朝方、4時くらいまで、眠れませんでした。皆様のブログを拝見していました。
拝見していたブログの中で、春宮のようにギッシリ書くのではなくて、柔らかく優しさのあるブログに巡り会いました。日にちを遡って、拝読しました。
その方のお父様との遣り取りを拝読していて、亡き父母の事を思い出しました。春宮は、とても厳しく育てられましたから、可愛がられたという記憶がありません。20数年前に妹夫婦と同居する為に家を建てなおすまで、庭には、柿の木が2本ありました。沢山、実がなりましたので、あちこちに差し上げていました。家の建てなおしと共に、美味しい方の柿の木がなくなりました。庭には、柚子の木もありましたし、ビワの木もありました。母方の祖母は、蜜柑山を持っていましたので、蜜柑は買うものではない…と、ずっと思っていました。運動会の時に買って貰える青い蜜柑が嬉しくて…。
厳しいかったので、早く結婚して家を出たかったです。春宮は、長女でしたが、両親も、売れ残るといけない…と、大学卒業とするとすぐに、母は釣書配りをしていました。妹からは、「貴女は、逃げた!」と言われますが、両親は、扱いにくい春宮より妹の方が良かったようです。
父が、80代後半になるまで、柿や蜜柑を春宮の住む街の駅まで、持ってきてくれました。JRの駅で、二駅の所が里でした。里は、駅から歩いて3分の所にあります。近くても、遠い里でした。
母は、アルツハイマー型の認知が進み、言葉が出なくなりました。母の前では、元気な振りをしても、認知なのに、最後の言葉は、「可哀想な人…」でした。娘とわかっていたかどうか…。認知が進み、脳が溶けるように萎縮して、意識不明になり、8ヶ月後に亡くなりました。
父は、母亡き後、妹夫婦と二世帯住宅とはいえ、自炊して、何年かは、自立した生活をしていました。庭木の手入れをやめなさい…と、皆が言っても聞かず、梯子から落ちたりして、圧迫骨折三ヶ所で入院したり、リハビリしたりして入退院を繰り返し、心臓が弱り入院し、インフルエンザのB型の院内感染で亡くなりました。春宮が、お見舞いに行った時の最後の言葉が、「大丈夫だ…」でした。院内感染6病日目でしてたので、死亡診断書は、『肺炎・心不全』で、病院は、院内感染死を保健所に届けずに、済みました。少々、悔しい亡くなり方でしたが、病院から施設への説得が大変そうな頑固な父でしたので、施設に移る事なくというのと、どちらがよいやら…。
何か頂戴物をすると、春宮の所と妹夫婦の所に分けてくれ、春宮の所には、いつも「何時何分の電車に乗るから…」と電話があり、春宮夫か春宮が、駅まで、いただきにまいりました。品物を渡すと、すぐに、帰ります。その父の後ろ姿を見えなくなるまで見送った事を思い出しました。
何かほろ苦いような甘酸っぱいような思い出です。そんな事を思い出すブログ…感謝しつつ、真夜中に拝読していました。
今朝は、それでも、7時過ぎには目が覚め、何とか起き出しました。今日は、イトーヨーカドーのネットスーパーの配達品が届く日です。午前中は、しなびやすい野菜から、先に、調理して、午後からは、アイロンがけでした。さすがに、腰と背中が限界…と悲鳴を上げましたので、夕食まで、ベッドで寝そべっていました。こんな状態ですから、父母に最後まで、心配の言葉を言わせてしまった…と思い乍らも、仕方ない現状と仲良く暮らすしかありません。
いつまでたっても、父母の思い出は懐かしいです😊