8月山の日(11日)に加西市にある鶉野(うずらの)飛行場跡に行きました。
第⼆次世界⼤戦時、戦局が悪化しはじめた頃、パイロットを養成するために設置された
旧⽇本海軍の練習航空隊の飛行場跡です。正式名称は「姫路海軍航空隊」であり、
地元では鶉野⾶⾏場と呼ばれているそうです。ここでは、「九七式艦上攻撃機」を
使用した実用訓練が行われていました。
昭和18年末頃に、川⻄航空機姫路製作所鶉野⼯場が設けられ、
終戦までに、「紫電」「紫電改」など 500機余りの戦闘機が組み⽴てられ、
この飛行場で試験飛行が行われていたそうです。
昭和20年2月、姫路海軍航空隊においても、神風特別攻撃隊「⽩鷺隊」が編成され、
鶉野飛行場から待機基地である大分県宇佐へ、さらに出撃基地である鹿児島県串良へ飛び立ち、
沖縄での特攻作戦で63名もの尊い命が失われました。
SORAかさい(ミュージアム)には戦闘機「紫電改」と、パイロット養成に使用され、
特攻機としても使われた「九七式艦上攻撃機」の実物大模型が展示されてます。
「紫電改」
コックピット
「九七式艦上攻撃機」
この日はまだ半分しか見られてません。他にも、周辺に
巨大防空壕跡、対空機銃座跡、弾薬倉庫、衛兵詰所跡
などがあるようです。必ずもう一度行くつもりです。
「紫電改」も「九七式艦上攻撃機」もあくまでもレプリカなのですが、
なぜか魂が揺さぶられます 平和の重みを改めて感じます。
ちなみに神風特攻隊はもともと「しんぷうとくべつこうげきたい」と
呼ばれていたそうです。アメリカ軍が間違えて「かみかぜ」と
呼んだところからそちらの方が定着したそうです。
国を守ると言うことは、国民としては当たり前のことです。しかし、
飛行機ごと爆弾を抱え敵艦に体当たりをすると言うような、バカげた
作戦で命を落とした精鋭たちを英雄扱いするような社会を二度と
作らない事が先人たちの為にもこれからの日本が進む道なのではないかと思います。
平和祈念の碑
これだけの施設で無料と言うのも信じられません。
是非一度訪れてみてください。
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