こずみっく・ふぉーとれす

不定期更新です。特に意味はないですが、宜しくお願い致します。

戦後70年ということで 最終弾:現代の戦争

2015-08-15 18:57:02 | 駄文
 今回は、現代の戦争について考えていきたいです。戦争とは、過去の出来事ではありません。歴史を学ぶということは、その原因と結果を学ぶことであり、単語を覚えても意味はありません。ある意味で、テストで低い点を取っていても、歴史に理解がある人というのはいます。これまで、私は戦争というものをどう捉えるか、その発生原因とはどのようなものなのか、そして、直近の戦争はなんだったのか、といったことを書いてきました。今回は、それらを踏まえた、これからのことを、少し考えたいと思います。
 現代の戦争というものを、どのように定義するべきか。これは学者だけのするべきことではありません。まず、原因はこれまでと同様に、利益ということになるでしょう。これは、いつの時代も変わらなかったことは述べてきました。しかし、おそらく戦争というものが変化する時期にはなっています。これは、戦後からじわじわと変わり続けていると言えます。まず、中近世の戦争は、お上の戦争でした。庶民は無縁だった、と言えます。近代の戦争は、諸国民の戦争になります。国民は、何らかの目的を持って、戦争に加わっていきました。そして、その戦意を削ぐことを目的とした攻撃の価値が大きくなったと言えます。では、現代はどうなるのでしょうか。私はお上の戦争に戻るのではないか、と考えています。
 第一に、軍備の変化です。現代の戦争では、はっきり言って、一般市民を徴兵しても毛ほどの役にも立ちません。あまりにも複雑化、専門化しすぎた兵器を使えるのは、訓練された兵士であり、かつてのように徴兵は上手くいかないでしょう。よって、専門家による戦争が増加します。
 第二に、戦争の局地化です。現代は戦争が起きていないわけではなく、紛争という形で小さな地域による戦争状態(厳密には戦争とは言いづらいですが)が起こります。そこに、大国が介入するとすれば、武器や金銭、人員による支援だと考えられます。これは、利権を得る目的で戦いに介入するという状態ですが、おそらく直接対戦ということは避けたがるはずです。端的に言えば利益が出ないからです。そもそも本気で戦争したら多分地球丸々消えてなくなるかと思われます。すると代理戦争をしようとするため、結果的に戦争は局地化します。
 戦争というものは、利益にならなければしません。これだけは変わらないので、直接の戦闘を避け、かつ専門的な戦争を考えると、庶民を巻き込む理由が上がりづらいです。ですから、多分徴兵制等は起こりづらいので、ご安心ください。
 よっぽど志願者が減れば話は別ですが・・・。

 戦争は、時代の節目を作ってきました。大きく技術が進歩します(勝つための手段として生み出されたものが、生活に溶け込むことが多いです。)し、その度に国のあり方が変化します。日本もずいぶん変わりました。平和を求めて、「戦争から目を逸らす」時代になってきました。再び、そのことを振り返る良い節目だと思います。多くの人々が、なんのために戦ってきたのか。歴史はこれを解明することで、大きく変わります。どうして、起きたのか、結果はどうだったのか。そこから、戦争の価値(プラスマイナス含めて)を評価しましょう。
 私たちの世代は戦争を知らないからこそ、もう一度、理論によって切り開く戦争の評価を求められているのではないでしょうか。
 駄文長々と、失礼いたしました。
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戦後70年ということで:第4弾 第二次大戦の原因

