1
私たちをつかまえてお集めになるためにご苦労されたお父様!
ひれ伏した私たちの心と体が一つになり、お父様の命令を身代わりすることができるよう許諾してください。
ひれ伏した私たちの体が聖なる聖殿とならなければなりません。
長い期間嘆息しながら捜しきた希望の者たちが私たちであることを悟るとき、お父様は本当にかわいそうな立場に処しておられることを知るものです。
今まで摂理歴史を導いてこられつつ、さまざまな蔑みを受けられたお父様の事情も知るものです。
さまざまな蔑みを受けられたお父様、さまざまな苦難を経験されながらも希望の息子・娘を望み、耐えてこられたお父様であられることを思うとき、私たちはこの上なく取るに足らない者たちであることを知るものです。
ですが、そのみ旨の前におそれ多い心を持ってきましたし、お父様の恨みを解いてさしあげるために忠義ある志操を持ってきました。
それゆえに、きのうもきょうもあすも闘いの路程を経ていくべき立場に置かれている私たちであり、私たちが行こうとする路程がただお父様の栄光だけのための路程であることを、お父様がご存じであられると信じていますので、この時間お訪ねください。
天だけを中心として動くようお導きください。
信じることのできないこの地上でお父様だけを信じ、頼る所のないこの地上でお父様の命令に頼ってこの場までまいりました。
お父様、きょうの摂理を心配せずにはおられず、あすの摂理を心配せずにはおられないので、きょうの感謝が永遠なる感謝となり、きょうお父様を呼ぶ声が永遠にお父様を呼ぶ声となるようにしてください。
万物と共に栄光の歌を歌えるときまで、親しく保護してくださり、お守りくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。
お父様!
心配な気持ちをお解きください。
天の気掛かりがこの上なく大きいということを知って、今その気掛かりを私たちが身代わりして抱き締め、残された復帰のみ旨のために、あらゆる力を尽くして闘うことを願っていますので、お父様、私たちをご覧になり、慰めをお受けください。
民族の悲しみと教団の悲しみが私たちによって慰労されますように。
お父様!
喜び得る一条の生命の光に向かっていくことができるよう、あちこちに散らばっているあなたの息子・娘たちを早く早くひと所にお集めになり、勝利の祭壇と栄光の祭壇を、そして義の祭壇を築くよう許諾してください。
民族を通して、この世の中の人類を通してお父様のその一つのみ旨を成すよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1956.11.25)
2
愛するお父様!
今日、私たちは走っていかなければなりません。
力が足りませんが、一度に数十段階を飛び越えなければならない、このようなとてつもない歴史的終局を目前にしています。
審判の過程を越えるべき立場に立っているにもかかわらず、今日私たちは深い眠りに落ちています。
お父様!
私たちは世俗に酔っています。
罪悪と共にあります。
このような私たち、すべての悪の要素を全部清算したのちに、天宙の中心であられるお父様の前に勝利の栄光を帰すことのできる一つの勝利者として立ててくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
歴史的なすべての事情が今日私たちの一身に絡みついていますので、それを切って解放の中心を備えてイエス・キリストの友の立場に立ち、お父様の前に敬拝することのできる喜びの一個体として立ててくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
天国復帰のために選ばれた私たちが、私たちの一個体を中心として天国理念を足げにして生きる者たちとならないよう許諾してください。
天国理念に導かれてその理念を成就するときまで進みに進み、犠牲に犠牲を重ね、闘いに闘っていくことができるよう許諾してくださり、あなたに宇宙的なお父様として侍るときまで耐え、闘って勝つことができるよう許諾してくださいますことをお父様、懇切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちの心を永遠に主管してください。
今、新しい宇宙的な生活基準を通じて、全体の中心であられるお父様の前に感謝の敬拝をすることができ、お父様の愛に浸ることのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1956.12.30)
3
先に召された私たち、一つの形状をつくるための結晶体のような要素として、宇宙的な全体の摂理のみ旨の前に立てられたとするなら、全体の目的を成すために生きなければならないということを忘却しないよう許諾してください。
今日、公的な摂理の道に立ち入った私たちが祭物の峠を越えることができず、あなたが私たちの周囲にあるものをお切りになったのに、私たちは自ら落胆し、自ら嘆息し、恨みました。
愛するお父様!
私たちが物質的な峠と人倫的な峠を越えていくとき、あなたがこれを打つとしても私たちがこれを甘受することができるよう許諾してください。
私たちが持っているすべてのものを取り去られるとしても、私たちの生命が残っている限りそれに感謝を捧げなければならず、私たちの体を打たれるとしても、生命が残っている限り感謝することができなければなりません。
このような私たちになれるようお導きください。
昔の預言者たちと、歴代の先祖たちが歩んでいったその歩みに、私たちも倣って行くことができるようになることを願いますので、導いてください。
アブラハムもそうでしたし、ヨブもそうでしたし、イエス様もそのような道を行かれたことを知るものです。
今日私たちもそのような道を経るべきことを知っていますので、お父様、長い時間がかからないよう導いてください。
必然的に近づいてくる恨みの峠を越えるための準備を整えられるようにしてくださり、あなたが叱りお打ちになるとしましても、一人感謝しつつ越え立つことができる善の祭壇を積んで、栄光の主を賛揚する天の忠僕たちとなるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
怨讐たちが遮る祭物の峠まで越えに越え、家庭を導き家庭の峠を越え、民族を導き民族の峠を越え、ひいては世界を導き世界の峠を越え、天まで導き越えていき、永遠にお父様に真なる生命と真なる平和と真なる喜びと真なる栄光を許諾してくださいと自信を持って訴えることのできる息子・娘となるようお導きくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
私たちをつかまえてお集めになるためにご苦労されたお父様!
ひれ伏した私たちの心と体が一つになり、お父様の命令を身代わりすることができるよう許諾してください。
ひれ伏した私たちの体が聖なる聖殿とならなければなりません。
長い期間嘆息しながら捜しきた希望の者たちが私たちであることを悟るとき、お父様は本当にかわいそうな立場に処しておられることを知るものです。
今まで摂理歴史を導いてこられつつ、さまざまな蔑みを受けられたお父様の事情も知るものです。
さまざまな蔑みを受けられたお父様、さまざまな苦難を経験されながらも希望の息子・娘を望み、耐えてこられたお父様であられることを思うとき、私たちはこの上なく取るに足らない者たちであることを知るものです。
ですが、そのみ旨の前におそれ多い心を持ってきましたし、お父様の恨みを解いてさしあげるために忠義ある志操を持ってきました。
それゆえに、きのうもきょうもあすも闘いの路程を経ていくべき立場に置かれている私たちであり、私たちが行こうとする路程がただお父様の栄光だけのための路程であることを、お父様がご存じであられると信じていますので、この時間お訪ねください。
天だけを中心として動くようお導きください。
信じることのできないこの地上でお父様だけを信じ、頼る所のないこの地上でお父様の命令に頼ってこの場までまいりました。
お父様、きょうの摂理を心配せずにはおられず、あすの摂理を心配せずにはおられないので、きょうの感謝が永遠なる感謝となり、きょうお父様を呼ぶ声が永遠にお父様を呼ぶ声となるようにしてください。
万物と共に栄光の歌を歌えるときまで、親しく保護してくださり、お守りくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。
お父様!
心配な気持ちをお解きください。
天の気掛かりがこの上なく大きいということを知って、今その気掛かりを私たちが身代わりして抱き締め、残された復帰のみ旨のために、あらゆる力を尽くして闘うことを願っていますので、お父様、私たちをご覧になり、慰めをお受けください。
民族の悲しみと教団の悲しみが私たちによって慰労されますように。
お父様!
喜び得る一条の生命の光に向かっていくことができるよう、あちこちに散らばっているあなたの息子・娘たちを早く早くひと所にお集めになり、勝利の祭壇と栄光の祭壇を、そして義の祭壇を築くよう許諾してください。
民族を通して、この世の中の人類を通してお父様のその一つのみ旨を成すよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1956.11.25)
2
愛するお父様!
今日、私たちは走っていかなければなりません。
力が足りませんが、一度に数十段階を飛び越えなければならない、このようなとてつもない歴史的終局を目前にしています。
審判の過程を越えるべき立場に立っているにもかかわらず、今日私たちは深い眠りに落ちています。
お父様!
私たちは世俗に酔っています。
罪悪と共にあります。
このような私たち、すべての悪の要素を全部清算したのちに、天宙の中心であられるお父様の前に勝利の栄光を帰すことのできる一つの勝利者として立ててくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
歴史的なすべての事情が今日私たちの一身に絡みついていますので、それを切って解放の中心を備えてイエス・キリストの友の立場に立ち、お父様の前に敬拝することのできる喜びの一個体として立ててくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
天国復帰のために選ばれた私たちが、私たちの一個体を中心として天国理念を足げにして生きる者たちとならないよう許諾してください。
天国理念に導かれてその理念を成就するときまで進みに進み、犠牲に犠牲を重ね、闘いに闘っていくことができるよう許諾してくださり、あなたに宇宙的なお父様として侍るときまで耐え、闘って勝つことができるよう許諾してくださいますことをお父様、懇切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちの心を永遠に主管してください。
今、新しい宇宙的な生活基準を通じて、全体の中心であられるお父様の前に感謝の敬拝をすることができ、お父様の愛に浸ることのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1956.12.30)
3
先に召された私たち、一つの形状をつくるための結晶体のような要素として、宇宙的な全体の摂理のみ旨の前に立てられたとするなら、全体の目的を成すために生きなければならないということを忘却しないよう許諾してください。
今日、公的な摂理の道に立ち入った私たちが祭物の峠を越えることができず、あなたが私たちの周囲にあるものをお切りになったのに、私たちは自ら落胆し、自ら嘆息し、恨みました。
愛するお父様!
