小さい頃は絵を描くのが好きだった。すぐに自分よりうまい人が現れて、時々思い出した時に書くような、その位になった。
パソコンを手に入れてすぐのころ、RPGツクール2000の体験版を入れて、ゲームを作るようになった。テストプレイをしていた兄が作ったゲームに、凝ったシステムがあった。色々と試行錯誤をしてみたが、納得のいく作品は得られず、パソコンの故障と共にゲーム作りもしなくなった。
漫画研究会に入って、記念くらいのつもりで漫画を描いたりもした。恥ずかしいくらい画力に差があるのは、この時には慣れた感覚で、あまり気に留めなかったが、それだけに、色々とこだわるようなこともできなかったと思う。ただ、誰かに書いてもらう作品に関しては、納得のいく出来栄えの作品に仕上げたつもりだ。
漫画研究会の後半ごろから、小説を書き始めるようになった。その内に、文章を書くことが日課になって、社会人になってからも、取りつかれたように文章を書き続けた。
そして、今は、魔法が解けたかのように、小説を書く熱が冷めて、他の創作にも手がつかない。
何も手応えがえられないと感じるようになったのは、いつ頃からだろうか。
映画『数分間のエールを』は、2024年6月14日から上映開始された、脚本花田十輝・映像制作 Hurray!によるアニメーション作品である。
MVの制作に没頭する主人公・朝屋彼方が、音楽の道を諦めて教師となった織重夕の歌に感動し、そのMVを制作したいと依頼する。物を作ることに没頭している、あるいはしていた人々の思いが交錯する物語だ。
予告トレーラーを一目見た時から心を囚われた。
「これ、絶対見よう」と、そう思った。
物作りを通して、手探りで星を探す人、眩いばかりの光を捕らえたくて、必死に手を伸ばす人。早速計画を立てて、映画館へ赴いた。
寝不足の主人公の姿を、少し前の自分に重ねるところから始まる。書き物に没頭していると、本当に時間を忘れることがある。そして、彼のMV制作の過程を見て、思わずうんうんと頷いてしまった。なかなか嵌らなかった時の懊悩、逆にかっちりと嵌った時の言葉にならない興奮、あの新鮮な感覚。そうそう、これが物作りの楽しさなんだよ。
とは言え、今の私にはちょっと眩しすぎて直視できない感覚もあった。それでも、あの高揚感、言いようのない喜びは本物で、確かに私の中にもあったものだ。
あるいは、今も、あるのかな。
その上で、彼を取り巻く人々の、夢を諦めた織重夕や、友人の外崎大輔の、彼とは違った挫折の、喉に刺さった骨のような苦しみが胸を締め付ける。現実がうまくいかないことは、他でもない自分の経験から分かっている事だ。
私には才能がない。堪え性がない。どうしようもなく承認欲求も抑えがたい。だから余計に苦しむのだ。あの、かっちり嵌った時の興奮や感動を、どうしたら取り戻せるのだろうか?
物語は進むにつれて、重苦しさを帯び始める。そして、主人公の心にも、少なからず変化が訪れる。この辺りで、私は泣いてしまった。全然泣くようなシーンでもないのに、こう、人の心を掴めなかったような、あの挫折感が蘇ってきたのだ。
それでも、この映画は執拗に「星はあるのだ」と訴える。主人公がどうしてもと自転車に跨るシーンで、届きそうもないものを追いかけるシーンで、改めて、色々な思いがあったのだと再認識した。
少し話はずれるが、もし、ここに来た方が、少しでも、作品制作に携わる方であったら、少し聞いてみたいことがある。
「それでも、あなたがモノを作る理由はなんですか?」
と。
アマチュアなどは顕著だが、作品制作というやつはどうしようもなく「コスパ」が悪い。資料を集めなきゃいけないし、頭をひねっている間は無償労働のようなものだし、ゲームがおかしな挙動するときは、腹立たしくて机を叩きそうになる。
それでも、あなたは、どうして「モノを作って」いるのだろう。その答えを、映画を見ている間に考えてみて欲しいのだ。
私の小説は、大きなテーマが「祈り」だ。「追想」と言い換えてもいいかも知れない。そう言う作品を作りたくて、筆を執ったはずだ。
では、今、筆を置きたかったのは?多分、「祈り」は届かないと悟ってしまったのだろう。
それでも、手に余る欲求を抑えられない。溢れ出るインスピレーションを止めることはできない。だから、作品制作を諦めることは、途轍もなく難しいのだ。
もし、もしも。この祈りが誰かに届くのであれば、それは作品を作り続ける理由になる。「星はそこにあるのだ」。
今、物作りに情熱を注いでいる方、あるいは、情熱が醒めてしまった方、それに、志半ばで折れてしまった方。あなたに、あなたに、あなたにこそ、この作品を勧めたい。だって、作品を作ることは、どうしようもなく楽しいのだ。
この作品のタイトルは、「数分間のエールを」だ。私は、映画を見終えた後だからこそ、このタイトルを噛み締めて、思わず涙が溢れる。
