人生訓読 ブログ(日本語)

神様と真の御父母様を中心に全世界で御旨を歩む兄弟姉妹達と全ての人々の幸福の為にこのブログを捧げます。

父の祈り(心情の祈り)4-1

2023年01月02日 16時31分46秒 | 学習
1

お父様!
私達は、人類を創造されたお父様の本然のご心情を知ることができないでいて、私達の悲しみを追い払うことのできるお父様の愛を感じることができないでいるということを知っています。
今、私達のすべてを犠牲にしても、お父様の愛を探し出さなければならず、お父様と私達との本然の因縁を回復しなければなりません。
お父様!
私達が今、心の門を開きに開いて、あなたのご心情が何であり、あなたの愛が何であるかを、自ら探し出すことができるよう許諾してくださり、また耳を開いて、お父様の声を聞くことができるようにしてくださり、天が許諾される恩賜を受けることのできる息子・娘を探しておられる、お父様の姿を望むことのできる目を開くようお許しください。
そうして、見ることができ、聞くことができ、私達のためにご苦労されたお父様のみ手が分かるよう許諾してくださり、忍耐のご心情を体得することができるようお許しください。
苦労され、耐えてこられたお父様のご心情を、私達も少しは知っていますので、私達の心と体を完全にお父様のものとして主管してください。
何も分からず死亡圏内に囚われている息子・娘達がいるなら、お父様、親しく恩恵のみ手をもう一度伸ばして、全体の創造のみ業を呼び起こしてくださり、本然の訴えの心情に対することができ、お父様のお心の前に、
和動することのできるこの時間となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。
心を尽くして摂理なさった、お父様のみ旨があることを知り、天の定めた路程をたどってこられた、歴史路程があることを知りました。
これはただ天と通じることができ、天に対することができる価値観を探してきた人々を通じて成されたということを知っています。
歴史的なすべての罪悪と、時代的なすべての罪悪と、未来的なすべての罪悪の源を、根絶させるべき使命が私達にあるとするなら、罪悪に引かれて呵責を受けないで、お父様のみ愛の中で感謝を捧げたい心の衝動が起こり得る、お父様の直接的な愛のみ業が現れるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。
天倫の真理に通じなければならない時となり、天倫の人格に通じなければならない時となり、お父様の愛に通じなければならない時となったということを知りました。
お父様!
すべての人類に、お父様の愛を紹介することのできるみ言が現れるよう許諾してくださり、お父様の愛を証すことのできる人格者が、今日この終わりの日の、多くの民の前に現れるよう許諾してくださることを切にお願い申し上げます。
その真理に従うことのできる、私達の心の準備と基盤を整えるよう許諾してくださり、お父様のみ旨の前で、すべてのことがあからさまにされ得るその日が、歴史の前に早く早く現れるよう働いてくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.2.16)




2


創造の理念は、特定な個人だけを探し出すことではなく、すべての人類を探し出すことだという事実を知るものです。
この地上の人類を探しこられるのに、ご苦労されたお父様!
万宇宙を善の理念の中で探し立てるべき、摂理的なみ旨が残っていることを考えるとき、私達、千万遍死んだとしても、そのみ旨を成す肥やしとなって、少しでもお父様をお助けできるよう、許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。


お父様の悲しみは、この地上にお造りになった万物のゆえに生じたのではなく、お父様の創造理念を身代わりして、成すことのできる人間自体がいないがゆえに生じたという事実を、私達が分かるようお許しください。
今、私達にある心、ある精誠をすべて傾け、み旨のために闘うことができるよう許諾してくださり、この被造万物をお造りになった創造主が、まさしくあなたであられ、私達のために限りなくご苦労された方も、あなたであることが分かるよう許諾してください。


お父様のご心情が分からない者は、お父様の生命が分からない者であり、お父様のご心情を体得できない者は、お父様のご事情が分からない者であることを、分かるよう許諾してくださり、この時間にもお父様は、お父様のお心と共にあることのできない私達をご覧になり、悲しんでおられるということを悟るよう、許諾してくださいますことを、愛するお父様、切にお願い申し上げます。


そうして、私達の心が完全にお父様のみ旨と一つになるよう許諾してくださって、お父様の親しい友のように生きるよう導いてくださり、お父様が運行なさり得る私達となり、生活することができるようお導きください。
イエス様は、まさしくそのような神様のみ旨を抱き、ユダヤの民のために現れた方であられたことを、私達は知るようになりました。
お造りなった人間もそのまま残っていて、お造りなった万物もそのまま残っているのに、お父様が臨在なさることのできる実体の人間達が見いだされずにいることが、お父様のもどかしさであることを、私達が悟るようにしてください。
愛するお父様!
今、私達に臨在なさって、そのような私達となれるよう、私達の心と体を聖別してください。
そうして、父と共に楽しむことができ、お父様と共に創造の理念を成していく、新時代の先駆者となるよう、導いてくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.3.16)




3


お父様!
お父様に侍り、謙遜に敬拝を捧げたい心がない者は、永遠なるあの世において、お父様と因縁を結ぶことができないということを知るものです。


今私達が、心の門を開き、お父様を探し求めるようになるとき、その心の中心にお父様のご心情を感じて、「私」の心の主体的な命令に「私」の体が従うことのできる、慕わしいその日を探していますので、きょう私達の心からわき上がるあなたのみ声を聞き、失ってしまった自分の体を見いだすことができ、お父様が私達一人を探し出すために、私達の背後で艱難と苦労の歴史過程を経てこられたことを感じ、自らこうべを垂れることのできる私達となるよう許諾してください。


また、お父様に対するおそれ多い心を、自ら心と体で感じることのできる私達となるよう許諾してください。


私達をお尋ねになるお父様は、いつも栄光のお父様としてだけお尋ねになると思っていましたが、お父様は悲しみの主人公として、そして苦痛の主人公として尋ねられ、悲運の表情で尋ねてこられました。
このようなお父様であられることを知らなかったがゆえに、私達の悲しみをお父様にゆだねることを願い、私達の困難をお父様にゆだねることを願い、私達の悲運をお父様に押しつけることを願ったことを受け入れてください。


このような歴史路程を歩みつつ、悲しみを抑え、嘆息し、尋ねてくださったお父様を「お父様」と呼ぶことのできない堕落の氏族であることを私達が悟り、千万年のお父様のご苦労を和らげようとするからには、お父様の悲しみの路程を知らない息子・娘がいないよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.9.14)


4


お父様!
恨めしい歴史が今日、私達自体を取り巻いて動いています。
この恨めしい生活環境に置かれている私達に、恨めしい歴史を収拾し、恨みの積もった天のご心情を解いてさしあげるべきとてつもない使命があるということを知っています。


このような使命を背負った私達は、天と地の心情を抱き悲しみを体得し、苦痛を感じて千万回死ぬとしても、お父様を慰めてさしあげられる立場で死のうとする息子・娘とならなければなりません。


イエス様がこの地上に来られた当時、多くの教団と信者達はメシヤを待ち焦がれていましたが、彼らはメシヤが自分達の望む以上の姿で来られると思っていました。
ところが、来られたメシヤは喜びのメシヤではなく、人類の悲しみを総合した悲しみのメシヤであられ、人類歴史の苦痛を合わせた苦痛のメシヤであられました。