私たちが物質的な峠と人倫的な峠を越えていくとき、あなたがこれを打つとしても私たちがこれを甘受することができるよう許諾してください。
私たちが持っているすべてのものを取り去られるとしても、私たちの生命が残っている限りそれに感謝を捧げなければならず、私たちの体を打たれるとしても、生命が残っている限り感謝することができなければなりません。
このような私たちになれるようお導きください。
昔の預言者たちと、歴代の先祖たちが歩んでいったその歩みに、私たちも倣って行くことができるようになることを願いますので、導いてください。
アブラハムもそうでしたし、ヨブもそうでしたし、イエス様もそのような道を行かれたことを知るものです。
今日私たちもそのような道を経るべきことを知っていますので、お父様、長い時間がかからないよう導いてください。
必然的に近づいてくる恨みの峠を越えるための準備を整えられるようにしてくださり、あなたが叱りお打ちになるとしましても、一人感謝しつつ越え立つことができる善の祭壇を積んで、栄光の主を賛揚する天の忠僕たちとなるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
怨讐たちが遮る祭物の峠まで越えに越え、家庭を導き家庭の峠を越え、民族を導き民族の峠を越え、ひいては世界を導き世界の峠を越え、天まで導き越えていき、永遠にお父様に真なる生命と真なる平和と真なる喜びと真なる栄光を許諾してくださいと自信を持って訴えることのできる息子・娘となるようお導きくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1957.3.10)
アーメン。
(1957.3.10)
4
愛するお父様!
エデンの園を失ってしまったアダムの悲しみが私たちの悲しみであり、天の恨みであることを知っています。
また、エデンの園の理想を楽しむべき人間の先祖がその理想を楽しめなかったことが天の恨みだということも知っています。
お父様!
堕落の逆境を踏んでいる私たちの責任が重いので、私たちをもう一度分別された立場に立てて再創造のみ手を広げてくださらなければ、私たちほどかわいそうな者たちはいないと思いますので、愛のお父様! 哀れみのみ手を伸ばしてください!
私たちの心と体をこの時間お父様に捧げようと思いますので、お受けくださり、お父様の性相のままにつくってくださって、あなたのみ旨を担い得る私たちとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
お父様!
寂しい息子・娘たちがあちこちでこうべを垂れながらあなたのみ名を呼んでいますので、彼らと共にいてください。
人間の力だけでは何も成すことができないということを私たちが知っていますので、お父様、私たちの心と体を主管してください。
この者たちをして、突っ走りながら前進しなければならない路程において落後者とならないよう許諾してくださり、闘いの路程において敗北する者たちとならないよう許諾してくださり、あなたの栄光を永遠に歌い、あなたの愛を誇ることのできる息子・娘たちとなるよう許諾してください。
環境が困難であるとしても、その環境を克服するよう許諾してくださり、闘いの路程において倒れるとしても、私たちを呼ばれるお父様の声を聞いて立ち上がることのできる息子・娘となるよう許諾してくださることを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1957.6.9)
5
愛するお父様!
あなたは義の先知先烈たちをお送りになって私たちを訪ねてくださり、イエスをお送りになって私たちの心の基を培ってこられました。
今からは、私たちの体をもってお父様のみ意を実体的に成すべきみ旨が残っていることを知るものです。
私たち一個体は家庭を通してお父様のみ旨を成し、また万物までもお父様の前に立ててさしあげなければなりませんので、お父様、共にいてください。
私たちにとどまる天国だけを建設することがお父様のみ旨ではなく、万物圏内にまでもお父様が臨在し得る実体的な天国を建設すべき責任が私たちに残っていることを知るものです。
このような天宙的な責任を消化すべき私たちが堕落世界に残っていることをお父様がご覧になるとき、私たちの行路が案じられ、もどかしくお思いになられることを知っていますので、足らなく弱き私たちをお父様が再びつかんでくださって、永遠の生命を持つことができるよう導いてください。
お父様が導いてくださるなら私たちは落胆しないし、躊躇しないことでしょう。
ですので、お父様の生命と栄光を所有するために怨讐サタンを退けて、お父様が運行なさることのできる個体となり、お父様が運行なさることのできる教会と国、世界と天国を建設することのできる天の勇将たちとなるよう導いてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。
今、私たちの心ではお父様の心情を、私たちの体ではお父様の生命を感じて、万物圏までお父様の前に立てることのできる息子・娘となるよう、導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
今日の数多くの人類にもあなたの喜びの知らせを聞かせるようにしてくださることを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1958.3.9)
6
お父様!
天のみ旨を必ず成就させるべき歴史的な運命の路程が私たちの前に横たわっていることを知りましたので、私たちに能力のみ手を伸ばしてください。
私たちの体と心にただお父様のみ旨だけがみなぎるよう許諾してくださり、この地上に天のある責任を担っている人がいるとするなら、その天のみ旨を人間的な考えだけで推し量らないよう許諾してください。
心の動きに従って行動する息子・娘となるよう許諾してくださり、体が先に動く息子・娘とならないよう許諾してください。
そうして、心と体を通してお父様の栄光の心情を感じることができるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。
お父様が定められた天理法度と復活の理念が私たちと関係を結ぶようになるときには、歴史過程を通して摂理してこられたお父様の心情を体恤できるということを知りましたので、そのお父様の心情に通じることのできる愛の心を備えるよう許諾してくださり、お父様の復帰の心情が分かるよう許諾してください。
そうして、この地に対して心配なさるお父様の心情が分かるよう許諾してください。
私たちは足らない者たちですので、お父様がつかみ悟らせてくださり、お父様の民として立ててくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。
そうして、私たちの心にお父様の心情だけが染みわたるよう許諾してくださり、私たちの体がお父様の歴史的なすべての心情を体恤して、お父様の前で嘆息の涙を流すことができるよう許諾してくださって、お父様に心から仕える私たちとなるよう導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1958.3.23)
7
お父様!
行き、また行く道が険しいと言えるでしょうか。
私たちの心はお父様のその心情の切なさと比べることができませんし、私たちの悔しさは幾重にも横たわったサタン圈を歩まれたお父様のその足跡と比べられないことが分かるよう許諾してください。
険しい道を行きながらも天のみ旨に責任を持つための使命感が私たちの心にわき上がるよう許諾してくださり、悲しみながらもお父様の悲しい歴史の友となって、あなたの路程に同伴することのできる息子・娘となるよう許諾してください。
歴史的な苦痛を共に感じて苦痛を受ける心情の友となるよう許諾してくださり、悔しい心情に同伴して友となることができ、お父様の内的悲しみの友となると同時に、外的悲しみの友となって永遠なるお父様の喜びの対象となることができるよう許諾してください。
今日すべてのものが問題となる前に、福を受けるためにさまよう私たち自身が問題だということを知りました。
しかし、私たちの心の中にある悲しみを悟れない人間だとするなら、幸福の道を捜し出す道理がないということも知り、苦痛の道を歩まなければならない人間がその苦痛の道を避けようとしても、彼らは決して苦痛の道を避けられないということも知りました。
悔しさと無念さに打ち勝つ忍耐を失ってしまった数多くの人々、その忍耐がなくてはどのような苦痛も避けることができないということを悟らせることができるよう役事してください。
悲しみの峠を越えてこそ、苦痛の峠を越えてこそ、悔しい心情の峠を越えてこそ、その日の福が決定される天倫の原則を私たちは知りました。
今、お父様の心情をつかみ、地をつかみ、万物をつかんで涙を流し、「お父様の悲しみが私の悲しみであり、お父様の苦痛が私の苦痛であり、お父様の苦難が私の苦難ですので、そのすべての苦痛を私に任せてくださり、お父様は幸福な場に立ってください」と言うことのできる私たちとなるよう許諾してください。
離そうとしても離すことのできない情と、ほかのすべてのものが動じ得る父子関係の因縁があることを知っていますので、お父様の認定を受けることのできる私たちとして導いてください。
千差万別の愛の中で勝利した息子たちを立てて、万宇宙を復帰したいと思っておられるお父様の心情を知りましたので、その心情を私たちの一身に備えて現すことができるよう導いてくださり、祭物としてどのような犠牲になるとしても、またどのような死の道をも、感謝しながらお父様の道を守っていくことのできる息子・娘となるよう許諾してください。
お父様との因縁を切って裏切る者たちとなることなく、間違いなくお父様のみ旨を成してさしあげる私たちとなるよう導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1958.9.14)
8
お父様!
