オドラデクの心配事

日常にゆるやかに乱入する舞踏家の由無し事

卵の叫び

2010年02月26日 | 道路劇場の記録
河北新報青森県内版 「日曜随筆」
1999年11月28日 から転載

十一月二十六日。水戸市郊外の閑静な住宅街。
一角にある近隣公園で踊る。観客は老夫婦と犬と犬の散歩者。
ボール遊びに興じる子供数人。
晩秋の日没はあっという間だ。

大学の同窓会で踊るようにと悪友に下知された。
その上京のついでに、大学時代の恩師に会うため水戸に立ち寄ったのだ。
改札の向こうに見えるなつかしいたたずまい。
一瞬にして二十数年前の記憶が引き戻される。

大学の発生学研究室。
毎日のように顕微鏡に向かい、イモリやサンショウウオの卵をのぞき込んでいた。
つやつやの輝く受精卵は、間もなく大きく二つにくびれ分割していく。
それは一個の生命体の最初の最もダイナミックな行為だ。

受精卵という丸い宇宙は、自らを二つに切り分ける意志を内包している。
やがておびただしい分裂をくり返し、何億という分身をつくっていくのだ。
最初に等価に分かれたはずの細胞は、分裂をくり返していくうちに、
何かをきっかけに皮膚や内臓や骨など形の異なる細胞に分化していく。

そのことが面白くて深夜、米粒大の卵を裸にむき出しにしては、
ひっくり返したりつついたりして眺めていた。
遺伝子組み替えなどという超ミクロの世界からは対極にある、
具体的で命まるごとの始まりの物語に魅せられていた。

舞踏家は、チャンスがあればどこでも踊ろうとする。
組み込まれたステージでなくとも、森の中や海辺の砂浜、雪の中や市場の雑踏、
宴席やまじめな講演会など、体験できるあらゆる場面で身体をさらそうとする。

踊ることは、表現や演技ではない。存在の主張、命の叫びだ。
卵が音もなく分裂していく密かな行為はすぐれて舞踏的だ。
それは危機に立つ生命体の命がけの行為である。

老科学者は八十路を迎えたとは思えないほど、かくしゃくとしていた。
恰好の老夫婦は、踊りたいという舞踏家のわがままを素直に受け入れてくれた。
夕映えのする公園で犬に吠えられ、ボタ山で落ち葉とたわむれる正ちゃんダンスを
遠くの方で薄暗くなるまで見守っていてくれた。

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1 コメント

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Unknown (猫の肉球)
2010-02-27 01:22:15
公園でのオドラデクさんはやっぱり
きちんと化粧して衣装も調えて
舞踊なさるのでしょうか
BGN無しなのかなあ・・などと勝手に創造しております。
写真もたまにはアップしてください。
楽しみにしております。
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