パソコンを手に入れてすぐのころ、RPGツクール2000の体験版を入れて、ゲームを作るようになった。テストプレイをしていた兄が作ったゲームに、凝ったシステムがあった。色々と試行錯誤をしてみたが、納得のいく作品は得られず、パソコンの故障と共にゲーム作りもしなくなった。
漫画研究会に入って、記念くらいのつもりで漫画を描いたりもした。恥ずかしいくらい画力に差があるのは、この時には慣れた感覚で、あまり気に留めなかったが、それだけに、色々とこだわるようなこともできなかったと思う。ただ、誰かに書いてもらう作品に関しては、納得のいく出来栄えの作品に仕上げたつもりだ。
漫画研究会の後半ごろから、小説を書き始めるようになった。その内に、文章を書くことが日課になって、社会人になってからも、取りつかれたように文章を書き続けた。
そして、今は、魔法が解けたかのように、小説を書く熱が冷めて、他の創作にも手がつかない。
何も手応えがえられないと感じるようになったのは、いつ頃からだろうか。
映画『数分間のエールを』は、2024年6月14日から上映開始された、脚本花田十輝・映像制作 Hurray!によるアニメーション作品である。
MVの制作に没頭する主人公・朝屋彼方が、音楽の道を諦めて教師となった織重夕の歌に感動し、そのMVを制作したいと依頼する。物を作ることに没頭している、あるいはしていた人々の思いが交錯する物語だ。
予告トレーラーを一目見た時から心を囚われた。
「これ、絶対見よう」と、そう思った。
物作りを通して、手探りで星を探す人、眩いばかりの光を捕らえたくて、必死に手を伸ばす人。早速計画を立てて、映画館へ赴いた。
寝不足の主人公の姿を、少し前の自分に重ねるところから始まる。書き物に没頭していると、本当に時間を忘れることがある。そして、彼のMV制作の過程を見て、思わずうんうんと頷いてしまった。なかなか嵌らなかった時の懊悩、逆にかっちりと嵌った時の言葉にならない興奮、あの新鮮な感覚。そうそう、これが物作りの楽しさなんだよ。
とは言え、今の私にはちょっと眩しすぎて直視できない感覚もあった。それでも、あの高揚感、言いようのない喜びは本物で、確かに私の中にもあったものだ。
あるいは、今も、あるのかな。
その上で、彼を取り巻く人々の、夢を諦めた織重夕や、友人の外崎大輔の、彼とは違った挫折の、喉に刺さった骨のような苦しみが胸を締め付ける。現実がうまくいかないことは、他でもない自分の経験から分かっている事だ。
私には才能がない。堪え性がない。どうしようもなく承認欲求も抑えがたい。だから余計に苦しむのだ。あの、かっちり嵌った時の興奮や感動を、どうしたら取り戻せるのだろうか?
物語は進むにつれて、重苦しさを帯び始める。そして、主人公の心にも、少なからず変化が訪れる。この辺りで、私は泣いてしまった。全然泣くようなシーンでもないのに、こう、人の心を掴めなかったような、あの挫折感が蘇ってきたのだ。
それでも、この映画は執拗に「星はあるのだ」と訴える。主人公がどうしてもと自転車に跨るシーンで、届きそうもないものを追いかけるシーンで、改めて、色々な思いがあったのだと再認識した。
少し話はずれるが、もし、ここに来た方が、少しでも、作品制作に携わる方であったら、少し聞いてみたいことがある。
「それでも、あなたがモノを作る理由はなんですか?」
と。
アマチュアなどは顕著だが、作品制作というやつはどうしようもなく「コスパ」が悪い。資料を集めなきゃいけないし、頭をひねっている間は無償労働のようなものだし、ゲームがおかしな挙動するときは、腹立たしくて机を叩きそうになる。
それでも、あなたは、どうして「モノを作って」いるのだろう。その答えを、映画を見ている間に考えてみて欲しいのだ。
私の小説は、大きなテーマが「祈り」だ。「追想」と言い換えてもいいかも知れない。そう言う作品を作りたくて、筆を執ったはずだ。
では、今、筆を置きたかったのは?多分、「祈り」は届かないと悟ってしまったのだろう。
それでも、手に余る欲求を抑えられない。溢れ出るインスピレーションを止めることはできない。だから、作品制作を諦めることは、途轍もなく難しいのだ。
もし、もしも。この祈りが誰かに届くのであれば、それは作品を作り続ける理由になる。「星はそこにあるのだ」。
今、物作りに情熱を注いでいる方、あるいは、情熱が醒めてしまった方、それに、志半ばで折れてしまった方。あなたに、あなたに、あなたにこそ、この作品を勧めたい。だって、作品を作ることは、どうしようもなく楽しいのだ。
この作品のタイトルは、「数分間のエールを」だ。私は、映画を見終えた後だからこそ、このタイトルを噛み締めて、思わず涙が溢れる。