私たちの歩みが天に向かってもとがえっていくべき時が近づいてきています。
お父様の苦労が大きかったことを私たちは知り、お父様が定めたみ旨が何かということも知りました。
またお父様が私たちに行うことをお望みになる子女の責任がどれほど難しいものであるかということも知りました。
お父様のみ旨を知る人、お父様が許諾した園に住むべき人、その一人はお父様に向かって無限に涙しなければならないことも知りました。
その一人がお父様に向かって進んでいくようになるときに、傷を受けなければならないということも知り、その一人はお父様と共に同行しなければならないということも知りました。
またその一人は体にもそのような痕跡を残さなければならないということを知ると同時に、心にも悲痛な心情を持ち、限りなく痛嘆し、お父様の審判のひと日に対備して訴えなければならないということを知りました。
また私たち、そのような息子・娘を捜し出そうとなさるお父様と、永遠に因縁を結ばなければならないということを知りました。
今、心を開いて天上の心配を知り、お父様の心情を体恤する人がいるとするなら、その人はお父様とこの民族の悲しみを身代わりして痛哭せずにはいられず、人類の悲しみを身代わりして痛哭せざるを得ないことでしょう。
その人はすべての人間たちと共に、天と地に染みわたっている悲しみを共に分かち合うことのできる友になるであろうということを、私たちが知っています。
私たち自体がそのような立場に立ったかと考えてみるとき、お父様、ご苦労されたお父様の前に、ご心配されたお父様の前に、苦難の道を歩みこられたお父様の前に体面を立てることができないとするなら、おそれ多いという心だけでも持つことのできる者たちとなるようにしてください。
わがお父様、懇切にお願い申し上げます。
万民はこの道を行くことを嫌がっています。
きょうもあすも多くの人々はこの道を心では願っていますが、行動に連結できないままとどまっていることを知っています。
これを解決すべき責任がお父様にだけあるのではなく、ある指導者にだけあるのでもなく、私たちにもあるという事実を悟るよう許諾してください。
しかし、この厳然とした事実に責任を持とうとする人々があまりにも少ないということを私たちが知りましたので、安逸な私たちの心にお父様の懇切なる心があふれ流れるようにしてくださり、お父様の物悲しい心情があふれ流れるようにしてくださり、天の勧告の道を探していくことのできる群れとなるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
天の福を願う人はたくさんいますし、お父様の子女になるために精誠を尽くす人はたくさんいますが、六千年歴史が経過した今日は、お父様の真なる息子・娘、お父様の前に祭物になろうという忠実な人を捜し出すことが難しいときであると思います。
私たちがひょっとしたらお父様の摂理路程を混乱させる哀れな群れになるのではないかととても心配していますので、私たち自身を案じる者たちとなるよう許諾してください。
きょう闘っている私たちの足跡とそのとどまっている位置が、本然の理想の園とどれほどの距離をおいているかを自ら分折するよう許諾してくださり、その心配の基準を突破するための闘いにおいて、勝利することができるように導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1958.11.9)
9
今日、世界に散らばっているキリスト教徒たちは、心で天国を待ち望み慕っていますが、天国を捜し出すにおいて闘いの行路が残っているということを忘却しています。
その上、終わりの日である今日においては、歴史も変わっており、信仰も変わっており、人の心も変わっており、伝統も変わっており、周囲も変わっており、これでなければ死ぬといった愛の心情も変わっているこのとき、変わらない理念、変わらない姿、変わろうとしても変わることのできないそれ自体、その園、その世界、その主権、その指導者、その声、その生活、その環境が慕わしいのでございます。
お父様!
積もり積もった心を開いてください。
統一の信徒たちの歩みに迫害があるとしても、その迫害を、私たちが行く道を遮る悪の要素として受け入れるのではなく、私たちを天の心情に一層近く追い込んでくれる刺激的な作用として利用することのできる信徒たちとなるよう許諾してください。
その迫害は迫害ではなく、心情を連結させるためのお父様の役事であることが分かるようにしてください。
お父様の恩賜の前に道を遮る自らであったことを嘆息する心がわき出るようにしてください。
今、心情の刺激を受けて使命感に燃え、来いとおっしゃるときに喜んで来て、行けとおっしゃるときに喜んで行くことのできる者たちとなるよう許諾してください。
お呼びになった声に感謝をしたとするなら、命令なさる声をも有り難く思いつつ、怨讐たちの陣営に向かって突進することのできる天の勇者たちとなり、天の世界の主人となるよう許諾してください。
ここには矢を受けて倒れる者もいることを知っていますので、このような場面でも敗北し後退する者たちとならないよう導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
幸福に浸りお父様と話し合う瞬間がある反面、戦場で血涙を注いで天の恨みを訴えつつ倒れる瞬間がこの息子・娘にあるということを知るようにしてください。
喜びにも責任を持ち、悲しみにも責任を持ち、闘いにも責任を持ち、無念さにも責任を持ち、終わりの日の審判台の前で歴史的なものを拒否して「お父様、み手を挙げて私たちを祝福してください。
お父様、私を見て悔しさに耐えてください。
お父様、私を見て苦痛と無念さに耐えてください。
お父様、私を見て苦労を終わりにしてください」と言うことができるようにしてください。
このような息子・娘が現れることを望むこと六千年、注意深く捜してこられること六千年でしたので、お父様、恐懼この上ありません。
捜しこられるその視線、捜しこられるその姿、注意深いその足跡を私たちが忘却したのです。
今、私たちがお父様の前に立ち、お父様と因縁づけられた生活をし、お父様を身代わりして注意深く探していくべき道を行くようにしてください。
この道をすべて行ったのちに、この道を知らない他の人々に注意深く探していくことのできる方向を教えてあげるべき私たちです。
そのような天的な命令を受けた私たちですから、ここで悲しい涙を流して後退する者たちとならないよう許諾してください。
今日この時は、多くの群れが必要でないことを知っています。
今この時は越え行くべきときであり、今この時は清算して行くべきときであり、今この時はすべてのものを結び越えて行くべきときであり、今この時はありのまま現れるべきときです。
この道は不平を言う者は行けない道であり、自ら弁明する者は行けない道であり、自らを立てる者は後退する道であることを知りました。
この道はイエス様が血を流して行かれた十字架の道、延長されたゴルゴタの道であることを知りましたので、弁明すべき立場でも弁明しようとせず、自分自身を立てて誇りたくても誇ろうとせず、悔しさを知りながらも踏まれ行くべき道であることを知りました。
六千年摂理路程でこのような道を歩んだ天の聖徒たちを考えるとき、口惜しいのです。
しかし、彼らよりはお父様の心情がもっと口惜しいということを知るとき、悔い改めるべき私たちです。
悲しみの中の悲しみであり、無言で悔いるべき事情であると思うのです。
私たちの一切の願いがお父様のものであり、私たちの一切がお父様の所有であり、私たちの心情と愛の中心にお父様がおられるのに、こういうことを感じられない者がいるとするなら、その者は哀れな者であることを知るものです。
イエス様も十字架で血を流しながらも、そのようなお父様を知り、捕まえたので、死も恐ろしくないと言われました。
かえって怨讐に対して福を祈られたその凛々しい余裕ある人格が慕わしいのです。
その歩みが慕わしいのです。
きょうもあすも歴史の変化、生活の変化と自分一身の変化をあざ笑うことのできる勝利の王者はどこにいるでしょうか。
お父様、とても慕わしいです。
歴史的な主人公、時代的な主人公、未来的な主人公が分かれるのではなく、一つの実体として現れ、あなたの心情を人間たちに伝えてあげることのできるそのとき、その世界、その園が慕わしいのです。
お父様をお父様と呼ぶことのできる群れが現れなければならず、教団が現れなければなりません。
すべてのものを忘れ、それを捜し出すために準備し、真心を傾けて責任を果たすことができるよう許諾してくださり、すべてのものを蕩減し、お父様の前に立つためにどのような犠牲も意に介さず走ることのできる息子・娘となるよう、許諾してくださることを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1959.4.12)
10
取るに足らない私たちが、追われ追い回された群れとしてここにひれ伏しました。
人が知ることのできない一つの目的地に向かって出ていく道には、とげの刺激が残り、傷が存在するようになることを知るものでございます。
しかし、これを意に介さず越えていくべき私たちであることをご存じであられるお父様、私たちがこの道を行くためには、徹頭徹尾の覚悟と誓いと決心をしなければならないということを知るようにしてください。
天との真なる心情的な関係がこの場で結ばれなければならないことを知っていますので、お父様、あなたのみ手で親しく私たちを捕まえてくださり、お父様の両腕で私たちをあなたの愛の懐に抱いてください。
どれほど待ち焦がれ願われたことでしょうか。
今、その心情をまさにくみ取ることができ、その切なさをまさにくみ取ることができるのです。
お父様と呼ぶことのできない不肖なこの者たち、数多くの預言者たちが積んできた血の祭壇によって、贖罪を受けられるようになった驚くべき恩賜を受けても感謝しようとしなかった過去の生活をもう一度悔いながら、実績を持ってお父様の前に捧げることができなければならないのに、手ぶらで出てきたことを受け入れてください。
この世のその何かを要求するお父様ではあられないので、懇切なる心、懇切なる心情だけをお父様の前にお捧げします。
お父様のお顔が慕わしく、会いたくて涙するその姿をお父様にお捧げしたくて出てきましたし、傷ついたお父様のみ手をつかんで涙を注ぎたく、またそのみ手が慕わしくて出てきました。
その心と体の傷がひどいのも意に介されず、失った子女を捜し出すために彷徨なさるお父様の物思いに沈んだ姿、やつれたその姿をつかむために私たちは出てきました。
このような心にあふれてお父様と呼ぶあなたの息子・娘たちがここに集まったとするなら、お父様がそのようなとき私を呼んでくださり、私を捜してくださったように、この者たちもそのような立場に処するようになるとき、お捨てにならないということを知るものです。
お父様!
