こずみっく・ふぉーとれす

不定期更新です。特に意味はないですが、宜しくお願い致します。

僕だけがいない街③ 矢代先生は異常か?

2016-04-01 18:36:03 | 駄言
 「いや、異常でしょ。どう考えても。」
 「はい、失礼しました。」

 今日は矢代先生について書いていきたいと思います。ハムスターを水入り酒瓶に放置したり、蜘蛛の糸が見えたりする先生ですが、その猟奇性といえば、名状しがたい恐怖があります。ところが、この教師、仕事もそこそこにこなし、成功を収めていたりする、なかなか賢い人物です。なぜ突然こんなタイトルにしたのか、といいますと、ここまでの人はそれこそほとんどいませんが、こうした猟奇性というのは人間なら誰しも持っているのではないかな、と考えたからです。

 八代 学という人物は昔から感情の起伏に乏しい人物だったようです。家庭環境の中でも、兄と比べて優秀な自分を、ある意味では演じ続けてきた面もあるのではないでしょうか。表では大変人望の厚い人物でありながら、どうしても自分が実際に感じている感情(?)と周囲の評価が合わないようでした。蜘蛛の糸が見えるようになった、というのも、超能力ではなく幻視だったと思われます。自分が殺そうとする人物の頭の上に延びた蜘蛛の糸を切る、というのは恐らく、救いを断つ、という彼なりの表現だったのだろうと思われます。
 八代は、「代償行為」という言葉をよく使います。彼自身経験の中でも、誰かから誰かへ(或いは自分へ、自分から誰かへ)の代償行為を求めているのです。この人物にとっては、何かを得るためには何かを犠牲にしなければならないという考えがあるのだろう、と解釈します。初めの頃、雛月と雪の中で対面した際に、「みんな何かを手に入れる為に我慢して、努力して、スキルを身につける」という表現を主人公が使っています。「演じる」という行為に関する言葉ですが、これは八代の言う代償行為に近いニュアンスがあります。そして、彼は実際に求めた結果のために我慢し、努力し、スキルを身につけてきました。多くの人々にとって、その行為が正当であるにもかかわらず、彼の異常な性癖に対するこの姿勢が異常だ、ということは誰も思わないでしょう。勿論、ここでは彼の「衝動」が異常かどうかは触れず、その姿勢に関することを触れています。

 では、彼の行う殺人行為についてですが、当然犯罪なので裁かれるのは当たり前ですし、それを否定するという意味でこの疑問を投げかけているわけではないことを、ご了承ください。彼の行う殺人行為は、いわば自分の中に燻る衝動を発散させるような「代償行為」であり、われわれの世界で言うところの、いわゆる「趣味」です(正しい行為かどうかはおいておいて)。ですから、彼にとっての鬱憤晴らしのようなものであり、人を殺すことによって、快楽を覚えているわけです。そのために(というよりは恐らく、その後の筋書き通りに犯罪を自分から遠ざけることで)自我を保ち暮らしているのだろうと思います。では、鬱憤晴らしに誰かを傷つけることは異常な行為でしょうか?
 誤解を恐れないで言うならば、異常なはずがありません。行為それ自体が非難されるべきことであろうと、人間には大なり小なりその猟奇性が身についています。ある人はそれをスポーツや芸術に、ある人はそれを仕事に、またある人は八代のような「代償行為」に……求めているわけです。実際、かつて世界中で行われた諸兄というものは、見せしめとして、人々に恐怖を与えるためにあるほか、庶民にとっての娯楽としての一面もあったようです。自分以外の社会的弱者を傷つけたり、正義を執行するという感覚……それに酔いしれる人々というのは、果たして異常でしょうか。その他の例で見ましても、例えばいじめ、というものがあります。これは非難されるべきものであると社会的にも言われていますし、そうでなければなぜ暴行罪なる罪があるのか、という問いをしなければなりませんが、これも一種の代償行為であると思います。人を傷つけて、快楽を得ようとする人間というのは意外にも多く、そしていじめなどというものは、どこででも起きるうえ、なくなっているとは到底いえないものです。その意味では、彼のある種「異常な」性癖というのは遍在するものなのだろう、と考えてもよいと思います。私自身にも、その片鱗がまったくないとはいえませんし、私を傷つけた幼い頃の彼らには、恐らくあったものでしょう。
 もっとも、成長するにしたがって、ルールを守りながら健全にストレスを発散し、或いは興奮を得る方法というものを得られるのが一般的ですから、その意味では変わった方であることは否定しません。

 最後に、私の考えを一つ書いて、今日の分は締めようと思います。私は、犯罪だからすべて悪い、という考えは捨てるべきだと思います。なぜそれが犯罪に列挙されているのか、と考えるべきです。ですから、この論題に対しては、このような結論があってもよいのではないかな、と思います。そもそも、私も例外でない多くの人が、その犯罪が犯罪となるべき理由を知らないのです。それがどのように結論付けられているのか、という一般的な観点から知るのも大切ですが、自分で説明できるくらいには、その犯罪が犯罪となるべき理由を考えてみるべきなのでしょう。そして、こんなことを書いていますが、そんな時間がないというのが、普通の方だと思います。そして、そんな社会なんだなぁ、と思います。
 それでは、駄文長々と、失礼いたしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする