らいむ&りーずん

歌いつがれる言葉と想い ~ アメリカン・フォーク・ソングの庭へようこそ♪

by 松月(しょうげつ)

「バーバラ・アレンの伝説」 by アート・ガーファンクル

2011年06月30日 | 物語の歌

もうすぐ6月も終わってしまいますが、季節がら、今回も「薔薇の出てくる愛の歌」をご紹介したいと思います。スコットランド(イングランドという説もあり)から伝承されたバラッドのひとつ、「バーバラ・アレン」(Barbara Allen)です。

愛というのは、普段はなかなか気づかないもので、冷たくあたってしまいがち。
相手を失って初めて、その大切さに気づくことも多いですよね。
バーバラへの愛のために死を迎えたウィリアムと、ウィリアムの死によって愛に気づいたバーバラ。
2人の魂はそれぞれ薔薇と茨となって、天国で固い絆で結ばれる・・・という、悲しくも美しい物語の歌です。

このバラッドがアメリカに伝わったのは19世紀の半ばといわれていて、アメリカの民俗学者フランシス・ジェームズ・チャイルド(Francis James Child, 1825-96)のバラッド集に記録されたものとしてよく知られています。これもまた実にいろいろな人に歌われているのですが、こちらではアート・ガーファンクルのバージョンをご紹介します。1973年のファースト・ソロ・アルバム「天使の歌声」(Angel Clare)に収録されています。

教会でレコーディングされたからか、ストリングスの豪華なアレンジが施されているからか、厳かな感じがしますが、
(シンプルなのが好きな方は、ジョーン・バエズとかピート・シーガーのバージョンがおすすめです^^;)

あえてアート・ガーファンクルのを選んだのは、次のバージョンと聴き比べをしていただきたいと思ったからです。実は2001年にリマスターされたサイモン&ガーファンクルのアルバム「サウンド・オブ・サイレンス」(Sounds of Silence)に、ボーナス・トラックとして「バーブリアレン」(Barbriallen)というタイトルでこの歌が収録されているのです。これは彼らの大好きだったエヴァリー・ブラザース(The Everly Brothers)のバージョンを元にしたものと思われます。

(ちなみに、これを含むデモ3曲はどれもトラッドで、しかも1970年の録音らしい・・・アルバム「明日に架ける橋」の後にそれぞれソロ転向しなければ、2人はトラッド系のアルバムでも作るつもりでいたのでしょうか?)

↑旧ブログからのおつきあいの方はご存じだと思いますが、松月は(ソロもひっくるめて)サイモン&ガーファンクルの10年来の大ファンなので、彼らの話題については、ほんの少しだけマニアック?になることをお許しください(笑)

いかがですか? メロディが全然違いますよね。

バラッドというのは、たいてい吟遊詩人たちによって口頭で伝えられてきた歌なので、決まった楽譜がないのです。わたしの知っているだけでも、この歌には5種類以上のメロディが存在します。また、同じメロディを元にしていても、歌い手によっては3拍子で歌われることも、4拍子で歌われることもありますし、歌詞も微妙に異なることがあります。

わたしも茨城でアイリッシュ・トラッドをやってきましたが、伝統音楽を演奏する知り合いのほとんどは、お気に入りの奏者の演奏を聴いて曲を覚え、楽譜にはまず頼りません。楽譜があるとかえってうまく演奏できないそうなのです。伝統音楽にこめられた人々の心は、本当は楽譜を介してではなく、心から心へ直に引き継がれるのです。

☆歌詞の訳☆     ☆6~7番の(  )内はS&Gバージョンで大きく異なるところ

それは陽気な5月 緑が一斉に芽吹き始めた頃のこと
やさしいウィリアムは死の床についていました バーバラ・アレンへの愛のために

彼は召し使いを町へ送りました 彼女が住んでいたところへ
「主人の使いでこちらへ参りました あなたがバーバラ・アレンさまなら」

そして ゆっくりゆっくり彼女は起き上がり ゆっくり彼の元へ向かいました
着いた時に言ったのはただひとこと - 「あなたは死んでしまいそうだわ」

「ねえ あの日のこと覚えてないの? 一緒に酒場にいた時のことよ
あなたはそこにいた他の女たちと乾杯して わたしのことは軽く見ていたのよ」

彼は壁に顔を向け 彼女に背を向けました
「さよなら さよなら僕の友だち バーバラ・アレンにやさしくしておくれ」

彼女が野原を散歩していた時 弔いの鐘の音が聞こえました
(彼女は東を向き 西を向き 彼のなきがらが運ばれてくるのを見ました)
ひとつひとつの音が こう言っているようでした - 「薄情なバーバラ・アレン!」
(「ああ 彼をここに下ろして! じっと眺めていられるように」)