その当時には全国の代表者として来られるメシヤがそのようなお姿で現れるだろうと思った人は、一人もいなかったということを私達は知っています。


歴史は見せられたとおりに成されるということを知っています。
歴史に現れた事実を、終わりの日にそのまま再現させて蕩減復帰するという原則を学んでいますし、エデンの園で悲しんだ感情、歴史路程で悲しんだ感情、縦的に流れてきた歴史の悲しい感情を私達自体を中心として横的に展開させ、横的に収拾させて横的な真の喜びをお父様のみ前に帰し奉るべき責任が終わりの日の聖徒達にあるということを私達は知っています。


お父様!
今、私達が世界のために忠誠を尽くすようお願い申し上げます。
全人類のために天の福地を建設するようお願い申し上げます。
そうしようとするなら、天に染み通った悲しみと苦痛を相続する主人公とならなければならないということが分かるようにしてください。


苦痛と悲しみをすべて消化する立場に立ってこそ、天的な喜びの相続者として登場できるということを知り、悲しみがあっても苦痛があっても耐えて「全体の生命のために私が死にます」と言って立つ、歴史的な祭物となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.5.24)


5


失われた真の子女を捜すため、復帰の物悲しい路程を踏み分けてこられるお父様のご心情と、お父様のご事情と、お父様の形状を、心と体でたどり、体得することのできる息子・娘達となるよう許諾してください。


ご心情に染みわたった愛の心をもって、アダムとエバを愛することができず、六千年の長い長い歳月を愛に飢えてこられた、お父様のご心情を体得することのできるお父様の息子・娘となるようにしてくださり、物悲しいお父様のご心情を抱きしめ、慰労してさしあげることのできる、懇切なる子女達となるよう許諾してください。


今、この心と体をお父様のものとしてお捧げすることができるよう許諾してください。
私達の心と体を私達のものと考えず、永遠であられるお父様のものとして誇ることのできる、勝利の祭物となるよう導いてくださいますことを切にお願い申し上げます。
そうして、六千年間、真の愛の心情で抱き締め愛することのできなかったご心情を、解怨してさしあげられるあなたの血族達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


地上に数多くの人が生きていますが、お父様が「私の息子・娘だ」と言って愛し、サタンの前に「私の息子・娘だ」と弁明し、抱き締めて愛し得る息子・娘がいないことを知っています。
二千年前、イエス様がこの地の万民を救うため、闘いの路程を歩まれた時にも、お父様が親しく抱きしめ、愛することがおできにならなかったということを、私達は知っています。


父が愛する子女は、誰であっても奪っていくことができないという事実を知っています。
お父様のご心情に徹したイエス様でございましたが、あなたのみ愛を受けることができなかったということを私達は知っています。
愛することができなかったお父様のご事情も、私達は知っていますので、栄光のひと日をお立てになり、天の息子・娘をお立てになって、染みわたった心情を解かれ、抱き締め、愛し、すべてのご心情を吐露してください。
そのような天の息子・娘がこの地に現れることがお父様の願いであることを、私達が分かるよう許諾してください。


きょう私達は、持つものもなく、すべてのものを失ってしまったとしても、お父様の愛の懐に抱かれ、永遠なる愛を受けることのできる息子・娘となることを願うものです。


愛するお父様!
私達を祝福してください。権能のみ手を広げてくださって、私達を聖別してください。
悪の要素を除いて、完全にお父様のものとなることのできる私達の心と体となるよう、許諾してくださいますことを切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.12.14)


6


お父様!
誰も知ることができなかった摂理のみ旨だということを、私達がもう一度心の奥深く回想してみるとき、私達の先祖が堕落したのち、六千年という長い歴史を経てきましたが、人類がお父様のその心中に通じることができなかった事実を、私達はあまりにもよく知っています。
またお父様のご事情が困難で、痛々しいということも知りましたし、お父様の願いが今日、地と全人類と天の前にとどまっているということも、私達は知りました。


今日、私達がお父様の所望圏内に立って、お父様のご心情の園に立って、「お父様! 私がいますので慰労をお受けください」と言うことのできる、尊厳なるお父様のみ前に、称賛を受けることのできる息子・娘の節義と気概をもったのかを考えてみるとき、私達はあまりにも遠い距離に置かれていることを自認せざるを得ません。


お父様のそのご心情を身代わりすることのできる、願いの実体として来られたイエス・キリストが地上にまた現れるときに、天倫の心情を探してさまよう者は、そのイエス様の心情に通じなければならないでしょう。
そして、天倫の事情に通じてさまよう、選ばれたイスラエルにおいては、彼らの事情がイエス様の事情と一つになるべきことも、私達は知っています。
イエス様を送られたお父様の願いが、万民のためであったということを、イスラエル民族は知らなければなりませんでしたが、願いの実体であるイエス様を見間違えることによって、この悲しみが今日、私達にまで延長されてくるようになった、この歴史的な悲しみを、また感じるものです。


四千年間、探してお立てになったユダヤ教団はどこに行き、イスラエル民族はどこに行ったでしょうか?
お建てになったエルサレム聖殿も、イエス様のために準備されたものでしたが、イエス様とは関係を結ぶことができず、準備したユダヤ教団もイエス様と関係を結ぶことができませんでした。
準備された民族もイエス様と何ら関係のない立場で、かえってイエス様を責め立てる立場に立ちました。
しかし、そのような寂しい立場に一人立ち、責め立てるその人々のために祈祷しなければならなかった、イエス様の事情を知る者となるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


今、お父様に対して叫びたいことが何であり、お父様に向かって見いだしたいものが何であり、求めたいものが何でしょうか?
今日、私達の先祖達がもつことのできなかったお父様のご心情を、イエス様が身代わりしたように、私達にもそのご心情を所有させてください。
イエス様の事情と願いを所有して、終わりの日にお父様のご心情と同じ心情をもった存在とならなければならないということと、今までのあなたに対する歴史的なすべての負債を、蕩減すべき責任があることを、私達は知っています。


今、私達の行く歩みに十字架の道が残されていることを知っていますし、涙ににじんだ視線をもち、罪悪の世の中と闘わなければならない時が来ましたし、お父様のご心情に通じるべき時が来たために、私達をお呼びになられたことを知るものです。
それゆえ、お父様のお心を私達の心として、お父様のご事情を私達の事情として、お父様の願いを私達の願いとして、お父様の怨讐を私達の怨讐として、お父様の闘いを私達の闘いとして、お父様の願いを成就してさしあげられる、勝利の祭物として捧げられ得る息子・娘達となるよう許諾してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.2.1)


7


お父様!
お父様が本然の園を失って悲しまれたそのご心情を、この時間に私達が悟るよう許諾してください。
お父様は私達が知ることのできない中で涙を流され、限りない悲しみと、限りない苦痛の中におられたということを、私達が心と体に感じるよう許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。


