■ 2020年10月03日 茂木の神社仏閣と彼岸花群生地めぐり
JR東日本駅からハイキング「【真岡鐡道共同開催】茂木の神社仏閣と彼岸花群生地を巡るハイキング」に参加してきました。車を茂木駅にある観光協会の駐車場に置き、駅で参加受付後ハイキングマップに従って街歩きを開始しました。途中、御嶽神社にある「」小倉山里山楽園」に寄り道をし、城山公園近くでミスコース・・・荒橿神社を抜かしてしまったので逆走で戻ったり、城山公園の彼岸花群生地は満開状態で今が見頃、週末だったので真岡鉄道のSLが運行されており、久しぶりに蒸気機関車を見てちょっと興奮してしましました。
▼ ルートマップ
▼ 真岡鐡道茂木駅
▼ 八雲神社(http://www.yakumojinja.com/index2.html)・・・栃木県芳賀郡茂木町に鎮座する、厄除けと健康の大神様、素戔嗚尊(スサノオノミコト)を主祭神とする神社。江戸期茂木藩藩祖・細川興元公(大光霊神)を相殿神として祀っている、茂木細川家ゆかりの神社。
▼ 八雲神社本殿裏手で見つけたマルバルコウ
▼ 街中からも城山公園の彼岸花群生地の様子が見れます
▼ 茂木藩陣屋跡・・・現茂木町商工会
▼ 御嶽神社参道脇に咲くツルボ
▼ 御嶽神社・・・神社の創起は中世末、茂木氏の後の領主となった須田美濃守盛秀が文禄4年(1595)より、慶長7年(1602)まで桔梗城に在城。その折、城の辰巳(東南)の方向に、守護神とし鎮座造宮された。
▼ 御嶽神社境内から「小倉山里山楽園」へ
▼ シュウカイドウ
▼ 小倉山山頂付近から見た城山公園の彼岸花群生地
▼ 小倉山山頂
▼ コスモス
▼ 仲の内公園
▼ つきのきばし
▼ 榎本橋・・・昭和20年まで桔梗町は、「上・中・下」と分かれており、榎本橋は下橋と呼ばれていた。その後行政区分離により、「下」が桔梗町から分かれて「榎本町」へ変わっていく。その町名由来は弓道の端に1本の榎の老木が繁茂し、一里塚の道標としてということからである。(案内板より抜粋)
▼ 荒橿神社・・・大同元年(806)、茂木桔梗城主の鬼門除社として城の丑寅の方、宇高藤山に創祀されたと言われている古社。(案内板より抜粋)
▼ 荒橿神社三重塔(現阿弥陀堂)・・・創建時期については、わずかに桔梗城が完成した元弘3年(1333)、戦勝祈願のために「三階堂阿弥陀堂」を建立したという説があるが、それを確認できる資料は見当たらない。しかし、昭和63年にこの阿弥陀堂の様式、構造について詳細に調査を行った結果、最も重要な上層の組み上げ構法を初め、細部の様式に至るまで、西明寺三重塔(1543:国指定重要文化財)との共通点が多く、時期的な近さが感じられる。また、全体として簡略化された部分が目立つことなどから、西明寺三重塔より若干時期が新しい可能性が強い。それを裏付けるものとして、阿弥陀堂に安置されていた阿弥陀像の体内に残された墨書に、永禄7年(1564)作とあること等から、この阿弥陀堂の創建は永禄年間(1558-1569)頃と推定することができる。(案内板より抜粋)
▼ 城山公園の彼岸花群生地
▼ 城山公園から見た真岡鐡道茂木駅とSL
▼ 城山公園の彼岸花群生地
▼ 彼岸花越しに見える芳賀富士
▼ たばこ神社・・・たばこ産業を担った専売公社の敷地には「御園神社」という古社があり豊受大神が祀られ信仰を集めた。昭和24年に日本専売公社発足にあたり、茂木町の象徴でもある城山の地に「たばこ神社」として祀られることになり、その後、二宮尊徳翁・日光二荒山神社の三神が合祀され現在に至る。(案内板より抜粋)
▼ 城山公園の彼岸花群生地
▼ キバナコスモス
▼ 桔梗の花をデザインした茂木町のマンホール
▼ 真岡鐡道SL・・・C12蒸気機関車
▼ 蓮華寺・・・茂木町唯一の時宗の寺、本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺で1280年創建。
▼ 特殊地下壕(軍需工場跡)・・・太平洋戦争中に東京芝浦電機(株)の茂木工場として、高射砲の砲身を製造することを目的に造られた軍需工場の跡地。(案内板より抜粋))
▼ 真岡鐡道SL列車
▼ 瑞岩寺
▼ 真岡鐡道SL列車
▼ 真岡鐡道茂木駅構内にある機関車用転車台