行けと言われる道が物悲しい道ではなく、行ってみればおそれ多い恩賜の道でした。
死ねと言われ、追い立てられた道も殺すために準備された道ではなかったことを知りました。
その内面の曲折を知るとき、私たちがこの上に何を願うでしょうか。
これがすべて私たちのために先にご苦労なさった、お父様の苦労の証を見せてくださるための役事であることを知ったものです。
私たちがそのような感覚を体恤して感激の涙を流せるよう許諾してくださったことだけでも感謝です。
今、この者たちは何を探すためにここに来たのでしょうか。
何を見るためにここに来て、どのような因縁を結ぶためにここに来たのでしょうか。
見せてあげるべきものは涙と切ない事情しかなく、因縁を結ぶべきものはふびんなものしかないことを知っています。
それでもこの因縁でなければ、この事情でなければ、私たちが行くべき道が分からずにサタンの祭物として消え去り、嘆息するようになるのではないかと心配してきた群れですので、この時間捕まえてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
あなたが捕まえて涙することのできる子女がいて、「誰それよ」と名前を呼ぶことのできる息子・娘がいるとするなら、ここから天の役事はこの民族を導くでしょうし、眠っている世界人類の心情を動かして天の前に向かわせる起源となることを知っています。
ここに若者の一人ひとりの胸が燃え上がって、互いに手に手を取り合って「誰それよ、み旨のために行こう」と叫ぶ動きがあるとするなら、この民族には生きる道が開けるでしょうし、死亡の園に生命の軍隊が来て共に闘ってくれることしょう。
私たちはそのような群れが慕わしくて集まり、そのような道を行くために闘い、そのような立場で勝利の祭壇を立てて、お父様と共に万宇宙の前に見せるために出てきましたので、最初に覚悟したこの心が変わらないようにしてくださり、決心して捧げようとするこの一片丹心、この志操を曲げることのない息子・娘となるようにしてください。
覚悟したこの忠節を、天倫が変わらない限り変わらずに守るあなたの息子・娘となるようにしてください。
懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1960.5.8)
愛するお父様!
エデンの園を失ってしまったアダムの悲しみが私たちの悲しみであり、天の恨みであることを知っています。
また、エデンの園の理想を楽しむべき人間の先祖がその理想を楽しめなかったことが天の恨みだということも知っています。
お父様!
堕落の逆境を踏んでいる私たちの責任が重いので、私たちをもう一度分別された立場に立てて再創造のみ手を広げてくださらなければ、私たちほどかわいそうな者たちはいないと思いますので、愛のお父様! 哀れみのみ手を伸ばしてください!
私たちの心と体をこの時間お父様に捧げようと思いますので、お受けくださり、お父様の性相のままにつくってくださって、あなたのみ旨を担い得る私たちとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
お父様!
寂しい息子・娘たちがあちこちでこうべを垂れながらあなたのみ名を呼んでいますので、彼らと共にいてください。
人間の力だけでは何も成すことができないということを私たちが知っていますので、お父様、私たちの心と体を主管してください。
この者たちをして、突っ走りながら前進しなければならない路程において落後者とならないよう許諾してくださり、闘いの路程において敗北する者たちとならないよう許諾してくださり、あなたの栄光を永遠に歌い、あなたの愛を誇ることのできる息子・娘たちとなるよう許諾してください。
環境が困難であるとしても、その環境を克服するよう許諾してくださり、闘いの路程において倒れるとしても、私たちを呼ばれるお父様の声を聞いて立ち上がることのできる息子・娘となるよう許諾してくださることを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1957.6.9)
5
愛するお父様!
あなたは義の先知先烈たちをお送りになって私たちを訪ねてくださり、イエスをお送りになって私たちの心の基を培ってこられました。
今からは、私たちの体をもってお父様のみ意を実体的に成すべきみ旨が残っていることを知るものです。
私たち一個体は家庭を通してお父様のみ旨を成し、また万物までもお父様の前に立ててさしあげなければなりませんので、お父様、共にいてください。
私たちにとどまる天国だけを建設することがお父様のみ旨ではなく、万物圏内にまでもお父様が臨在し得る実体的な天国を建設すべき責任が私たちに残っていることを知るものです。
このような天宙的な責任を消化すべき私たちが堕落世界に残っていることをお父様がご覧になるとき、私たちの行路が案じられ、もどかしくお思いになられることを知っていますので、足らなく弱き私たちをお父様が再びつかんでくださって、永遠の生命を持つことができるよう導いてください。
お父様が導いてくださるなら私たちは落胆しないし、躊躇しないことでしょう。
ですので、お父様の生命と栄光を所有するために怨讐サタンを退けて、お父様が運行なさることのできる個体となり、お父様が運行なさることのできる教会と国、世界と天国を建設することのできる天の勇将たちとなるよう導いてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。
今、私たちの心ではお父様の心情を、私たちの体ではお父様の生命を感じて、万物圏までお父様の前に立てることのできる息子・娘となるよう、導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
今日の数多くの人類にもあなたの喜びの知らせを聞かせるようにしてくださることを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1958.3.9)
6
お父様!
天のみ旨を必ず成就させるべき歴史的な運命の路程が私たちの前に横たわっていることを知りましたので、私たちに能力のみ手を伸ばしてください。
私たちの体と心にただお父様のみ旨だけがみなぎるよう許諾してくださり、この地上に天のある責任を担っている人がいるとするなら、その天のみ旨を人間的な考えだけで推し量らないよう許諾してください。
心の動きに従って行動する息子・娘となるよう許諾してくださり、体が先に動く息子・娘とならないよう許諾してください。
そうして、心と体を通してお父様の栄光の心情を感じることができるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。
お父様が定められた天理法度と復活の理念が私たちと関係を結ぶようになるときには、歴史過程を通して摂理してこられたお父様の心情を体恤できるということを知りましたので、そのお父様の心情に通じることのできる愛の心を備えるよう許諾してくださり、お父様の復帰の心情が分かるよう許諾してください。
そうして、この地に対して心配なさるお父様の心情が分かるよう許諾してください。
私たちは足らない者たちですので、お父様がつかみ悟らせてくださり、お父様の民として立ててくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。
そうして、私たちの心にお父様の心情だけが染みわたるよう許諾してくださり、私たちの体がお父様の歴史的なすべての心情を体恤して、お父様の前で嘆息の涙を流すことができるよう許諾してくださって、お父様に心から仕える私たちとなるよう導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1958.3.23)
7
お父様!
行き、また行く道が険しいと言えるでしょうか。
私たちの心はお父様のその心情の切なさと比べることができませんし、私たちの悔しさは幾重にも横たわったサタン圈を歩まれたお父様のその足跡と比べられないことが分かるよう許諾してください。
険しい道を行きながらも天のみ旨に責任を持つための使命感が私たちの心にわき上がるよう許諾してくださり、悲しみながらもお父様の悲しい歴史の友となって、あなたの路程に同伴することのできる息子・娘となるよう許諾してください。
歴史的な苦痛を共に感じて苦痛を受ける心情の友となるよう許諾してくださり、悔しい心情に同伴して友となることができ、お父様の内的悲しみの友となると同時に、外的悲しみの友となって永遠なるお父様の喜びの対象となることができるよう許諾してください。
今日すべてのものが問題となる前に、福を受けるためにさまよう私たち自身が問題だということを知りました。
しかし、私たちの心の中にある悲しみを悟れない人間だとするなら、幸福の道を捜し出す道理がないということも知り、苦痛の道を歩まなければならない人間がその苦痛の道を避けようとしても、彼らは決して苦痛の道を避けられないということも知りました。
悔しさと無念さに打ち勝つ忍耐を失ってしまった数多くの人々、その忍耐がなくてはどのような苦痛も避けることができないということを悟らせることができるよう役事してください。
悲しみの峠を越えてこそ、苦痛の峠を越えてこそ、悔しい心情の峠を越えてこそ、その日の福が決定される天倫の原則を私たちは知りました。
今、お父様の心情をつかみ、地をつかみ、万物をつかんで涙を流し、「お父様の悲しみが私の悲しみであり、お父様の苦痛が私の苦痛であり、お父様の苦難が私の苦難ですので、そのすべての苦痛を私に任せてくださり、お父様は幸福な場に立ってください」と言うことのできる私たちとなるよう許諾してください。
離そうとしても離すことのできない情と、ほかのすべてのものが動じ得る父子関係の因縁があることを知っていますので、お父様の認定を受けることのできる私たちとして導いてください。
千差万別の愛の中で勝利した息子たちを立てて、万宇宙を復帰したいと思っておられるお父様の心情を知りましたので、その心情を私たちの一身に備えて現すことができるよう導いてくださり、祭物としてどのような犠牲になるとしても、またどのような死の道をも、感謝しながらお父様の道を守っていくことのできる息子・娘となるよう許諾してください。
お父様との因縁を切って裏切る者たちとなることなく、間違いなくお父様のみ旨を成してさしあげる私たちとなるよう導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1958.9.14)
8
お父様!