アダムとエバの堕落によるお父様の悲しみも大きいのですが、復帰摂理のみ旨に責任を負い、地上に来られたイエス・キリストがご自身のすべての使命を完遂することができず、十字架で亡くなられたことも、お父様の到底言うに言えない大きな悲しみであり、寂しさであり、苦痛であったことを、この時間、私達が悟って、そのすべてのもの悲しいご心情を心と体で体得するよう許諾してください。


私達の先祖がお父様を裏切ったために、恨み悔しがるしかない、悲しい歴史路程を経てきたことを考えながら、今日の私達自身が、お父様のみ前に悲しみをさらに加える、哀れな立場に立つことのないよう許諾してください。
アダムとエバの悲しみに対することのできる、イエス・キリストの悲しみに対することのできる者達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


今、私達の心と体が、単純な私達の心と体としてのみとどまらないようにしてくださり、私達の心がお父様の心を身代わりし、私達の体がお父様の形状を身代わりすることができるよう許諾してください。
私達が悲しいご心情をもっておられるお父様を証すことができるよう許諾してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.2.8)


8

お父様!
この地上に悲しいことが起こるたびに、天も悲しまれ、私達の先祖も悲しみ、万物も悲しみ、今日、私達も悲しいのです。
この悲しみが除去される解放のひと日を願いながらも、行く道が分からず、その何かを探しながらも悟れないまま、彷徨し、あえぎつつ、六千年という長い長い歳月を経てきたという事実を知るようになった私達は、今、お父様がお見えになったなら、捕まえて大声を張り上げ、果てしなく泣きたい心情です。


今、このすべてのことを知り、本然のご父母様を探し出した私達が、悲しい涙に代わってうれしい涙を流し、悲しみを除去し、喜びだけが残り得るひと日が早く早く来ることを、心と体で願っています。


今、私達は行く所がどこであるかを知り、私達がどこに所属しているかも知り、本然の子女の価値も知りました。


お父様!
今、復帰の稜線に向かって走っている私達が、傷ついた足を引きずって、アダムとエバが望んだその頂上に向かっています。
私達が今、最後の力を加えてこの線を越えることができるよう、お父様の衝撃を私達の心と体に表してくださいますことを切にお願い申し上げます。


お父様がお話しされたいことがあるとするなら、それは、お父様がうれしいことではなく、限りなく悲しかったという事実、お父様が限りなく困難であったという事実、お父様が限りなく苦しかったという事実であることを知るものです。
これを私達が心で悟り、体得して、お父様の本然のご心情を身代わりするようにしてください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.2.15)


9

お父様!
私達は孤児のようにうろうろ、目的も方向も知らず、どのような環境に置かれているのかさえも分からないまま、歴史の流れに従い倒れながら、生命の中心をつかむことができないまま、押されに押されながら、今日まで来た哀れな者達であることを知っています。


反面、このような私達をおつかまえになり、私達が悲しむ時、共に悲しまれたお父様がおられるという事実も知りませんでしたし、死亡圏内に囚われて呻吟する私達を探し出すため、昼夜を忘れてご苦労してこられた主人公がおられるという事実も知りませんでした。
このような事実を知ることができ、感じることのできる喜びの心情が、天と地に通じることよりも貴いということを、私達が分かるよう許諾してください。
天は、私達がまどろんでいる時間にもまどろまれず、眠っている時間にもお眠りにならず、この一つの群れを悟らせ、この一個体一個体を導かれながら苦労されたお父様のみ前に、不肖なる私達が再び出てまいりましたので、受け入れてください。


私達の事情を知られるお父様であられ、その事情の主人公であられ、受け入れ得ないすべての困難な事情までも、受け入れてくださるお父様であられたことを、私達は知ることができませんでした。
今、心中に染みわたったすべての苦難と悲しみと心配を、お父様のみ前にすべて取り出し、お父様のものとして、取り換えてもつことのできるこの時間となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


私達のために心を砕かれた天のお父様がおられ、私達の生涯を心配なさる、より大きな天がおられるという事実を私達が知り、心と体でお父様に対し、おそれ多く考えることができるよう許諾してください。
私達が傷つく前に、お父様が先に傷つく立場に立たれたという事実、私達の体が疲れて倒れるときに、私達をつかみ抱いてくださり、慰めてくださって、行く道を再び勧告してくださったお父様のご心情を、私達が分かるよう許諾してください。


今日まで生きてきたとは名ばかりの自分達を、自覚させてください。
今からお父様を知り、お父様のご事情を知ることのできる息子・娘として、お父様と心情一体となることができるよう許諾してくださり、離れようとしても離れることができない、別れようとしても別れることができない、お父様と私達を引き離すどのような存在もない確固たる位置で、天の悲しみを私達の悲しみとして、天の喜びを私達の喜びとして、天の仕事を私達の仕事として、天の責任を私達の責任として感じるようにしてください。


今日、私達が永遠に変わることのない位置に立って、億万のサタンと闘わなければならない責任者の立場に立ったことを知り、全体を生かすためには祭物の立場に立たなければならないという、この峻厳な事実を体得することのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
私達の心から正しくない一切の要素を除去してくださり、お父様の心性に、お父様の性相に和してお父様と一体となり得る、確固たる覚悟と決心をすることができるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


自我の観念でお父様の性稟を推し量ろうとする息子・娘がいないようにしてくださり、完全に順応し和合してお父様の願われるみ意のまま、お造りになるひな型どおり造られ、現れることのできるお父様の息子・娘達となるよう許諾してください。
お父様が受け入れることのできない要素があるとするなら、一切を除去してくださり、親しくお座りになって命令してくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.3.8)


10


人類に対してこられたイエス様と神様には、悲しみが晴れる間がなかったということを知っています。
二千年前のイエス様を回顧してみるとき、彼は人知れない涙も流され、人知れない飢えの生活もなさり、人知れない迫害の路程で悲しくお泣きになったことも知っています。


イエス様がこのような路程を歩まれ、そのあとに従った数多くの聖徒達も、血の道を意に介さず歩み、死の道も意に介さず闘っていったという事実を、私達は知っています。


天の城に行く道は十字架の道です。
それゆえ、自分の十字架を背負い、ゴルゴタの山頂まで行かなければならず、十字架の血を流した立場まで進み、迫害を受けなければならないということが分かるようにしてください。
自分自身を忘れてしまい、自分の悲しみを忘れてしまい、自分の苦痛を忘れてしまい、きょうもあすも、このゴルゴタの道を行くのに全力を尽くす群れを、天が探しておられるということが分かるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
今日この時代に悲しい心情を吐露なさったイエス様の悲しみが分かるよう許諾してください。
イエス様を歴史的なイエス様としてだけ知ることは必要ではなく、私達の環境の中で現在的なイエス様を知らなければならない時となりましたので、その高く尊厳なるご心情の前に、その愛のみ前に、私達の心と体を祭物として捧げようという、ただその一つの心情に徹して、死んでも生きても天のみに向かって泣き叫ぶ群れとなるようにしてください。
ここに集まったあなたの息子・娘達が、そのような立場を死守することのできる群れとなるよう、許諾してくださいますことをお願い申し上げます。


