らいむ&りーずん

歌いつがれる言葉と想い ~ アメリカン・フォーク・ソングの庭へようこそ♪

by 松月(しょうげつ)

「サリー・ガーデン」 by クラナド

2011年07月31日 | アイリッシュ

2年前の春、松月がクランシー・ブラザースの影響でティンホイッスルを吹き始めて、最初に習得した「アイリッシュなフォークソング」だったのが、この「サリー・ガーデン」(Down by the Salley Gardens)という曲でした。
シンプルなメロディで、よく知られているエア(air:ダンス・チューンではなく、抒情的な詩をつけて歌われるためにある曲)ということで、たいていのホイッスル吹きが初めに覚えている曲なのではないかと思います。

さらに、このシンプルなメロディですが、階名で歌うように書くと:
「ドレミーレドレーミソラーソ ドソラーソミレードドー♪」
という、ファとシの音が出てこない(出てきてもほとんどない)いわゆる「ペンタトニック・スケール」(5音階)なんですよね。こういうメロディは日本の民謡や唱歌にも多く、日本人の心にもどこか懐かしさを感じさせるのかもしれません。

この詩はノーベル文学賞も受賞した詩人イェイツ(William Butler Yeats, 1865-1939)の作といわれますが、小さな村の農家のおばあさんが口ずさんでいたフレーズから、物語の歌に「復元」されたものといわれています。「サリー」とはアイルランドの村で木材として利用するためによく植えられていた「柳」のことなのだとか。

英語とゲール語の詩があり、多くのバージョンがありますが、松月のお気に入りはクラナド(Clannad)というグループのライブ・バージョンです。ホイッスルのイントロ、女声のメイン・ヴォーカル、2番のハーモニーがとても美しいです。

クラナドはドニゴール州出身のブレナン兄弟(+親類)によるグループで、わたしにとっては「癒し系シンガー」の印象が強いエンヤ(Enya, 1961- )も実はその兄弟の一員だったりします。

下の映像は2008年のライブ映像です。会場の“Leo's Tavern”というのはブレナン兄弟の父親の経営するパブで、彼らが音楽活動を始めたまさにその場所です。その開店40周年を記念する、大切なライブだったのですね。

ここで使われているホイッスルは「ジェネレーション」のブラス(真鍮)のB♭管のようです。とても渋い音です。
でも、アイリッシュ・エアはやっぱり、歌が命!ですよね。

Down by the salley gardens my love and I did meet
She passed the salley gardens with little snow-white feet
She bid me take love easy as the leaves grow on the trees
But I, being young and foolish, with her would not agree


柳の庭のほとりで 恋人と僕は出会った
彼女は小さな真っ白い足で 柳の庭を通り過ぎていった
「恋はあせってはいけないわ 木の葉が茂るのと同じようにね」
でも僕は若くて愚かだったので 彼女の言葉を受けとめられなかった

In a field by the river my love and I did stand
And on my leaning shoulder she laid her snow-white hand
She bid me take life easy as the grass grows on the weirs
But I was young and foolish, and now I am full of tears


川のそばの野原に 恋人と僕は立っていた
彼女は真っ白い手を 僕の傾いた肩にのせた
「人生はあせってはいけないわ 草が堰の上に育つのと同じようにね」
でも僕は若くて愚かだった それで今は涙が止まらない

 

さて、これも「美野里フォーク・フェス」で教えていただいたのですが、この歌にも日本語バージョンがあります。

訳詞は、なんとあの高石ともやさんなんだとか。旧ブログで「時代は変る」「陽気に行こう」「柳の木の下で」をご紹介しましたが、この歌にも日本語の詩をつけていたとは!!

ちなみに、タイトルは「柳の庭の下で」・・・ではなく(笑)、「初恋」といいます。

こんな映像を見つけました。舞台は曙橋の「BACK IN TOWN」。松月も何度かお邪魔したライブハウスです!