私たちの歩みが天に向かってもとがえっていくべき時が近づいてきています。
お父様の苦労が大きかったことを私たちは知り、お父様が定めたみ旨が何かということも知りました。
またお父様が私たちに行うことをお望みになる子女の責任がどれほど難しいものであるかということも知りました。
お父様のみ旨を知る人、お父様が許諾した園に住むべき人、その一人はお父様に向かって無限に涙しなければならないことも知りました。
その一人がお父様に向かって進んでいくようになるときに、傷を受けなければならないということも知り、その一人はお父様と共に同行しなければならないということも知りました。
またその一人は体にもそのような痕跡を残さなければならないということを知ると同時に、心にも悲痛な心情を持ち、限りなく痛嘆し、お父様の審判のひと日に対備して訴えなければならないということを知りました。
また私たち、そのような息子・娘を捜し出そうとなさるお父様と、永遠に因縁を結ばなければならないということを知りました。
今、心を開いて天上の心配を知り、お父様の心情を体恤する人がいるとするなら、その人はお父様とこの民族の悲しみを身代わりして痛哭せずにはいられず、人類の悲しみを身代わりして痛哭せざるを得ないことでしょう。
その人はすべての人間たちと共に、天と地に染みわたっている悲しみを共に分かち合うことのできる友になるであろうということを、私たちが知っています。
私たち自体がそのような立場に立ったかと考えてみるとき、お父様、ご苦労されたお父様の前に、ご心配されたお父様の前に、苦難の道を歩みこられたお父様の前に体面を立てることができないとするなら、おそれ多いという心だけでも持つことのできる者たちとなるようにしてください。
わがお父様、懇切にお願い申し上げます。
万民はこの道を行くことを嫌がっています。
きょうもあすも多くの人々はこの道を心では願っていますが、行動に連結できないままとどまっていることを知っています。
これを解決すべき責任がお父様にだけあるのではなく、ある指導者にだけあるのでもなく、私たちにもあるという事実を悟るよう許諾してください。
しかし、この厳然とした事実に責任を持とうとする人々があまりにも少ないということを私たちが知りましたので、安逸な私たちの心にお父様の懇切なる心があふれ流れるようにしてくださり、お父様の物悲しい心情があふれ流れるようにしてくださり、天の勧告の道を探していくことのできる群れとなるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
天の福を願う人はたくさんいますし、お父様の子女になるために精誠を尽くす人はたくさんいますが、六千年歴史が経過した今日は、お父様の真なる息子・娘、お父様の前に祭物になろうという忠実な人を捜し出すことが難しいときであると思います。
私たちがひょっとしたらお父様の摂理路程を混乱させる哀れな群れになるのではないかととても心配していますので、私たち自身を案じる者たちとなるよう許諾してください。
きょう闘っている私たちの足跡とそのとどまっている位置が、本然の理想の園とどれほどの距離をおいているかを自ら分折するよう許諾してくださり、その心配の基準を突破するための闘いにおいて、勝利することができるように導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1958.11.9)
9
今日、世界に散らばっているキリスト教徒たちは、心で天国を待ち望み慕っていますが、天国を捜し出すにおいて闘いの行路が残っているということを忘却しています。
その上、終わりの日である今日においては、歴史も変わっており、信仰も変わっており、人の心も変わっており、伝統も変わっており、周囲も変わっており、これでなければ死ぬといった愛の心情も変わっているこのとき、変わらない理念、変わらない姿、変わろうとしても変わることのできないそれ自体、その園、その世界、その主権、その指導者、その声、その生活、その環境が慕わしいのでございます。
お父様!
積もり積もった心を開いてください。
統一の信徒たちの歩みに迫害があるとしても、その迫害を、私たちが行く道を遮る悪の要素として受け入れるのではなく、私たちを天の心情に一層近く追い込んでくれる刺激的な作用として利用することのできる信徒たちとなるよう許諾してください。
その迫害は迫害ではなく、心情を連結させるためのお父様の役事であることが分かるようにしてください。
お父様の恩賜の前に道を遮る自らであったことを嘆息する心がわき出るようにしてください。
今、心情の刺激を受けて使命感に燃え、来いとおっしゃるときに喜んで来て、行けとおっしゃるときに喜んで行くことのできる者たちとなるよう許諾してください。
お呼びになった声に感謝をしたとするなら、命令なさる声をも有り難く思いつつ、怨讐たちの陣営に向かって突進することのできる天の勇者たちとなり、天の世界の主人となるよう許諾してください。
ここには矢を受けて倒れる者もいることを知っていますので、このような場面でも敗北し後退する者たちとならないよう導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
幸福に浸りお父様と話し合う瞬間がある反面、戦場で血涙を注いで天の恨みを訴えつつ倒れる瞬間がこの息子・娘にあるということを知るようにしてください。
喜びにも責任を持ち、悲しみにも責任を持ち、闘いにも責任を持ち、無念さにも責任を持ち、終わりの日の審判台の前で歴史的なものを拒否して「お父様、み手を挙げて私たちを祝福してください。
お父様、私を見て悔しさに耐えてください。
お父様、私を見て苦痛と無念さに耐えてください。
お父様、私を見て苦労を終わりにしてください」と言うことができるようにしてください。
このような息子・娘が現れることを望むこと六千年、注意深く捜してこられること六千年でしたので、お父様、恐懼この上ありません。
捜しこられるその視線、捜しこられるその姿、注意深いその足跡を私たちが忘却したのです。
今、私たちがお父様の前に立ち、お父様と因縁づけられた生活をし、お父様を身代わりして注意深く探していくべき道を行くようにしてください。
この道をすべて行ったのちに、この道を知らない他の人々に注意深く探していくことのできる方向を教えてあげるべき私たちです。
そのような天的な命令を受けた私たちですから、ここで悲しい涙を流して後退する者たちとならないよう許諾してください。
今日この時は、多くの群れが必要でないことを知っています。
今この時は越え行くべきときであり、今この時は清算して行くべきときであり、今この時はすべてのものを結び越えて行くべきときであり、今この時はありのまま現れるべきときです。
この道は不平を言う者は行けない道であり、自ら弁明する者は行けない道であり、自らを立てる者は後退する道であることを知りました。
この道はイエス様が血を流して行かれた十字架の道、延長されたゴルゴタの道であることを知りましたので、弁明すべき立場でも弁明しようとせず、自分自身を立てて誇りたくても誇ろうとせず、悔しさを知りながらも踏まれ行くべき道であることを知りました。
六千年摂理路程でこのような道を歩んだ天の聖徒たちを考えるとき、口惜しいのです。
しかし、彼らよりはお父様の心情がもっと口惜しいということを知るとき、悔い改めるべき私たちです。
悲しみの中の悲しみであり、無言で悔いるべき事情であると思うのです。
私たちの一切の願いがお父様のものであり、私たちの一切がお父様の所有であり、私たちの心情と愛の中心にお父様がおられるのに、こういうことを感じられない者がいるとするなら、その者は哀れな者であることを知るものです。
イエス様も十字架で血を流しながらも、そのようなお父様を知り、捕まえたので、死も恐ろしくないと言われました。
かえって怨讐に対して福を祈られたその凛々しい余裕ある人格が慕わしいのです。
その歩みが慕わしいのです。
きょうもあすも歴史の変化、生活の変化と自分一身の変化をあざ笑うことのできる勝利の王者はどこにいるでしょうか。
お父様、とても慕わしいです。
歴史的な主人公、時代的な主人公、未来的な主人公が分かれるのではなく、一つの実体として現れ、あなたの心情を人間たちに伝えてあげることのできるそのとき、その世界、その園が慕わしいのです。
お父様をお父様と呼ぶことのできる群れが現れなければならず、教団が現れなければなりません。
すべてのものを忘れ、それを捜し出すために準備し、真心を傾けて責任を果たすことができるよう許諾してくださり、すべてのものを蕩減し、お父様の前に立つためにどのような犠牲も意に介さず走ることのできる息子・娘となるよう、許諾してくださることを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1959.4.12)
10
取るに足らない私たちが、追われ追い回された群れとしてここにひれ伏しました。
人が知ることのできない一つの目的地に向かって出ていく道には、とげの刺激が残り、傷が存在するようになることを知るものでございます。
しかし、これを意に介さず越えていくべき私たちであることをご存じであられるお父様、私たちがこの道を行くためには、徹頭徹尾の覚悟と誓いと決心をしなければならないということを知るようにしてください。
天との真なる心情的な関係がこの場で結ばれなければならないことを知っていますので、お父様、あなたのみ手で親しく私たちを捕まえてくださり、お父様の両腕で私たちをあなたの愛の懐に抱いてください。
どれほど待ち焦がれ願われたことでしょうか。
今、その心情をまさにくみ取ることができ、その切なさをまさにくみ取ることができるのです。
お父様と呼ぶことのできない不肖なこの者たち、数多くの預言者たちが積んできた血の祭壇によって、贖罪を受けられるようになった驚くべき恩賜を受けても感謝しようとしなかった過去の生活をもう一度悔いながら、実績を持ってお父様の前に捧げることができなければならないのに、手ぶらで出てきたことを受け入れてください。
この世のその何かを要求するお父様ではあられないので、懇切なる心、懇切なる心情だけをお父様の前にお捧げします。
お父様のお顔が慕わしく、会いたくて涙するその姿をお父様にお捧げしたくて出てきましたし、傷ついたお父様のみ手をつかんで涙を注ぎたく、またそのみ手が慕わしくて出てきました。
その心と体の傷がひどいのも意に介されず、失った子女を捜し出すために彷徨なさるお父様の物思いに沈んだ姿、やつれたその姿をつかむために私たちは出てきました。
このような心にあふれてお父様と呼ぶあなたの息子・娘たちがここに集まったとするなら、お父様がそのようなとき私を呼んでくださり、私を捜してくださったように、この者たちもそのような立場に処するようになるとき、お捨てにならないということを知るものです。
お父様!
