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那須野が原日本遺産ガイド養成講座フィールドワーク2日目

■ 2020年02月22日 那須野が原日本遺産ガイド養成講座フィールドワーク2日目

2/21-2/22の2日間に渡って実施された「那須野が原日本遺産ガイド養成講座フィールドワーク」に参加してきました。2日目は那須野ヶ原開拓に際し山林業、酪農業を起こした人々に焦点を当てた遺産を見て回りました。

見学したところは下記の5ヶ所です。

  1. 山縣有朋記念館
  2. 松方別邸(万歳閣)
  3. 南ヶ丘牧場
  4. 開拓碑(那須町千振地区)
  5. 山田資料館

1、山縣有朋記念館

この建物は、明治42年に帝室技芸員工学博士 伊東忠太氏の設計により神奈川県小田原の別邸「古希庵」内に建てられた木造洋館です。大正12年の関東大地震で投下し下この建物を、翌年、嫡男伊三郎がこの建物を保存するためにこの地に移築しました。(パンフレットより抜粋)


2、松方別邸(万歳閣)

松方正義は明治26年(1893年)にここ那須野が原に牧場を開設しました。別邸は明治36年(1903年)になってから松方の別荘として牧場内に建てられた洋館で、1階部分が石造り、2階が木造となっています。

明治37年(1904年)には、時の東宮殿下(のちの大正天皇)の御駐泊があり、この時、折からの日露戦争で遼陽が陥落したとの報が届き一同で万歳をしたことから「万歳閣」と呼ばれるようになったそうです。(説明板より抜粋)

千本松牧場の歴史案内 =>http://www.senbonmatsu.com/


3、南ヶ丘牧場

昭和10年旧満州国において、満州鏡泊学園を卒業した岡部勇雄は同志五人と共に開拓の第一歩を印し、北欧風の酪農経営を実現していました。昭和20年、太平洋戦争の終戦と同時にソ連の満州侵攻が始まり、開拓者たちは開拓地を捨て日本へ戻りました。

昭和23年、日本へ戻った岡部勇雄は那須開拓事業に入植を申込み那須山麓のこの地に入植しました。初期の整地が済み本格的な開拓が始まると岡部はかつて満州(三河)で行っていた酪農をこの地に根付かせようとしました。岡部にしてみれば旧満州での酪農の延長線上に那須での酪農事業があり一本の糸でつながった運命と感じたかもしれません。

昭和24年、岡部は南側になだらかな斜面の広がる土地を「南ヶ丘」と名付け酪農を開始しました。(説明板より抜粋)

南ヶ丘牧場の案内 =>https://www.minamigaoka.co.jp/


4、開墾の碑

旧満州国で開拓に従事した人たちが、昭和31年11月に那須山麓に位置する那須町千振地区の開拓に入植、荒れ地を開拓し酪農業を起こした業績をたたえています。


5、山田資料館

山田資料館が建っている栃木県那須郡那須町那須町黒田原地区は、現在は那須町の中心に位置していますが明治20年代初めまでは木々に覆われた原野でした。明治24年(1891年)に山田顕義が官有地であったこの地を借り上げ、開墾事業を始め山田牧場を開きました。

現在の那須町寺子乙、丙、富岡にまたがる地域で総面積111町4反歩余(約110ha)ありました。一般には「山田牧場」と呼ばれていますが、山田家の人々は「黒田原牧場」と呼んでいたそうです。

山田資料館の案内 => http://nasu-bunka.jp/007/


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