■ 2022年12月02日 秋の京都旅行2日目
2日目の12/2はフリータイム。ホテルのある五条通を五条大橋へ、五条大橋のたもとから鴨川沿いの遊歩道に下り四条大橋手前まで歩き、四条大橋を通って突き当りにある八坂神社へ。その後は、八坂神社~円山公園~知恩院~青蓮院~哲学の道~大豊神社~哲学の道~銀閣寺、銀閣寺からは市バス204号系統で金閣寺へ、金閣寺からは歩きで平野神社~北野天満宮をめぐり、北野天満宮から市バス50号系統でホテルまで戻りました。
▼ 今回の旅行で2泊したホテル:ベッセルカンパーナ京都五条・・・大浴場があり快適。ブッフェスタイルの朝食は京都のおばんざいもあったのですが、私はいつもの取り合わせ。
▼ 五条大橋から見た鴨川・・・橋のたもとから川沿いの遊歩道を四条大橋まで歩きました
▼ 四条大橋を越え、八坂神社の手前にある祇園地区の花見小路通り
▼ 八坂神社・・・平安遷都(794)以前より鎮座する古社で、「祇園さん」与呼ばれ親しまれている。主祭神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)はあらゆる災いを祓う神様として信仰されており、境内には数多くの神様が祀られている(H.P.より抜粋)。
▼ 圓山公園・・・明治19年(1886)に開園した京都市内で最も古い公園。祇園しだれ桜に代表される桜の名所(H.P.より抜粋)。
▼ 知恩院・・・浄土宗の開祖、法然上人が念仏の教えを広め、入寂された遺跡に建つ寺院であり、浄土宗の総本山。今回は拝観せず外観の撮影のみ。
■ 青蓮院門跡・・・天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つ。日本天台宗の祖最澄(伝教大師)が比叡山を開くにあたって、山上に僧侶の住坊を幾つも造ったが、その一つの青蓮坊が青蓮院の起源(パンフレットより抜粋)。
▼ 平安神宮・・・ここは立ち寄らず、通りから撮影のみ
▼ 琵琶湖疏水記念館・・・ここは立ち寄らず、通りから撮影のみ
▼ 永観堂・・・昨日ライトアップを拝観したので、外観の撮影のみ
▼ 哲学の道・・・明治23年(1890)東山山麓に完成され、明治45年(1912)に延伸された琵琶湖疏水分線沿いの桜並木の散策路(若王子橋から浄土寺橋の間約1.8Km)。「哲学の道」の名前の由来は、京都大学教授 西田幾太郎(哲学者)さんが毎朝歩いて思想にふけったことから。
▼ 大豊神社・・・東山三十六峰中、十五峰目である椿ヶ峰を御神体とした山霊崇拝の社だったが、仁和3年(887)宇多天皇の五脳平癒祈願のため、贈正一位侍藤原淑子が勅命を奉じて、少彦名命を京都御所野真東にあたる椿ヶ峰に奉祀して創建された勅願社。
▼ 哲学の道
■ 昼食をいただいた京湯どうふ 㐂さ起
▼ 哲学の道
■ 銀閣寺(慈照寺)・・・正式名称を東山慈照寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と称せられた。室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起源とし、義政の没後、臨済宗の寺院となり義政の法号治承院に因んで慈照寺と名付けられた(H.P.より抜粋)
銀閣から金閣へは、京都市バス204号系統で金閣寺通まで移動しました。
■ 金閣寺(鹿苑寺)・・・正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。舎利殿「金閣」がとくに有名なため一般的には金閣寺と呼ばれている。元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされている(H.P.より抜粋)。
金閣寺を見終わった後、時間に余裕があったので歩きで北野天満宮へ
▼ 北大路通沿いの黄色い壁
■ 平野神社・・・794年の桓武天皇による平安京遷都に伴い平城京から遷座したのが始まりとされている。本殿は「平野造」と呼ばれる独特な造りとなっている(H.P.より抜粋)。
■ 北野天満宮・・・天神信仰発祥の社として村上天皇天歴元年(947)、御神託(神のお告げ)により平安京の天門(北西)にあたる北野の地に菅原道真公を祀って創建され、全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社(H.P.より抜粋)。
北野天満宮を見た後は京都市バス50号系統でホテルまで戻りました。
■ 夕食をいただいた京料理 加茂川
【参考】
1、八坂神社
2、円山公園のご案内
3、知恩院
6、銀閣寺
7、金閣寺
8、平野神社
9、北野天満宮
10、京料理 加茂川