行けと言われる道が物悲しい道ではなく、行ってみればおそれ多い恩賜の道でした。
死ねと言われ、追い立てられた道も殺すために準備された道ではなかったことを知りました。
その内面の曲折を知るとき、私たちがこの上に何を願うでしょうか。
これがすべて私たちのために先にご苦労なさった、お父様の苦労の証を見せてくださるための役事であることを知ったものです。
私たちがそのような感覚を体恤して感激の涙を流せるよう許諾してくださったことだけでも感謝です。
今、この者たちは何を探すためにここに来たのでしょうか。
何を見るためにここに来て、どのような因縁を結ぶためにここに来たのでしょうか。
見せてあげるべきものは涙と切ない事情しかなく、因縁を結ぶべきものはふびんなものしかないことを知っています。
それでもこの因縁でなければ、この事情でなければ、私たちが行くべき道が分からずにサタンの祭物として消え去り、嘆息するようになるのではないかと心配してきた群れですので、この時間捕まえてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
あなたが捕まえて涙することのできる子女がいて、「誰それよ」と名前を呼ぶことのできる息子・娘がいるとするなら、ここから天の役事はこの民族を導くでしょうし、眠っている世界人類の心情を動かして天の前に向かわせる起源となることを知っています。
ここに若者の一人ひとりの胸が燃え上がって、互いに手に手を取り合って「誰それよ、み旨のために行こう」と叫ぶ動きがあるとするなら、この民族には生きる道が開けるでしょうし、死亡の園に生命の軍隊が来て共に闘ってくれることしょう。
私たちはそのような群れが慕わしくて集まり、そのような道を行くために闘い、そのような立場で勝利の祭壇を立てて、お父様と共に万宇宙の前に見せるために出てきましたので、最初に覚悟したこの心が変わらないようにしてくださり、決心して捧げようとするこの一片丹心、この志操を曲げることのない息子・娘となるようにしてください。
覚悟したこの忠節を、天倫が変わらない限り変わらずに守るあなたの息子・娘となるようにしてください。
懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1960.5.8)
11
天がお任せになった偉業を果たせず、疲れて落ちていく者たちとならないようにしてください。
倒れ、また倒れたとしても、血を吐いて死ぬとしても、この使命を果たしたのちに倒れ得るあなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
このことのために寂しく険しい場で涙を流しつつ、祈祷し闘うあなたの息子・娘たちが四方八方に散らばっていることを知るものです。
お父様、その場にも共にいてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
あなたは無関心ではあられないことを知るものです。
寂しいときに捕まえてくださり、み旨を抱いて物悲しい場で訴える者たちを強くしてくださり、彼らの心情を慰労してくださったことを知っています。
お父様、この時間も同じ心情で同じ役事で同じ能力で働いてください。
残された最後の障壁を占領するときまで、終わりまで耐え、終わりまで闘い、終わりまでこの人類のために責任を負っていくことのできる息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
この三千里江山(=韓国全土)だけではなく、遠き海外でも数多くのあなたの息子・娘たちがここに向かって涙を流しつつ訴えています。
彼らはたとえ皮膚の色が違い生活環境が違ったとしましても、み旨に対しては一つの血筋で因縁づけられた兄弟ですので、彼らが集まる所ごとにあなたが共にいてくださり、恩賜の炎で抱いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
距離は離れているとしても、心情の世界においてはお父様を中心として永遠なる因縁を歌うことができ、生命的な動きが現れるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1960.9.25)
12
お父様!
すべての罪悪を清算すべき最後のときですので、今日私たちの心はひどく焦燥感を感じています。
この地には苦痛の呻吟がいっぱい満ちています。
ここに天の貴重な息子が誕生するようになさり、歴史的な苦痛と罪状を清算できるようにすることによって、創造当時のお父様の心情を新しく花咲かせることのできるひと日が来るよう許諾してくださり、勝利的な新しい園が彼によって出発するよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
そのような世の中にならなければならないことを私たちは知っていますので、現実的な苦痛に耐えることができるようにしてください。
行くべき道にはいまだに血のいくつもの峠が残っており、遠くつらい険山峻嶺が横たわっていることを知っています。
しかし、この道は私たちだけが行く道ではありません。
お父様が私たちよりも先に数十回、数千回、数万回往来された道です。
今、この難しい道をお父様が整えるのではなく、人間たちが整えていかなければならないという事実も知りました。
険しい道を来られ、ご苦労なさったお父様のために、私たちが最後の一歩を踏み出すことができるようにしてください。
行くべき道が残っていますので、行って倒れるとしても、お父様が歩んでいかれたその足跡を踏み、お父様が残された血の跡に倣いながら行くことができるようにしてください。
引き裂かれ傷を負ったこの体を、お父様の前に生きた祭物として捧げるようになるとき、お父様が満天下に子女の名分を立ててくださり、祝福してくださるということを知りました。
そのような場まで行かなければならないということを知りましたので、そこに行くときまで、疲れないようにしてください。
疲れる度ごとにお父様が私たちのそばで助けてくださり、落胆して寂しく思う度ごとに天が私たちをせきたててくださり、私たちが苦労する前にすでにお父様が数百回、数千回私たちのためにご苦労なさった事実を忘れないようにしてください。
この道を休む間もなく開拓してこられたお父様であられました。
休みなく反対してくるサタンがいますがゆえに、この道を開拓するために休む間もなく苦労の役事をしてこられ、私たちの一個体の生命のために疲れも知らず闘いこられたお父様であることを知り、おそれ多い心でお父様をつかみたい心に
徹するようにしてください。
切ない心に徹して狂ったようにお父様を呼ぶもどかしい心情が、私たち各自の心に爆発するようにしてください。
そのような者をお父様が慰労してくださり、そのような者を収拾してくださって、新しい約束の世界、天的な偉業を約束してくださることを知っていますので、その場を確定するときまで、最後まで耐えて勝利の栄光と勝利の凱歌を全宇宙の前に高く上げることのできる息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1960.10.2)
13
お父様が悲しい心を抱いて行かなければならないとは、無念で非常に悲しいことです。
お父様はかわいそうな方であられます。
お父様は悔しい方であられます。
人間たちには裏切り背を向ける道もありますが、お父様には裏切るべき道も背を向ける道もありませんので、行きに行かなければならないことを私たちは知っています。
後退という名詞を要しないお父様の道であることをおそれ多くも知ったものです。
お父様の心がどれほどいらだち、どれほど深刻で、どれほどお急ぎでしょうか。
真正なる孝子・孝女となり、忠臣烈女になろうとお父様の前にひざまずき、こうべを垂れました。
十字架の道を行くことのできる一つの岩となり、一つの衣の裾とならせてくださいと訴えることのできなかった私たち、過去を悔い改めることのできる息子・娘となるよう許諾してください。
各地にいる寂しい統一の群れが、お父様の前に訴えています。お父様の命令を知っています。
この群れは行くべき行路を知っていますが、この者たちの歩みを再び促し、むち打たなければならない苦しい事情がお父様にあることを知っています。
ここで耐えて残される者はお父様の福を受けるでしょうが、
落後する者は後代に讒訴を受けるでしょうし、嘆息するようになるだろうということを知っています。
お父様、どうぞ強く雄々しい心を持つようにしてくださり、最後まで耐えて残される群れとなるよう許諾してください。
お父様のその歩みは私たちには見当がつかないほど速いということも知るのです。
千のことをしたなら万のことをしなさいと命令なさりたいのがお父様の気持ちであり、助けとなり得る立場に立った息子・娘を探すのが、お父様の心であることを知りました。
今日、私たちにお命じになるすべてのみ言を心から受け入れることができ、み旨の前に真正なる息子・娘となり得る私たちとなるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
お父様を捜し出すために私たちは孝子孝女とならなければならず、その国を捜し出すために忠臣烈女とならなければなりません。
その理念は神聖ですが、行く道は悲惨です。
その内容は美しいのですが、現れた現象は死の道でした。
死の道を行きながらも、心のうちでは望みを持つべき道でございました。
お父様がそうであられるので息子・娘たる私たちもそのようにし、お父様がそのような道を行かれるので私たちもそのような運命の道を行かなければなりません。
ですので私たち、この途上で疲れずに百折不撓の心情を持ち、最後の勝利者として定められるようにしてください。
今からは、勝利したと言うことのできる安息のひと日、お前たちは私のものであり、この天下は私の息子・娘であるお前たちのものだという祝福を受け得るそのひと日まで、耐え忍び残される群れとなるようにしてください。
その日を迎えるまで苦難に同参する群れとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1964.3.22)
14
私たちは今までこの民族を身代わりして、この三千里半島を身代わりして涙し、寂しい道を耐えてきました。
そのような物悲しい道で多くの迫害とあざけりを受ける場で、私たちは何百万回、何千万回、お父様を呼んだことでしょうか。
私たちが徹した心情でお父様を呼ぶたびに、お父様も涙なさったということを知っています。
きょうお父様が涙される場に同参したこの息子・娘たちを、後代に喜ぶことのできる世界的な勝利の場にまで同参させてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
この道を行くこの者たちの前途には数多くの怨讐たちがいます。霊的な怨讐たちも数限りなくいます。
しかし、お父様のみ旨に対して行くこの道に、霊肉をもって怨讐たちが反対の条件を提示するとしても、ご苦労なさるお父様の心情に倣って行こうという信念と決意だけがあるならば、このすべてのものは取り除かれることを知っています。
今日まで私たちを立てて導かれるときの原則がそうであったということを私たちはよく知っています。
神様が先に悲しみを越えてから、その悲しみを私たちに下さったことを知り、神様が先に苦痛の場を越えてから、私たちに苦痛を受けなさいとおっしゃったことを知りました。
お父様!今日韓民族を中心とした統一の祭壇がこの民族の前に現れました。
きょうこのような環境を備えて私たちのすべての理念を堂々と叫ぶことができるのは、偶然になったことではありません。
そのような道理のまま、きょう自由に胸を張り、顔を上げて数多くの人々を眺めながら自由な環境で語ることのできる私たち自身となるまでには、神様の六千年の苦労があったということを忘れないようにしてください。
このように歴史的な神聖なる城跡の上で、神様と歩みを共にすることができるということはどれほど栄光なることであり、どれほど感謝なことでしょうか。
ですので、お父様の前に心から感謝しながら動ずるよう許諾してください。
私たちが叫ぶこの声が、昔イスラエル民族が荒野で叫んだその声を身代わりするのだと考えつつ、天を背負い、歴史を背負い、望みの天国を背負い、真の世界を胸に抱き、矢と迫害と爆弾が落ちる所に突進する天の勇士となって、愛しながら行くことができるよう祝福してください。
懇切にお願い申し上げながら、すべてを愛する主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1964.4.12)
15
天を仰ぐ人は多いのですが、天のために責任を負おうという人は多くはありません。
天の道がよいということは知っていますが、その道に横たわっているいばらの道を避けようとする人々が多いということを知るものです。
お父様!