天の心は、一人の方の心として現れ、四千年の歴史を統合するための心情の基準を立てましたが、人間達がそれを蹂躙し、背反することによって、今日、人類は凄惨なる状態に置かれています。
彼らの悲しみがお父様の悲しみであることが分からない、この地上の数多くの人類を、お父様、顧みてください。


彼らのために涙を流し、祭壇を築くことのできる寂しい群れとなるよう許諾してください。
ヤコブも荒野路程で悲しみの祭壇を築き、モーセもそのようにし、エリヤもそのようにしたことを知っています。
天のみ旨に責任をもった私達の先祖が、誰一人としてそのような路程を歩まなかった者がいなかった事実を知っています。
彼らの伝統を受け継ぐ私達となろうとしますので、残された祭壇を積み、崩れた城を再び築き、お父様の至聖所を整えてお父様に侍り得る息子・娘となるよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.3.15)




11


お父様!
私達は悲しみと嘆息の死亡圏内に押し流され、天と因縁を結ぶことのできない不孝の子供達でしたので、お下しになられた恩賜の前に、おそれ多い心をもち、自分の本性を収拾することのできる一つの姿となるよう許諾してくださって、お父様に侍ることができますことを切にお願い申し上げます。


お父様が来いとおっしゃる、その道があることを知ったその時から、涙の道にもお父様が共におられることを知りましたし、十字架の道、苦難の道、悲しみの道、鎖につながれるその道までも、共におられることを知りました。
そして、愛する息子・娘の背後でご苦労なさり、歴史路程を踏んでこられるお父様のそのいばらの道をも知っています。


私達のために、私達が知ることのできないご苦労の歴史を重ねたことを知って、このようにご苦労されたお父様のお姿を心で慕い、敬拝を捧げる私達ですが、身の置き所を知らないものです。
お父様の悲痛なるご心情で、私達自体を捕らえてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


天のみ旨があり、天の望みがあることによって召命を受けた私達でしたので、今日私達に追ってくる十字架の道も、私達によるものではないことが分かるよう許諾してください。


千秋万代の後孫までも、先祖達が苦労した歴史的なその因縁の道が分かるよう許諾してください。
この時間、私達が無限の喜びと無限の幸福と無限の望みを抱くことのできる心をもったとするなら、それは私達自身によって始まったものでもなく、ある人間によるものでもなく、すべてのものが天から始まり、天から動じたという事実を私達の心と体に深く納め、天が動じたその土台を慕い、これをつかみ涙ぐむことのできる息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
私達が行くべき方向をあなたは知っておられ、私達が取って進むべき道もあなたは知っておられます。私達の心の始まりも自分から始まったのではなく、私達が勧告の立場に立つことも自分のためではなく、人のためであり、お父様のためですので、最後までその心情が変わらないよう主管してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
残された苦難のこの一期間を通して、お父様に不孝をして離れる者達とならないよう許諾してくださり、摂理してこられたお父様の悲しみを感じても、この難しい時期を乗り越えることのできないような息子・娘達とならないよう許諾してください。
最後までお父様のご心情をもつため、自己を捨て、お父様を心配し、お父様のご心情を慰労することのできる、お父様のご事情を理解することのできる息子・娘達となるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。


この時間、私達の心に、お父様のもの以外に要求するものは一切ございません。
今私達は、きょうの苦難を踏み越えて、約束の園を望まなければなりませんし、永遠なる祝福の天の国を慕わなければなりません。
現れるべき神様の祝福は、言葉で表すことができないほど大きな栄光の立場だということを私達は知っていますので、きょうの私達が、お父様に対する心情を変えず、最後まで耐えて残される群れとなるよう許諾してください。
最後まで闘い、お父様のみ前に立つことのできる息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.3.29)




12


お父様!
人間達をご覧になり、人間達を探し出すために傷心されるお父様を見つめる息子・娘がいるなら、お父様のみ前に自分の福を祈ることはできず、自分の主張を広げることができないことを知る者でございます。
このような歴史的な悲しみが残っていることを千遍万遍忘却した、この不忠不孝な子供達を受け入れてください。


今、心情からわき出てお父様を呼ぶことのできる、天と地が喜ぶことのできる、お父様と私達が一つになる、その一瞬間に新しい歴史が始まり、望みが成就することを知っていますが、きょう私達の心の基が、そのような心情に徹することのできる立場に立つことができなかったことを見て、落胆せざるを得ず、嘆息せざるを得ません。


地上に悲しみがあるとするなら、悲しい者を慰労なさるお父様の悲しみ以上の悲しみがどこにあり苦痛があるとするなら、お父様に背反する人を捕まえ、慰労なさるお父様の苦痛以上の苦痛がどこにあるでしょうか。


お父様はご自身の威信と体面と権限を立てられず、望みを残したまま歴史路程を経てくる間、数多くの善なる先祖達を捕まえ、「私の心情を分かってくれ」と、「私の事情を分かってくれ」と泣き叫び、切に訴えられたという、歴史的なみ言を私達は聞いた者です。
しかし、今日の私達は歴史を代弁することができず、歴史的な実体を証して善なる自らであると誇り得る、その何ものをももてなかった者達として、お父様のみ前にひざまずきひれ伏しましたので、面目ない自らであることをこの時間暴露し、ありのまま報告させてくださり、サタンに蹂躙された自分達であることを悟り得るこの時間となりますことを切にお願い申し上げます。


残された摂理のみ旨の前に、不忠な者は多いけれども、忠誠を尽くす者がおらず、きょうも心配なさり、あすも心配なさり、摂理のみ旨と心情を打ち明け、勧告なさることのできないお父様のご事情を、この時間に私達が見抜くことができるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げ、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.4.12)




13




お父様に侍るべき本然のアダムとエバが堕落することにより、今までの歴史が悲しみの路程となったという事実を、私達は知っています。
罪を犯したアダムとエバの後孫である人間達が残した罪のふろしきを背負ったまま、追われ追い回され、試練を受けながら、今日まで来たこの人類歴史を前にして、私達が悔しく思うことができるようにしてください。


このような立場に落ちた人間達を、天は忘れようとしても忘れることのできない、創造主としての責任があるがゆえに、どの時代、いつを問わず、この人間達を再び探し出すために、苦労の歴史路程を経てこられたということを、私達は知っています。


きょうこのような立場に置かれている私達が、自分達を置いて嘆息すると同時に、お父様が無限のご苦労と苦痛の道を歩まれたことを、心痛く思うことのできる姿となるようにしてください。
お父様に対しては、面目のない自分達であることを感じ、歴史的な罪の血統を受け継いだ人間に対しては、悔しく思うことのできる心をもつようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


私達の心にはいまだ罪悪の根性が残っていて、私達の体はいまだ罪悪の鎖につながれているということを感じています。
哀れみのお父様が、力と能力をもって現れてくださることを私達は待ち焦がれていますし、真の息子・娘となれることを待ち焦がれています。
罪悪の金網を切って、染み込んでくる罪悪の因縁を切って闘う姿となることができないまま、失敗している息子・娘をご覧になる時、お父様が一層悲しまれることを知っています。