それにしても、この映像でLow-F管のティンホイッスル吹いてる男性、「豊田さん」というお名前だそうですが、
どっかで聴いたことあったような・・・・・・・・・???

・・・そうだ、あの時お会いしたんだ、つくばで!!
潜入!セント・パトリックス・デイ・パレード in つくば

そこで、これと同じLow-Fのホイッスルで、とっても美しい“Si Bheag, Si Mhor”を聴かせてくれたんだっけ・・・
彼こそわたしの「初恋の人」だったのかもしれません・・・思い届かぬ恋に、涙が止まらない松月です


「あきらめないよ最後まで」 by ショーン・オコナー

2011年06月12日 | アイリッシュ

あの大地震から3か月。これをご覧になっている方のほとんどは、ごく普通の生活を取り戻されたことと思います。
しかし、今なお避難生活を続けている方々や、家族の行方を探している方々がいることを忘れてはいけません。

“Don't Give Up Till It's Over”
これはアイルランドのシンガー・ソングライター、ジョニー・デューハン(Johnny Duhan, 1950- )の作品です。
先日takabohさんの記事で知り、「いい歌だなあ!」と感動して、旧ブログの「励ましの歌」特集に追記したのですが、その後でとてもよい話を聞いたので、こちらで取り上げ、今回も「アイリッシュな記事」にしてみたいと思います。

「あきらめないよ 最後まで  悲しみ乗り越え もっと強くなる」

takabohさんの記事の冒頭に書かれていたこの1行、単なるコーラスの部分の意訳だと思っていたのですが、実はこの歌、復興支援の歌としてレコーディングされ、コーラスがまさに上の日本語の詞で歌われていたのです。

レコーディングしたのはショーン・オコナー(Sean O'Connor)というアイリッシュ・ミュージシャンです。彼はダブリン出身ですが、四季の美しい日本の田舎暮らしにあこがれて、岡山県赤磐市に移住して暮らしているとのこと。バウロン(bodhrán:でっかいタンバリンみたいな太鼓です)をはじめ、ギターやホイッスルなどさまざまな楽器を演奏しているマルチ・プレイヤーのようです。

旧ブログにも何度か書いてきましたが、アイルランドは飢饉や植民地支配、宗教間の争いなど、歴史の中にたくさんの苦しみがあった国です。それでも人々は音楽を愛し、励ましの歌を作っては、人から人へ歌い継いできたのです。そう、アイリッシュたちの心の中には歴史と伝統を物語る歌が生き続けていて、それがきっと彼らの「生きる力」になっているのでしょう。

ショーン自身も、幼いころに内乱にまきこまれるなど、人生の中でいろいろ苦しい経験をしてきたと思います。だからこそ、移住して友だちもたくさんできた日本が大地震と津波で大変な状況になっているのを、決して他人事だとは思えず、自分にできること・・・つまり、歌で励ましたいと思ったのかもしれません。

このレコードの収益はすべて、日本赤十字社を通して被災地へ寄付されます。
iTunesAmazonで配信されていますので、気に入ったらぜひ手に入れてくださいね。わたしも買います!

詳しくは → ショーン・オコナーさんのサイト

(コーラス)
終わりまであきらめないで できるのなら投げ出さないで
肩に担いだ重荷は あなたをもっと強くしてくれます

秋の花々をごらんなさい しおれて枯れてしまうのを
でも 自然の隠された力で 翌年にはまた花を咲かせるのです


(コーラス)

満月の昇るのをごらんなさい 沈んだ太陽の魂のように
でも 夜明けはもっと素晴らしいはず 新しい1日が始まった時

(コーラス)

 

そして、コーラスを一緒に歌うなり、自分の楽器を持ってきて演奏に参加するなりして(楽器を持っていない方は「テーブルをたたく」とかでOK!)応援してくださいね。

今、この歌を流しながら「遠距離セッション」に参加してくださっているみなさんは、同じ「支援の輪」の中にいます。

わたしも最後まで、みなさんと一緒に「がんばっぺ」!!


