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還暦リタイアジジイの悠々自適な日々

星野遺跡近くにある谷倉山

■ 2021年12月02日 星野遺跡近くにある谷倉山

栃木県栃木市星野町の星野遺跡に近く、栃木市と鹿沼市の境界に位置する谷倉山(やぐらさん)を訪れました。自宅から東北道栃木ICを経由して、星野遺跡公園に車を置き、カタクリ群生地のある星野自然村の中を通ってキャンプ場脇の谷倉山登山口から山頂を目指しました。

山頂付近の北東側は伐採地が広がり、見晴らしは良いものの植林の保護材の白が墓標のように見え異様な雰囲気でした。下山は、星野遺跡地層たんけん館の横を通る林道を経由して下り、地層たんけん館を見学してから遺跡公園へ戻りました。

▼ ルートマップ・・・参考:下野新聞社 栃木百名山ガイドブック

星野遺跡公園~星野自然村~谷倉山登山口~谷倉山山頂~林道~星野遺跡地層たんけん館~星野遺跡公園に至る7.0Km

▼ 星野遺跡公園から見た谷倉山・・・山頂のアンテナが目印

▼ 星野遺跡公園(憩の森)駐車場を利用しました。ここは、昭和40年に星野遺跡第1次発掘を行ったところで、縄文時代前期(5~6000年前)と中期(4500年前)の住居跡など7戸が確認され、発掘跡地を遺跡公園(憩の森)としたもの(説明版より抜粋)。写真奥に見える建物はトイレです。

▼ 星野遺跡記念館(休館中)の前の砂利駐車場を横切って、T字路を山の方に進みます。

▼ カタクリ群生地に向かいます。

▼ 星野自然村の中を通って、奥にあるキャンプ場に向かいます。

▼ キャンプ場内の道標に従って、谷倉山へ向かう林道に入ります。

▼ 林道途中から登山道が始まります。

▼ つづら折りの登山道を進むと見えてきた「凡天山見晴台」の標識ですが、木々に覆われていて周囲を見渡すことができませんでした。

▼ 登山道

▼ ここがルートミスを起こした地点で、踏み跡が右に続いているように見えそちらに歩いていきましたが、途中で路肩が緩んきたのでスマホの地図で確認するとミスしていることがわかりました。ここまで戻りよく見ると、小さい木の先っちょにピンクリボンがついていました。

▼ 登山道

▼ 山頂手前で急に視界が開け、伐採跡地の植林地が現れます。植林を保護する白いカバーが墓標のように見え一種異様な雰囲気でした。

▼ 谷倉山山頂にあるアンテナと山名板

▼ 山頂からの眺望・・・筑波山

▼ 山頂からの眺望・・・高原山

▼ 下山は、往路を戻らずに星野遺跡地層たんけん館横を通る林道を目指します。

▼ 林道に入る所は目印がなく、スマホの地図を頼りに進み、何とか目的の林道にたどり着けました。

▼ 林道途中はかなり荒れたところがあります。

▼ 砂防ダムが見えると整備された林道になります

▼ 星野遺跡地層たんけん館入り口横にある「栃木市指定文化財 史跡 小山芳姫の墓」・・・帰宅後調べてみると、下ってきた林道から横道にそれたところにあるらしい。


▼ 星野遺跡地層たんけん館

▼ 星野遺跡発掘跡・・・発掘調査は、まずトレンチという長方形の溝のような穴を掘り、そこに遺跡があるかどうかを確かめ、それから細かい調査が行われる。この大きな穴は、昭和42年に行われた第3次から昭和58年の第5次までの3回の発掘調査時に掘られたトレンチを復元したもの。発掘が行われたときは深さ約14mで階段状に掘られていたが、今回、地層がよく見えるようにするため、一番古い文化層(人間の生活を確認できた層)が確認できた深さ約10mまでをこのような形に掘りなおして展示している(説明版より抜粋)。

▼ 星野遺跡の地層の断面・・・深さ約10mにも及ぶEトレンチの壁面をそのままはぎ取ったもの。

▼ 第13文化層から第9文化層まで

▼ 第12文化層から第6文化層まで・・・左側の目印は下から「立山E火山灰(6万年前~7万5千年前頃)」、「赤城-水沼第一軽石(5万5千年前~6万年前頃)」、「赤城-行川軽石群(4万7千年前~4万8千年前頃)」、「榛名-八崎軽石(4万1千年前)」の層

▼ 第8文化層~第5文化層

▼ 第4文化層~第1文化層まで・・・左側の目印は、下から「赤城-鹿沼軽石(3万1千年前~3万2千年前頃)」、「姶良丹沢火山灰(2万4千年前頃)」、「浅間-板鼻褐色軽石群(1万8千年前~2万1千年前頃)」の層

▼ 星野遺跡Eトレンチ説明版・・・このトレンチでは縄文時代の層のほか、旧石器時代の13枚の文化層を確認することができ、各文化層からは多くの石器が出土し、その他動物の足跡(第5文化層)や住居跡(第6文化層)と考えられるものも確認された。また、文化層の年代を調べるため地層を構成している火山灰を調べると、鹿児島県で噴出した火山灰であることもわかりました(説明版より抜粋)。


▼ 林道山口線分岐・・・左側は星野遺跡地層たんけん館横の林道

▼ 星野遺跡憩の森に戻ります


▼ 星野遺跡公園内の展示物

▼ 縄文前期住宅・・・縄文時代前期(約7000~5500年前)の床が長方形の竪穴式住居で四隅に主柱を立て、桁を主柱に結び、垂木で骨組みがつくられている(説明版より抜粋)。

▼ 縄文中期住宅・・・縄文時代中期(約5500~4500年前)の住居で直径3.6m、短径3.4mの楕円形の竪穴式住居で主柱6本に桁を結び、垂木で円錐形の骨組みが作られている(説明版より抜粋)。

▼ 縄文中期貯蔵庫・・・縄文時代中期(約5500~4500年前)のもので、直径2.5m、短径2.1mと住居にしては小型で支柱も2本しかなく、貯蔵庫としたものと思われる(説明版より抜粋)。


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