今、心の門を開き、体の拘束から逃れて、新しい心、新しい体を整えて本然のお父様を「私のお父様」と呼ぶことのできる、一つの姿が現れることを待ち焦がれるお父様のみ前に、「お父様! あなたのみ旨を身代わりした自らでございますので、お受けください」と言うことのできる息子・娘となるようにしてください。
そのような歴史的な勝利者、怨讐達と闘って勝利し、お父様の悲しい心を慰労してさしあげることのできる息子・娘が現れることが、お父様の願いであることを私達は知っています。


今、私達自身がそのような立場でお父様を「私のお父様」と呼ぶことができ、お父様を慰労してさしあげることのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。


これが私達の願いであり、お父様の願いであることを知っていますので、私達を激励してくださって、その立場まで導いてください。
導いてくださるお父様のみ手をつかみ、いかなる逆境の道をも行くことを願う、切実なる心をもった息子・娘達となるようにしてくださいますことを、切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.4.19)


14


お父様と共に生きることのできる、そのひと日が慕わしいのでございます。
お父様を慕い、お父様に向かって走る私達、お父様と共に生きることのできる栄光のそのひと日を迎え、お父様のみ前に感謝と喜びの賛美を返すことをもって、お造りなった万物を和動させることのできる息子・娘達となるようにしてください。
私達の心と体は、お父様の形状(み姿)に似せて造られたものですので、完全にお父様に似た息子・娘となるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
あなたの悲しいお心が地上に立ちこめていることを、人間達は知らないでいますし、天の物悲しい涙の跡が人類歴史の足跡ににじんでいるということを知らずにいます。
限りない天の嘆息が、私達の心と体に漂っているということを知らずには、天のみ前に面目を立てることもできず、天の信任を受けることもできない、悖逆(信任にもとる)な人間の後孫であることを自認せざるを得ません。


お父様!
地上にはあなたの涙を収めてさしあげる者がいませんし、あなたの悲しみをつかみ、慰労してさしあげる者がいませんし、あなたが行かれるその道を守る者がいません。
そうですので、この地に恨みがあるとするなら、それは天の恨みが染みわたった地だということであり、悲しみがあるとするなら、天の悲しみが染みわたった地だということであり、怨恨があるとするなら、天の怨恨が染みわたった地だということです。


それゆえ、この地に生きている人間達は、悲しみの祭物になるまいとしてもならざるを得ない運命に置かれていて、恨むべき自分を越えまいとしても越えざるを得ない運命に置かれています。


落胆する中で、最後の声でもって天に向かい、「お父様!私達を助けてください」と泣き叫ぶべき時となり、「お父様!愛のご心情をもって、人類を尋ねてください」と泣き叫ぶべき終わりの日が到来しているのに、このような時に誰がお父様のご心情をつかんで悲しみ、誰がお父様のお心をつかんで痛哭するでしょうか?
そのような者がいるとするなら、彼はお父様の真なる息子・娘だということができ、またお父様の実体的な対象だということができるでしょう。


私達の心に力を生じさせてくださったお父様!
哀切で、恨めしく、悔しいお父様のご心情を感じることのできる心の動機が慕わしいし、ご心情の源泉に接したいので、接することのできる恩賜を加えてください。
そうして、そのご心情に和するとするなら、その立場では自分の不足なことを暴露すまいとしても、暴露せざるを得ず、人間の罪状を身代わりして悔い改めまいとしても悔い改めざるを得ないということを知っています。


お父様!
不肖で不足な私達、磐石となれない私達をお立てになり、心配なさるお父様のみ前に、心苦しい心をもち、お父様の恨みのご心情と悲しいご心情を慰労してさしあげることによって、栄光の中に顕現なさることのできる土台を整える聖徒達とならなければならないので、お父様の力と能力をもって不足な私達を主管してください。
絡み混ざった罪悪の形状をもっている者がいるとするなら、愛のみ手を伸ばしてくださって、再び主管してくださり、異なった姿にお造りください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.5.24)



15


お父様!
人間達がお父様を探すために歴史路程であえいだとしても、今までお父様に侍って生きた者達が地上におりませんでした。
この地のどこの一角がお父様のものであり、どの一家族がお父様のものであり、どの一民族、どの一国家がお父様のものでしょうか?
お父様のものとして、どれ一つこの地上に探し立てることができなかったお父様のその悲しいご心情をおそれ多くも察することができるものです。


あなたに悲しみがあるとするなら、この地の主人であるあなたが、主人の立場に立つことができず、この地に責任をもつべきであられるあなたが、責任をもつことができない立場におられたことを知っています。


地上の人間達に責任をもつべき立場におられますが、責任をもてない摂理を導いてこられたお父様、私達の心情を通して直接主管なさり、直接命令なさるべき立場であられるにもかかわらず、そのような立場に立つことのできなかったお父様、私達の生活を通し、私達の全部を主管なさるべきお父様であられるにもかかわらず、私達の内的な生活と事情を主管なさることのできないお父様、私達を置き、善の結実だと賛揚すべきお父様であられるにもかかわらず、そのようなひと日、ひと時、一人をお探しになれなかったお父様、このような物悲しい立場におられたお父様であることを私達は知りませんでした。


今、私達がこの地上のすべてのものを失うとしても、お父様の物悲しいご心情に通じることのできる息子・娘となるよう許諾してくださり、お父様のご事情と曲折を実の子女の立場で感じることができ、お父様が涙を流されるとき、共に涙を流し、困難にぶつかるとき、共に困難にぶつかることのできるあなたの息子・娘達となるよう、許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。


お父様!
私達の心が足らないことを知り、私達の体が世俗的であることを知り、私達の欲望がサタンと共に動いていることを知りました。


このような内的な要素をもった私達、天を身代わりして許諾なさったひと時、一時代、一時期に来られる一人の主人公を待つことのできない悲惨な者達ですので、哀れな自分を置いて嘆息し得るようにしてくださり、哀れな家庭と哀れな社会と哀れな人類と哀れな天と地を置いて嘆息し得るようにしてください。


悲しい心情をもって、天と地の前に贖罪すべき時が来ましたので、お父様!私達の心の門を開いてください。
私達の心情は、お父様、あなたのご心情に対することを知らない、対し得ない立場ですので、このような私達の心と体を、お父様のご心情とお父様の形状に和することのできる実体として、再び造ってくださいますことを切にお願い申し上げます。


天が受け入れることのできない、今までもってきた一切のこの世的な観念や主義主張を除去させてくださり、そのすべてのものがお父様のもののみとして和することができるよう、本質的な感性の基準を高めてくださり、良心的な基準を高めてください。
私達の心情を連結させて、お父様のご心情と通じることができるようにしてくださり、天的なご事情と通じることができるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


天にいる数多くの聖徒達をお送りになって、私達の周囲を聖別させてくださり、私達の心情を覚醒させてくださり、お父様の能力のみ手で再び造ってください。
そうして、私達が再創造のみ言と共に再創造の性稟を受け、死亡の実体である私達が生命の実体と化し、栄光と歓喜と喜びの中で、お父様をお招きする喜びの時間を迎えることができるようにしてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.6.14)