「薔薇は紅く」 by トミー・メイケム&リアム・クランシー

2011年05月27日 | アイリッシュ

アイリッシュ・トラッド、すなわち、アイルランドの伝統音楽・・・

チーフタンズもアルタンもコアーズも知らなかった松月がこのジャンルにのめりこんだきっかけは、アメリカン・フォークを掘り進める中で出会ったクランシー・ブラザース(The Clancy Brothers)のレコードでした。

60年代のフォーク・リバイバルの時、渡英して活動していたアメリカのミュージシャンたちとは反対に、彼らは50年代にアイルランドからアメリカへ移住し、ニューヨークのグリニッジ・ビレッジをはじめとするアメリカン・フォークのシーンで、アイリッシュ・トラッドを演奏して広めていたのでした。

特に末弟のリアム・クランシー(Liam Clancy, 1935-2009)は、あのボブ・ディランから「最高のバラッド・シンガー」と称賛された人でした。また、一緒に活動していた友人のトミー・メイケム(Tommy Makem, 1932-2007)は「アイリッシュ・ミュージックの教父」といわれ、たくさんのメッセージ・ソングも残しています。彼はたいていバンジョーを弾いていますが、たまに「不思議な縦笛」も吹いていて、それがとてもきれいな音だったので、旅に出ればいつもお土産に笛を買うくらい笛好きな松月はたまらなくなってしまいまして、それがリコーダーのように手軽に吹ける笛だと知ると、迷わず購入しました。そう、右の「プロフィール」で松月が吹いている「ティンホイッスル」(tin whistle)です。

2年前に茨城で吹き始めて以来、この笛はわたしにたくさんの友だちを呼び寄せてくれました。特に、水戸や勝田のアイリッシュ・パブや県内のブルーグラス・フェスに出向いて、セッションに参加できたのはとても楽しかったです。

今回ご紹介する「薔薇は紅く」(Red Is the Rose)は、初めて勝田のアイリッシュ・パブ「ドヨーズ」へ潜入した時にも流れていた歌です。70年代以降にリアム・クランシーとトミー・メイケムがレコーディングしたバージョンです。

恋人が離れていっても、いつまでも愛していようと誓う、素敵なラブ・ソングです。わたしも昨年6月の「美野里フォークフェス」で、ちょうど下の映像のような感じで、埼玉のドック・ワトソンことA木さんと、この曲を演奏しました。 

向こうの庭に咲く薔薇は赤く
谷間の百合は白く
ボイン川から流れる水は清らか
でも 私の愛する人は何よりも美しい

 

おまけ - 「ロッホ・ローモンド」と「水辺の春」

ところでみなさん、このメロディに聴き覚えはありませんか?
そう、スコットランド民謡の「ロッホ・ローモンド」(Loch Lomond)として知られていますよね。

「ロッホ・ローモンド」は17世紀、名誉革命後のイングランド(主にプロテスタント)に対するスコットランド(主にカトリック)の反乱で、死を悟ったスコットランド兵が故郷の湖と恋人を思う歌で、スコットランドのフォーク・グループ、コリーズ(The Corries)のバージョンがよく知られています。

それがアイルランドでは「薔薇は紅く」というまったく別の詩で親しまれているのは、非常に興味深いですね。

ちなみに、日本にもこのメロディに独自の詩をつけた「水辺の春」という唱歌があります。
(作詞者の片岡輝(かたおか・ひかる)氏は、「グリーン・グリーン」の日本語版の作詞者でもあります。)

心はずむ 緑の風 そよぎゆく みずうみ
森に丘に いのち息づき はるかに かすみたなびく

めぐりあえる日 夢みた なつかしの みずうみ
いま美しく はるひらき あこがれ遠く はばたく

これも「みんなのうた」で親しまれましたが、わたしは小学校の音楽の時間に歌いました。「音楽委員会」の活動で低学年の教室へオルガンの伴奏をしにも行っていました。今でもよく覚えている大好きな歌のひとつです。