2015-08-12 20:07:32 | 駄文
 結論から言います。「どっちもどっち」です。
 ざっくりと説明しすぎましたが、つまり、連合国も枢軸国も大分悪いです。もっと突き詰めて言うと、時代が悪いです。
 まず、最初の原因は恐慌です。この恐慌は、有名な世界恐慌というものですね。ニューヨーク株式市場の大暴落から始まり、各国に波及していきました(1929年、10月24日 暗黒の木曜日)。諸説ありますが、一般的にはここが不況最大化の原因でした。この結果、各国経済は大きな打撃を受けます。そして、自国の立て直しを図ろうと、植民地との交易を中心にし、自国の経済圏外の関税を引き上げることで、自国産業の最大化を図りました。いわゆる、ブロック経済です。この結果、植民地を持たない、または少ない国々は大きな打撃を受けます。枢軸国は日本、イタリア、ドイツですから、当時植民地を持たない、あるいはあまり持っていない国でした。国内は不況の結果不安が生じ、利益拡大のために力強い拡大政策を打ち立てることになります。こうなれば、各々領土を求めて進出を始めます。
 第二に、国際連盟の不徹底です。国際連盟は経済制裁を加えることのみを許されていましたが、かえって進出に拍車をかけてしまったとも言えます。先述の通り、戦争は経済活動です。経済的利益が高ければ、進める理由になります。不十分な制裁は、かえって進出の魅力を高めてしまったと言えます。また、当時の国際連盟は恐慌のこともあり、自国のことで手いっぱいだったとも言えます。
 第三に、モンロー主義です。アメリカは元来、ヨーロッパとの関わりをなるべく絶とうとしていました。ヨーロッパの戦争には介入しない、これがモンロー主義です。第一次大戦ではこれが大きく機能しました。アメリカはイギリス、フランスに対する大債権国となり、国力の増強につながりました。しかし、なるべく介入しないということは、抑止力にもなりづらいということです。第二次大戦では、世界恐慌の影響で自国の立て直しのために、ニューディール政策を行いましたが、この効果が現れる前に、各地にあった債権がアメリカに回収されていきます。そこで大打撃を受けるのは、ドイツです。ヴェルサイユ体制の結果、多額の賠償金を負ったドイツは、その負債を最終的にアメリカからの利潤で乗り切っていきました。当然、困ります。ドイツの国内ではヴェルサイユ条約への不満が爆発します。これが、ナチ党の拡大につながります。
 第四に、日本の参戦についてです。日本は、明らかに調子に乗っていました。勝てる、と思っていたのです。といっても、これは陸軍の考え方であり、軍部の力が大きくなったことが原因と言えます。ちなみに、海軍は陸軍より消極的だったようです。元々、イギリスとの関わりが強い日本は、その日英同盟を振り切ってまで戦争に参加することは抵抗があったようです。また、言ってしまえば分を弁えていたとも言えます。戦っても、良くて五分ということを述べています。陸軍が一方的に悪いわけではありませんが、海軍が実際にはこのような考え方だったというのは、知ったときは少々驚きました。
 
 今回は、戦争のざっくりとした原因と考えうるものをいくつか述べました。ただし、専門ではありませんから、まだまだあるかもしれませんし、間違っているかもしれません。あしからず。
 いずれにせよ、戦争には利害がつきものであり、当時の世界情勢がその魅力を作り出してしまったとも言えます。不満、不安、復讐心、利害。戦争はこうして起こります。以前に語ったとおり、戦争というものは、一首の経済活動であり、それ自体がひたすら邪悪だと非難するだけでは、抑止力にはなりません。まして、一国が参加しなかったところで、目を瞑っているだけで、他の国には良くも悪くも影響がありません。実際、戦争ではなくても、現在も紛争が発生しているのです。これをどう捉えるかは、皆様の感性に任せるべきかと思います。私は、偉そうなことを言えるような立場ではないので。
 最後に、戦争に関する面白い格言が一つ残されているので、少し紹介します。
 「戦争が邪悪だと認められている限り、戦争は常にその魅力を保つであろう」
 オスカー・ワイルドという人物の格言です。その意味を考えてみてください。
 それでは、駄文長々と、失礼いたしました。
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戦後70年ということで:第三弾 戦争の原因