16


人類において一番大きな悲しみは、お父様の愛と縁を結ぶことができなかったことであり、お父様のご心情に通じることができる本然の良心を失ってしまったことであり、そのご心情と良心が和することのできる、心と体が和合することのできる立場に立てなかったことであることをよく知っています。


堕落したがゆえに、お父様のご心情に通じることのできる感覚が、私達から去り、お父様のご心情を体得し万象を愛することのできる心が、私達からなくなってしまいましたので、お父様、その心情を回復することができるよう導いてくさい。
私達の心と体が一つになり、私達のものがお父様のものとなるようにしてください。
私達のものをすべてお父様のみ前に備え、誇らしい姿として、愛の羽を広げて万物を抱くことのできる広い雅量の心情をもつことができるよう、お父様が、導いてくださいますことを切にお願い申し上げます。


私のお父様!
このような心情に通じさせることのできるみ言が切実に必要なことを知っています。
私達が失ってしまったものは、み言であり、その次は実体であり、その次は心情であることを知っていますので、お父様、み言を通して失った私達の本然の心情を呼び起こしてください。
本然のみ言にこうべを垂れることのできる心を備え、本然のみ言に耳を傾けることのできる体を備えて、お父様の栄光の懐に抱かれる恩賜を許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。


み業を始められた方があなたであられたので、これを成就なさる方もあなたであることを知っていますし、善で始められたので善で締めくくるべきことをも知っています。
お父様は「アルパであり、オメガである」と言われ、「最初の者であり、最後の者である」と言われ、「初めであり、終わりである」と言われましたが、初めに本然の心情を失った人間ですから、終わりに来ても天的な心情に通じません。
今、終わりの日には本然の心情を掴み、心情を連結しなければならないのに、堕落の怨恨のどん底で喘いでいる私達を、受け入れてくださいますことを切にお願い申し上げます。


私達の心は私達のものではなく、あなたのものであることが分かるようにしてくださり、私達の体は私達のものではなく、あなたのものであることが分かるようにしてくださって、私達の心情、感性、このすべてのものが私達に属さず、お父様に属し動くという事実を、実体的に、実証的に体得できるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.6.14)


17


お父様!
心情を通して天を体験するよう許諾してくださり、感じまいとしても感じざるを得ないお父様のご事情を体得できるよう許諾してください。
お父様のみ前に悔い改めまいとしても悔い改めざるを得ない心情をもつことができるよう、お父様が導いてください。


人と人同士集まる所は、解こうとしても、かえってもつれることが起こりますが天を中心として集まる所では、心にしこりになったことが解けるという事実を知っています。
今、罪悪の氏族によってもつれてしまったすべてのものが根本的に解かれ得る、蕩減のみ業、悔い改めのみ業、感動のみ業によって、私達自身を反省し、過去を悔いて新しい日を憧憬することのできる、徹した心を呼び起こしてください。
そうして、その心を抱き、自我をもう一度悔い改めることのできる再創造のみ業が起こるよう、お父様が、許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。


今日、私達は体だけの幸福を待ち焦がれてはいませんし、心にだけ酔って生きることも願ってはおらず、ただ心情を置き、永遠に生きることのできる園を願うものです。
生活の中でも心情的な因縁の一条件が、各自の心中から暴発して、心情深く内在することのできる因縁が結ばれるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。
お父様!
この聖なる日、万民の上に祝福の恩賜を与えてください。
み旨を身代わりして心情を抱き、天のみ前に訴えて、隠れた祭壇を築き祈祷する息子・娘達が多いことを知っていますので、彼らにも祝福を与えてください。


天上の寂しい心情を抱き、あえいでいる群れ、蕩減的な解怨のひと日を願っている霊界の数多くの霊人達までも、私達と関連があるので、お父様、彼らの業も、私達によって良い結果として現れるよう許諾してください。


三位神が私達を取り囲み、見つめて、待ち焦がれるその心情の基準に私達が足らないで、その量を満たせないままお父様を呼ぶことのないよう導いてください。
自分が充足した立場で「お父様」と呼ぶことのできる、喜びの姿としてお立てください。
そのような恩賜をもつことができなかったとするなら、幼子のように温柔謙遜にお父様の哀れみと慈悲のご心情を引き寄せる息子・娘となることができますよう、このひと時、導いてくださいますことを切にお願い申し上げ、すべてを主の名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.7.5)




18


お父様!
来いとおっしゃった道が、困難ではないと思って立ちましたが、困難であるということを知り、喜びの道であると思いましたが、行ってみると涙の山また山であることを知りました。


お父様!
私達に悲しみがあるとするなら、お父様をつかんで悲しみたいのです。
人間をつかんで悲しんでは、落胆しやすい事実を知り、人を信じていっては、傷つくことを知りました。


変わることのない方はお父様でした。
お父様をつかんで泣いた時間があまりに幸福な時でしたので、イエス様もお父様をつかんでお泣きになるために山道を尋ねたのでしょう?
お父様をつかんで泣き得る人々、人生行路が物悲しく寂しいので、人類の前にイエス様を立て、先にこの道を開拓するようになさったお父様のご心情を知り、お父様のために泣いてさしあげることのできる真の息子となることを、娘となることを願っています。


私達が悲しいという前に、先にむごいむちを受け、むごい迫害を受け、すべての重圧をお受けになる天がおられたことを知ったなら、どうして天のみ前に自己を弁明することができるでしょうか。
天のみ前には、自己を中心として悲しむべき条件がないということを知ったので、ここに置かれたあなたの息子・娘達を哀れに思ってください。


お父様!
私達は、私達が泣く前にお父様が先に泣かれ、私達が打たれる前にお父様が先に打たれたことを知り、私達がぶつかる前にお父様がぶつかられたことを知り、私達が痛みを感じる前にお父様が先に痛かったことを知り、私達が倒れる前にお父様が先に倒れられたということを知りました。


これを知り、天に向かって黙々と行き、また行っても、足らない自分であることを発見しながら、天のみ前に頭を下げ「お父様」と呼ぶことのできる息子・娘達を、あなたはどれほど待ち焦がれられたでしょうか?
私達の心情に、そのような感情が動くよう許諾してくださり、この国に対するとき、世界に対するとき、天に対するとき、そのような感情が動くようにしてください。
そのような感情が動いてこそ、「個人から全体の世界的な理念圏まで自信ある信仰をもった」と言うことができ、自分の理念を立てるための、最高の心情をもった天の立場となることを知っていますので、このような環境の道を開拓していくことができるよう、私達の心を呼び起こしてくださいますことを切にお願い申し上げます。


行くべき人生行路において、物悲しかった自分を批判し、幸福に酔って暮らすことができ、また私の一身を天と因縁づけることを高く評価しながら、頭を下げてお父様の栄光を高らかにし得る子女達となるよう、許諾してくださいますことを切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.7.5)




