許可
をもらいます!」

いよいよ~鬼のカサブタ~オドラデク道路劇場

2007年02月06日 | 道路劇場のお知らせ
入内分校の踊りの企画の前に、まず2月8日の
道路劇場の準備をしなければならない。
このあたりは、仕事も大きなヤマを迎えている
ので、あまり時間がとれない。
とは申せ、2つや3つ同時進行しながらコトの
成り行きをつめていく癖が抜けずにいる。
こういう時は、たいてい無理な日程をわざと組
んで、自分を追い込むことにしている。
追い込まれれば何とかなるものだ。そのように
して、これまでやってきたのだから。
ということで、いつも期日ギリギリに案内を出
して、皆さんにはご迷惑をかけてばかりいる。
さて、8日のイベントは久しぶりに街中の劇場
で踊る。劇場といっても畑澤聖悟氏主宰の劇団
渡辺源四郎商店とARTizanというアートサポ
ートのメンバーが手作りで倉庫を改造して作っ
た空間だが、実験的なイベントにはとても手ご
ろないい空間だ。
60~70席程度なのだが、これで十分。
ここで、だびよん劇場を多感な時期に通過した
世代である沢田としき氏と久しぶりにジョイン
トする。
沢田としきとは福島県いわき市の「風の祭り」
で何回かジョイントしているが、ホームベース
青森での開催は初めてだ。
今回は、アフリカンドラムの廣田真志が東京か
ら同行する。これに地元の若手ドラマーたち
(といってもすでに30代半ばを過ぎている)
がかみ合って、四つ巴の様相を呈す。
沢田としきは、黒田征太郎の事務所にいただけ
あって、そのスピードと独特のイメージングが
魅力だ。今回は3畳分くらいあるキャンバスに
舞踏とジンベと同時進行でライブペイントを行
う。是非立ち会ってもらいたいと思う。
8日(木)の夜7時から。
青森市本町のアトリエ1007で。
詳しくは、このブログの1月26日の日記を見
てください。














 

ようやく峠を越えかけた。

2007年02月04日 | 道路劇場のお知らせ
校長は馬鹿丁寧な説明をし始めた。
閉校のセレモニーのあと懇親会場に移動する。
昼を兼ねた懇親会なので、移動に時間をかけたくない。
せっかく踊ってもらうのに、短い時間では失礼だ。
先生の舞は、講堂から外に出て、校庭の雪景色を活
かして踊ると聞いている。駐車場がなく、校庭を除雪し
車を止める予定だから外は使えない。
百人近くの来賓を移動させるのに大変だ。
誰も手伝いすることができないし・・・。
おおよそこのような説明だった。

私はできるだけ冷静を装い、尊敬語と謙譲語を織り交ぜて
校長に言った。

「この度の公演で校長先生にご迷惑をかけるようであれば、
無理をして閉校式に公演することにはこだわりません。」

この言葉を聞いて、校長は安心したように深々と頭を下げた。

校長も教頭も踊りは見ていない。彼らは、渡された新聞記事や
パンフレットなどの資料を読み、何人かの地元の人の感想の端々
を基に、どのような踊りかを想像力たくましく思い描いたのだ。
奇妙な踊りで一度見ただけではよくわからないものだと。

なぜそのような踊りを閉校式にやることにしたのか。
教育委員会の偉い方々や議員などの来賓に説明を求められたとき
の、教育的な見地からの説明と校長としての体裁。

そんなことに煩わされたくない、セレモニーは滞りなくすませ、
さっさと懇親会に移ってしまいたい。
と、こんな様子が手に取るようにわかった。

「で、校長先生。」と私は続けた。
「その代わりお願いがあります。
 閉校式の代わりに、3月中に学校を使わせてください。」

実は3月11日の閉校式のほかに、分校では、卒業式と
修了式の2回セレモニーがあるとの情報を得ていたのだ。

学校でやることには問題ありません。あとは、分校の
現場を取り仕切る教頭と詰めてください。
学校の使用について校長から言質が取れた。
これでひとまず、分校がなくなる前に踊りができる。

10年前に観客だった当時の子供たちは、いま二十歳
前後だ。何人かはまだ、入内から通っている。
いろいろ手伝ってもらうようお願いしなければ・・。
ようやく、ひとつの峠を越え、やるべきことの方向が
見えてきた。(つづく)












新たな展開~分校で踊る

2007年02月02日 | 道路劇場のお知らせ
しばらく経過報告ができなかった。
進展がなかったからではない。

1週間前、教頭先生から電話があった。
招待者が多い。100人前後になるという。
分校の講堂は狭い。10年前に踊った時は
なかったが、ステージのようなものが置か
れていて、それが四分の一くらいを占め、
いっそう空間を狭くしている。
普通に入れて70人くらいだろうか。
山合いの集落だから市内の3倍は雪が降る。
今年は百年ぶりに雪がないとはいえ、3月
11日には少しはあるだろう。

教頭が心配しているのは、実務的なこまご
まとしたことだ。現場を仕切る頭としては
当たり前のことなのだが。
まず、駐車場の確保。
いくら関係者とはいえ、100人近くの、
半分くらいは車で来るだろう。集落の中に
は駐車スペースはないのだ。
したがって校庭をブルドーザーで除雪し
臨時駐車場にするしか手はない。

教頭がパニックになっているのはそれだけ
ではない。来賓の靴置き場、コートなどの
置き場とその管理。
市会議員や教育委員会の偉い方々。
まして懇親会場へは、坂を歩いて降りて行
かねばならない。粗相があってはならない。
そのごたごたの間に踊りどころではない。

予感は的中した。
2日後に校長先生から仕事場に電話があった。
「よくないお知らせです。先生には一度舞っ
ていただくようお願いしておきながら、
大変失礼ですが・・・。」
事情は教頭から聞いたような内容に加え、
「懇親会までの合間に準備もいれて30分
くらいの短い間で舞っていただくのは大変
失礼と思い・・・」
私は会議が始まるのを理由に即答を避けた。

3日後に再び校長から電話があった。
仕事場にくるという。
実は、2日前に地元の実行委員会が開催され、
その席で、校長は舞踏の話をし、現状では
時間的にも難しいとの見解を出していたのだ。
このことは、閉校までの取材をしていた放送局
のカメラマンから聞いていた。
だが、理由は時間だけではなかったのだ。
             (つづく)