その鐘が鳴れば鳴るほど 彼女の胸は悲しみにあふれ 泣き出さずにいられませんでした
(それを見れば見るほど・・・)
「ああ 誰か迎えに来て 家へ連れて帰って! わたしも死んでしまいそうだわ」

ウィリアムは教会の古い墓地に バーバラは新しい墓地に埋葬されました
ウィリアムのお墓からは薔薇が バーバラのお墓からは緑の茨が伸びました

古い教会の墓地を これ以上高く伸びられないところまで伸びると
赤い薔薇と茨は絡み合い 真実の愛で結ばれたのでした

 


「あきらめないよ最後まで」 by ショーン・オコナー

2011年06月12日 | アイリッシュ

あの大地震から3か月。これをご覧になっている方のほとんどは、ごく普通の生活を取り戻されたことと思います。
しかし、今なお避難生活を続けている方々や、家族の行方を探している方々がいることを忘れてはいけません。

“Don't Give Up Till It's Over”
これはアイルランドのシンガー・ソングライター、ジョニー・デューハン(Johnny Duhan, 1950- )の作品です。
先日takabohさんの記事で知り、「いい歌だなあ!」と感動して、旧ブログの「励ましの歌」特集に追記したのですが、その後でとてもよい話を聞いたので、こちらで取り上げ、今回も「アイリッシュな記事」にしてみたいと思います。

「あきらめないよ 最後まで  悲しみ乗り越え もっと強くなる」

takabohさんの記事の冒頭に書かれていたこの1行、単なるコーラスの部分の意訳だと思っていたのですが、実はこの歌、復興支援の歌としてレコーディングされ、コーラスがまさに上の日本語の詞で歌われていたのです。

レコーディングしたのはショーン・オコナー(Sean O'Connor)というアイリッシュ・ミュージシャンです。彼はダブリン出身ですが、四季の美しい日本の田舎暮らしにあこがれて、岡山県赤磐市に移住して暮らしているとのこと。バウロン(bodhrán:でっかいタンバリンみたいな太鼓です)をはじめ、ギターやホイッスルなどさまざまな楽器を演奏しているマルチ・プレイヤーのようです。

旧ブログにも何度か書いてきましたが、アイルランドは飢饉や植民地支配、宗教間の争いなど、歴史の中にたくさんの苦しみがあった国です。それでも人々は音楽を愛し、励ましの歌を作っては、人から人へ歌い継いできたのです。そう、アイリッシュたちの心の中には歴史と伝統を物語る歌が生き続けていて、それがきっと彼らの「生きる力」になっているのでしょう。

ショーン自身も、幼いころに内乱にまきこまれるなど、人生の中でいろいろ苦しい経験をしてきたと思います。だからこそ、移住して友だちもたくさんできた日本が大地震と津波で大変な状況になっているのを、決して他人事だとは思えず、自分にできること・・・つまり、歌で励ましたいと思ったのかもしれません。

このレコードの収益はすべて、日本赤十字社を通して被災地へ寄付されます。
iTunesAmazonで配信されていますので、気に入ったらぜひ手に入れてくださいね。わたしも買います!

詳しくは → ショーン・オコナーさんのサイト

(コーラス)
終わりまであきらめないで できるのなら投げ出さないで
肩に担いだ重荷は あなたをもっと強くしてくれます

秋の花々をごらんなさい しおれて枯れてしまうのを
でも 自然の隠された力で 翌年にはまた花を咲かせるのです


(コーラス)

満月の昇るのをごらんなさい 沈んだ太陽の魂のように
でも 夜明けはもっと素晴らしいはず 新しい1日が始まった時

(コーラス)

 

そして、コーラスを一緒に歌うなり、自分の楽器を持ってきて演奏に参加するなりして(楽器を持っていない方は「テーブルをたたく」とかでOK!)応援してくださいね。

今、この歌を流しながら「遠距離セッション」に参加してくださっているみなさんは、同じ「支援の輪」の中にいます。

わたしも最後まで、みなさんと一緒に「がんばっぺ」!!