19


お父様!
今日、お父様のご心情の園で私達の体が動じ、心が動じ、すべての考えが動じるよう許諾してください。
お父様のご心情は、無限なる愛のご心情であることを私達は知りました。
お父様のご心情は、限りなく悲しいご心情であり、限りなく傷を負っているご心情だということも私達は知りました。
限りなく悲しまれたお父様、限りなく苦労されたお父様、今も限りなく気遣われるお父様!
そのお父様が創造主であられ、そのお父様が全万象の主人公であられるということを分かるようにしてくださり、お父様がお受けになる限りない悲しみが、私達の胸に染み通るようにしてくださり、限りない悔しさと無念さが私達の心中に流れ込むようにしてください。


これを体得した者を、身の置き所を知らないため、自分の身を支えることのできない悲しみに浸るようにしてくださり、その心を収拾することができず、天地の区別もつかないまま痛哭する息子・娘達となるようにしてください。


六千年も悲しみの祭壇が続いたのは、先祖達の過ちのゆえであることを知るものですが、今日、私達がまたも責任を果たせず、悲しみを後代に残すのではないかと心配です。
今日私達は、私達一代で悲運の歴史をふさぎ、天のご心情をここから収拾して、新しい喜びのご心情に変えるべき責任があるということを知りましたので、この時間に頭を下げた私達が、お父様のご心情の同伴者となるよう許諾してください。


人の姿をした人間はたくさんいます。
ところが、地上に何がなくて天が悲しまれるのかと言えば、あなたと心情が通ずることができ、あなたの愛を慕うことのできる息子・娘がいないためであることを知っています。
天はそのような息子・娘達を探しておられるということを私達は知りましたので、今、精誠を尽くし、この心と体をすべて捧げ、そのご心情の前に不足がないということのできる、認定を受ける息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


私達は、天がどのような物質を下さることも願っていませんし、事情を知ってくださることも願っていませんし、恩恵を下さることも願っていません。
それよりは、恩恵を下さったのちに悦楽しようとなさるお父様のその内情を私達が知るよう許諾してください。
そうして、悲しまれたお父様を「お父様」と呼ぶことができ、苦痛のお父様を慰労してさしあげることのできる息子となり、娘となることを願うものです。


これを目標として、私達は険しい道も意に介さず、追われる道も意に介さず、迫害と嘲弄の矢がこの一身に襲ってくるとしましても、お父様に向かう一片丹心の心情だけをもたなければなりませんし、このすべてのものを忘れてしまい、天に向かってより近づいていくことができ、それを内的な忠告をもって消化することのできる息子・娘達となるよう、許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1960.2.7)




20


今まで私達は、お父様を栄光の中で喜びをもっておられる方として認識していました。
すべての福と富貴栄華を自由自在に私達に与えることができ、私達に解放の喜びと目的を達成させてくださる方であると思っていました。
しかし、天の背後の事情を知ってみますと、福を与えたくても、福を与えることのできない内的な曲折があるということを知りましたし、恨むべき六千年の悲しみの歴史を蕩減復帰しなければならないという、とてつもない事実を私達は知りました。
今、そのような事情を知りましたので、行うことのできなかった人間の愚かさを、嘆息する者となるようにしてください。
お父様はこの民族を探してこられたお父様であり、世界人類を探してこられたお父様であることを分かるようにしてください。
この歩みには、今までの悲しみの涙が染み付いていますし、今までの苦痛の障壁が残っているということを知りました。
きょう私達は、そのようなお父様の苦痛の城壁となり、悲しみの都城(=中心地)となって、お父様の憤りと恨みを抱き、その責任と使命を果たすため、怨讐との決戦途上において、血と涙を注ぎ、闘うことのできる私達とならなければなりません。


お父様!
私達が天情に徹して人類愛の心情を抱き、あえぐことのできる者達となるようにしてください。
山河を眺めるときにも、お父様のご心情を抱き、涙で見つめることができ、民族を見つめるときにも、やはりそのようにし、人類を見つめるときにも、やはりそのようにできる私達とならなければなりません。


私達はお父様が願われる個体となり、お父様が願われる家庭を築き、その家庭を中心として、お父様が願われる理念的な世界を建設しなければなりません。
建設すべき範囲が大きければ大きいほど、より多くの血涙を流さなければならないということを知りました。
個人を探すためにも、家庭を探すためにも、民族を探すためにも涙を流さなければならないということを知りました。
この道は、人間的に見るときには、悔しい道であり、憤懣やるかたない道であり、苦しい道ですが、あなたが歩んでこられた道ですので、これを喜びの道、感謝の道、栄光の道に変えて行くべき曲折の路程であることを知りました。
生命が尽きる時まで、お父様に侍ることにおいて、すべてのものを消耗させることを誇りとするようにしてください。
あなたと共に、最後までこの道を駆けていくことのできる私達となるようにしてくださいますことを、切にお願い申し上げます。
そのような立場で、涙でもってお父様の栄光を謳うことのできる私達となることを、もう一度決心させてくださいますことを切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1961.2.12)




21


この上なく善であられ愛に満ちたもうお父様!
この上なく栄光にあふれるべき私達のお父様が、悲しいこの地に対してこられるために、お心とご心情にどれほど大きな傷を受けられたのか、どれほど憤り、どれほど悲惨な立場に立たれるようになったのかを、私達はおそれ多くも考えることができません。


善の子女をお立てになり、善の天国、善の理想世界を心の中に描き、望みのひと日を慕われたお父様!
人間の先祖アダムとエバを通じて望みのひと日が成されることを願う心が、切実であれば切実であるほど、アダムとエバを愛したいお心がどれほど大きく、その目的に対する責任を感じれば感じるほど、アダムとエバを保護したいお心が、どれほど大きかったことでしょうか。


そのようなお父様の保護と、お父様の愛の懐を、人間の先祖が裏切り、背を向けた恨み多い歴史を振り返って考えるとき、私達が堕落した先祖の後孫として生まれたことがとても憤懣やるかたなく、とても悔しく、とても恨めしいのです。


私達の心と体は罪悪のきずなから抜け出すことができず、死亡の波に押し流され、すっかり死亡のどん底で破壊されるべきものとなりました。
しかし、お父様は数多くの歴史路程において一日のように思い、そのような私達を心配なさるのに数多くの苦痛を受けてこられました。
お父様は人類の歴史的未来を心配なさる心が大きかったので、悲しい心をもたれ、私達不足なる人類の足跡をついてこられましたが、一日として、どこの誰にも、あなたのご心情を哀訴できなかったお父様であられることを知りましたし、一日としてあなたのご心情を慰労してさしあげられる子供をもつことのできなかったお父様であられることを知りました。


このように困難な復帰路程を経てくるのに六千年!
今、この終わりの日を迎え、三千里半島(=韓国)の上に、この民族を代表して、哀れで取るに足らない私達をお父様が集めてくださったので、この因縁が決して偶然なものではないことを私達は知るものです。
私達はみ言を通して学びましたし、事実を通して証を受けましたが、そのみ言と証を私達のものとして消化できなければ、そのみ言と証が私達を審判するようになるという恐ろしい事実を、私達が分かるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