2015-08-10 00:56:18 | 駄文
 戦争の原因は何か、という話題にしたいと思います。
 しかし、第二次大戦の話はしません。せっかくなので、これはまとめてしたいです。
 戦争の原因には、考えられることで、宗教対立、領土拡大、政治活動の伝播、敵国の参入への対抗など、実に様々にあります。
 しかし、実際にはほとんどが領土に集約していきます。それは単純に金になるからです。
 戦争とは、経済活動ですから、利益にならないようなことをするべきではありません。何らかの特があることを狙って、戦争は始まります。
 例えば、十字軍はどうでしょうか。「宗教」の盾によって、領土の拡大を狙った戦争です。正確には、宗教によって領土を拡大すること、それによって信者からの金を集めることが重要なものです。実際、第三次十字軍は脱線十字軍と呼ばれ、完全な経済的特権を求めて戦争をしています。
 例えば、30年戦争はどうでしょう。国内の宗教対立から発展した戦争ですが、各国、とりわけフランスの介入によって、戦争の目的が変化します。ユグノー派の支援を通して、ハプスブルク家優勢の流れを変えたいと考えたフランスは、旧教派であっても、ユグノーを支持しました。戦争は本質的には利益が絡んでいるので、この判断はかなり欲望に正直で嫌いではないです。しかも、フランス側が介入すればハプスブルク家の打撃は確実に大きくなりますから、フランスの戦略的判断は合理的ではあります。
 では、100年戦争はどうでしょうか。こちらは、完全に利権争いですね。王位継承者問題に始まり、フランドル地方の利権争いとして広がります。元からその意図は互いにあったでしょうが、あえて口に出さないあたりがうわべを繕っていますね。しかし、外交とはそんなものでしょう。
 では、ナポレオン戦争はどうなるでしょうか。完全に政治的思想の伝播が目的というわけではないでしょう。大国と対立するだけの力があったのは、その地盤があったから、そしてその地盤があったことでかえって利益に目が向いてしまったのかな、と思われます。フランスはやはり強いですからね。
 続いては第一次大戦です。これは、確かに復讐の色が大きいものでしたが、サラエボの一件があってから、支配基盤の磐石化を図る必要もありました。オスマン帝国、ロシア帝国も黒海への進出、バルカン半島への進出など、思惑があったものだと言えます。イギリスやフランスも、ドイツの拡大は脅威ですから、介入せざるを得ない点はあったと言えます。
 当時は、勢力均衡が崩れ、植民地支配を通して国力を増強しようとした時代ですから、各国は各国の支配領域の拡大に強い関心を持っていました。戦争自体は短期で終わると予想されていましたが、言ってしまえば一紛争が各国を動かしてしまうというのは、残念でもないし当然と言えます。相手国が領土を拡大すると、自分の領土も拡大する必要がある、このいたちごっこが生んだと言えます。
 戦争を避ける方法はある意味で、利益を度外視することです。自国の利益の最大化よりも、ある程度利益の取れる、妥協が必要だと言えます。ですが、それが話し合いで解決するようならば、はじめから上の戦争は起きません。もともと人間は欲深いのですから、利益を妥協できる人や国ばかりではありません。軍備とは、対立する二つの国益のうち、どちらかが強力になりすぎないことによって、経済的な魅力を減少させて、戦争を回避するという役割も持っています。
国際連合というものは、戦争の利益と成功率を限りなく零に近づけるための機関であり、その仕組みが集団的自衛権です。
 先述のとおり、軍備は一種のいたちごっこを生みます。ですから、上記のような軍備による勢力均衡は、完全な方法ではありません。しかし、全く持たないことなど始めから「襲ってください」といっているようなものです。倫理的な見方をすれば、戦争などない方がいいに決まっています。しかし、人間の悲しい性というものがあります。起きるときは起きるのです。その時に、何もできないというのはいささか厄介な拘束だと思います。とりあえず、侵略戦争と自衛戦争の明確な、しかし抽象的に解釈しうる定義というものが求められているのかな、と思います。ここから、戦争を定義するべきではないでしょうか。そのうえで、必要なことは何か、考えていく必要があると思います。
 次回からは、前置きから本題に入ろうかな、と思っています。そろそろいい時期ですからね。
駄文長々と、失礼いたしました。
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