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二宮尊徳の足跡と真岡の歴史に触れる街歩き

■ 2020年10月24日 二宮尊徳の足跡と真岡の歴史に触れる街歩き

JR東日本駅からハイキング「【真岡鉄道共催】二宮尊徳の足跡を訪ねる、もおかの街並みシティウォーク」に参加してきました。真岡鐡道真岡駅を起点にSLキューロク館~真岡陣屋跡~真岡木綿記念館~久保記念観光交流館~大前神社~東郷陣屋跡~久保講堂~横田大堰~真岡鐡道真岡駅に至る、二宮尊徳の足跡と明治初期から現在に至る真岡の歴史に触れる街歩きが楽しめました。

▼ ルートマップ

▼ 真岡鐡道真岡駅

▼ SLキューロク館

▼ 真岡駅近くの「もおしん」のドライブスルーATM、初めて見ました!

▼ 真岡高校記念館(http://www.tochigi-edu.ed.jp/center/bunkazai/1418006.htm)・・・明治36年(1903)に建設された旧本館で、板張りペンキ塗りの外壁と上げ下げ窓、太い丸柱を立てた玄関ポーチなど洋風の建築

▼ 道端に咲いていた「イモカタバミ」

▼ 本城稲荷神社・・・真岡城23代城主芳賀伊賀守高継が城の鬼門除けとして本丸に創建したのが始まりと伝わる。真岡小学校建設のため土地を提供したため、大正5~6年(1916~1917)に現在地の城山公園に遷宮された。

▼ 真岡陣屋跡・・・嘉永4年(1851)2月に陣屋が焼失し、建坪55坪75に縮小して同年中に原類助と二宮金次郎(二宮尊徳)が中心となって再建。慶応4年(1868)5月に再び焼失、廃陣となった。(案内板より抜粋)

▼ 真岡陣屋跡から見た筑波山

▼ 城山公園

▼ まちかど美術館(https://www.city.moka.lg.jp/toppage/kanko_bunka_sports/6/5817.html)・・・地域の文化芸術の振興と街中活性化を目的とし、市内外の方々が気軽に文化芸術に触れ親しむ場として常設展示室、市民ギャラリーの機能を持つ美術館。(パンフレットより抜粋)

▼ 真岡木綿記念館(http://www.mokamomen.com/)・・・江戸時代から現代に悠久の歴史を”今”に受け継ぐ真岡もめん。ひとつひとつ手作業で丹精を込めた真岡もめんは、独特の風合いが織り重なり、その質の良さに魅了されます。真岡木綿記念館では、機織りの工程見学や機織り・染色の体験も可能。(パンフレットより抜粋)

▼ 岡部記念館「金鈴荘」(https://www.city.moka.lg.jp/toppage/kanko_bunka_sports/6/2/index.html)・・・岡部記念館「金鈴荘」は、回遊式の日本庭園を備え、周囲に地元の磯山石(現在は生産されていない)を使用した石塀をめぐらしています。建物は、明治中期に岡部呉服店2代目岡部久四郎氏が建築材料等を多年にわたって集め、大工、指物師は出入りの職人を2年間東京で修業させ、十年余りの歳月を費やし建造したもの。内部造作は床の間部分はすべて紫檀、黒檀、鉄刀木の唐木が使用されています。金鈴荘は、建築してから昭和27年まで岡部家の別荘として、関係者の接待や呉服の展示会場として使用され、その後、昭和63年6月まで割烹料理店「金鈴荘」として利用されていましたが、同年8月に真岡市が借り受け、真岡市近世百年の歴史・文化遺産として後世に引き継ぐため、岡部記念館「金鈴荘」として保存。旧物産会館・木綿工房の建物と併せ、平成13年1月に岡部呉服店から真岡市に寄付された。(パンフレットより抜粋)

▼ 久保記念観光文化交流館(http://www.kubokinen.net/)・・・「久保記念観光文化交流館」の建物は整備前、その所有者が久保家であることから、「久保邸」と呼ばれていまっした。この地区は、1347年の真岡城築城に伴い建立された3つのお寺に囲まれた、門前町であり、大正・昭和の時代には、料亭や芸者置屋などがあり、華やかな賑わいをみせていた地区でした。しかし、時代の変遷とともに多くの建造物が失われていき、明治・大正・昭和の古き良き時代を知る建造物は、市所有の岡部記念館「金鈴荘」とこの「久保邸」を残すのみとなっていました。そのような中、久保家をはじめとする関係者の方々から、保存を前提にした建物の譲渡の申し出を受け、真岡市では明治・大正期の貴重な歴史的建築物が現存する「久保邸」を次代に引き継ぐ資産として保存するとともに、様々な機能を備えた観光文化拠点施設として「久保記念観光交流館」を整備した。(パンフレットより抜粋)

▼ 街中の遊歩道

▼ 大前神社(https://oosakijinja.com/)・・・大前神社は1500年有余の歴史を誇る延喜式内の名社。ご祭神は福の神の大黒様と恵比寿様で開運招福の願いを叶えてくれる神様。鬱蒼と生い茂る杜には安土桃山時代末期に造られた極彩色の彫刻豊かな御本殿がそびえ立ち名工藤田孫平治や島村円哲工人立の足跡が偲ばれます。二宮尊徳大人も大前神社のみそぎ所に籠もり大前堰を改修し茨城県にも及ぶ大事業を完成したことは有名です。(パンフレットより抜粋)

▼ 東郷陣屋跡・・・嘉永元年(1848)、東郷支配山内総左衛門が真岡陣屋に移った時、代わりに東郷陣屋に入ったのが二宮金次郎である。金次郎は、山内氏に信頼され、熊倉分(現在の台町・田町・荒町の一部)の荒地起返、穴川用水や長瀬堰・谷中堰の改修等の用水整備、台町の道路改修や真岡陣屋の再建等の普請などに力を尽くした。(案内板より抜粋)

▼ 久保講堂・・・昭和13年5月、久保六平翁が80歳を記念し当時の真岡高等尋常小学校に寄贈されたもの

▼ 二宮尊徳像

▼ 五行川堰堤に咲く冬桜?

▼ 横田大堰付近・・・横田大堰は五行川の横田、八木岡、東沼の境に築かれたもので、横田村一帯の耕地をうるおす用水の堰である。二宮尊徳が普請したのは文政10年(1827)5月、「御陣屋日誌」に長さ1.8mの杭木800本をはじめ諸用材1400本という膨大な材料を用いて普請されたことが記されている。その後、何度か修理を加えたが、起訴は微動だにしなかったものを、昭和4年にコンクリートに改造したところ洪水のために破壊されてしまい、その後数回の修理を経て現在の堰は以前より50mほど下流に造られている。(パンフレットより抜粋)

▼ 昼食時に立ち寄った「幸手屋」といただいた「カレー南蛮うどん」と「味噌煮込みうどん」


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