あなたは私たちのために億千万代ご苦労なさいました。
ところが、今日人間たちは天の道、真なる道を行くために越えていくべき苦労の道を避けていこうとし、人間の悲しみと苦痛もお父様の前に任せようとしていますので、受け入れてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
きょう統一の群れがお父様の前に集まりました。
私たちは他の人とは違い、お父様の心情を知りましたが、お父様の事情とは別に、お父様が残された希望の道を私たちの思いどおりにし、生命の一切を捧げることを拒否した私たち自身を、今このひとときお父様の前に率直にさらけ出すようにしてください。
どうせ行くべき人生の行路ですので、お父様のみ意のままに行くことを祈っています。
死の道もお父様と共に、いばらの道もお父様と共に、捨てられる道もお父様と共に行かなければなりません。
お父様と共に生きたい気持ちを持っていますので、お父様、哀れにお思いくださり、抱いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
誰が何と言おうと私はあなたの息子であり、娘だという事実を否定することができないと、身もだえしようとする子女の姿として立ててくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
お父様と愛の因縁が結ばれていて、お父様と離れようとしても離れることのできない血肉の関係が結ばれている子女の名分を私たちが持っているとするなら、その何ものもあなたとの関係を否定することができないということを知っています。
お父様の真正なる息子になることができず、娘になることができなかった過去を自ら悔い改め、謙遜にお父様の前に出ていき許しを請う者たちとなるようにしてください。
お父様がいくら醜く哀れに見えるとしても私たちのお父様であることには違いなく、お父様がいくら悲しい心を抱き憂いを抱いておられても私たちのお父様であることには違いないと言いながら、そのお父様をつかんで慰労することがで、お父様のために孝行を尽くせなかったことを嘆くことのできるあなたの幼い子女たちとなるようにしてくださいますことを懇切に願いながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1965.12.26)
16
お父様!
この地は中心のない歴史過程を経てきたことを私たちは知っています。
全世界にはキリスト教徒たちがたくさんいますが、果たしてどのような教派を中心として、どのような氏族を中心として、どのような家庭を中心として、どのような個人を中心として、天の錨を下ろされるでしょうか。
そうすることのできる基台がないことを私たちは知ったものです。
今日統一教団がこの地上に現れたのは、このような基台を立てて新時代の世界的な使命を果たすためであると私たちは確信しています。
それゆえ、現在、未来の歴史過程において、私たちは押し出されていく人となってはなりません。
ですので、この地上で天を代表し、悪の世界を踏みつけ悪の世界をのみ込むことのできる権限を持つためには、天の勇者の姿を備えなければならないということが、はっきり分かるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
私たちは復帰の過程がどれほど悲しい路程であるかを知るものです。
ですので、きょう私たちはエデンの園においてのアダムとエバを身代わりした自らとして、今まで六千年間死なずに生き残った実体であることが分かるようにしてください。
アダムとエバの家庭で起こった事実が、私たちの家庭、私たち自身に起こった事実であり、カインとアベルの間に起こった惨状が、私たち自体を中心とした惨状であり、ノアの家庭も私たち自身を身代わりしたものであり、アブラハム、モーセ、イエス様以後今までの六千年の歴史過程のすべての事実は、私たち自身がぶつからなければならなかった悲惨な出来事だったことが分かるようにしてください。
そうしてその悲惨な出来事の中で殺されるとしても、復活の実権を備えて復活の実体として残されるべき自分たちだと自認しなければならないということが、この時間はっきり分かるようにしてくださることを懇切にお願い申し上げます。
イエス様がそのような歴史的な運命を経てこの地上に来られたことを知っていますので、その後継者となりその因縁を相続するためには、そうすることのできる勝利の覇権を持たなければならないということを確信させてください。
そうして、そのような勝利の場を決定づけて出ていくことのできるあなたの息子・娘となるようにしてくださることを懇切にお願い申し上げます。
私たちはさまざまな風霜と、さまざまな試練と、さまざまな患難と、さまざまな迫害の中でも滅びませんでした。
そのような中でも私たちは一片丹心にお父様のみ旨を中心として進んできました。
この復帰の過程を基準として進んできましたので、今私たち個人もこの過程を通過しなければならず、地上のすべての家庭もこの過程を通過しなければならず、氏族、民族、国家もこのような家庭的な因縁を通してお父様が願われる望みの国に入らなければならないということをはっきり分かるようにしてください。
そうして、お父様のみ意のままに平和の世界を創建してさしあげ、喜びの天国を成すことのできるあなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを懇切にお願いし、ひいては全人類があなたの民となり、全世界があなたの世界となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1968.9.1)
17
お父様!
お父様が子女に対する父母の心情で私たちに対されるように、私たちもお父様に対して父母を思慕する心情が満ちるよう許諾してください。
そうして、お父様の心と私たちの心が一つとなったその場で、今まで恨み多かったお父様の事情を共に分かつことができるようにしてください。
私たちがお父様をつかみ、慰労してさしあげ得るそのひと日が早く来なければなりません。
そのような中でお父様の高く尊いことを自ら悟りながら感謝申し上げ得る私たちとなるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
お父様!
どうせ世界に向かって出ていくべき私たちですので、早く世界各国に出ていくために、必要な準備をすべて整えるよう許諾してくださり、行くべき道が忙しいその目的地に向かって直行することのできる知恵深い子女たちとなるよう許諾してください。
数多くの人々は休んでいくとしましても、統一の群れたる私たちは休むことなく行くべき所に直行することができるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
今行くべきそこには、試練と苦痛と苦労の道が横たわっているという事実を私たちは知らなければなりません。
また、怨讐の銃剣が私たちの前に立ちはだかっているという事実も知らなければなりません。
それゆえ、そこに直行しようとするその心が懇切であれば懇切であるほど、そこに現れるすべての外的な環境をたやすく乗り越えるためには、お父様を愛する心、お父様のために動こうとする心意気がなければならないということを知っています。
そのような心を持たずにはこの道を直行することができないということを私たちは知っています。
お父様が長い長い六千年の歳月の間摂理してこられたのも、この道を直行することのできる一人に出会うことができなかったためであり、蕩減すべき条件を越えることができなかったためであるという事実も私たちは知っています。
その一人と蕩減の条件が私たちの前途に横たわっているということがはっきり分かるようにしてください。
お父様がこの道を探してこられるにおいて、真の人格と真の蕩減の条件が必要であったように、お父様を捜していく私たちも真の人格を備え、真の蕩減の条件を立てなければなりません。
私たち自身がサタンの前に解放され得る自ら、すなわちサタンを屈服させ得る自らとなると同時に、万民を導いて祭物をお父様の前に捧げておき、サタンから侵害されない立場に立たなくては、お父様の前に行こうとしても行くことのできない、関係のない身になるということを知っています。
私たちの行くべき道が遠く忙しいということを知るとき、遠く忙しいこの道を遠回りしてはならず、直行しなければなりません。
この遠い道を私たちが突破するためには、時間があまりにも切迫しているということを知っています。
お父様!