この統一の群れを集めてくださったお父様!
歴史の途上でご苦労されたお父様の悲惨なお姿は、言うに言えないものであることを知るものです。
取るに足らない弱々しい群れを集められ、ひと日の勝利を約束なさり、苦難の道に私達を追い出されるお父様の切実なるご心情とご事情を、私達が夢にも忘れることがないようにしてください。
困難な立場でも、それを心の深くに銘記させてくださり、悲しい立場で悲しみの涙を流されるお父様を、先に考えることのできる息子・娘となるようにしてください。
また、この者達が凄涼(=すさまじい)で悲惨なる立場に落ちたとしても、十字架路程を越えられるお父様の悲惨なるご心情を忘却する息子・娘とならないようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


二千年前、お父様がこの地上に送られた天の皇太子、万民の救世主、メシヤが、悲しい生活をして逝かれたことを私達は知っています。
その方は、生まれるときもお父様のご心配の中でお生まれになり、成長するときもお父様のご心配の中で成長されました。
また、責任を担った公生涯路程で、お父様を身代わりして迫害の途上において怨讐達と対決し、苦難の路程を責任を負っていかれたことを私達は知っています。


このようになったすべては、私達の先祖達が責任を果たすことができなかったゆえであることを知り、歴史的なすべての罪状を探知して分かりましたので、今日この地上に実体を立て、歴史の恨みを解いてさしあげるべき全体的な責任が、私達にあるということを忘れないようにしてください。


過ぎし日の嘆息の歴史が、私達をせき立てているということを忘れないようにしてくださり、時代的な使命を知らせるために、先にお立てになった私達を通じ、与えようとなさるお父様のお心が存在するということを、忘れないようにしてくださいますことを切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1964.5.3)

22


恨み多い長い長い歴史をたどってこられながら、悲しみの日々を抱き、踏んでこなければならなかったあなたのそのご心情を誰が知り、あなたのそのご事情を誰が知り、あなたのその望みを誰が知っているでしょうか?
お一人知っておられるそのお心、お一人おもちになったそのご事情、お一人抱かれたそのご心情とそのみ旨を知ることのできない人間達に対して、その望みと事情と心情を教えてあげることのできる一人の子女を探してこられるため、苦労されたお父様がどれほどかわいそうな方であるかを、私達がこの時間にもう一度感じることができるよう許諾してください。


その方は他人ではなく、私達と永遠に共に暮らすべきお父様であられ、その方はご苦労なさるべき方ではなく、宇宙を創造された主人であられることを、私達が知るようにしてください。
私達のお父様であられ、私達の真の主人として宇宙全体を抱かれ、愛されるべきその方が、そのような歴史的な曲折を残されたという事実を、悔しく思うことのできる子女達とならなければなりません。


私達の先祖の一度の過ちが、このように億千万代をおいても受け入れられない罪となったという事実を考えるとき、涙と血と汗を流し尽くしても、償う道理がなく、生命を千万遍犠牲にするとしても、償う道理がないことを、この者達が悟るようにしてください。


お父様!
どこにあなたが分かるという者がいて、どこにあなたのみ旨を立てようという者がいて、どこにあなたのために死を覚悟していく者がいるでしょうか?
誰もいないということを知るとき、ここに集まった私達、たとえ哀れで、取るに足らない群れであっても、あなたのために忠誠を誓い、あなたのために生命を捧げようと誓った群れですので、疲れた者達がいるなら、力を加えてくださり、失望した者達がいるなら、抱いてくださいますことを切にお願い申し上げます。


私達は怨讐達の籠絡に何度も踏み付けられ、悲しい過去の歴史に、言うに言えない切ない事情をもっています。
そのすべての恨み多い心情を失ってしまう私達とならないようにしてください。
お父様の悲しみと、お父様の恨みを失ってしまう者達とならないよう許諾してください。
この罪悪の世を審判なさる時、間違いなくお父様のみ前に、栄光を帰し奉る勝利者の姿として現れることのできる、あなたの子女達となるようにしてくださることを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1965.12.26)




23


堕落したこの世の父母達の心情であっても、子をむち打ったあとは、むち打つ前に愛した以上の心を抱き、彼のためにしてやりたいものであるのに、まして復帰の路程において私達に責任を負えと命令なさったその立場において、私達が打たれ追われる時、慰めたいお父様のご心情がどれほど大きいかということを、私達が分かるようにしてください。


そうして、その立場でお父様を「お父様」と呼び、お父様を慰労してさしあげることのできる孝子として立て、私達に心情世界で永遠にお父様を賛美させたいのがお父様のお心であられますことを、私達が忘却しないようにしてください。


今まで、統一教会の路程は、悲しい路程でした。
人々が理解し難い中におきまして、お父様のご命令どおり従ってくる歩みが、どれほど凄惨であったかということを、私はよく知っています。


今日、統一の群れを集めてこのような祭壇を動かす時まで、お父様はどれほど多くのご苦労をなさいましたでしょうか?
遊ぶ者はむち打って勧告なさり、居眠りする者は起こしてくださって、行けと命令なさったことを知るのです。


今もそのような逆境の中で私達に誓わせ、私達を追い立てるべきお父様のご事情が残っていることを知るのです。
このような悲しみが、宇宙史的な蕩減の路程として残っていることを知っていますし、個人を収拾しまとめては家庭を、家庭を収拾しまとめては氏族を、氏族を収拾しまとめては民族を、民族を収拾しまとめては国家を、国家を収拾しまとめては世界を身代わりし、行けと命令なさるべきお父様であることを分からせてください。


そうして、その道において、つらい蕩減の路程を経ていかなければならない復帰の路程が残っていることを見つめられる、お父様のお立場がどれほど苦しいかということを私達が分かるようにしてください。


お父様のその立場を知っている孝子がいないため、命令しようとしても命令することのできない、お父様の切ないお心を私達は知るのです。
今私達が、命令なさるその目的に向かって、命令を受ける前に自ら準備し、お父様を「お父様」と呼ぶことのできるあなたの真の子女となるようにしてください。
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1966.7.3)




24


我がお父様!
私がお呼びするお父様は、あまりにもかわいそうであったことを知るものです。


お父様!
大多数の人間は、お父様が栄光の服を着て万世を統治し、全栄光に心を奪われ、「万民を愛する」と宣布なさるのだと思い、そのようなお父様の懐に抱かれたいと思い、そのようなお父様を抱きたいと思っています。
それが今まで、人間達の欲望でした。
しかし、統一教会の教会員が抱いているお父様は、死の立場において、昼夜、望みの未来を見つめ、歯を食いしばりながら耐えていかれるお父様でした。
お父様のそのような憤懣やるかたない心と、数多い苦難の道で、あるいはいばらの道で傷を受けられたそのみ手を抱き、胸痛い涙を流したいと思うのが、統一の信徒達の望む願いです。


この世の誰が何と言おうと、自己の体面と威信が問題ではありません。
お父様のご家庭の法度がしわくちゃになり、お父様のみ旨の前に、このすべてが雲に覆われるようになるときには、私の体が引き裂かれ、私の体面が踏みつけられる恨みがあるとしても、感謝しながらそこへ必ず行くことのできる群れとならなければなりません。
このような群れを、お父様は統一の群れの中に探し立てようと、どれほど手探りしてこられたかを、忘却する群れとならないようにしてくださいますことを切にお願い申し上げ、真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1966.11.6)



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