そのような場でみ旨のために完全でなければならないという、このような刺激的な心情を感じるようになるときに、お父様と呼ぶことができ、懇切な心情がほとばしるようになることを知っています。
その場ではいつでもお父様が役事してくださることを知っています。
そうですので、お父様の前に懇切なる心情で解怨の目的地に向かって走っていこうと身もだえするあなたの子女たちとなるよう許諾してくださることを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1968.11.24)
18
六千年の間、お父様がアダムとエバという一個体を捜してこられたのは、それによって世界を復帰せんがためではなかったでしょうか。
天上に行っている数多くの霊人たちの哀魂をご覧になるお父様の痛みが、どれほど大きいものであるかを私たちが知らなければなりません。
その群れを解放させることがあなたの聖なる使命であり希望であったということを、私たちが分かるよう許諾してください。
世界を越え立つ勝利の一つの基盤を、世界圏内のすべての人が共に持つことのできる日が来てこそ、天上世界の復帰と地上世界の復帰はもちろん、怨讐を屈服させることができるということが分かるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
徹頭徹尾世界を愛することができ、世界のどこにでも行くことのできる息子・娘とならなければなりません。
今までは韓国をつかんで闘ってきた統一教会の群れでしたが、十分に世界をつかみ世界のために闘う群れとならなければなりません。
ですので、私たちが涙を流しても世界人類のために流すよう許諾してくださり、私たちが大韓民国の一息子として生まれたとしても、大韓民国の人々だけでなく世界人類を愛することのできる心情を持つようにしてください。
そのような心情を持って立つことのできる私の個体となり、そのような後孫も持たなければなりません。
私たちはお父様に侍り、二つの世界を抱いて理念的統一世界を捜し出す努力をし尽くさなければなりません。
飢えた者には当然食べさせなければならず、ぼろをまとった者には当然着せなければならず、軒先で寝ている者には当然安らかに寝る所を準備してあげなければならないことでしょう。
恨み深い事情にも当然ぶつからなければならないことでしょう。
このように失われた世界と、失われた国家と、失われた家庭と、失われた個人を捜し出さなければならない運命が私たちにあるという、このとてつもない事実を考えるときに、私たち一人では持ちこたえられないということを知りました。
今、私たちは心だけは生き残ることのできる因縁をつかみ、死を覚悟して行かなければなりません。
私が倒れるとしても世界は倒れてはならないのであり、私が滅びるとしても世界は滅びてはならないという統一史観を持つことのできるあなたの息子・娘となるよう許諾してくださり、これが統一思想だということが分かるようにしてください。
国を滅ぼしても個人を生かそうというのはお父様の思想ではないことを、この者たちが分かるよう許諾してください。
この国まで売るとしても、世界を捜し立てようと言いながら、いで立つことのできる群れとならなくては、世界に向かい合えないということが分かるよう許諾してくださり、そうすることのできるひと日をこの者たちが迎えられるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1970.3.11)
19
理想世界というものは抽象的な観念圏内で成されるものではなく、刺激的で実証的な現実で成されるものです。
これが人間の最後の要求ですが、それが自分の家庭を中心として成されるということを、私たちは本当に知りませんでした。
今日統一家が背負っていくべき使命は、家庭を主とした世界です。
その家庭は世界のためにあるのであり、国のためにあるのであり、民族のためにあるのであり、氏族のためにあるのだという信念に燃え、その家族全体がその目的を遂行するために生きていくことのできる群れとならなければなりません。
私たちがこのように動くようになるとき、全世界は近い将来にあなたが愛することができ得る主管圏内に完全に抱かれるという事実を、私たちは確信しなければなりません。
祝福というこの聖なる名詞の前で、私たちは恥ずかしい自らを発見しなければなりません。
私たちの過去の生活は個人的な生活でした。
天宙史的な人格を中心とした生活ではなく、没落してしまった個人的な生活でした。
このような自らを打破してしまうことのできる各自とならなければなりませんので、お父様、祝福してください。
今、私たちは一個人のために行くのではなく、家庭の幸福の土台を開拓し、これを動機として民族の前に示しておくことのできる家庭とそのような愛の圏を成すために行かなければなりません。
そのような責任者たちとなるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
お父様!
そして、統一氏族を捜し出し、民族を代表した家庭を成すのが万世のみ旨であることを知るものです。
今、私たちは襟を正し、姿勢を整えてお父様の前に出ていかなければなりません。
そのためには、男性と女性が一つとなり、父母に侍り子女を抱いた四位基台を成さなければならないということを知るものです。
これが創造理想の実現であることを知るものです。
四位基台完成という言葉は千回万回聞きましたが、実際にその決定的な内容を愛することができない自分たちであったことを嘆息するものです。
お受け入れください。
そうすることのできる愛の刺激を感じるよう許諾してください。
そのような使命を完結させて民族と世界を導いていき、お父様と連結させなければなりません。
絶対的な主体と絶対的な対象が一つとなるその力の要件を受け継ぎ、これを愛の主管圏として世界の前で行使するのに不足がないようにしてくださり、美しく円満な自らとして堂々と出ていくことのできる、一つの家庭圏が成され得るよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1970.3.17)
20
お父様!
今、私たちの前には個人を動かしていくべき責任路程よりも家庭を動かしていくべき責任路程が残っていることを知るものです。
統一教会が願うみ旨は個人だけを救うためのものではなく、家庭を救うためのものであることを知っています。
それゆえ、お父様の聖なる祝福のみ手とお父様を永遠に賛揚することのできる家庭を慕い、お父様の懐に抱かれたい懇切な心でこの道を歩んでまいりました。
今までここに歩みを共にすることができずみ旨の前に過ちを残した人々も、理想の価値を持っていで立つことのできる天の息子・娘たちとならなければなりません。
私たちは「私は誰々だ」と自らを主張する立場に立つことよりも天の事情をつかみ、お父様のみ旨の前に熱意を傾けることのできる真実な心を持ち、民族の一つの基となり世界建設の基準となって、全体的な起点を準備することのできる内外両面の責任者とならなければなりません。
個人においては個人の立場で家庭を身代わりし、あるいは団体においてはその団体の家庭を代表し、国なら国の家庭を代表し、世界の摂理を代表することのできる家庭とならなければなりません。
そうして、お父様が頼ることのできる一つの平和の家庭を模索しながら、世界を抱き天と地を抱いていく私たちの家庭となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
その場に行けなかったことを考えれば考えるほど、今、開拓者の家庭として行くべき路程が残っているということを知るものです。
今、神様が個人であるノアに百二十年の間箱舟をつくれと言った時は過ぎました。
アベルを通して祭物を捧げることを侍ち望んだ時は過ぎました。
アブラハムをカルデヤのウルから呼び出したような、個人を通した時代は過ぎました。
モーセを個人的に呼び出した時は過ぎました。
イエス様を個人的に送り、公的な路程を立てた時は過ぎました。
今、個人ではなく、新しい統一家の家庭をお呼びになりましたので、家庭としていで立つことのできる時が来たことを知るものです。
必ず夫婦がお父様に対して孝の道理、忠の道理を尽くすことだけが家庭の果たすべき究極的な責任であることが分かるようにしてください。
自分の生活に絶対的な起源を残すことができ、永遠な一つの歴史性を天的に備えられる思想的な基を立てることのできる道は、家庭が孝行する道であり、忠誠を尽くす道にあるということが分かるようにしてください。
また、これが国家を身代わりし世界を身代わりすべき家庭的な願いであることが分かるよう許諾してください。
家庭が行くにおいて、世界の舞台を克服しようと身もだえしながら、夫婦が手に手を取ってみ旨を思い、日に日に天の愛を賛揚すると同時に、祝福を受けた家庭としてお父様の前に根こそぎ祭物として差し上げることができるよう懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1770.3.17)
21
お父様!
きょうもあなたの摂理のみ旨は進行しています。
あなたのみ旨を細胞に感じ、誰が何と言ってもあなたが願われる頂上に向かって真実に一歩一歩歩んでいくべき責任を負った自分自身とならなければなりません。
このような自分だということを忘却するときが多いことを、私たちは知るものです。
必ず人間が行くべき開拓の路程を経なくては行くことができない復帰の道があるということを私たちは知るものです。
今、残された個人の峠、家庭の峠、氏族の峠、民族の峠、国家の峠まで、ありとあらゆる力をもって越えていくべき統一教会の食口として、その使命を果たすにおいて、この者たちが荷物になることなく、プラスになり得る立場に立つようにしてください。
教会が「行こう」と言う前に先に立って出ていかなければならないのが正常な行路の足取りであることを知り、み旨の前に順応する子女たちとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
今まで耐えて残されたあなたの子女たちを記憶してくださり、その心の中であすの希望のために再び誓うことができるようにしてくださり、人生行路において将来近づいてくる峠々をみ旨とともに力強く越えることのできるお父様の息子・娘たちとなるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
そうして、最後の勝利の場でもう一度互いにまみえ、お父様の喜びとなり、お父様が立てて誇ることのできる息子・娘となるよう福を降らせてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
きょうのすべてのことを、あなたがお引き受けくださり、今後のすべての生涯もまた、あなたがお引き受けくださって、あなたが主導なさる歴史的なその峠を越えていける子女とならせてくださいますことをお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1970.4.8)
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